冬の澄んだ青空を見ると、死にたい程悲しい。
昼下がり。
とても天気が良いし、心がひどく沈んで行くので外に出てみた。
特に目的地など無かったのだが、ipodを聴きながら、時々空を見上げながら。
とりあえず近所の本屋に行ってみたりしたが、特に何も欲しくない。
店の外に出てみて、ふと知らない町へ、遠くへ行きたくなった。
バイクでも時々放浪するが、散歩は心をほぼ完全に開放できる点で優れているし、世界にちりばめられたより細かい要素を観て取れる。
音楽で外界を遮断して一人、孤独な冷たい空気のなか、さぞミニシアター映画の主人公きどりで歩く。
普段とりつかれているテレビやパソコンや本などから開放されると湧き水のように色々と心に溢れてくる。
生まれてから今までの事、あらゆる後悔について考えたり、世の中の色々なものに対する怒りとか、あまりにも多くの上手く行かない事等等。芸術について考え、空について考え、宇宙について考え、地面について考え、草について考え、家族について考え、恋愛について考え、友情について考え。
いつの間にやら知らない土地で迷子になっていた。
迷子になっていたが、なんだかんだ言ったってどうせいずれは家に辿りつくのだから特に慌てる必要も無い。だって家から遠くを目指したって結局は家を目指しているのだから。
目指している限りは目指している場所にいずれは辿り着くはずだろう。
そして万が一、二度と返らなくても僕はいっこうに構わないといつだって思っている。
人はなぜ生まれ、生きて、そして苦しむのか?
生きている時間のほとんどを埋め尽くす憂いを上手くやり過ごし、僕はこれからも生きていけるのだろうか?
時々静かな空間に迷い込み、音楽を止めると僕の歩く音しか聞こえない。
世界は僕を残して消えてしまったんじゃないか?又は、時間が止まってしまったのではないか?なんて妄想する。どこかの川を見れば、流れはゼリーみたいに固まってたり、どこかの家を覗けば、主婦が料理を空中に放り出したまま固まってたり、水も炎も止まって、そしたら僕は泥棒になってデパートからいろんな物を持って帰ってやろう、要りもしないものを手に取ったり、国会議事堂の真ん中で眠ってやろう・・・。
しかしアホ面したガキんちょの自転車が横切るとその妄想も終幕する。
この時期の夕暮れは早く、ちょいと顔を上げれば山の方は、夜空を混ぜたような、悲しいオレンジ色をしていた。
それでも僕の足はいっこうに歩を休めず、夜へ夜へと向かってゆく。
夜になると袋小路に迷い込んだりして、少し心に不安が満ちてくる。
近頃、クリスマスシーズンになるとイルミネーションライトアップをする家が増えてきている。
あんなものをわざわざ手間をかけて家に飾る奴は、幸せの余裕を持て余している奴に違いない。
多くの人と同じで僕はそれを見るのが好きだ。
でも切なさは胸を締め付ける。
住宅街を歩いていると、若い夫婦が真新しい新築の家にイルミネーションを作っている最中だった。僕はそこを通る僅か数秒しか彼らを見なかったが、その幸せそうな空気感、新しい家、そんなものから勝手な想像をして悲しい気持ちになった。
きっとかじかむ手を互いに暖めあったり、一作品完成する度に喜び、あったかい綺麗な家でテレビを見ながら晩御飯を食べるのだろう。
僕と同じ歳位の彼ら、僕はきっと何処かで人生を間違えてしまったのだろう。
病巣は何処にあったのか?
