車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 静岡県旧相良町(牧之原市)

2019年02月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧榛原郡相良町(さがらちょう)は静岡県の遠州東部、駿河湾の西岸に面し、江戸時代には田沼意次の城下町として栄えた町です。日本有数の茶産地、牧之原台地の南部にあり、茶業を基幹産業として発展してきました。海の幸、山の幸にも恵まれ、特に南端の海岸は海藻が豊富なことで知られています。また西部の旧菅原地区には明治初期から昭和中頃まで採掘された「相良油田」があり、その跡地は「相良油田の里公園」として整備。油井そのものと簡単な試験ができる程度の設備が保存されています。御前崎市、菊川市、榛原町に隣接。「町の木:松」「町の花:水仙」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と自然が輝くふれあいのまち さがら」

明治22年(1889)、町村制の施行により、榛原郡相良町・菅山村・地頭方村・萩間村が発足。

1951年、榛原郡相良町が菅山村を編入。

1955年、榛原郡相良町が、地頭方村、萩間村を編入。

2005年、榛原郡榛原町と合併、牧之原市となりました。

独自のマンホールはありませんが、上水道関係の蓋には町章入りがあります。

昭和34年2月制定の町章は「「さがら」の頭文字「さ」を変形させたものです。」

防火用水槽、消火栓、仕切弁、制水弁、いずれも何処にでもある規格蓋ですが、それでも自治体章があるご当地もの。 いづれ消えてゆく旧自治体名や知章をこんな形で残せるのも、また素敵で面白いと思うのです。

旧町域にあった「北研」と書かれたマンホール。「北研エンジニアリング」の社名で、主に汚水枡を扱っている企業蓋です。

「農林水産」が設置するマンホール類には「農水」、「農」などの文字が入れられています。

旧相良町のマスコットキャラクター『茶々丸くん』。今では謎のキャラクターになっていますが、この名前だけで一押しキャラに決定!(笑) 相良と言えば、歴史好きにはとても有名な『田沼意次』がいますが・・関連性は多分無い・・。

町の花「水仙」が描かれた路上のタイル

相良町の観光名所にもなっている「根上がりの松」。この松は町の木に制定されています。

相良では、江戸時代中期より初の男子誕生を祝って端午の節句に凧をあげる風習が残されています。 商店街の広い歩道には「相良凧」のカラータイルが設置されています。図柄は、やはり男子の初節句を寿ぐもので、「鶴亀」は、共に長寿を表すもの。あらゆる吉事のお道具類の柄にも使われています。

鯉に金太郎で略して「鯉金」。身体堅固、立身出世祈願の図柄は、鯉のぼりの意匠としても有名。 自分の体の数倍もある巨鯉を捕まえようとする図柄は、まさに「強く逞しくあれ」の親の願い。

「おかめ」は別名「お多福」とも呼ばれており、文字通り多くの福をもたらす者。 ちなみにこの「おかめ」のモデルが、岩戸開きの『天鈿女命(あまのうずめ)』なのは有名なお話。

撮影日:2011年11月15日&2016年12月13日

 

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ご当地マンホール in 静岡県牧之原市

2019年02月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

牧之原市(まきのはらし)は静岡県中部、遠江国の東側に位置する市です。市域は駿河湾の海岸線から、お茶の産地として有名な牧之原台地まで及んでおり、市名も牧之原台地が由来となっています。2005年10月11日に榛原郡榛原町と相良町が合併して誕生。島田市、御前崎市、菊川市、吉田町に隣接。「市の木:茶」「市の花:紫陽花」を制定。

キャッチフレーズは「ふれあいビタミンあいのまち -うみ・そら・みどりと共に生きる-」

当たらしく誕生した牧之原市のマンホール、市役所近辺を探しましたが見事に空振り。唯一見つかったのは量水器が一つだけ、それでも市章があるだけ良しとしなければ・・です。

2006年3月19日制定の市章は、「「マ」の文字と駿河湾・牧之原台地などの地勢、そして茶の葉をモチーフに自然とともに生きる未来を目指し、協調発展する姿を表現している。下部の2つの要素は旧2町をも表現している。」公式HPより

