---数年前僕はとあるコンビニエンスストアの深夜バイトをしていた。
住宅街にあるコンビニだからそれほど客は多くない。
毎日同じ客が同じものを買ってく、そんなコンビニだった。
深夜1時から朝9時までの間、店員は僕一人だけだった。
断っておくが僕は反社会的な思想を持っていた。---
冬場、コンビニにはおでんというものが現れる。
深夜に作りかえを行う。
一人コンビニだとコレが厄介である。
同じ500円前後のお会計でも、おでんを注文されるとなかなかの手間と時間を取られる。
店によっては客自身に取らせるシステムもあるがウチの店は僕が取らなければならない。
崩れやすい種などを取るときはかなりの視線のプレッシャーを受ける。
それはさながらサッカーのPKのキッカーのようなものだ。
僕はゴールを決めれない事もあった。
そんなわけで相も変わらず理不尽な僕は、おでんを買われるのを極度に嫌っていた。
しかしおでん自体はかなり好物の方なので、自分で買って食べたり、貧乏な時はその汁だけをちょっと頂いて、ご飯の際の汁物にしていた。
客がおでんほしげに店に入ってくると憂鬱になった。
おでんを覗き込んでは去り覗き込んでは去り、のような行動をする時がある。
そんな時僕は「鬱陶しい、少し時間が早いがかたしてしまおう」とスイッチを切って片付けたりした。
客は「あれ?おでんはないですか?」とか言ってくる。
「はい、終わっちゃいました」とふてくされたように答える。
今思えば、本当に反省しなければならない僕の叛逆精神である。
そんなバチが当たったのか現在、僕はおでんが好きなのにおでんを買うのが怖くなっている。
もしも当時の僕のような思想を持った店員さんが居たら悪いなぁ・・・となってしまうのである。
しかし最近僕の行く先々のコンビニの店員さんは皆接客が丁寧で素晴らしい。
これならば大好きなおでんが買えるかもしれない、と思い始めている。
明け方5時前後、品出しも終わりコンビニバイトは最も暇な時間帯になる。
僕はその時間が大好きだった。
空気も凍るような真冬の早朝、コンビニの前に出てよくタバコをふかした。
映画のワンシーンのようにナルシストに自分に酔う。
左手にはカップに注いだ熱々のおでんの汁を持って・・・。
住宅街にあるコンビニだからそれほど客は多くない。
毎日同じ客が同じものを買ってく、そんなコンビニだった。
深夜1時から朝9時までの間、店員は僕一人だけだった。
断っておくが僕は反社会的な思想を持っていた。---
冬場、コンビニにはおでんというものが現れる。
深夜に作りかえを行う。
一人コンビニだとコレが厄介である。
同じ500円前後のお会計でも、おでんを注文されるとなかなかの手間と時間を取られる。
店によっては客自身に取らせるシステムもあるがウチの店は僕が取らなければならない。
崩れやすい種などを取るときはかなりの視線のプレッシャーを受ける。
それはさながらサッカーのPKのキッカーのようなものだ。
僕はゴールを決めれない事もあった。
そんなわけで相も変わらず理不尽な僕は、おでんを買われるのを極度に嫌っていた。
しかしおでん自体はかなり好物の方なので、自分で買って食べたり、貧乏な時はその汁だけをちょっと頂いて、ご飯の際の汁物にしていた。
客がおでんほしげに店に入ってくると憂鬱になった。
おでんを覗き込んでは去り覗き込んでは去り、のような行動をする時がある。
そんな時僕は「鬱陶しい、少し時間が早いがかたしてしまおう」とスイッチを切って片付けたりした。
客は「あれ?おでんはないですか?」とか言ってくる。
「はい、終わっちゃいました」とふてくされたように答える。
今思えば、本当に反省しなければならない僕の叛逆精神である。
そんなバチが当たったのか現在、僕はおでんが好きなのにおでんを買うのが怖くなっている。
もしも当時の僕のような思想を持った店員さんが居たら悪いなぁ・・・となってしまうのである。
しかし最近僕の行く先々のコンビニの店員さんは皆接客が丁寧で素晴らしい。
これならば大好きなおでんが買えるかもしれない、と思い始めている。
明け方5時前後、品出しも終わりコンビニバイトは最も暇な時間帯になる。
僕はその時間が大好きだった。
空気も凍るような真冬の早朝、コンビニの前に出てよくタバコをふかした。
映画のワンシーンのようにナルシストに自分に酔う。
左手にはカップに注いだ熱々のおでんの汁を持って・・・。