メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

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「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

一喜一憂に騙されて麻痺している

2012年04月15日 | ボクヲサガシテル
今まで、取り敢えず生まれてから今まで、
死ぬこと無く生きているのだが、
それは喜びと憂いが交互に僕のところへやってきて、
何かと麻痺させるから生きてこれた気がするのです。

憂いの時間は人生の殆どを占めているので
一喜一憂どころか一喜十憂位の割合ではあるのですが、
それでも過去に確かに味わった喜びの部分を、
心の何処かで求めているのですね。

それは幻で、麻薬のような魅惑で、
とうに僕のところから去っているのに、
求めているのです。
一度手に入れたモノは
もう一度簡単に手に入れられると錯覚するのです。

その距離感が実に僕を惑わせるのです。
思い切り伸ばした手の指の先に触れられるか触れられないか。

近頃は今、自分のいる場所が
喜びのセクションなのか?
憂いのセクションなのか?
そのレベルを客観的に見て、
論理的に理解しようと努めているのです。

大抵は憂いのセクションにいるので
次にどんな喜びがやってくるのか?
想像しているんだよ。

予想もしない喜びがやってくるだろうね
自分が気づいていない新たな喜びを見つけるかもしれないね
そんな想像なんだね。

もう少しだけ、もう少しだけと
自分を騙してみるのです。
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