牧之原市坂部区まちづくり実行委員会のマスコットキャラクター『さかべっち』。坂部を元気にする為、夢の国からやって来ました。ミカンの頭、レタスの体、お茶の手足・・ぜ~~んぶ坂部の特産物で出来てます。お茶の妖精『チャーフィン』の夢は、お茶の葉のサーフィンでお茶の香りを牧之原市から世界へ届けること。ガールフレンドの『チャーミィ』とは遠距離恋愛だそうです。

牧之原市商工会のマスコットキャラクター『マキティー』は、広大な牧之原大茶園を住家にするお茶の葉の妖精。牧之原茶とお茶請けが大好き。富士山の上から牧之原市を眺めるのも大好き。

牧の原台地はお茶の郷、何処までも何処までも続く一面の茶畑はありきたりの表現ですが、まさしく緑のじゅうたん。

「牧農水」と書かれた空気弁、この「牧」とは「牧の原台地」をさす文字なのか? だとしたらちょっと特別な一枚かも(*^^*)

それ以外は、小一時間かけて探し回った結果、汚水マンホールも消火栓も仕切り弁も全て規格品ばかり。折角なので二点だけ・・・。もしかしたら何年後かには、牧の原市らしいご当地マンホールが誕生するかもしれませんが、その時にはもう現地に行くのは多分無理(^^;)

撮影日:2016年12月12日

 

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大頭龍(だいとうりゅう)神社 in 静岡県菊川市

2019年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

菊川市加茂、小高い丘の上に鎮座される「大頭龍(だいとうりゅう)神社」。御祭神は『大物主大神・大山咋大神・出雲龍神』

文政7年(1824)に建立されたという高さ6.0mの青銅の鳥居(菊川市指定文化財)。 幅は笠木の部分で7.5mもあり、静岡県西部に現存する江戸時代の青銅鳥居としては最大級。 楔(くさび)が左右非対称という特徴を持ち、柱には建立費用を寄進した人たちの名前が刻まれています。

朱塗りの拝殿は宝暦13年(1763)、拝殿の後方に見える本殿は、文化11年(1814)の建築と云われ、同時期に弓矢の奉納が行われていた記録も残されています。

【往古より加茂村の氏神にして御山を祭り、寶祚延長天下泰平國家安穏の幣、氏子安全の幣、家内安全の幣を御山に建て今に至る。其数二萬餘本に及ぶ。口傳によれば桓武天皇延暦11年の創建と傳へらるる】由緒より

拝殿懸魚の「龍」は、御祭神の「出雲龍神」にあやかったものでしょうか? 宝暦13年と言えば250年も前ですが、鮮やかな緑と大きな目玉の所為か、とても新しく見えます。

拝殿内の一等目立つ場所に架けられていた奉納絵馬、描かれている立派な橋は何処? 何かの儀式、それとも祭りの風景? 静岡県内なら蓬莱橋が直ぐに思い浮かぶのですが・・。橋の周囲には沢山の舟の姿も見られます。

拝殿の前に置かれていた注連縄が巻かれた「木」。 もしかしたら御神木だったものが枯れてしまったので、根元部分だけ残したのか・・また一見すると金精様(良い子は検索注意)のようにも見えますが、とりあえずここは謎とします(笑)

拝殿の前で大きく両手を広げていた御亭主殿。何事かと聞けば「なんか物凄く気持ちがいい」。きっと御祭神が歓迎して下さったのかもしれないね(^-^)

拝殿前より神域を守護されるのは、昭和3年建立の岡崎型の狛犬さん、石工・青木の名があります。

狛犬阿形さんの横に建立されていた「聖徳太子」碑。

参拝日:2011年11月15日

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ご当地マンホール in 静岡県旧菊川町・旧小笠原町(菊川市)

2019年02月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧小笠郡菊川町(きくがわちょう)は静岡県の遠州東部に位置し、遠州と信州を結ぶ「塩の道」など、ふるくから南北交通の要所として栄えたまちです。明治22年に開設したJR東海道本線菊川駅により、駅前周辺や市南部を中心に市街地が広がり、また近年は東名菊川インターチェンジ周辺の区画整理事業により新たな商業区域が形成され、商業のまちとして発展を続けています。掛川市・小笠町・大東町・金谷町・榛原町・相良町に隣接。「町の木:茶・ケヤキ・クスノキ」「町の花:菊」「町の鳥:ホオジロ・セキレイ」を制定。

