6才のボクが、大人になるまで。 を観た。
僕はメイソン(エラー・コルトレーン)。
ママのオリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉さんのサマンサ(ローレライ・リンクレイター)と一緒にテキサス州で暮らしている。
ママがおばあちゃんのいるヒューストンへ引っ越すと言い出したのは、僕が6才のときだった。
もっといい仕事に就くために大学へ行くと決めたからだ。
友達と別れたくないサマンサは引っ越しに大反対。僕も、ママと離婚してアラスカに行ったパパが僕たちの居場所を探せなくなるのではないかと心配だった。
でも1年半ぶりにアラスカから戻って来たパパ(イーサン・ホーク)は、ちゃんとヒューストンにやって来て、僕とサマンサをボーリングに連れて行ってくれた。
おかげで僕たちは宿題もせずに楽しい時間を過ごしたけれど、ママはそれが気に入らなかった。
2人が家の外で言い争う姿を僕たちは窓から見ていた。
大学へ通うママに新しい恋人ができた。ママのクラスの先生ビル・ウェルブロックだ。
2人はまもなく結婚し、ヨーロッパへ新婚旅行に行った。
ビルにはミンディとランディという子どもたちがいた。
その2人と僕らはとても気が合って楽しかったけど大家族の幸せは長く続かなかった。
口うるさいビルは子どもたちに家の雑用を命令。それを僕たちがやりきれないと怒鳴りまくった。
実のパパと過ごす2週間に一度の週末は、ビルの支配から解放される時間だったけど、パパにビルのことを話す気にはなれなくて少しナーバス。
それでも僕たちを楽しませようとするパパは、博物館や野球に連れて行ってくれた。
そして夜はパパがミュージシャン仲間のジミーと暮らす狭い家に泊まった。
アル中のビルの行動は乱暴になって、僕は有無を言わさず頭を五分刈りにされた。
ママに止めてほしかったけれど、タイミングが悪かった。
「何で再婚したの? あいつサイテー」と言う僕に、ママはこう答えた。
「完璧な人はいない」って。
だけどビルはついに暴力をふるい始めた。
意を決したママは隠れ家をみつけ、サマンサと僕を連れて逃げた。
僕らは自由になったけれど、着の身着のままで新しい学校に通うことに。
泣きながら不満を訴えるサマンサにママは言った。
「酔っぱらいの暴力よりずっとマシなはずよ! 少しは感謝して!」
バラク・オバマが黒人初の大統領候補になったとき、サマンサと僕はパパに誘われてキャンペーンの手伝いをした。
パパはミュージシャンの道をあきらめて保険計理士の資格を取って保険会社に勤めている。
ママは修士号を取り、教師として就職できる大学を探していた。
パパと僕らの会話の内容も前とは違ってきた。
15才になったサマンサにパパは避妊について突っ込んだ質問を浴びせた。
かたや僕は、パパとキャンプに出かけたときに女の子について相談した。
女の子と1対1になったとき、いったい何を話したらいいの?するとパパは言った。
「彼女を質問攻めにしてその答えを熱心に聞いてやるんだ。そうすりゃライバルを引き離せる」
ママが教壇に立つ大学が決まり、僕たちはオースティン近郊の小さな町に引っ越した。
新しい中学校では僕をゲイ呼ばわりする男子もいたけど僕は気にしない。
ゲイじゃないからだ。
実際、女の子にはわりとモテたし、男の友達もできた。僕はビールの味とキスの味を覚えた。
僕が15才の誕生日を迎えたとき、僕たちはママが感謝祭のパーティで親密になったジムと一緒に、新しく手に入れた中古の家で暮らすようになっていた。
ジムはイラクとボスニアに派兵された元陸軍兵。
僕の夜遊びやドラッグに眉をひそめる堅物。
いっぽうのパパは、アニーという女性と再婚し、赤ん坊も生まれた。
すっかりマイホーム主義になったパパは、僕が16才になったらくれると約束していた車を売り、ファミリー・カーに買い替えてしまった! ひどいよ!
