TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

ホームシックと5月病、そして『現在』

2008-05-04 08:55:00 | 徒然なるままに
5月4日

今から30年前、大学1年生のGW、私は情けなくも上京して1ヶ月で『ホームシック』になり、いわゆる『五月病』になってしまった。GWを待って、当時、上野発23時の夜行『いわて3号』に乗って、懐かしい故郷に逃げるように帰省した。
車中の懐かしい東北弁に泣きたくなって、すぐに同席の人に話しかけ、友達になった。(旅は道連れ!)
福島から鈍行になり、朝の光に輝く松島湾を見る頃には、ドキドキワクワクしながら、懐かしさで涙が止まらなかった。
蛇田駅に着いたときには、思わず駅の柱に頬ずりしてしまったほどだった。

何日かを家で過ごし、懐かしい母校や『いつもの場所』をめぐり、親戚や友達に会って、癒される反面、むくむくと焦りが沸いて来た。
『まだ帰れない。東京でまだ私は何もしていない。』

私は、すっかり元気とヤル気を回復させ、今度こそ決意を新たに東京へと舞い戻っていった。

故郷は、その後も帰省するたび、温かく迎えてくれ、私を心身共に元気にしてくれた。
遠く離れ、時間がたつほど、大切で、懐かしい故郷。
最近は帰るたびにドーナツ化現象が進み、懐かしい風景は思いの中の映像で、現実の故郷の姿にカルチャーショック状態ではあるけれど・・・。
いつか、私がまだ元気が残っているうちに、石巻に戻って、石巻を元気にする素の一粒に慣れたらいいなと思っている。
それまで、あと少し、千葉で子育てがんばろう。


ところで、Cafeの日記のいいところは過去の日記をすぐ見られるところ。
さっき、古い順に5月の日記を見ていたら、すごく懐かしくなった。「ああ、2年前はそうだった」「あの頃こんなことがあったっけ」「こんな時もあったよね・・・」なんて感じで。
特に子ども達のことが書かれてあると、その成長振りに驚き、あの頃がすごく懐かしく思える。
けして楽しい思い出ばかりではないけれど、「あの頃があって、今がある」と思えるようになったこともあるし、「あの頃のことを忘れないようにしなくては」と言うこともある。

『現在』は、常に『過去』の延長線上にあるが、『過去』戻れない。『未来』は『現在』の延長線上にあるから、『未来』を変えたければ、『現在』を大切に過ごさなければならない。

来年、5年後、10年後、私はどうなっていたい?どこにいる?何をしていたい?
けして、病院のベットで動けない状態にはなっていたくはない。

そのためにも、健康第一、交通事故に気をつけ、病気や怪我をしないように心がけよう。
仕事はしていても、余暇を生かして充実した毎日を送っていたい。

家族や友人間関係はずいぶん変化していくことだろう。
いつまでも一緒にいられるのはほんのわずか。子ども達はみな私の手元から巣立っていくことだろう。
今一緒に働いている人とまた一緒に働ける機会はもうないかもしれない。
『一期一会』を大切にして悔いのないように付き合って行きたい。

なんだかずいぶん年寄り臭いことを書いているなあと思うが、自分の健康にだんだん自信がなくなってくると、昔のようなギラついた感じがなくなって、夢がちょっとづつしぼんでくるみたい。

5年前、10年前の私から見た、今の私はどう見えるだろう。
『夜空ノムコウ』の歌詞ではないけれど、『あの頃の未来に僕らは立っているのかな?』

あえて言えば、去年、九死に一生を得てから、『我』がなくなり、なんだかやたら『生かされている理由』とか『使命感』みたいな感じで物事を考えるようになってしまっている。
『もっと、わがままでいいよ』とか
『いやなものはいやだと言っていいんだよ』とか
『怒るときは怒りなさい』
と言われるんだけれど、なんだか妙に客観視している自分がいて、自分のことだと言う実感がないのかな・・・。
妹にも、
「お姉ちゃん、そんなことじゃただの『便利屋さん』として利用されるだけだよ」と忠告されている。
この歳になっても、まだ『自分を大切にする』とか『自分を生きる』ことができないでいる。

でも、時々、『スイッチ』が入るときがある。
きっかけは『感動』だったり、『怒り』だったり・・・。そういうときに『使命感』が沸き起こってくる。何かに突き動かされたときのエネルギーは、もしかしたら若い頃以上のものがあるかもしれない。そんなときの行動力は自分でもびっくりするぐらい迅速で、容赦がない。

良く言えば、『メリハリ』がついてきたのかもしれない。
父の様な『究極の+思考』にはまだまだ及ばないが・・・。


『五月病』ではないが、毎年新しい環境に慣れ始めた頃、ちょっと前の環境がやたら懐かしくなる。
大変だったこと、苦しかったことは喉もと過ぎれば何とやらで、今は懐かしさや良かったことばかりが昇華されて残っている。
でも、いつまでも懐かしがっているわけにはいかない。
時代は動いているし、みんな生きて、変化している。
『こんなはずじゃなかった』と立ち止まっている場合ではない。
『日進月歩』『日々是好日也』で、がんばろう!