菊川駅前にあった「お茶の実」のモニュメント。最初見たときは全く意味がわからず暫く悩んだものです(笑) 地元では「銀の尻」と呼ばれているとかいないとか・・総工費8億円のお尻  (-。-) ボソッ

明治22年(1889)、町村制の施行により城東郡西方村・六郷村・加茂村・横地村・中内田村・下内田村・河城村・平田村・南山村・小笠村が発足。

1896年、郡制の施行により、城東郡と佐野郡が統合、小笠郡が発足。

1928年、西方村が町制を施行。小笠郡堀之内町に改称。

1942年、中内田村と下内田村が合併、小笠郡内田村が発足。

1954年、堀之内町、六郷村、加茂村、内田村、横地村が合併、小笠郡菊川町が発足。

1955年、小笠郡河城村が菊川町に編入。

1957年、小笠郡小笠町棚草原地区を編入。

2005年、小笠町と合併、菊川市となりました。

昭和29年(1954)4月制定の町章は「九個の「キ」と中央に「川」の文字でキク川を図案化したものです。」

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旧小笠郡小笠町(おがさちょう)は静岡県の遠州東部に位置した町です。アロエやブルーベリーの産地として知られ、アロエ観光農園では、アロエの品種「不夜城」などが栽培されています。御前崎市、菊川町、大東町、相良町に隣接。「町の木:マキ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により城東郡川野村・相草村・南山村・平田村が発足。

1896年、郡制の施行により、城東郡と佐野郡が統合、小笠郡が発足。

1940年、川野村と相草村が合併、小笠郡小笠村が発足。

1954年、小笠村、南山村、平田村が合併、小笠郡小笠町が発足。

2005年、菊川町と合併し、菊川市となりました。

昭和45年(1970)8月制定の町章は「「オガサ」を図案化したもの」

支所の周辺など探してみましたが、独自のマンホールは見つけられませんでした。多分ですが存在していないかも。やっと見つかったのは自治体名も知章も無い規格品だけ。 探しましたと言うアリバイに(笑)画像領域節約の為、見つけた蓋5枚から2点だけ掲載。

降りしきる雨の中でどの蓋もびっしょり。傘を肩に担いで不安定な姿勢で・・・。画像の数だけガッカリした、別な意味で思い出深いマンホールたちです(^^;)

撮影日:2011年11月15日&2016年12月13日

 

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ご当地マンホール in 静岡県菊川市

2019年02月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

菊川市(きくがわし)は静岡県の西部に位置し、一級河川「菊川」の中流域に広がる都市です。気候は総じて温暖で「深蒸し茶発祥の地」として知られる茶産地で、茶業のほか、茶鋏や茶摘機、自動車関連部品、精密工作機械などを生産する企業が立地する工業都市としても知られています。2005年1月17日、小笠郡の菊川町と小笠町が合併して誕生。掛川市、御前崎市、島田市、牧之原市に隣接。「市の木:茶」「市の花:菊」「市の鳥:セキレイ」を制定。地名は、市内を流れる菊川が旧菊川町の名称の由来になった事から、そのまま市名として受け継がれました。

キャッチフレーズは「みどり次世代 ~人と緑・産業が未来を育むまち~」

菊川浄化センターの展示蓋、井桁がすりを背景に「ちゃこちゃんのお茶摘み」と、周囲には「市の木:茶」の花が美しくデザインされています。

菊川浄化センターには、ちゃこちゃんのプラスチック製汚水枡も展示されています。

菊川駅前にある「深蒸し茶の郷 菊川市」の看板にも『ちゃこちゃん』。 作者は菊川市出身の漫画家『小山ゆう氏』。「がんばれ元気」「お〜い!竜馬」等の作品で有名な方です。

「お茶の菊川」とかかれた蓋、中央には「双葉と茶の実」が描かれています。

2005年4月17日制定の市章は【菊の花と菊川の流れをモチーフに、2町が合併し一つの市となる様子をデザインし、菊川茶に代表される自然を生かした、産業豊かな市の特徴を、2色の緑で表現されています。現在から未来へと受け継がれる、人と緑が共にいきいきと発展する姿を市章に表しました】HPより

