永遠の門 ゴッホの見た未来
を観ました。
画家としてパリでは全く評価されていないフィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)。
彼は、会ったばかりのゴーギャン(オスカー・アイザック)の「南へ行け」というひと言で、南フランスのアルルへやって来る。
「まだ見ぬ絵を描くために、新しい光を見つけたい」というゴッホの願いは、この地で春を迎えた時に叶えられた。
行きつけのカフェのオーナーであるジヌー夫人(エマニュエル・セニエ)に頼んで、“黄色い家”を紹介してもらったゴッホは、ゴーギャンの到来を待ちわびる。
広大な畑をひたすら歩き、丘に登って太陽に近づき、画材を取り出すゴッホ。
竹の枝で作ったペンの先から、たちまちゴッホだけの線が生まれていく。どこまでも続く風景に絶対的な美を見出したゴッホは、「永遠が見えるのは僕だけなんだろうか」と自身の胸に問いかける。
風になびく麦の穂や沈みゆく太陽を見つめるゴッホの瞳は、不思議な輝きを放っていた。
ある時、地元の人々とトラブルになったゴッホは、強制的に病院へ入れられる。
駆け付けてくれた弟のテオ(ルパート・フレンド)にも、初めて特別なものが見えることを打ち明けるのだった。
やがて一緒に暮らし始めたゴッホとゴーギャンは、“絵を描く”ことについて際限なく議論を交わす。
自然を見て描くゴッホと、自分の頭の中に見えるものを描くゴーギャン。
一瞬で真実を捉えようと素早く描くゴッホ、ゆっくりと降りてくるのを待つゴーギャン。
屋外に美を探し求めるゴッホ、内面に深く潜るゴーギャン、すべては正反対だ。それでもゴッホは、「僕らの時代だ」と熱く語るゴーギャンに心酔し、ますます創作にのめり込むが、やがてゴーギャンが去って行くことは止められなかった。
再び一人になり絶望したゴッホをこの世に繋ぎとめたのは、描き続ける情熱だけだった。
相変わらず1枚の絵も売れない日々の中、ゴッホは神父にそっと語る。「未来の人々のために、神は私を画家にした――」
もはや彼の眼差しに不安の影はなかった。晴れ晴れと穏やかなその瞳が最期に映したものとは――
ジュリアン・シュナーベル監督です。
タイトルの通り、大好きなゴッホを描いた伝記映画です。
自分はゴッホが大好きなのでロンドン、ミュンヘン、アムステルダムなど、わざわざゴッホの絵を見に行った程です。
一昨年みたゴッホ最後の手紙は油絵で作られたアニメーションでめちゃくちゃ個性的な演出で最高評価しましたが。
今作は実写ですがまたかなり個性的な演出です。
ゴッホって恐らくその時代の芸術家にも後の芸術家に相当な影響力を持った根っからの芸術家肌だと思います。
そんな人物を描く作品は極度の芸術性が求められると思います。
今作はそれにかなり成功していると思います。
再現性も素晴らしいのですが、そこをシンプルに売りにしないくらい芸術性が高いです。
めちゃくちゃ作家性が強いアーティスティックでナチュラルな空気に満ちています。
喋りのシーンはフランス語だったり英語だったり。
絵を描くシーンになるとかなり長尺にセリフはなくなり一人称視点でクセの強いカット割りで。
一人称視点の上にとてもフォーカスしているので視野が狭く感じるようなシーンばかりです。
それが幻想的で酔っ払ってるような同じ空間に居るようなバーチャルな感覚が強かったです。
まれに引きの画角になったときに水中から浮き上がって空気を吸った時みたいな開放感でした。
シンプルに無言で絵を描いているゴッホを表現しているだけなのに素晴らしい巧妙な効果を生み出していたと思います。
そしてその油絵を描いているシーンのリアリティは非常に素晴らしく、実際に本物の絵が描かれる瞬間を見ているようでした。
