6月26日(金)
一人の天才が逝った・・・。
詳しいことはまだは判明されていない。
いろいろな憶測が飛び交う。
確かなことは、人類は貴重なアーティストを失ったと言うこと。
彼の新しい歌は二度と聴くことができないと言うことだ。
一連の報道の中で、とても胸が痛くなるのが、『ネバーランド』だ。
彼の夢の王国。彼の夢・・・。
遊園地と動物園、おもちゃと子どもの写真があふれんばかりの部屋・・・。
子どもの頃から天才的な歌声、リズム感,スーパースターとしての生活。人もうらやむ才能と生活の裏側で、彼は本当は何を想い、渇望して生きていたのか・・・。
画像を見ながら、『ピカソ』の生涯とダブった。
小さい頃から『天才』の名をほしいままに才能を発揮し続け、91歳でこの世を去った後もなお世界に大きな影響を与え続けた『巨匠』だ。
でも、彼の晩年の絵はどんどん幼児化し、世間の評判は賛否両論だったそうだが、彼は
「やっと子どもらしい絵が描けるようになった」
と言ったのだそうだ。
事実、彼がパンツ一丁で、アトリエで子どもたちと遊ぶ姿は実に楽しそうで、子どもたちからたくさんのインスピレーションを受けていた様子がうかがえる。
子ども時代に子どもらしい過ごし方をしなかったことが、最大のコンプレックスであり、創作意欲の原点だったとは・・・。
この度亡くなった彼は、子ども時代は、(録音)スタジオの前の公園で遊ぶ同じ年頃の子どもたちをうらやましく思い、スタジオの片隅で涙していたと言うエピソードがあった。
その後で見る『ネバーランド』の彼の部屋。あそこで遊ぶ彼は、童心に返って、同じ年頃の子と遊びたかったことを追体験していたのかもしれない。
いつまでも大人にならなくてもいい、子どものままでいられる『ネバーランド』で。
そして更に彼を追い詰める肌の色に対するコンプレックスと、ストレスとスキャンダルとの戦い。
コンプレックスをはるかに凌駕するほどの才能に恵まれながら、彼を取り巻き、蝕み、侵食するストレスから逃れるすべを薬物にすがるしかなかった彼の内なる叫び・・・。白くなっていく肌の代償として払ったのは、「免疫力」と「抵抗力」だったなんて・・・。
どれほど心残りで、無念だったことだろう・・・。
もっと歌いたかった、踊りたかった、伝えかかった、もっと本当の自分を分かってほしかった・・・。
彼は自分で自分を追い込んで、体が悲鳴を上げ、耐え切れなくなってしまったのではないか・・・。
今、彼の魂は、何を思っているだろう。
もしも、また新しい健康な身体を得て、また新しい命を生きることができるのなら、今度こそ、納得いく人生を生きてほしい。そのためにも、今は、安らかに休んで復活するためのエネルギーを蓄えてほしい。
彼の残したものは『+』も『-』もあるが、彼の影響を受けたアーティストや、彼と共に生きてきた世代の思いは、『+』に変換され、伝説となり、昇華されて、歴史は彼の才能とメッセージの『+』の部分を大きく取り上げていくだろう。
晩年、スキャンダラスな話題性が先行し、彼の活動や才能が重要視させなくなったのは本当に残念だ。
皮肉にも、今回の訃報がきっかけとなって、彼の音楽を再評価しようと言う風潮が見られる。
それが彼が命と引き換えに得たものだとしたら、あまりに痛々し過ぎる。
50歳。あまりにも急で、早すぎる死。
でも、彼の歌は永遠に歌い継がれ、語り継がれて行くことだろう。
『キング・オブ・ポップ マイケル・ジャクソン』の名と共に・・・。
彼のご冥福と、彼の忘れ形見のこれからの幸せを心より願う。
一人の天才が逝った・・・。
詳しいことはまだは判明されていない。
いろいろな憶測が飛び交う。
確かなことは、人類は貴重なアーティストを失ったと言うこと。
彼の新しい歌は二度と聴くことができないと言うことだ。
一連の報道の中で、とても胸が痛くなるのが、『ネバーランド』だ。
彼の夢の王国。彼の夢・・・。
遊園地と動物園、おもちゃと子どもの写真があふれんばかりの部屋・・・。
子どもの頃から天才的な歌声、リズム感,スーパースターとしての生活。人もうらやむ才能と生活の裏側で、彼は本当は何を想い、渇望して生きていたのか・・・。
画像を見ながら、『ピカソ』の生涯とダブった。
小さい頃から『天才』の名をほしいままに才能を発揮し続け、91歳でこの世を去った後もなお世界に大きな影響を与え続けた『巨匠』だ。
でも、彼の晩年の絵はどんどん幼児化し、世間の評判は賛否両論だったそうだが、彼は
「やっと子どもらしい絵が描けるようになった」
と言ったのだそうだ。
事実、彼がパンツ一丁で、アトリエで子どもたちと遊ぶ姿は実に楽しそうで、子どもたちからたくさんのインスピレーションを受けていた様子がうかがえる。
子ども時代に子どもらしい過ごし方をしなかったことが、最大のコンプレックスであり、創作意欲の原点だったとは・・・。
この度亡くなった彼は、子ども時代は、(録音)スタジオの前の公園で遊ぶ同じ年頃の子どもたちをうらやましく思い、スタジオの片隅で涙していたと言うエピソードがあった。
その後で見る『ネバーランド』の彼の部屋。あそこで遊ぶ彼は、童心に返って、同じ年頃の子と遊びたかったことを追体験していたのかもしれない。
いつまでも大人にならなくてもいい、子どものままでいられる『ネバーランド』で。
そして更に彼を追い詰める肌の色に対するコンプレックスと、ストレスとスキャンダルとの戦い。
コンプレックスをはるかに凌駕するほどの才能に恵まれながら、彼を取り巻き、蝕み、侵食するストレスから逃れるすべを薬物にすがるしかなかった彼の内なる叫び・・・。白くなっていく肌の代償として払ったのは、「免疫力」と「抵抗力」だったなんて・・・。
どれほど心残りで、無念だったことだろう・・・。
もっと歌いたかった、踊りたかった、伝えかかった、もっと本当の自分を分かってほしかった・・・。
彼は自分で自分を追い込んで、体が悲鳴を上げ、耐え切れなくなってしまったのではないか・・・。
今、彼の魂は、何を思っているだろう。
もしも、また新しい健康な身体を得て、また新しい命を生きることができるのなら、今度こそ、納得いく人生を生きてほしい。そのためにも、今は、安らかに休んで復活するためのエネルギーを蓄えてほしい。
彼の残したものは『+』も『-』もあるが、彼の影響を受けたアーティストや、彼と共に生きてきた世代の思いは、『+』に変換され、伝説となり、昇華されて、歴史は彼の才能とメッセージの『+』の部分を大きく取り上げていくだろう。
晩年、スキャンダラスな話題性が先行し、彼の活動や才能が重要視させなくなったのは本当に残念だ。
皮肉にも、今回の訃報がきっかけとなって、彼の音楽を再評価しようと言う風潮が見られる。
それが彼が命と引き換えに得たものだとしたら、あまりに痛々し過ぎる。
50歳。あまりにも急で、早すぎる死。
でも、彼の歌は永遠に歌い継がれ、語り継がれて行くことだろう。
『キング・オブ・ポップ マイケル・ジャクソン』の名と共に・・・。
彼のご冥福と、彼の忘れ形見のこれからの幸せを心より願う。