タイル歩道にあわせて作られた「C・C・B(電線共同溝)」の大きなマンホール、中央には菊川市の市章があります。

菊川市制10周年を記念し誕生したマスコットキャラクター『きくのん』 。妖精の国からきました。 頭に湯呑み・おなかのポケットに急須君、ズボンは名産のイチゴとメロン柄で、「お茶処菊川」をPRしていますが、実はこのアイテム、TPOに応じて変更可能です(笑)この愛らしいキャラも、『小山ゆう氏&スタッフ』の皆さんによるデザインだそうです。

-撮影日:2011年11月15日&2016年12月13日

 

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ご当地マンホール in 静岡県旧大東町(掛川市) 

2019年02月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧小笠郡大東町(だいとうちょう)は静岡県の遠州中部に位置した町です。南に遠州灘の海岸線、北に小笠山山系が連なる、豊かな自然と歴史に恵まれ、町域には多数の神社・仏閣があり、人々の信仰を集めています。特に「小笠神社」は、大須賀町の「三熊野神社」・浜岡町の「高松神社」とともに、文武天皇の命により熊野三山から勧請された事から「遠州の熊野三山」と称されています。掛川市、御前崎市、菊川市、大須賀町に隣接。「町の木:松」「町の花:水仙」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、城東郡千浜村・中村・佐束村・岩滑村・土方村・三浜村・三俣村が発足。

1896年、郡制の施行により、城東郡、佐野郡が合併、小笠郡が発足。

1942年、三浜村・三俣村が合併、小笠郡睦浜村が発足。

1943年 - 佐束村、岩滑村が合併、小笠郡佐束村が発足。

1955年 - 佐束村、土方村が合併、小笠郡城東村が発足。睦浜村、大坂村が合併、小笠郡大坂村が発足。

1956年、小笠郡千浜村と大坂村が合併、大浜町が発足。小笠郡城東村が中村を編入。

1957年、城東村大石の一部が小笠町、城東村中の一部が大浜町に編入。

1958年、城東村大石の一部、城東村海戸の一部が小笠町に編入。

1973年、小笠郡大浜町と城東村が合併、小笠郡大東町が発足。

2005年、掛川市、小笠郡大須賀町と合併、掛川市となりました。

マンホールには、「潮騒橋」と「町の木・松」、「町の花「水仙」に町章が描かれています。

「潮騒橋」 

昭和48年10月25日制定の町章は「富士と海を図案化し、大を形どったものです。外の輪は町北部のなごやかな山を表し、富士の下に大東町の海岸線を表徴、融和の精神を表します。」合併協議会資料より

「潮騒橋」は、1995年に開通した国安の菊川河口に架かる浜松御前崎自転車歩行者専用道路橋。 

雨上がりの朝に見る潮騒橋、頬を打つ風も、打ち寄せる浪の色もとてもうそ寒かったのを覚えています。

撮影日:2011年11月15日&2016年12月14日

 

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龍眠(りゅうみん)寺 in 静岡県掛川市旧大須賀

2019年02月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

掛川市西大渕に門を構える曹洞宗高草山林叟院の末寺「平等山・龍眠(りゅうみん)寺」。ご本尊は『聖観世音菩薩』。 遠州三十三観音霊場の11番札所であり、横須賀藩主・西尾氏の菩提寺としても知られています。

【龍眠寺は山号を平等山と称し(又の名を安穏山)焼津市坂本の曹洞宗・林叟院の末寺である。草創は103代後土御門天皇在世の明応5年(1496)、樹木ヶ谷(現沢上町)の地に、開祖大樹宗光禅師の初開道場として建立。今から500有余年前、先師賢仲繁哲禅師を勧請開山とした。爾来寺は横須賀2代城主大須賀出羽守忠政母堂追福の為、一宇の建立を念じ現在地に寺領を賜り移築した。寛永10年(1634)不幸にして山火事により、堂宇、古文書、宝物など全て焼失したが、寛永18年(1641)に再建。】縁起より

季節がよければ、春には桜が、初夏には新緑の緑が、秋には美しい紅葉が見られる山門ですが・・ 12月も半ばのこの季節では、寒々とした木々の枝が冬空の寒風に時折しなって震えるだけ。

そんないかにも寒そうな山門の上ですが、留め蓋の獅子たちは元気一杯に玉にじゃれています。 阿形さんは「おいでおいで」と手招きするように。

吽形さんは誰にでも愛想を振りまく阿形さんに、ちょっとご機嫌斜めのご様子(笑)

参道をまっすぐに進むと、昭和56年(1981)に新築・再建された本堂が出迎えてくれます。

堂内には、かって門前先にあったという十王堂の、『閻魔王』や十人の王たちが祀られています。台座の所為かもしれませんが、まるでお節句のお人形様のように見えて、怖さは有りません。

こちらは『閻魔王』の本地仏のお地蔵様でしょうか? お地蔵様なのにお顔が怖く見えるのは、その所為? 

