田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

高遠の町3

2006-04-17 21:23:08 | 飯田線の旅
 高遠と言えばもう一つ不思議なのは、谷間の一本道を下ってすぐ隣の伊那市ではロー麺のような、極めて変わったメンが郷土食として定着しているのに、ごく普通の蕎麦が名物であることだ。恐らく地元の人も常食として蕎麦を食していると思われるが、ロー麺は食べないのだろうか?
 青い「高遠蕎麦」ののぼりはやたら立っていたが、伊那市でよく見る赤い「ローメン」ののぼりをただの一本も見なかった。店の中のお品書きにもなかったように記憶しているのだが。
何か対抗意識のようなものでもあるのか?この辺の事情に詳しい方はいないだろうか??

 高遠の町を伊那市と反対方向に抜ける道がある。これもまた谷間の一本道で、「杖突峠」を越えて茅野に至る。かつては桜の時期(つまり今頃)だけ運行される路線バスがあったが、今でもあるのだろうか?(今日はやたら「?」が多い)道が登りから下りに変わったすぐ先、つまり峠に「峠の茶屋」ならぬドライブインがある。ここにも蕎麦屋があるから、さすがである。僕は車でよく通るが、そのたびに休憩に立ち寄る。土産屋もあって、ここでも饅頭を売っている。このお土産屋の中にある食堂というか喫茶スペースから、眼下に諏訪湖が見渡せる。晴れているとこれがなかなか見事な眺めなのだ。夏の諏訪湖の花火の時にはさぞかし眺めがよいのではないだろうか。花火は普通は見上げるものだが、眼下に見下ろすのも、なかなか風情があってよろしい。ただ峠の一角の休憩所に過ぎないのだから地積が狭く、キャパシティがないから多分無理だろうな。

高遠の町2

2006-04-16 20:20:48 | 飯田線の旅
 桜のない時期の高遠はメインストリートでさえ人も少なく何か閑散としたイメージだった。町並みは実に綺麗に整備されているのだが、果たして城跡の桜以外には主に観光の目玉は何なのであろうか?とても気になる。

 今回の旅では食さなかったが、前に一度「高遠蕎麦」を食べたことがある。旬を外した時期だったのもあろうが、取り立てて「旨い」と感じた記憶がない。と言うか、まあ、普通に蕎麦の味だったように思う。
最近読んだある本に「蕎麦は戸隠が一番である」といった旨の記述があった。蕎麦という物はそれ程に違いがあるものなのか、是非食べ比べてみたい。

 城跡には大きな木造建築物があり、遠目にも立派なのだが、こいつは元々の城とは全然関係がない。建物自体が立派な唐破風のついた、どこか銭湯のような趣である。こいつが「高遠閣」と呼ばれる建造物で、昭和11年の竣工だから、それこそ中途半端に歴史があって、そこそこ文化財的価値もあるらしい。これほど大きな立派な建物が地元民の集会所&観光客の休憩所として使われていると、丁寧に御案内の看板に書いてある。だが、開いていなかった。僕だって城跡を訪れた観光客なんだが、しかもちゃんと休日だったんだが、休憩させてもらえなかった。だから高遠に対してすこし意地悪になっているかも知れない。

高遠の町

2006-04-15 20:48:51 | 飯田線の旅
 今回の春の旅では高遠に寄った。あらためて高遠は山の中にあるのを実感した。伊那市からはバスでほんの30~40分くらいの距離なのだが、周りをぐるり山に囲まれ、川で数カ所に分断された小さな町だ。だが町中の道幅は歩道を含めて広く、また、道に面した建物はどれも古い風情の造りで、恐らく新築の際にもデザインに気をつかっているか、あるいは一定のガイドラインがあるのだろう。これは木曽路のいくつかの宿場と同じ試みでもある。
 そんな中で特に目につくのが「高遠蕎麦」ののぼりである。これもどちらかというと町並みにとけ込むように青というか紺地で、景観に気を使っているのが分かる。そもそも蕎麦は土地のやせたところの作物で、米が作れないような場所での栽培に向いている。僕も一度だけ家庭菜園で栽培したことがあるが、結構簡単に実が収穫できた。この時期はまだ花が咲くか咲かないかといった頃で、実が出来るのは夏の終わりから秋になる。花は小さな白い可憐な花だが、茎は何故か真っ赤なのだ。
 だから今時店で出ている蕎麦は、いわゆる「新蕎麦」ではないはずだ。食べ物は何に寄らず「旬の物を地元で」食べるのが旨いと言われている。最近は保存や流通技術の進歩で、野菜のような物まで年がら年中同じ物が手にはいるようになっているが、やはり本来はその時期時期の旬がある。
 こう言っちゃ何だが、駅そばで食べるような安い蕎麦ならいざ知らず(と言っても、僕はこの安い駅そばが大好きなのだが)いやしくも「蕎麦屋」の看板を出すような店で、高い蕎麦を食べるのなら、時期を選ぶ方がよい。従って本当に旨いぞばを食べようと思ったら、秋にあらためて高遠に来る必要がある。

