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目に青葉~恐怖の新緑の季節到来!

2009-05-10 22:38:00 | 徒然なるままに
連休明けの台風到来で、千葉県地方は土砂降りの平日だったけれど、この土日は初夏のような五月晴れだった。

布団を干しながら庭を見下ろすと、この雨と気温の上昇で一気に庭の草木が成長し、鬱蒼とした感じになっていた。
花壇はいまやハルジオンやらヒメジオンで覆われ、色的にはきれいなのだが、別名『貧乏花』と言われていることを思えば、荒れ放題の花壇というのは否めない。午前中、炎天下にもめげず、草取りに精を出したが、一生懸命咲いている『貧乏花』たちに自分を重ねてしまい、ついに抜くことができなかった。
去年、2年生の『CDジャケットデザイン』で、『ハルジオン』と言う曲のデザインをきれいに描いていた生徒とその作品を思い出したこともあるかな・・・。

午後からは、柿の木とグミの木の剪定をした。まだ青い小さな実をつけた枝を払うのはなんだかかわいそうだったが、電線にまで触れそうなほど伸びた枝は、事故の元でもあるし、以前、生い茂った枝葉の間にスズメバチが巣を作って、大変なことになったりもしたので、心の中で、『ごめんね、ごめんね』と言いながら生木を切った。

やりきれなかった裏の草取りは来週やることにしたのだが、裏も来週にはジャングル状態になっているかもしれない。
これからの季節は雨が降るたび、夏日が増えるたび、緑が鬱蒼と生い茂ってくる。どんなに草取りをしても、一週間も経てば元の木阿弥状態になるのだ。
除草剤を撒けばよいのだろうが、私はあえてそれはやらない。
雑草たちとの根競べ、負けないぞ!

でも、ちょっと心配なのは、踏み台のてっぺんで無理な姿勢で選定をやったり、根の深い雑草抜きをやったのが、明日明後日あたりにぎっくり背中になったらいやだな~。といったら、末娘が風呂掃除をしてくれ、風呂を用意してくれた。

今日は、末娘が中学校の竹林で掘ってきてくれた筍で筍ご飯を作り、豚の角煮を作った。
末娘は私のためにデザートにシフォン・ケーキを作ってくれた。
ふわふわで、ほど良い甘さのカスタードクリームを添えて
「どうぞ召し上がれ」
とご馳走してくれた。
素敵な美味しい母の日のプレゼントだった。 

*(カーネーション)*母になって20年*(カーネーション)*

2009-05-10 07:00:00 | 徒然なるままに
5月10日(日)

今日は母の日。*(カーネーション)*
「母の日」というのは、私にとって、2つの意味のある日だ。
1つは、子どもとして、母に感謝する日。
もう1つは、母として、子どもたちから感謝される日。

前者の場合、まさに自分をこの世に送り出し、育み、育ててくれたこと、大人になってからも、日頃、心配ばかりかけたり、何かと気にかけてあれやこれやしてくれることへの感謝の気持ちを表すことは、大事なセレモニーだと思う。

一方で、後者の場合、子どもたちが小さいときには、幼稚園や小学校からの働きかけもあり、可愛らしいプレゼントや、純粋で素直なメッセージに、ウルウルきたものだ。
が、それぞれ、思春期、反抗期を迎え、憎まれ口をたたかれ、煙たがられるようになると、お互い意地になって、素直にこの『感謝の日』を穏やかに過ごすことができない年が続いてきた。

それが、ここ2,3年ちょっと変わってきた。
まず、息子が大学に入った年には、大きなカーネーションの花を2輪手渡された。
息子は中学時代2度も家出をし、親として学校には米搗きバッタのように『いつもご迷惑ばかりおかけして・・』とペコペコし、いつ、また何をやらかすか、ハラハラさせられ、口を開けば「うるせー」「いいじゃん、べつに」「ふざけんな」しか言えないのかボキャブラリーの無さを嘆いたものだった。
高校時代は、私も働きだし、彼にかまわなくなったせいか、直接対決バトルは少なくなったが、心配事は行動範囲の広さに比例して増える一方。ずいぶん迷惑をかけられた。
そんな彼が進路を決める際は、相談にはのってあげられても、金銭面での応援には限りがあった。
最終的には一番行きたい大学ではないところに決まったが、彼の志す学部には、現役で合格できた。
予備校に通わすお金もないので、、ほとんど独学で、半年間、身体を壊すのでは?と思うほどの猛勉強だった。
その彼からもらったカーネーションは、何よりものプレゼントだった。