境内の向かって左手に建立されていた「地蔵堂」。かたわらに建てられていた鳥居がどこの為かは不明。 堂内には沢山の絵馬と共に水子地蔵が祀られ、また多くの地蔵菩薩像が祀られています。

御詠歌 【よのなかは  きよくくらせや  あんのんに  ほとけのおしえ  まもるしあわせ】 

下の歌碑は、上記の御詠歌とは関係なく本堂を背にして建てられていたもの。 歌碑の文章も、この歌を読まれた方も一切不明ですが、見た景色の一つとして。

参拝日:2016年12月15日

 

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三熊野(みくまの)神社~其の二 in 静岡県掛川市旧大須賀

2019年02月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

昨日に続いての「三熊野神社」、今日は参道入り口から一の鳥居を見ながらのスタート。画像の左手・手前に見える小さな屋根は鞘堂と呼ばれるもので、中には龍燈と呼ばれる秋葉山常夜燈があります。

拝殿の前より神域を守護されるのは、建立年代不明の岡崎現代型狛犬さん一対。

狛犬さんの台座に刻まれているのは、三熊野神社の御神紋「右三つ丁子巴」。 余談ですが、「丁子」はフトモモ科の植物の名でグローブともいいます。開花前の花の蕾が釘に似ていることから、釘を意味する「丁字」から「丁子」という字となったとか。

ご亭主殿の大好きな造詣に、屋根の魔除け・装飾として作られた鬼や神獣、仙人や神々があります。 三熊野神社の本殿脇には、旧社殿のものと思われる「飾り瓦・鬼瓦」が展示されています。

経巻き瓦の造詣は「粟穂に鶉(うずら)」。この構図は特に立川流が好んだと言われる題材だそうです。

こちらの瓦には不思議な逸話があり、最初鶉だけを描いたところ、鶉は夜な夜な落ち着かず鳴くばかり。 そこで鶉が好きな粟の穂を描き足したところ、不思議なことに鶉は鳴き止んだといいます。 そんな逸話が残っているのなら、この瓦を作った鬼師もおそらく名のある人物でしょう。

次の飾り瓦に刻まれているのは、書物を手にして鶴に乗る仙人。筆をつい舐めてしまう仙人。その仙人を見上げる鶴の表情が何とも可愛い。

まるで可愛いペットをあやすかのような仕草で双龍を愛でるのは、仙人?それとも鍾馗様? 鯉に乗った仙人や馬に乗った仙人は飾り瓦で見たことがありますが、この組み合わせは初めて。

そして飾瓦と言えば留め蓋の神獣。見返る獅子の何ともユニークな事。御亭主殿も大満足(^-^)

小さな鳥居の先には、筆塚と『天満天神』を祀る「天神社」『奥野左衛門是吉卿』を祀る「奥野神社」が鎮座。

「平安建都1200年」碑は、京都・祇園祭の後祭り「花笠巡行」に、三熊野大祭の山車が招かれた時のものです。 280余年の伝統を誇る祭りの「祢里(ねり)」が、初めて横須賀の地から外へ出たことを記念して建立されました。

参拝日:2011年11月16日&2016年12月15日

 

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三熊野(みくまの)神社~其の一 in 静岡県掛川市旧大須賀

2019年02月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

掛川市西大渕に鎮座される「三熊野(みくまの)神社」

御前崎市の「高松神社」、掛川市の「小笠神社」とともに、「遠州の熊野三山」として崇敬を集めています。

御祭神は『家津美御子神(けつみみこのかみ)、伊邪那美神、事解男神(ことさかおのかみ)』。 『家津美御子神』は樹木を支配する神とされ、また『素戔嗚尊』の別名であるともいわれています。