ゴミ箱問題2

2006-04-14 20:46:50 | 飯田線の旅
 さて、田切駅待合いのゴミ箱なのだが、僕としては是非復活を望む。現時点での田切駅最大の問題はやはり、ゴミの無差別投棄であろう。それを防止するためにはゴミ箱の復活しかないように思う。
 防火問題云々は、ゴミに対する不安より、窓ガラスが透明アクリル樹脂製(ガラスが樹脂製ってのも変な日本語だが)であることの方がより深刻な不安であろう。アクリル樹脂はライターであぶっただけで景気よく燃える。こんな物を窓の素材にしておいて、方や防火のためにゴミ箱を認めないのははなはだ論理が破綻している。
 だいたいゴミだらけできったない駅なんて利用したくないでしょ?JRさんはそこのところよく考えていただきたい。

 そろそろ高遠の桜も咲き始めているのでは無かろうか。あそこはGWに咲きそろうので、地元観光協会には大変ありがたい桜なのだ。品種は日本ではごく一般的な「ソメイヨシノ」ではなく「コヒガンザクラ」なのだった。今回も春の田切掃除に合わせて行ったが、何年か前に行った時と同じで、全く咲いていなかった。桜ほど好かれたり嫌われたりが激しく変化する木もそうあるまい。花が咲く時期は誰からも好かれて下に人が集まるが、それもほんの1~2週間の間だけで、その後花が散って葉が出始めると、毛虫がたかるので、もの凄く嫌われる。ちょっとかわいそうに思う。

ゴミ箱問題

2006-04-12 21:02:34 | 飯田線の旅
 この度の春掃除は4月1~2にかけて行われたのだが、2日は朝からかなりの強雨だった。毎度のことだが、飯田線では雨は大敵なのだ。なにしろ屋内型の娯楽施設は皆無に等しく、列車内と駅構内からあまり離れることが出来なくなる。もちろん写真も×なのだ。
 さて、以前の田切の待合いをご存じの人なら思い浮かべていただきたい。あの狭い待合い内に、ゴミ箱(但し可燃・不燃の区分無く1個だけ)とロッカーがあって、ロッカーの中には掃除用具と、蚊取り線香などの若干の野宿資材が格納されていた。当時は駅の掃除と言えば「壁の落書き消し」が最大にしてほぼ唯一の作業だった。それ程落書きはひどかったが、ゴミは散らかっていなかった。なぜならゴミ箱があったからだ。さて、現在は・・・落書きはほぼ全滅しているが、待合い無いと言わず、ホーム上と言わず、待合い下の土手にまで、多種多様のゴミが多数散乱している。今回も、待合いの飯島よりの窓を開けて投棄したと見られるコンビニの袋いっぱいのゴミがあった。土手は前回の正月明けの掃除で全てのゴミを拾ったばかりだ。地元の利用者か、あるいは旅行者が捨てたのかは分からないが、とにかく目実余る汚さだ。
 もちろん一番悪いのは「ゴミを捨てた人」であるのは言うまでもないが、
そもそもちゃんとゴミ箱があれば、そこに捨てるのでは無かろうか?ゴミ箱という物は「ゴミを捨てる場所」の目印でもあるのだ。JR当局の言い分では無人駅のゴミ箱の撤去は「防火のため」なのだそうだが・・単に経費削減でサービスの切り捨てをしているだけに思える。ゴミ箱がないのが、どれほど防火に寄与するのか??はなはだ疑問である。