誕生日の週末、僕とサマンサは、その車に乗っておじいちゃんたちの家へ。
思いがけない誕生日プレゼントが用意されていた。
パパが僕にくれたのは、自分で編集したビートルズの『ブラック・アルバム』。
パパとアニーからはスーツ、おばあちゃんからは名前入りの聖書を、おじいちゃんからは20口径の散弾銃を贈られた。
もちろん射撃のレッスン付き。
高校生になった僕は、カメラを買ってもらったことがきっかけで、写真に夢中に。
今の僕の夢はアート系の写真家になること。
でも自分にしか撮れない物はまだみつからない。
心の中は迷いと焦りでいっぱいだった。
高校2年の夏、僕はガールフレンドのシーナを連れて、大学生になったサマンサのいるオースティンへ遊びに行った。
「来年の夏には僕もこの街で自由に生活している」と思うと自然と胸が高鳴る。
夜はシーナと一緒にサマンサの寮に泊まった。
サマンサもルームメイトも留守のはずだったけど突然ルームメイトが帰って来て…見られた。
高校最後の年、僕は写真で賞をもらい奨学金を受けて大学へ進学。
ママが自宅で開いた卒業祝いのパーティには、おばあちゃんもパパの家族もサマンサも集合。
パーティのあと、パパとふたりで出かけたライブハウスで、僕はシーナと別れたことを打ち明けた。
パパからは「お前がブレなければシーナみたいな女は山ほど寄って来る。得意なものがあれば女は選べる。写真を続けろ」とアドバイスされた。
僕が家を離れるのを機に、ママは修繕費がかさむ家を売り、アパートへ引っ越した。
その日をママは「人生最悪の日」だと言った。
サマンサと僕を大学へ送り出したあと、自分に残されているのは葬式だけだからだそうだ。
でもママは燃え尽き症候群に陥るほど弱い人じゃない。
その証拠に、本を書いて出版するという次の目標に向かって進んでいる。
そしてついに、僕にも旅立ちの日がやって来た――。
って話。
リチャード・リンクレイター監督作品です。
全く情報無しで観に行きましたが、ほぼ徹夜状態で観に行ったので上映時間の長さに観る前から萎えていたのですが・・・
すっげー映画でした!!!!
コレはびっくりしすぎる映画でした!!!
序盤で速攻で目が覚めました。
まさに一生に一度観れるかどうか?な名画でした。
見逃さないで本当に良かったです。
最初はかわいいちびっこ達のやり取りを観てほのぼのしてたのですが、
場面転換して髪型変わったけど・・・・何か子供大きくなってない??って最初は思いました。
まあ、気のせいか・・・いや、絶対に大きくなってるよね?
次の場面、また次の場面。
いやいやいや、完全に少年になってるやん!
コレマジ時間で描いてるんかい!!!
タイトルまんまなのね!!!確かに最初から言われてたけれども!!
いや確かに最初出てきたイーサン・ホークやたらスマートでカッコ良かったけど!
確かに今のイーサン・ホークはもっと老けてるしワイルドだけど。
12年間撮り続けたんかい!!!
それもインターバルかなり短めです。
(後に調べたら年一回集まって撮り続けたらしいです)
日本には北の国からってドラマがありますが、
コレはそんなのを3時間で上手く描いていました。
リチャード・リンクレイター監督は最近こういう手法でやってるんですね。
長い時間をかけて一つの作品を作ってるのですね。
物語はちっさいエピソードを沢山紡いでいます。
僕の好む、明確な起承転結もないタイプのものです。
僕の好む、フリはあってもオチは無いタイプのものです。
ドラマチックな要素も無く、断片的な日常に起きるささやかなドラマをフューチャーしてる感じです。
ただただ家族の瞬間瞬間を描いていく。
人間が大人になっていく様、それを取り巻く親や姉弟や友人も変化する。
極端な演出もなく実に見事な塩梅で描いていました。
なんというか、人間の成長ってつまりこんなんだよなー、
親の変化もこんなんだよなー、
おかんってこんな理不尽時々あるよねー、
としみじみと観させられた感じです。
母役のパトリシア・アークエットは3回結婚しますが、
一回目の相手のイーサン・ホークが実の父なのでずっと出続けてます。
この父親像が何か自分とかぶってるように見えて、
子供相手にも力んで政治を語ったり科学を語ったり必死に恋愛アドバイスしたり。
僕にも我が子のように面倒見続けてる親戚の子たちが居ますが、
彼女らに時々会う時の自分を観てるようでした。
映画に厚みを与えるセリフのセンスも非常に素晴らしかったです。
コメディ要素もほんのりウィットで素晴らしかったです。
時代時代を象徴するゲーム機やおもちゃなんかをさり気なく入れてるのが、
「ああ、こんなのあったなー、懐かしい」
と観客に思わせてくれます、見事です。
12年撮ってるのにテイストはずっと同じということにほとほと感心しました。
映像の質感も作風も変えてませんでした。
よくぞこんなプロジェクトをやり遂げたな、という感動でいっぱいでした。
途中で誰かが投げ出したらどうすんのさ?