ロックンロールを言語に自己表現することに躍起になってしまった頃だろうか、そのせいで大学卒業後定職に就かず貧乏生活を選んだ頃だろうか、中学生の頃バンドを始めた頃だろうか、小学生の時ロックンロールに出会ってしまった頃だろうか、3歳の時ピアノを始めた頃だろうか。
いずれこんな精神を抱えた人間だ、悔やむなら歩んだ道より誕生した事が過ちだった。
家族もそこそこ仲良く、経済的にも何不自由なく、むしろ恵まれた環境で育った。
そのせいで幼い頃から何につけても考えすぎて、死への願望も強く、苦悩せずに生きる事が出来なかったのかもしれない。
しかし病巣なんて見つけるのは無理だ。
治す術もない。
僕の心はひたすら暴走するのだろう。
その後も色々なものを見ながら歩いた。
そして考えた。
最中、時々涙はこぼれていた。
6時間程歩き続け、見慣れた街へ出て、家の近くのよく行く川に行き流れを見つめながら腰を下ろした。
風も強く、寒かった。
でも空気は澄み渡り、心は鳥の様だった。
水面にその姿を映しながら電車は鉄橋を渡っていった。
タバコを吸って、寝転がった。
薄っすらと雲が流れる空を見ていると歩き続けた疲労で、少しウトウトしてしまった。
寒いのでとても眠れないが、なんだか心地良かった。
草が月明かりに照らされ光っていた。
昼下がり。
とても天気が良いし、心がひどく沈んで行くので外に出てみた。
特に目的地など無かったのだが、ipodを聴きながら、時々空を見上げながら。
とりあえず近所の本屋に行ってみたりしたが、特に何も欲しくない。
店の外に出てみて、ふと知らない町へ、遠くへ行きたくなった。
バイクでも時々放浪するが、散歩は心をほぼ完全に開放できる点で優れているし、世界にちりばめられたより細かい要素を観て取れる。
音楽で外界を遮断して一人、孤独な冷たい空気のなか、さぞミニシアター映画の主人公きどりで歩く。
普段とりつかれているテレビやパソコンや本などから開放されると湧き水のように色々と心に溢れてくる。
生まれてから今までの事、あらゆる後悔について考えたり、世の中の色々なものに対する怒りとか、あまりにも多くの上手く行かない事等等。芸術について考え、空について考え、宇宙について考え、地面について考え、草について考え、家族について考え、恋愛について考え、友情について考え。
いつの間にやら知らない土地で迷子になっていた。
迷子になっていたが、なんだかんだ言ったってどうせいずれは家に辿りつくのだから特に慌てる必要も無い。だって家から遠くを目指したって結局は家を目指しているのだから。
目指している限りは目指している場所にいずれは辿り着くはずだろう。
そして万が一、二度と返らなくても僕はいっこうに構わないといつだって思っている。
人はなぜ生まれ、生きて、そして苦しむのか?
生きている時間のほとんどを埋め尽くす憂いを上手くやり過ごし、僕はこれからも生きていけるのだろうか?
時々静かな空間に迷い込み、音楽を止めると僕の歩く音しか聞こえない。
世界は僕を残して消えてしまったんじゃないか?又は、時間が止まってしまったのではないか?なんて妄想する。どこかの川を見れば、流れはゼリーみたいに固まってたり、どこかの家を覗けば、主婦が料理を空中に放り出したまま固まってたり、水も炎も止まって、そしたら僕は泥棒になってデパートからいろんな物を持って帰ってやろう、要りもしないものを手に取ったり、国会議事堂の真ん中で眠ってやろう・・・。
しかしアホ面したガキんちょの自転車が横切るとその妄想も終幕する。
この時期の夕暮れは早く、ちょいと顔を上げれば山の方は、夜空を混ぜたような、悲しいオレンジ色をしていた。
それでも僕の足はいっこうに歩を休めず、夜へ夜へと向かってゆく。
夜になると袋小路に迷い込んだりして、少し心に不安が満ちてくる。
近頃、クリスマスシーズンになるとイルミネーションライトアップをする家が増えてきている。
あんなものをわざわざ手間をかけて家に飾る奴は、幸せの余裕を持て余している奴に違いない。
多くの人と同じで僕はそれを見るのが好きだ。
でも切なさは胸を締め付ける。
住宅街を歩いていると、若い夫婦が真新しい新築の家にイルミネーションを作っている最中だった。僕はそこを通る僅か数秒しか彼らを見なかったが、その幸せそうな空気感、新しい家、そんなものから勝手な想像をして悲しい気持ちになった。
きっとかじかむ手を互いに暖めあったり、一作品完成する度に喜び、あったかい綺麗な家でテレビを見ながら晩御飯を食べるのだろう。
僕と同じ歳位の彼ら、僕はきっと何処かで人生を間違えてしまったのだろう。
病巣は何処にあったのか?
ロックンロールを言語に自己表現することに躍起になってしまった頃だろうか、そのせいで大学卒業後定職に就かず貧乏生活を選んだ頃だろうか、中学生の頃バンドを始めた頃だろうか、小学生の時ロックンロールに出会ってしまった頃だろうか、3歳の時ピアノを始めた頃だろうか。
いずれこんな精神を抱えた人間だ、悔やむなら歩んだ道より誕生した事が過ちだった。
家族もそこそこ仲良く、経済的にも何不自由なく、むしろ恵まれた環境で育った。
そのせいで幼い頃から何につけても考えすぎて、死への願望も強く、苦悩せずに生きる事が出来なかったのかもしれない。
しかし病巣なんて見つけるのは無理だ。
治す術もない。
僕の心はひたすら暴走するのだろう。
その後も色々なものを見ながら歩いた。
そして考えた。
最中、時々涙はこぼれていた。
6時間程歩き続け、見慣れた街へ出て、家の近くのよく行く川に行き流れを見つめながら腰を下ろした。
風も強く、寒かった。
でも空気は澄み渡り、心は鳥の様だった。
水面にその姿を映しながら電車は鉄橋を渡っていった。
タバコを吸って、寝転がった。
薄っすらと雲が流れる空を見ていると歩き続けた疲労で、少しウトウトしてしまった。
寒いのでとても眠れないが、なんだか心地良かった。
草が月明かりに照らされ光っていた。