5月3日
2ヶ月ぶりの更新。
相変わらず、波乱万丈の毎日を超前向きに、むしろ楽しみながら元気にすごしている。
1年更新の講師なので、3月31日に後頭部が禿げるくらい後ろ髪を引かれながら前任校を去り、翌日には新しい中学校に赴任した。
隣の市ということで、半分以上頭の中をリセットして、新しい組織や方針、やり方をインプットしていくのは、結構大変で疲れる。
4月8日は、末娘の中学の入学式だったが、その晩の手巻き寿司を食べているとき、掌にのりを置き、ご飯を載せたままの状態で意識を失っていた。
3月は土日もなく、月の半分以上は2時間睡眠、完徹や学校に泊り込み(仕事をしていたら夜が明けてしまった)もあって、身体も気も休む暇もなく、新しい環境に突入していって、やっとほっとして気が緩んでしまったのかもしれない。
離任のときの送別会で、ほとんどの先生方から『がんばりすぎないで』と言われた。
1年間、娘の学校行事(授業参観や卒業式など)で休んだ以外は休まず登校し、夜9時前に帰宅することはなく、土日もなく、仕事をしていた。(自分で仕事を増やしていたのかも?)
それなりの成果や達成感はあったが、反面、家族に寂しい思いをさせ、家事を犠牲にし、身体を酷使しすぎた。
まるで軽自動車で追い越し車線をノンストップで120kmで飛ばしているみたいだとも言われた。
それでは乗っている家族は、ドライブを楽しむどころではない。心配で、緊張して、景色を見ている余裕もなく、安心してドライブを楽しめない。
私自身、目の前のことにばかりに集中して、車の状態や家族の様子、自分の体調にも気を配れない。
正月に帰省したとき、父に
『これから先に出会う生徒達のために、ここで力尽きてはだめだ。』
と言われた。
でも、私は立ち止まれずに、ますますまるで生き急ぐように仕事をした。
でも、娘の入学式の祝いの席でにあんな状態で意識を失ってしまうなんて・・・。すごく反省した。
これからは、80kmぐらいで、登坂車線をのんびり行きながら、2時間おきには休憩を取ったり、時々高速から降りて、その土地で今しか見られないものを見たり、美味しいものを食べたり、みんなで温泉につかったり、記念になるものを買ったりしながら、ドライブを楽しもうと。
去年は、ぎっくり腰やぎっくり背中や三叉神経痛になって、家族にすごく心配をかけてしまった。(それでも休まず仕事に行って、息子に叱られた。)自分でも健康に自信をなくしてしまった。
何とか無事でいられて、元気になったからこそ出会えた今の職場の同僚や、生徒達。またその先で出会える人たちのためにも、今までも今も私を支えてくれている人たちとの大切な時間をずっと一緒に元気に過して行くためにも、無理は禁物だと反省している。
まして、今年度は3年生の副担任。め一杯仕事を抱え込んで身体でも壊したら、最後の最後に学年だけでなく、生徒の進路にも迷惑をかけてしまう。
いつ何を頼まれても、フットワーク軽くすぐに対応できるように、元気でいるためには、『頑張りすぎない』ように気をつけよう。
最後に。今日のタイトルの質問の答え。
いつも生徒達に質問される。(今回も)
アニメの仕事や人形劇の活動をやめてまで選んだ美術の先生と言う仕事。
1.生活のため。
2.教員免許があったから。
3.昔取った杵柄を生かせる仕事だから。
4.教えることが好きだから。
5.子ども好きだから。
どれもその通りなんだけど、なんだかそれでは、別に『先生』でなくても、別の職業でもいいわけで・・・・。
その答えが、今年の1月に見つかった。
きっかけを与えてくれたのは、3年生の『篆刻』の授業だった。
あるクラスの生徒が、がんばっていい作品を仕上げてくれた。途中何度も投げ出しそうになったのを励まし続け、ついに完成した時の彼の満足感・達成感と、その作品を通して彼を見る周りの目が温かく、一変したのを目の当たりに見た時だった。