誰かが不祥事起こしたらどうすんのさ?
それこそ死んでしまったら?という気持ちでした。
(あとで知りましたが、監督が死んだらイーサン・ホークが引き継ぐ契約だったそうです)
よくぞ上映したと思います。
きっと実際は物凄い尺カメラ回してるだろうな、編集もめっちゃ大変だったろうな、と想像します。
幼い姉と弟を描き続けてたから、
終盤はもう感慨深くなって仕方なかったです。
王道泣かし映画みたいに、決して泣かそうみたいな演出は無いです。
どこまでも力まずお上品な演出に徹しています。
なので逆に非常にハイセンスな感動を与えてくれます。
一応クライマックスらしきラストの少し前、
遂に母元を離れ遠くへ引っ越す主人公。
それすら実に生々しくコミカルに描いていて、
ただただ感慨深さだけを暗黙に観客に与えてきます。
混んでて隣に女性のグループが居たけどこらえられず僕は号泣しました!!
感じる映画なので、きっと心に響かないと泣けないでしょうけど、
響いた人は号泣してしまうでしょうね。
結構ポツンポツンと号泣してる人が居ました。
いや~泣けました、いや~スゲー映画を観ました。
まずはこんな作品を作り上げたって事に賞賛が止まらないです。
コレこそ時間芸術ですね。
わざと長く感じさせるように退屈にも思えるテイストで撮ってますが、
結局それがとてもとても大事でした。
長さの感じ方が大事なのですね。
人生ってやつの長さの感じ方です、
人生が長いのか?短いのか?
この映画を観て僕はとても悩まされました。
あまりに主観的に過ごしてしまう人生ってやつを、
生まれて初めて客観で観れる瞬間かもしれない、
そんな映画でした。
「僕らが瞬間をつかむのではなくうまく瞬間につかまれるかどうかで幸せが決まる。」
そんなわけで10点です。
コレはひとつの最終地点に到達した作品だとも思います。
僕はメイソン(エラー・コルトレーン)。
ママのオリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉さんのサマンサ(ローレライ・リンクレイター)と一緒にテキサス州で暮らしている。
ママがおばあちゃんのいるヒューストンへ引っ越すと言い出したのは、僕が6才のときだった。
もっといい仕事に就くために大学へ行くと決めたからだ。
友達と別れたくないサマンサは引っ越しに大反対。僕も、ママと離婚してアラスカに行ったパパが僕たちの居場所を探せなくなるのではないかと心配だった。
でも1年半ぶりにアラスカから戻って来たパパ(イーサン・ホーク)は、ちゃんとヒューストンにやって来て、僕とサマンサをボーリングに連れて行ってくれた。
おかげで僕たちは宿題もせずに楽しい時間を過ごしたけれど、ママはそれが気に入らなかった。
2人が家の外で言い争う姿を僕たちは窓から見ていた。
大学へ通うママに新しい恋人ができた。ママのクラスの先生ビル・ウェルブロックだ。
2人はまもなく結婚し、ヨーロッパへ新婚旅行に行った。
ビルにはミンディとランディという子どもたちがいた。
その2人と僕らはとても気が合って楽しかったけど大家族の幸せは長く続かなかった。
口うるさいビルは子どもたちに家の雑用を命令。それを僕たちがやりきれないと怒鳴りまくった。
実のパパと過ごす2週間に一度の週末は、ビルの支配から解放される時間だったけど、パパにビルのことを話す気にはなれなくて少しナーバス。
それでも僕たちを楽しませようとするパパは、博物館や野球に連れて行ってくれた。
そして夜はパパがミュージシャン仲間のジミーと暮らす狭い家に泊まった。
アル中のビルの行動は乱暴になって、僕は有無を言わさず頭を五分刈りにされた。
ママに止めてほしかったけれど、タイミングが悪かった。
「何で再婚したの? あいつサイテー」と言う僕に、ママはこう答えた。
「完璧な人はいない」って。
だけどビルはついに暴力をふるい始めた。
意を決したママは隠れ家をみつけ、サマンサと僕を連れて逃げた。
僕らは自由になったけれど、着の身着のままで新しい学校に通うことに。
泣きながら不満を訴えるサマンサにママは言った。
