飯田線の中部天竜駅で、117系と119系がデビュー時の塗色になって並ぶと言うことで、いつもの友人親子と友人の4人で撮影に行ってきました。
今回は友人親子の自家用車に乗せて貰い珍しく自動車での旅です。
8/28の金曜の夜、仕事が終わって自宅に帰り、支度を済ませてから川越へ向かいました。そこで友人親子と合流し、自動車で移動開始。
圏央道、中央高速から河口湖へ抜け、河口湖から山中湖を越えて御殿場へ。御殿場から東名高速に乗り、西へ走ります。途中の愛鷹PAで仮眠を取ってから、朝は6時過ぎに浜松へ到着。浜松でもう1人の友人と合流しました。この際、途中で天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅に立ち寄りました。天竜二俣は以前からキハ20 443とナハネ20 347が保存されていますが、以前来たときはボロボロだった物がだいぶ修復されていました。最も、キハ20の窓ガラスは1枚割れてしまったようですが。
キハ20 443
ナハネ20 347
天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅。
天竜二俣駅の向かいに保存されていたC58 389。部品欠損が多い。
天竜浜名湖鉄道の主力気動車TH2100型。天竜二俣駅は車庫が併設されている。
天竜二俣駅を発車し掛川へ向かうTH2100型。
友人合流後、そのまま中部天竜に向かっても早すぎるため、少し寄り道しながら向かいました。昔、国鉄には佐久間線という路線計画がありまして、天竜二俣(当時は遠江二俣)と中部天竜を結ぶ計画でした。昭和42年に工事を開始して、昭和55年に工事凍結したそうで、およそ50%は完成していたんだそうです。現在でも、その遺構が所々に残っています。
トンネル。向こうまで通じているらしい。
トンネルの反対側の築堤。築堤はけっこうたくさんあったが、一部は取り崩されたらしい。
この後、天竜川沿いを登っていったため、秋葉ダムに到着。この秋葉という名は秋葉山本宮秋葉神社が近くにあることから取っているようです。なお、東京のオタク街(今や電気街と言うよりオタク街でしょう)、秋葉原は、この秋葉神社があったことから付けられたそうです。
秋葉ダム。発電ダムの1つ。
この後、さらに天竜川沿いから山道を通り、中部天竜へ向かいます。
以下、次回。
今回は友人親子の自家用車に乗せて貰い珍しく自動車での旅です。
8/28の金曜の夜、仕事が終わって自宅に帰り、支度を済ませてから川越へ向かいました。そこで友人親子と合流し、自動車で移動開始。
圏央道、中央高速から河口湖へ抜け、河口湖から山中湖を越えて御殿場へ。御殿場から東名高速に乗り、西へ走ります。途中の愛鷹PAで仮眠を取ってから、朝は6時過ぎに浜松へ到着。浜松でもう1人の友人と合流しました。この際、途中で天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅に立ち寄りました。天竜二俣は以前からキハ20 443とナハネ20 347が保存されていますが、以前来たときはボロボロだった物がだいぶ修復されていました。最も、キハ20の窓ガラスは1枚割れてしまったようですが。
キハ20 443
ナハネ20 347
天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅。
天竜二俣駅の向かいに保存されていたC58 389。部品欠損が多い。
天竜浜名湖鉄道の主力気動車TH2100型。天竜二俣駅は車庫が併設されている。
天竜二俣駅を発車し掛川へ向かうTH2100型。
友人合流後、そのまま中部天竜に向かっても早すぎるため、少し寄り道しながら向かいました。昔、国鉄には佐久間線という路線計画がありまして、天竜二俣(当時は遠江二俣)と中部天竜を結ぶ計画でした。昭和42年に工事を開始して、昭和55年に工事凍結したそうで、およそ50%は完成していたんだそうです。現在でも、その遺構が所々に残っています。
トンネル。向こうまで通じているらしい。
トンネルの反対側の築堤。築堤はけっこうたくさんあったが、一部は取り崩されたらしい。
この後、天竜川沿いを登っていったため、秋葉ダムに到着。この秋葉という名は秋葉山本宮秋葉神社が近くにあることから取っているようです。なお、東京のオタク街(今や電気街と言うよりオタク街でしょう)、秋葉原は、この秋葉神社があったことから付けられたそうです。
秋葉ダム。発電ダムの1つ。
この後、さらに天竜川沿いから山道を通り、中部天竜へ向かいます。
以下、次回。
話によると、国鉄から3セクに移行する時に保存してあった車両をどさくさ紛れに天竜浜名湖鉄道所有にして佐久間レールパークの様な物を作りたかったらしいです。JRから車両が欲しいならお金を払いなさいと言われて断念したとか。
くず鉄にするくらいなら、103系も113系も115系もキハ58系も残してやれば良かったのに。
EF58 122も解体しちゃったしなあ。