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石巻ボランティア日記 2日目

2011-08-17 07:05:00 | 徒然なるままに
8月10日(水)

今日は、一緒に石巻に来た娘二人と長女の友達という、若い娘たちを連れてボランティア活動に参加した。

現場は昨日と同じ場所。
今日は、モンゴルから来た留学生5人を加えて総勢16名だ。
昨日以上の暑さの中、娘たちは、文句も言わず、鼻が曲がる様な異臭を放つヘドロ出しを手伝った。
昼食も、わずかな日陰を求めれば、津波直撃の後のまま放置されている家を眺めながら、群がる大きな黒いハエをぼいながら、おにぎりを食べた。
キャンプに連れていけば、虫が寄って来ればキャーキャー言っていたような娘たちには全く見えない。

私は、キッチンの床下に潜って、最後のヘドロ出しをしていて、娘たちとは離れた場所だったが、指示待ちではなく、自分から積極的に仕事を見つけ、メンバーを手伝い、サクサク仕事をしている様子は伝わってきた。

特に、末娘は、ボランティアは原則として高校生の参加は不可なのだが、保護者同伴の家族参加として無理に認めて頂いたという自覚もあってか、人一倍働いていた。
休憩時間のドリンクも、進んでみんなに配り、常にだれかの仕事をサポートし、最後まで使った道具を洗っていたのも末娘だった。

また、モンゴルの留学生の心の優しさには感動した。
朝青竜張りのガタイのいい、無表情な雰囲気に、ちょっと近寄りがたい感じがあったのだが、外回りの泥出しや瓦礫撤去の際に、向日葵が邪魔なのでどうするかという話の時に、
「ヒマワリ、守ります。抜きません。気を付けて泥運びます。」
と、向日葵を傷付けないように一生懸命運ぶ姿に、娘たちも感動していた。


帰宅した後の娘たちの話は実に面白かった。
娘たちは、口数少なく黙々と仕事をしながらも、鋭い人間ウォッチングをしていた。
誰が本当のリーダーか、誰が一番仕事が出来るか、ボランティア精神とは何か、娘たちの視点は実に厳しかった。だが、的確に的を得ていて、逆に大変勉強になった。

作業は大変だったけれど、昼食に依頼主の方のお友達が差し入れて下さった冷たいキュウリの漬物が美味しかった事や、依頼主の方が、片付いた家の中を見て、嬉しそうに笑って下さった笑顔を見れて、今日頑張ってよかった、という感想を聞かせてくれた。

なにより、お父様が女川の長女のお友達が、
「父と一緒では、こんな体験はできませんでした。連れて行って下さってありがとうございました」
と言われた時は嬉しかった。
熱中症や破傷風も心配だったが、初めてのボランティア活動がヘドロ出しだなんて、東京生まれの世田谷成城育ちのお嬢様にはあまりにも過酷な現場だった。
何かあったら、ご両親に申し訳が立たないと思って、ヒヤヒヤしていたのだ。
なのに、彼女は、また来てボランティアをやりたいとまで言ってくれた。
その気持ちだけで、十分すぎる。

夕方、彼女のお父様が実家に挨拶に見えた。
彼も石巻に来て、これから高校の同窓会に参加し、明日は娘たちと女川に行くということだった。
故郷の町が壊滅状態の被害を受け、実家が無くなってしまったお父様と一緒に見る女川の町は、娘たちにとっても、忘れられない思い出になる事だろう。

今日は、母としても、娘たちの成長ぶりを垣間見られたとても充実した有難い一日だった。

石巻ボランティア日記 1日目

2011-08-17 06:15:00 | 徒然なるままに
8月9日(火)

昨夜、新宿発の夜行バス*(バス)*に乗り、早朝、石巻の実家に到着。朝食を頂いて、いざ、ボランティア活動へ出陣。

石巻専修大学構内にある災害ボランティアセンターで登録後、大街道地区の民家の泥出し作業をするグループに混ぜてもらった。
大街道地区は、石巻湾の工業港からの津波をまともに受けて半壊全壊した家屋が多く、製紙工場や飼料工場からの瓦礫や、大型トラックなどが流れてきて破壊された家や、自動車の流失被害の大きい地区だ。

