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ひとり暮らし

2005年06月14日 | 思い出
10年ほど昔の春。僕は辛く長かった1年間の浪人生活を終えて、大学進学に共ないひとり暮らしを始めました。

僕は幸いにも良い両親に巡り会えたために、それまでの19年間は何不自由の無い生活を送ることができました。しかしこれからは料理も、洗濯も、掃除も何もかもを一人でやらなければならなくなるわけです。高校時代から無性にひとり暮らしに憧れを抱いていた僕でしたが、いざそれが近づき、ひとり暮らし用品なんぞを買いそろえている頃には、まさに期待と不安の入り混ったような感じでした。
僕が部屋を片付けていると、毎日一緒に寝ていた、我が家のトイプードルがなんとも悲しい目をしながら鳴いていました。当時あまり話さなくなっていた兄も優しく手伝ってくれました。3年間お付き合いした当時の恋人とも涙の別れをしました。

引越しの当日。大きな荷物は先に宅急便で送っていたので、残りの荷物を車一杯に詰め、父と母と僕は新しい生活の地へと向いました。あまりにセンチメンタルな気持ちになってしまっていたので僕はこっそりと、気付かれないように、荷物に埋もれて泣きました。

昼前には、これから僕が生活をする古いマンションに到着しました。大学のすぐ目の前にあるそのマンションの3階でその日から僕は生活をするのでした。
簡単に荷物を運び入れ、部屋の掃除をして、宅急便が届くまでにはまだ時間があったので、親子3人は何も無いその部屋でしばらくたたずんでいました。
少し寒かったけど、とても天気の良い日でした。窓からは準備運動をしているサッカー部の学生たちの姿が見えました。まだ生活の息吹も無いその部屋。父は紙コップで飲み物を飲み、空カンを灰皿にしました。
僕はセンチな気持ちを抱いて、ひとりで近所の散歩に出掛けました。これから僕の生活が始まる場所。すぐ傍には長い、いい感じの商店街がありました。大きなスーパーもありました。なんとも印象深い晴れた空でした。
部屋に戻るとすぐに荷物は届き、業者さんにだいたいの場所に置いてもらい、夕暮れ時、その日の予定はだいたい終了しました。

両親に晩御飯を食べに行こうと言われましたが、とにかく、あまりにもセンチメンタルだったために一人になりたく、僕は無愛想にその誘いを断わり、ひとり部屋に残りました。

当時の僕はあまりに未熟で、反抗期からもまだちゃんと卒業しきれてなかったようでした。うまく行かないことは誰かのせいにしなければ気が済まず、思い通りにならなと母にあたったりしました。時には憎しみさえ感じながら。感謝の気持ちがあっても尖って、素直になれず、その思いを伝えることなど出来ませんでした。

その日、父と母が二人だけで行った夕食での会話。今ならなんとなく想像できます。
少しづつ自分から離れて行く、我が子への想い。今なら少しは理解できます。

父と母が戻ってきて「すぐそこのお蕎麦屋さんに行ってきたよ。美味しかったよ。」などと言いました。
それから数時間、テレビも無い部屋で親子3人。コタツを囲みながら、何を話したか良く覚えていませんが、それまでの人生では体験したことのない、とても照れくさい、なんとも不思議な時間を過しました。そして3人は、そのままコタツで眠りました。

翌日、適当に入学式に出て、適当に説明会に出て、少し陽が傾いた頃、両親の待つ部屋へと戻りました。
そして僕はテレビを欲しがり、買いに行くことにしました。近所に電化製品を扱っているような店が見当らず、両親は適当な店に入り聞き込みをしてくれました。少し人見知りだった僕は、そんな事も当たり前のように両親にやってもらっていたのでした。そして、しばらく車で行った場所にあるデパートの電気屋に行きました。
恵まれたことに、家具など一式を親に買ってもらったので、贅沢品であるテレビなんぞは自分が高校時代にバイトで貯めた貯金で買うことにしました。
小さめのテレビを買って再び部屋へと向かう。徐々に両親との別れが近づく。

部屋にテレビを置くと遅くなるといけないということで、両親はそのまま帰ることになりました。
マンションの前にて、母と「大丈夫?」「平気だよ」「しばらくは毎日電話するわね」みたいなやりとりを簡単にして車は走り出しました。
車が視界から消えてゆくまで、じっと見送りました。そして車が視界から消えると、急に寂しさに捕われ、孤独感や不安感で一杯になりました。
今までは本当に、家族という厚い壁に守られ、しかもそれに気付かずに、ぬくぬくと生活をしていたことを知りました。しかしその壁はその時に無くなったのです。情無い話しですが、始めてホームシックの味を知りました。

テレビを設置した僕は近所のスーパーに買い物に出掛け、食材と灰皿を買いました。そしてテレビを観ながらサンドイッチを食べ、食後の一服をしました。実はテレビを観ながらタバコを吸うのが夢だったので、その実現には喜びを感じました。
その日から始まったひとり暮らし。何もかもが新鮮で、何もかもが不慣れでした。お米を炊いたらお茶碗が無く、また買いに行きました。風呂場に腰掛けがなく、しんどい態勢で髪を洗いました。洗濯物を干す場所がなく、自分で作りました。
大学生活が始まった後も、尖った性格の僕にはしばらく友達なんぞはできなかったので、毎日ひとりで言葉も忘れそうでした。しかし約束通りに母が毎日電話をかけてきてくれました。
「ご飯食べてる?」「何作ったの?」みたいな月並な会話でしたが、その優しさは痛いほど嬉しかったものです。

今振り返れば、その時期の僕は、成長の扉をビビリながら歯を食い縛り、次々と叩いていたような状態でした。おかげさまで、人間として大分成長できた気がしています。
自分の人生の中で、あれほど一気に成長できた事は他にはありません。

その新しい生活は僕に家族のありがたみを教えてくれました。
僕に新しい出会いを与えてくれました。
新しい恋をしました。
同じ風景を探していた友達に出会い、同じ夢を見ました。
夢のように楽しかった4年間の大学生活を過せました。

あの空、あの言葉、あの場面、僕の追憶の中で綺麗に磨かれてゆく。
そんな記憶を忘れたくないと切に思います。
僕は今、出会ってくれた全ての人や出来事に感謝しながら生きております。

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