中学生や高校生の頃、中間・期末試験というのは非常に憂鬱だった。
それはそれは憂鬱だった。
そしてそれらの試験終わりは、今では決して味わえない程の開放感に満ちていた。
しかし僕は駄目な子供だったので
勉強しないくせに、勉強しなければ・・・
という重度のプレッシャーを感じていたので学校に居るときは
「よしっ今日は家で勉強しよう」
家に居れば
「無理だ、やっぱり学校の机じゃなきゃ勉強できない」
と、そんな心理状態をアホみたいに繰り返した。
結局登校時の電車の中で、テスト直前に、
慌てて必死に知識を詰め込んで
痛い思いをした。
何回かそれを繰り返すうちに
「ああ、どうせ帰っても勉強しないくせに
今日も家に帰ってから勉強しようって気分になっている」
となった。
家に居る時も同様。
結局公園や海へと逃げ出し、現実逃避をした。
ラストの方になれば、後一日乗り越えればテスト後の開放感がやってくる!
と頑張れた。
そしてテスト後は必死に遊んだ。
家と学校を行き来してるだけなのに
そのどちらもしんどくなってしまったらもう消えてしまうしか無いではないか。
と思っていた。
安住が無くなってしまったと。
本当に消えてしまうしか無いような、絶望的な気分によく襲われたものです。
ちなみに勉強はとても出来る子供でした。
それはそれは憂鬱だった。
そしてそれらの試験終わりは、今では決して味わえない程の開放感に満ちていた。
しかし僕は駄目な子供だったので
勉強しないくせに、勉強しなければ・・・
という重度のプレッシャーを感じていたので学校に居るときは
「よしっ今日は家で勉強しよう」
家に居れば
「無理だ、やっぱり学校の机じゃなきゃ勉強できない」
と、そんな心理状態をアホみたいに繰り返した。
結局登校時の電車の中で、テスト直前に、
慌てて必死に知識を詰め込んで
痛い思いをした。
何回かそれを繰り返すうちに
「ああ、どうせ帰っても勉強しないくせに
今日も家に帰ってから勉強しようって気分になっている」
となった。
家に居る時も同様。
結局公園や海へと逃げ出し、現実逃避をした。
ラストの方になれば、後一日乗り越えればテスト後の開放感がやってくる!
と頑張れた。
そしてテスト後は必死に遊んだ。
家と学校を行き来してるだけなのに
そのどちらもしんどくなってしまったらもう消えてしまうしか無いではないか。
と思っていた。
安住が無くなってしまったと。
本当に消えてしまうしか無いような、絶望的な気分によく襲われたものです。
ちなみに勉強はとても出来る子供でした。