由緒【文武天皇の皇后、紀州熊野大社ヘ「安産にて皇子誕生せば、東に三つのお社を建てまつり、日夜敬い申し上げる」と神前に誓われ、無事御安産(後の聖武天皇)あらせられ、そのお誓いにより大宝元年(701)熊野三社即ち熊野本宮大社を当横須賀の地に、熊野那智大社を 小笠山(現小笠神社)、熊野速玉大社即ち新宮を高松(現高松神社)の地に遷座された宮にて、御鎮座と共に朝廷より神領として笠原の庄を賜る。】

諏訪立川流『立川和四郎冨昌』の娘婿、『立川昌敬』が棟梁を務めた御本殿は県指定有形文化財。 残念ながら本殿は高い囲い塀の中、立川流の真骨頂ともいえる華麗な彫刻を見る事は叶いません。

2011年の参拝では時間的にアウトだった拝殿内の絵馬、5年後にやっと見る事が叶いました。 この絵は、第七代横須賀藩主の『西尾忠受(たださか)』が、自ら筆を取って描き奉納したもの。

弘化四丁未年二月吉日奉納の文字が読み取れる絵馬。他にも奉納された絵馬44点は県・市の有形文化財の指定を受けたもので、いずれも見応えのあるものばかり。そこだけで有に30分は費やしそう・・ 

また、本殿の彫刻は拝見できませんでしたが、拝殿にも時を忘れて見入る彫刻が沢山施されています。

拝殿唐破風下の懸魚に施された「八咫烏」。一番の特徴である3本の足が丁寧に彫られており、足はそれぞれが天・地・人をあらわします。

拝殿正面の蟇股には「波間を見下ろす八咫烏」。「八咫烏」は熊野三神にお仕えするもの。「八咫」とは大きく広いという意味を持ち、太陽の化身であるとも言われています。
熊野三山本宮の神紋として知られますが、サッカー日本代表のシンボルマークとしても有名ですね。

寺社彫刻と言えば、何と言っても外せないのが木鼻に施された獅子や漠・像の彫刻。 どこのも同じに見える・・と言った人がいましたが「とんでもない!」、実に個性豊かなのです。

まだまだ面白い素敵な見所が一杯の「大須賀・三熊野神社」、続きは明日のブログで(*^^*)

参拝日:2011年11月16日&2016年12月15日

 

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ご当地マンホール in 静岡県旧大須賀町(掛川市)

2019年02月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧小笠郡大須賀町(おおすかちょう)は静岡県の西部、遠州地方の東部に位置した町です。南は遠州灘、北は小笠山に接し、袋井市、大東町、浅羽町に隣接。町域には「横須賀城跡」や、遠州七不思議のひとつ「晴明塚」などの名所旧跡が有る事でも知られています。「町の木:松」「町の花:ツツジ」「町の鳥:メジロ」を制定。

モニュメントには大須賀町のキャッチフレーズ「歴史とみどりのまち 大須賀」と刻まれています。

大須賀支所北側に移築された、市指定文化財「横須賀町番所」。建物の屋根の大棟と隅棟には、横須賀城主:西尾家の紋所「櫛松」を表した鳥衾付の鬼瓦があります。

明治22年(1889)、町村制の施行により、城東郡大須賀村・大淵村・笠原村が発足。

1896年、郡制の施行により所属郡が小笠郡に変更。

1914年、小笠郡大須賀村が町制を施行・改称して小笠郡横須賀町となる。

1956年、小笠郡横須賀町と大淵村が合併、小笠郡大須賀町が発足。

1956年、小笠郡笠原村の一部を編入。
2005年、掛川市、小笠郡大東町と合併、掛川市の一地区となりました。

マンホールには「オスカー君」を中心に町の花:ツツジと町の鳥:メジロ。周囲には「町の木:松」がデザインされています。

『オスカー君』は、町の頭文字の「O」を基本に1997年10月24日制定されました。頭は小笠山、首元は遠州灘の波を配置し、これから活力ある未来に向かっていく姿を表現しています。

昭和37年10月25日制定の町章は「合併した3地区を矢羽根で表し、「大」にまとめています。 矢羽根の中にある3本の白線は、それぞれの3地区を流れる、3本の川を表しています。」合併協議会資料より

中央に「井」の文字がある「消防水利」は、消防用の井戸がある場所に設置される蓋。消防法に「常時貯水量が40m3以上、又は取水可能水量が毎分1m3以上で、かつ、連続40分以上の給水能力を有するものでなければならない。」と定められています。

撮影日:2011年11月16日&2016年12月15日

 

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