楽器演奏などの当て振り等に似てますが非常に個性的なゴッホの絵の描き方の再現性は見事でした。
ゴッホのことはそれなりには知ってるつもりですが、見出しになるようなポイントしか知らないので詳細を見れるこういう作品は素晴らしいです。
有名な諸々のエピソードは昔の社会であっても相当異質でこんなに変人扱いされるのは納得ですね。
彼の晩年付近を描くだけで非常に興味は懐きます。
ああ、これをきっかけにあの絵が、、、というのを何気ない会話の中に入れ込んだりと実にハイセンスでした。
黄色い部屋が空いてるよとか、髭の長いオジサンにあなたを書かせて欲しいとか。
ゴッホ好きにはたまらないシーンが何気なく放り込まれていました。
なにかのメタファーの様に差し込まれるひまわり畑だったり草原の草だったり。
そして売れないのに絵しか描けない極度の苦悩だったり。
当たり前ですが天才の苦悩の描き方は相当見事でした。
自分の絵が売れないこと、世の評価が自分の思った通りにならないことに対して
「未来の人々のために描いているのかもしれない」みたいなセリフはしびれました。
ベタな感動演出は無いのにクライマックスには泣いてしまいました。
ゴッホを演じたのはウィレム・デフォーです。
今まで悪役だったり曲者の役の印象が強いですが、今作はキャリアハイくらいに素晴らしいですね。
ただのなりきりというより乗り移ったかのような妙なリアリティがありました。
アカデミー賞ノミネートも納得のクオリティです。
親友のゴーギャンをオスカー・アイザックが演じていました。
非常に好みの俳優で評価高いですが、今作も変わらず素晴らしかったです。
イマイチ掴みどころがないキャラでゴッホとは逆に心がわからない感じでした。
大好きなゴッホをこのクオリティで描いてくれたのはありがたいですね。
人類の遺産になるような、映画史に必要だった作品でしょう。
そんなわけで9点。
を観ました。
画家としてパリでは全く評価されていないフィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)。
彼は、会ったばかりのゴーギャン(オスカー・アイザック)の「南へ行け」というひと言で、南フランスのアルルへやって来る。
「まだ見ぬ絵を描くために、新しい光を見つけたい」というゴッホの願いは、この地で春を迎えた時に叶えられた。
行きつけのカフェのオーナーであるジヌー夫人(エマニュエル・セニエ)に頼んで、“黄色い家”を紹介してもらったゴッホは、ゴーギャンの到来を待ちわびる。
広大な畑をひたすら歩き、丘に登って太陽に近づき、画材を取り出すゴッホ。
竹の枝で作ったペンの先から、たちまちゴッホだけの線が生まれていく。どこまでも続く風景に絶対的な美を見出したゴッホは、「永遠が見えるのは僕だけなんだろうか」と自身の胸に問いかける。
風になびく麦の穂や沈みゆく太陽を見つめるゴッホの瞳は、不思議な輝きを放っていた。
ある時、地元の人々とトラブルになったゴッホは、強制的に病院へ入れられる。
駆け付けてくれた弟のテオ(ルパート・フレンド)にも、初めて特別なものが見えることを打ち明けるのだった。
やがて一緒に暮らし始めたゴッホとゴーギャンは、“絵を描く”ことについて際限なく議論を交わす。
自然を見て描くゴッホと、自分の頭の中に見えるものを描くゴーギャン。
一瞬で真実を捉えようと素早く描くゴッホ、ゆっくりと降りてくるのを待つゴーギャン。
屋外に美を探し求めるゴッホ、内面に深く潜るゴーギャン、すべては正反対だ。それでもゴッホは、「僕らの時代だ」と熱く語るゴーギャンに心酔し、ますます創作にのめり込むが、やがてゴーギャンが去って行くことは止められなかった。
再び一人になり絶望したゴッホをこの世に繋ぎとめたのは、描き続ける情熱だけだった。