今年高校を卒業した長女は、兄にも増して大変な中学・高校時代を過ごした。
と同時に、私の母親としての一番辛い修行の日々だったと思う。
『逃げない』『ブレない』『諦めない』という、母として、また、教育に携わる者として、大切なことを毎日のように試されているような日々だった。
事実、あの頃の経験が、その後すごく役に立つ場面や、自分にとっても土台となっていることを感じるときがある。
今、彼女が追いかけている夢を素直な気持ちで応援できるようになってからは、大分穏やかな母子関係になってはきたと思う。が、いわゆる『外良い子』を頑張っている娘の家の中でのわがままぶりに、何も言わないではいられない未熟な母は、あいも変わらずバトルを繰り広げることもある。

3番目の中2の末娘は、ただいま思春期反抗期真っ只中。
でも、この子が一番私を見ていて、理解し、支えてくれている。
反面、甘えたいのを我慢し、寂しい思いもしているはず。
先日、私がボロボロになって弱音やら愚痴やら挙句の果てに人の悪口まで吐いていたとき、息子も長女もそれなりに相談に乗ってくれ、アドバイスしてくれたり、励ましてくれた。
しかし、末娘は黙って聞いていただけだったが、後で
「今のママは嫌い。私はもっとママと話がしたいのに、聞いてほしいことや相談したいことがあるのに、今のママは余裕が無さ過ぎて話しかけられない。今までも忙しそうだったけれど、仕事が終ればママに戻ってくれていた。だから寂しくてもそれまで待てた。でも今は早く帰ってきても泣いていたりして話しかけられない。ママ、もっと自分を大切にして。ちゃんと寝て。食べて。自分のことをする余裕を持って。うちに帰ってきたら、私の『お母さん』に戻って!私にはまだ『お母さん』が必要なんだよ。」
といわれた。

すごくショックだった。反抗されるより、煙たがられるよりストレートに反省させられた。
あの日、娘とじっくり話し合った。いっぱい溜まっていたのだろう、吐き出すようにポンポンきついことを言われた。
娘は私の話もよく聴いてくれた。
お互いに気持ちを吐き出せた翌日からは、娘の態度はずいぶん柔らかくなったと思う。
G.Wはなるべく家にいて、一緒にいっぱい話しをしたり、ご飯を作ったり、友達を呼んでお楽しみ会をやる手伝いをしたり・・・。
彼女が覚えている私がまだ『お母さん』だけだった頃に普通にしていたことをやった。

大きな身体をして甘えてくる末娘の背中をなでながら、スキンシップが足りなかったなあ・・と大いに反省した。

3人とも、身体は大きくなっても、まだまだ子どもで不安定だ。
時には親も人間だと弱みを見せることがあっても、寄りかかれないほどボロボロに弱っていたり、話しかけられないほどいっぱいっぱいになって余裕がないようではダメだ。
私が子どもの立場でも同じことを思うだろう。
親が心身ともに健康で安定していてくれてこそ、子どもはやりたいことをやり、外で思いっきり動けるのだ。
親が弱って不安定だったら、心配で自分の心配事でもっと弱らせてはいけないといらぬ気を使ってしまうかもしれない。

『母の日』
故郷の母が元気でいてくれることに感謝。
私も『母になって20年』。
今日は、私が母として、主婦として頑張る日。
それが遠く離れた母にとっても、まだまだ『お母さん』が必要な子どもたちにとっても大切なこと。
さぁ、きょう1日忙しくなるぞ!