「酔っぱらいの暴力よりずっとマシなはずよ! 少しは感謝して!」
バラク・オバマが黒人初の大統領候補になったとき、サマンサと僕はパパに誘われてキャンペーンの手伝いをした。
パパはミュージシャンの道をあきらめて保険計理士の資格を取って保険会社に勤めている。
ママは修士号を取り、教師として就職できる大学を探していた。
パパと僕らの会話の内容も前とは違ってきた。
15才になったサマンサにパパは避妊について突っ込んだ質問を浴びせた。
かたや僕は、パパとキャンプに出かけたときに女の子について相談した。
女の子と1対1になったとき、いったい何を話したらいいの?するとパパは言った。
「彼女を質問攻めにしてその答えを熱心に聞いてやるんだ。そうすりゃライバルを引き離せる」
ママが教壇に立つ大学が決まり、僕たちはオースティン近郊の小さな町に引っ越した。
新しい中学校では僕をゲイ呼ばわりする男子もいたけど僕は気にしない。
ゲイじゃないからだ。
実際、女の子にはわりとモテたし、男の友達もできた。僕はビールの味とキスの味を覚えた。
僕が15才の誕生日を迎えたとき、僕たちはママが感謝祭のパーティで親密になったジムと一緒に、新しく手に入れた中古の家で暮らすようになっていた。
ジムはイラクとボスニアに派兵された元陸軍兵。
僕の夜遊びやドラッグに眉をひそめる堅物。
いっぽうのパパは、アニーという女性と再婚し、赤ん坊も生まれた。
すっかりマイホーム主義になったパパは、僕が16才になったらくれると約束していた車を売り、ファミリー・カーに買い替えてしまった! ひどいよ!
誕生日の週末、僕とサマンサは、その車に乗っておじいちゃんたちの家へ。
思いがけない誕生日プレゼントが用意されていた。
パパが僕にくれたのは、自分で編集したビートルズの『ブラック・アルバム』。
パパとアニーからはスーツ、おばあちゃんからは名前入りの聖書を、おじいちゃんからは20口径の散弾銃を贈られた。
もちろん射撃のレッスン付き。
高校生になった僕は、カメラを買ってもらったことがきっかけで、写真に夢中に。
今の僕の夢はアート系の写真家になること。
でも自分にしか撮れない物はまだみつからない。
心の中は迷いと焦りでいっぱいだった。
高校2年の夏、僕はガールフレンドのシーナを連れて、大学生になったサマンサのいるオースティンへ遊びに行った。
「来年の夏には僕もこの街で自由に生活している」と思うと自然と胸が高鳴る。
夜はシーナと一緒にサマンサの寮に泊まった。
サマンサもルームメイトも留守のはずだったけど突然ルームメイトが帰って来て…見られた。
高校最後の年、僕は写真で賞をもらい奨学金を受けて大学へ進学。
ママが自宅で開いた卒業祝いのパーティには、おばあちゃんもパパの家族もサマンサも集合。
パーティのあと、パパとふたりで出かけたライブハウスで、僕はシーナと別れたことを打ち明けた。
パパからは「お前がブレなければシーナみたいな女は山ほど寄って来る。得意なものがあれば女は選べる。写真を続けろ」とアドバイスされた。
僕が家を離れるのを機に、ママは修繕費がかさむ家を売り、アパートへ引っ越した。
その日をママは「人生最悪の日」だと言った。
サマンサと僕を大学へ送り出したあと、自分に残されているのは葬式だけだからだそうだ。
でもママは燃え尽き症候群に陥るほど弱い人じゃない。
その証拠に、本を書いて出版するという次の目標に向かって進んでいる。
そしてついに、僕にも旅立ちの日がやって来た――。
って話。
リチャード・リンクレイター監督作品です。
全く情報無しで観に行きましたが、ほぼ徹夜状態で観に行ったので上映時間の長さに観る前から萎えていたのですが・・・
すっげー映画でした!!!!
コレはびっくりしすぎる映画でした!!!
序盤で速攻で目が覚めました。
まさに一生に一度観れるかどうか?な名画でした。
見逃さないで本当に良かったです。
最初はかわいいちびっこ達のやり取りを観てほのぼのしてたのですが、
場面転換して髪型変わったけど・・・・何か子供大きくなってない??って最初は思いました。
まあ、気のせいか・・・いや、絶対に大きくなってるよね?