周囲には、土台ごと流され、更地に近い状態になった場所もあるが、辛うじて残っている家屋は5カ月近く経ってもあの津波にあった日のまま、手つかず状態でそのまま放置されている家が沢山あり、そのほとんどは、再建不能で撤去を待つ家か、そこのご家族が全員亡くなっている場合が多い。

築7年目というそのお宅は、辛うじて家の原型は保っているが、2階の床上50?まで水に浸かった家だ。
床下のヘドロを描き出すだけで、9:00~3:00まで10人がかりでやっても終わらなかった。
ヘドロは、工業港の海底に長年堆積していた化学薬品の匂いなのか、独特の異臭を放ち、うっかり皮膚に付着したら「ヘドロ焼け」になると言われ、長袖にアームカバー、長ボム手袋、長ズボンの上にレインパンツ、ゴーグルに、防塵マスク、ほっかぶりの上に帽子といういでたちで、気温35℃の中での作業だった。

作業は、きつかったが、メンバーには恵まれた。
というか、ボランティアに来ている人達の心意気や、作業ぶりに感謝、感激、感動しながらの作業だった。
自宅も被災しているのに、全国各地から駆けつけて懸命にボランティア活動をしている人たちに感激して、自分もボランティア活動を始めたという地元の人
阪神大震災の時は、自分は小学校低学年だったが、その時、全国からたくさんの人たちが来てボランティアをしてもらったり、支援物資を送っていただいて助けられたので、今度は自分がボランティアをする番だと思って石巻に来てくれた人、
海外留学中にニュースで震災の事を知り、自分にもできることはないかと駆けつけてくれた人
きっかけや思いはそれぞれだが、その丁寧でエネルギッシュな仕事ぶりには本当に頭が下がるし、元気をもらえる。

休憩中に、お隣のおじいさんとお話をした。
津波が来た時には逃げ遅れ、2階に通り残されたが丈夫な鉄骨住宅だったので、(木造家屋はすべて流されている)2階まで浸水し、水が引くまで2日間閉じ込められていたそうだ。
そのおじいさんが、
「今は、自分の家の事で精いっぱいだけど、あんだ方ボランティアの人たちの仕事ぶり見でっと、今度どごがでこいな事あったら、今度は自分がそごさ行って役に立だねくてねえなと思うよ。ほんとに、ありがだいことです。」
とおっしゃって下さった。
その家だけでなく、周囲の家の庭には向日葵が植えてあった。その事を聞くと、
「ボランティアさんが植えでってけだのっしゃ。向日葵は塩害に強いんだと」
見れば、おそらく綺麗なお庭だった時に植えられていた木や草花は、塩水やヘドロをかぶり、赤茶けて枯れ、根こそぎ倒れている。その中で元気に葉を広げ、つぼみを付けている向日葵は、見ているだけで元気になる。
家々によって生育がずれているのは、ボランティアが入った順番の差らしい。

とりあえず今日の作業が終わり、明日は、残りのヘドロ出しと外回りをすることになって、引き上げた。

ボランティアセンターの資材倉庫前で片付け作業している時、全身を水洗いしている学生たちがいたので声をかけると、牡鹿半島の富貴浦という町自体が壊滅状態になった地区の側溝の泥出しをしてきたのだという。そればかりか、明日は福島のダムの決壊現場のボランティアに行くという。
三重県から来たという息子の様な年頃の若者の屈託のない笑顔に、思わず胸が熱くなって、
「熱中症や怪我に気を付けて、がんばってね!あと、放射能にも。」
と言って別れた。

こういう人たちが、故郷を綺麗にしてくれ、石巻が一日も早く復興する様に応援してくれているのかと思うと、本当にありがたくて涙が出る。
専修大学の広い駐車場に駐めてある全国各地のナンバープレートの地名を見ながら、身体は疲れているのに、心はすごく元気になって家路に着いた。