相変わらず1枚の絵も売れない日々の中、ゴッホは神父にそっと語る。「未来の人々のために、神は私を画家にした――」
もはや彼の眼差しに不安の影はなかった。晴れ晴れと穏やかなその瞳が最期に映したものとは――
ジュリアン・シュナーベル監督です。
タイトルの通り、大好きなゴッホを描いた伝記映画です。
自分はゴッホが大好きなのでロンドン、ミュンヘン、アムステルダムなど、わざわざゴッホの絵を見に行った程です。
一昨年みたゴッホ最後の手紙は油絵で作られたアニメーションでめちゃくちゃ個性的な演出で最高評価しましたが。
今作は実写ですがまたかなり個性的な演出です。
ゴッホって恐らくその時代の芸術家にも後の芸術家に相当な影響力を持った根っからの芸術家肌だと思います。
そんな人物を描く作品は極度の芸術性が求められると思います。
今作はそれにかなり成功していると思います。
再現性も素晴らしいのですが、そこをシンプルに売りにしないくらい芸術性が高いです。
めちゃくちゃ作家性が強いアーティスティックでナチュラルな空気に満ちています。
喋りのシーンはフランス語だったり英語だったり。
絵を描くシーンになるとかなり長尺にセリフはなくなり一人称視点でクセの強いカット割りで。
一人称視点の上にとてもフォーカスしているので視野が狭く感じるようなシーンばかりです。
それが幻想的で酔っ払ってるような同じ空間に居るようなバーチャルな感覚が強かったです。
まれに引きの画角になったときに水中から浮き上がって空気を吸った時みたいな開放感でした。
シンプルに無言で絵を描いているゴッホを表現しているだけなのに素晴らしい巧妙な効果を生み出していたと思います。
そしてその油絵を描いているシーンのリアリティは非常に素晴らしく、実際に本物の絵が描かれる瞬間を見ているようでした。
楽器演奏などの当て振り等に似てますが非常に個性的なゴッホの絵の描き方の再現性は見事でした。
ゴッホのことはそれなりには知ってるつもりですが、見出しになるようなポイントしか知らないので詳細を見れるこういう作品は素晴らしいです。
有名な諸々のエピソードは昔の社会であっても相当異質でこんなに変人扱いされるのは納得ですね。
彼の晩年付近を描くだけで非常に興味は懐きます。
ああ、これをきっかけにあの絵が、、、というのを何気ない会話の中に入れ込んだりと実にハイセンスでした。
黄色い部屋が空いてるよとか、髭の長いオジサンにあなたを書かせて欲しいとか。
ゴッホ好きにはたまらないシーンが何気なく放り込まれていました。
なにかのメタファーの様に差し込まれるひまわり畑だったり草原の草だったり。
そして売れないのに絵しか描けない極度の苦悩だったり。
当たり前ですが天才の苦悩の描き方は相当見事でした。
自分の絵が売れないこと、世の評価が自分の思った通りにならないことに対して
「未来の人々のために描いているのかもしれない」みたいなセリフはしびれました。
ベタな感動演出は無いのにクライマックスには泣いてしまいました。
ゴッホを演じたのはウィレム・デフォーです。
今まで悪役だったり曲者の役の印象が強いですが、今作はキャリアハイくらいに素晴らしいですね。
ただのなりきりというより乗り移ったかのような妙なリアリティがありました。
アカデミー賞ノミネートも納得のクオリティです。
親友のゴーギャンをオスカー・アイザックが演じていました。
非常に好みの俳優で評価高いですが、今作も変わらず素晴らしかったです。
イマイチ掴みどころがないキャラでゴッホとは逆に心がわからない感じでした。
大好きなゴッホをこのクオリティで描いてくれたのはありがたいですね。
人類の遺産になるような、映画史に必要だった作品でしょう。
そんなわけで9点。