その生徒は、ちょっと自分に自信が持てず、クラスにも居場所がなく、体育祭のムカデ競争の練習などで、とても辛そうにしている生徒だった。
でも、その篆刻がもうひとがんばりで完成するという時、彼は「これ以上無理」と言い、「ここまでで評価してほしい」と言ってきた。その未完成の作品をクラスのみんなに見せたところ、
「○○、すげー頑張ったじゃん、諦めないで最後まで頑張れよ」
「これの完成したの見てみた~い!」
とクラス中からエールが沸き起こった。
彼は、ちょっと照れくさそうに笑って、「先生、これ家に持って帰って仕上げてくるよ」
そして彼は3連休明け、すばらしい作品に仕上げて持ってきた。
後日、3年生の作品を1,2年生に鑑賞させたところ、誰もが彼の作品をBEST5に選んでいた。特に彼の妹のコメントは、
『お兄ちゃん本当に良くがんばったね。完成して良かったね。おめでとう!』とクラッカーのはじけているイラスト入りで書いてあった。
この時に、私の美術と講師と言う仕事の目的は、『宝探し』なのだと悟った。
ただの子ども好きや、絵が得意だの生活のためだけで、こんなに一生懸命にはなれない。
教師なんて仕事は10のうち、9は苦しいことや辛いこと、大変なことや理不尽なことばかりで、割に合わない仕事だと思う。
実際、昨年、末娘が私の給料計算をしてくれたら、その時点で、自給760円で、残業すればするほど自給が下がっていくと言うとても残念な結果に愕然とした。
早く帰っても、山ほど仕事を持ち帰る羽目になり、家では充電切れのようになって、仕事ははかどらず、結局そのまま次の日に持ち越しになるのだ。
かといって手を抜けず、ますます頑張ってしまうと言う不器用さ。
でも最後に残った『1』。かけがえのない『1』。
この『1』は、ときに『9』をはるかに凌駕し、どんな温泉よりも、ご馳走よりも私を癒し、励まし、元気にしてくれる。いわゆる『先生冥利に尽きる』と言うものだ。
私にとって、100人に1人でもいいから、本人も周りも気づかない『原石』を見つけること。
美術が嫌いと言っていた生徒に、『1年前よりも、少し美術が好きになりました』『次の学校に行っても、美術が嫌いな生徒に、美術の楽しさを教えてあげてください!』とメッセージをもらえたとき。
そこまで諦めずに、投げ出さずに、逃げずに頑張り抜いてこその達成感と、それに対しての生徒達からのメッセージのために、教師を続けているのだと思う。
今年度の授業の初めにもアンケートを配り、「評価に関係ないから正直に書いて」と言ったら、半数以上の生徒が、「美術嫌い」に○をつけていた。理由は、
1.下手だから
2.面白くないから
3.面倒だから
4.興味ないから
5.仕上げられないから
7.受験に関係ないから
8.時間の無駄
9.将来役に立つと思えないから
10.先生が嫌いだから
などなど、私に喧嘩を吹っかけているような内容ばかり。
でも、こういう気持ちでいる生徒を1年間かかって、前述のメッセージを書いてくれるように変えられるかどうかが、私の腕の見せ所。
堂々と受けて立とうじゃないの。その喧嘩!最後には最高の仲直りで分かれてあげるから!
さらに、前任校では、美術だけでなく、担任を持つと言う体験から、『育児は育児』というように、『教えることは教わること』と言う貴重な体験をすることができた。
私にとって、教師を続けることは、自分自身と向き合い、自分自身を成長させ、スキルアップするために、今の自分に一番合っている仕事だと思うからやっていることだと思う。というか、今、生徒と一緒に美術を学習することが、毎日楽しいから。この学校では、どんな『原石』と出会えるか、ワクワクしている。
G.Wが終わったら、修学旅行の準備、中間テストの準備と加速度を増してに忙しくなる。今のうちに溜まった家事を片付けなくっちゃ!