次の場面、また次の場面。
いやいやいや、完全に少年になってるやん!
コレマジ時間で描いてるんかい!!!
タイトルまんまなのね!!!確かに最初から言われてたけれども!!
いや確かに最初出てきたイーサン・ホークやたらスマートでカッコ良かったけど!
確かに今のイーサン・ホークはもっと老けてるしワイルドだけど。
12年間撮り続けたんかい!!!
それもインターバルかなり短めです。
(後に調べたら年一回集まって撮り続けたらしいです)
日本には北の国からってドラマがありますが、
コレはそんなのを3時間で上手く描いていました。
リチャード・リンクレイター監督は最近こういう手法でやってるんですね。
長い時間をかけて一つの作品を作ってるのですね。
物語はちっさいエピソードを沢山紡いでいます。
僕の好む、明確な起承転結もないタイプのものです。
僕の好む、フリはあってもオチは無いタイプのものです。
ドラマチックな要素も無く、断片的な日常に起きるささやかなドラマをフューチャーしてる感じです。
ただただ家族の瞬間瞬間を描いていく。
人間が大人になっていく様、それを取り巻く親や姉弟や友人も変化する。
極端な演出もなく実に見事な塩梅で描いていました。
なんというか、人間の成長ってつまりこんなんだよなー、
親の変化もこんなんだよなー、
おかんってこんな理不尽時々あるよねー、
としみじみと観させられた感じです。
母役のパトリシア・アークエットは3回結婚しますが、
一回目の相手のイーサン・ホークが実の父なのでずっと出続けてます。
この父親像が何か自分とかぶってるように見えて、
子供相手にも力んで政治を語ったり科学を語ったり必死に恋愛アドバイスしたり。
僕にも我が子のように面倒見続けてる親戚の子たちが居ますが、
彼女らに時々会う時の自分を観てるようでした。
映画に厚みを与えるセリフのセンスも非常に素晴らしかったです。
コメディ要素もほんのりウィットで素晴らしかったです。
時代時代を象徴するゲーム機やおもちゃなんかをさり気なく入れてるのが、
「ああ、こんなのあったなー、懐かしい」
と観客に思わせてくれます、見事です。
12年撮ってるのにテイストはずっと同じということにほとほと感心しました。
映像の質感も作風も変えてませんでした。
よくぞこんなプロジェクトをやり遂げたな、という感動でいっぱいでした。
途中で誰かが投げ出したらどうすんのさ?
誰かが不祥事起こしたらどうすんのさ?
それこそ死んでしまったら?という気持ちでした。
(あとで知りましたが、監督が死んだらイーサン・ホークが引き継ぐ契約だったそうです)
よくぞ上映したと思います。
きっと実際は物凄い尺カメラ回してるだろうな、編集もめっちゃ大変だったろうな、と想像します。
幼い姉と弟を描き続けてたから、
終盤はもう感慨深くなって仕方なかったです。
王道泣かし映画みたいに、決して泣かそうみたいな演出は無いです。
どこまでも力まずお上品な演出に徹しています。
なので逆に非常にハイセンスな感動を与えてくれます。
一応クライマックスらしきラストの少し前、
遂に母元を離れ遠くへ引っ越す主人公。
それすら実に生々しくコミカルに描いていて、
ただただ感慨深さだけを暗黙に観客に与えてきます。
混んでて隣に女性のグループが居たけどこらえられず僕は号泣しました!!
感じる映画なので、きっと心に響かないと泣けないでしょうけど、
響いた人は号泣してしまうでしょうね。
結構ポツンポツンと号泣してる人が居ました。
いや~泣けました、いや~スゲー映画を観ました。
まずはこんな作品を作り上げたって事に賞賛が止まらないです。
コレこそ時間芸術ですね。
わざと長く感じさせるように退屈にも思えるテイストで撮ってますが、
結局それがとてもとても大事でした。
長さの感じ方が大事なのですね。
人生ってやつの長さの感じ方です、
人生が長いのか?短いのか?
この映画を観て僕はとても悩まされました。
あまりに主観的に過ごしてしまう人生ってやつを、
生まれて初めて客観で観れる瞬間かもしれない、
そんな映画でした。
「僕らが瞬間をつかむのではなくうまく瞬間につかまれるかどうかで幸せが決まる。」
そんなわけで10点です。
コレはひとつの最終地点に到達した作品だとも思います。