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いなくていい人

2011年03月21日 | 切ない事の話
人間の価値って奴が何処で決まるのかはわからない。

よく自分が死んだら何人が悲しんでくれるか・・・。

なんて妄想があるが。

僕個人、友達や親類など人間関係は多めで人生を生きて来たつもりだが
大地震が起きたとき、僕を心配して連絡をよこしてきたのは父親ただ一人だった。
しかも大分経ってからだ。

電話が繋がりにくかったのもあるが、電話をしてみて色々話したが僕より前に兄や親戚と既にコンタクトは済んでいた。

まぁ、悲しい話ではあるのだが、僕個人を真っ先に心配した人間はこの世界には誰も居なかった。

そして僕が緊急で安否確認すべき相手も居なかった。

30代、独り者の男の存在価値とは大抵こんなものであろう。

僕が死んだところで、困る人は居ない。

悲しむ人は居るだろうが、困る人は居ない。

そういう生き方をしてきたのである。


もしも世界には人間が多すぎるから粛清しなければならないと言われれば、結構上位でターゲットになる自信がある。

誰かが船を下りなければ全員が沈没してしまうという状況なれば、僕は最初に下りなければならない。

地震はそんな自分の位置を知るきっかけだった。


それを知った上で毎日を生きていこうと思ったのです。

どうせいつか死ぬのであれば誰かの為にでありたい。

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