メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

君は自分の傲慢さに対して何処まで理解があるのだろうか?

2009年07月14日 | イラっとする話
僕は自分で言うのもなんだが、声は小さい方である。

昔から声が小さいと言われていた。

それで不便をかけた事もあるだろう。
しかしそれは常に、面白い事を言う時や怒りを表現する時の抑揚の為の準備でそうして来た。

意味も無く小さい声なわけでは無い。
これは3歳の時に気付いた。


しかしいい年してもそれに気付かず、常に大声で喋る輩は世の中に多い。

これは僕に不快感を与える事がよくある。

しかし声がでかいというのは当然メリットも多く、面白くなるパターンも多いので、イコール悪いという事ではない。

自分の声の大きさの利点を知っていて、ちゃんと気遣えて、コントロールできている人は、声が小さい人よりよっぽど気持ちがいい。


僕が許せないのは、遠くから話しかけてくる大声馬鹿の輩の事である。

そういうやつは決まってデリカシーが無く横着で馬鹿である。

自分の声のでかさしか把握していないから遠くから、場合によっては隣の部屋から壁越しに呼んだり、質問してきたりする馬鹿とかが居る。

相手を犬の様に扱っている事に気付いていない。

呼ばれた側、特に僕のように無駄に大声を使いたくない人間は大声では返さず、わざわざ隣の部屋まで行って返事をしなければならなかったりする。

相手の状態を把握していないのに喋る奴は死ねばいいのに。

「○○ってどこだっけー!!」
「○○さーん!!」
「○○どこ置いたらいいー!!」
「ちょっときてー!!」

そんな事を視界に居ない人間に話しかける人。
別に自分が相手の傍に行って適量のボリュームで話しかければ済んだ状況なのに、大声を出してしまったらアウトです。

それは馬鹿でデリカシーが無いという意味なのです。

若しくは極度の甘えん坊さんです。

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