お盆ということで兄夫婦、その子供と実家に帰った。
そして僕の中での大きな事件があった。
親父が会社をたたむと言ったのだ。
うちの実家は2代続いた町工場であった。
従業員は10~15人程度のいわゆる小企業。
本来なら兄か俺が後を継いで会社が続いて行くのが理想だったのだろう。
しかし両親の自分の生きる道は自分で決めろ的な考えのもと、俺は中学生の頃からロックをやっていてまっさきに家を出てしまい、兄も自分には向かないと、後を継がなかった。
だからいつかはこの日が来るのだろうと心の底ではわかっていたのだが、第2の家のようで、両親が共働きだったため、幼い頃は会社で過ごす時間も多かったし、とても寂しい気持ちになった。
従業員の高齢化、売り上げの減少、地域環境の変化などさまざまな理由があった。
しかし印象的な理由は、大学を出てから休む間も無く35年以上働き続けた親父(社長)が、もう疲れたし、体力がある内に別の人生を生きたい、との事だ。
俺の父親である人間だ。その気持ちは俺にもよくわかる。
まだ50代での引退、親父は中田英寿と同じだなんて言っていた。
幸いにも死ぬまで暮らせるだけの収入と貯蓄はあるらしいので、今後は両親二人、穏やかな人生を過ごしていただきたいと願う。
”いつまでもあると思うな親と金”
うちの両親は比較的しっかりしている方だと自分は思っている。
俺は紆余曲折だが、なんだかんだ自由に今日まで生きてきた気がする。それは両親の安定した存在のおかげだった。
その両親がリタイアするというのは、時の流れというか、兄貴に子供もいるし、自分や両親の老いを痛感させられる出来事だった。
実際に金を借りたりとかで親を頼った事は無かったが、心のどこかではいつでも後に両親という壁があったのだが、それが無くなる。
これからは頼ってもらえるくらいの体力が必要になる。
そして別の事件だが、別に事件ってわけじゃないのだけれど、
久々にお婆ちゃんに会った。
95歳になる祖母は近年急激に衰え、自宅介護をしていたのだが、もう限界という事で今は施設に入っていた。
元来非常に聡明で元気のある人で、とても○○歳には思えない、と言われる様な人だった。
認知症ではないのだが、かなり耄碌してしまっていて、目もほとんど見えず、声もほとんど出せず、かなり痩せていた。
会う前にお袋に「もうお前たちの知ってるお婆ちゃんじゃないから見ても驚かないでね」と何度も言われたが、驚いた。
車椅子に乗せられ、極限まで痩せてしまった顔、体。完全に子供にするように話しかける介護の人達。
なんだか失礼極まりないが、もう死をまっているだけのその状態に涙が出そうになった。
時々声を出し、笑ったりするとすごくホッとした。
その施設には認知症の老人も多く、院内をひたすら挨拶しながら徘徊している人や、奇声を上げ続けている人、ぬいぐるみを抱いて眠る人など、不謹慎だが少し怖かった。
”人はやがて帰って行く”
そんな言葉に深く共感した。
死ぬ間際人間は子供のようだ。
死の恐怖から逃れるために知的生命体が導き出した答えだ。
子供に戻れずに死んで行く人は哀れだ。
後は箱根のマンションで、散歩したり、温泉入ったり、姪っこをあやしたりのスローライフ。
自分も子供がいればなぁ、なんて感じた休み。
そして僕の中での大きな事件があった。
親父が会社をたたむと言ったのだ。
うちの実家は2代続いた町工場であった。
従業員は10~15人程度のいわゆる小企業。
本来なら兄か俺が後を継いで会社が続いて行くのが理想だったのだろう。
しかし両親の自分の生きる道は自分で決めろ的な考えのもと、俺は中学生の頃からロックをやっていてまっさきに家を出てしまい、兄も自分には向かないと、後を継がなかった。
だからいつかはこの日が来るのだろうと心の底ではわかっていたのだが、第2の家のようで、両親が共働きだったため、幼い頃は会社で過ごす時間も多かったし、とても寂しい気持ちになった。
従業員の高齢化、売り上げの減少、地域環境の変化などさまざまな理由があった。
しかし印象的な理由は、大学を出てから休む間も無く35年以上働き続けた親父(社長)が、もう疲れたし、体力がある内に別の人生を生きたい、との事だ。
俺の父親である人間だ。その気持ちは俺にもよくわかる。
まだ50代での引退、親父は中田英寿と同じだなんて言っていた。
幸いにも死ぬまで暮らせるだけの収入と貯蓄はあるらしいので、今後は両親二人、穏やかな人生を過ごしていただきたいと願う。
”いつまでもあると思うな親と金”
うちの両親は比較的しっかりしている方だと自分は思っている。
俺は紆余曲折だが、なんだかんだ自由に今日まで生きてきた気がする。それは両親の安定した存在のおかげだった。
その両親がリタイアするというのは、時の流れというか、兄貴に子供もいるし、自分や両親の老いを痛感させられる出来事だった。
実際に金を借りたりとかで親を頼った事は無かったが、心のどこかではいつでも後に両親という壁があったのだが、それが無くなる。
これからは頼ってもらえるくらいの体力が必要になる。
そして別の事件だが、別に事件ってわけじゃないのだけれど、
久々にお婆ちゃんに会った。
95歳になる祖母は近年急激に衰え、自宅介護をしていたのだが、もう限界という事で今は施設に入っていた。
元来非常に聡明で元気のある人で、とても○○歳には思えない、と言われる様な人だった。
認知症ではないのだが、かなり耄碌してしまっていて、目もほとんど見えず、声もほとんど出せず、かなり痩せていた。
会う前にお袋に「もうお前たちの知ってるお婆ちゃんじゃないから見ても驚かないでね」と何度も言われたが、驚いた。
車椅子に乗せられ、極限まで痩せてしまった顔、体。完全に子供にするように話しかける介護の人達。
なんだか失礼極まりないが、もう死をまっているだけのその状態に涙が出そうになった。
時々声を出し、笑ったりするとすごくホッとした。
その施設には認知症の老人も多く、院内をひたすら挨拶しながら徘徊している人や、奇声を上げ続けている人、ぬいぐるみを抱いて眠る人など、不謹慎だが少し怖かった。
”人はやがて帰って行く”
そんな言葉に深く共感した。
死ぬ間際人間は子供のようだ。
死の恐怖から逃れるために知的生命体が導き出した答えだ。
子供に戻れずに死んで行く人は哀れだ。
後は箱根のマンションで、散歩したり、温泉入ったり、姪っこをあやしたりのスローライフ。
自分も子供がいればなぁ、なんて感じた休み。