TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

石巻ボランティア日記 盆休み(8月13日~15日)

2011-08-24 01:38:00 | 徒然なるままに
8月13日(土)

今日は、お盆ということでボランティア活動はお休みした。
実際は、ニーズもあり、リーダーに連絡すれば活動はあるのだが、身体を休めることも残りの活動を元気にやるためには必要だと思い、久しぶりに朝寝坊した。

午前中は、仏壇掃除をし、お墓の掃除に行った。
石巻霊園に行く途中、震災当時浸水した地域を通った。
瓦礫置き場も通った。
石巻は片付いたようには見えるが、その一方で、100年分という瓦礫の山は増え続け、3月11日以来まだ手付かず状態の場所がまだまだたくさんある。

夕方、一緒にボランティアをしたメンバーの青年が、釣り*(つり)*に行って、鰈を釣ってきたそうで、おすそ分けに来てくださった。
少し早い夕飯に、ムニエルにして頂いた。
美味しかった~!
私があげたおにぎりが、こんなに美味しい鰈になって帰ってきた?!


8月14日(日)

夜、母が手伝う町内の盆踊りに行った。
母校の小学校で、近くの仮設住宅の方たちにも呼び掛けての盆踊り大会だった。
思ったより参加者が少ない中で、一生懸命盛り上げている係の方にご挨拶をし、踊りの輪の中に入った。

陽気なおばさんと一緒に踊っていたら、そのおばさんは、ご自宅もご実家も、ご主人のご実家も流されたとおっしゃっていた。

話の外で見ていた小さい子たちやお母さんの手をとって、踊りの輪の中に誘うと、はずかしそうに笑いながらも、踊りに加わってくれた。
子どもの笑顔って、見ているだけで、元気になり、幸せな気持ちになる。

昔踊った『仙台七夕祭り』や『炭坑節』を踊っていたら、私のすぐ後ろで踊っていらした踊りのお師匠さんのようなご年配の方に、
「あんだ上手いごだ。来年は浴衣きて踊りさございんよ」(あなた上手だわね。来年は浴衣を着て踊りにいらっしゃいね)
と褒められた。*(チョキ)*

おばあちゃん家に泊まりに来たという、亀を釣った子どもたちと話をした。
我が家にもみどり亀がいるので、餌や飼い方を教えると、
「ありがとうございました!」
と、何度もお礼を言ってくれた。

小学校4年生ぐらいだろうか?
久しぶりに小学生に会って、クラスの子たちが恋しくなった。
みんな、元気でいるかなあ…。

8時で盆踊りが終わった後、係の人たちに混じって片づけをした。

仮設住宅の方たちは、今年の盆踊りは踊る気持ちになれなかったかもしれないが、来年は、仮とはいえ、同じ地域に住む人同士、一緒に夏祭りを楽しめるといいなあと思った。


8月15日(月)

今日は友人と、昼間の石巻の町に出かけた。
前回の帰省では、夜の川開きの時にしか街中を歩かず、後は、ボランティア活動に行く時に車で通り過ぎるだけだった。
今回、駅前に車を止め、駅前から達街通り、橋通り、中央通りなど、まさに私の青春時代を過ごしたかつての繁華街を歩いた。
道路や店の中の泥出しはほぼ終わったようだが、盛り上がり、地割れした道路や、歩道が痛々しく、べコベコに凹んだシャッターは、開けることがあるのだろうか…?

商店街で、かなり壊れたショーウィンドーのお店があった。
そこはジュエリー店で、震災後、強盗に会ったのだそうだ。
コンビニのATMはほとんど破壊され、現金強奪が横行したのだそうだ。
そればかりではない。道端で亡くなっている人の服から財布を抜き取り、指を切ってでも指輪を向いて行ったなどという話を聞くと、本当に、震災なのか、戦災なのか、人の心は極限ではこんなにも非常になれるのかと思って、胸がえぐられるようだった。

食料や衣類は、生きていく上で、仕方がないかと思えないでもない。それほどの非常時だった。
でも、火事場泥棒の手口は、けして素人ではないだろう。
遺体確認さえ難しい、行方不明者の指輪をそんな残酷な手口で奪って行くなんて・・・。
戦国時代の盗賊のようではないか…。

2度と再開しないかもしれない、かつて足しげく通った店々の変わり果てた姿に絶句しながら、石巻でも有名な陶器の専門店観慶丸本店http://homepage3.nifty.com/kankeimaru/の前を通ったら、営業しているようだったので、入ってみた。
お店の人に、1階部分が天井まで水につかり、水が引くまで2回が動けなかった時のことや、もう、お店をやる気もなくなるくらいぐちゃぐちゃのヘドロだらけにななった時に、屈強な外国人のボランティアの方たちが、まっ黒で臭いヘドロをどんどん書きだして言って下さって、やッよ、もう一度お店を始めようかという気持ちになれたことなどを話してくださった。

私は、2階で、ヒマワリ柄のマグカップと湯のみを買った。
ヒマワリは、ボランティア活動の思い出の花だ。
塩害に強い、復興のシンボルだ。

石巻の街中は、いまだに信号が壊れたままで、交差点ごとに、日本全国からの県警の方が交通整理に立ってくださっている。今日は、愛知県警の方だった。
気温35℃のアスファルトの上は40度近くあるのではないだろうか。
制服制帽で、炎天下を交通整理してくださる姿にただただ頭が下がる思いだった。

友人は、自衛隊の方も、陸上には遺体はない。といいきれるぐらい、瓦礫の中からご遺体やその一部に至るまで、また、思い出の品など、丁寧に捜索してくださった。
あの方たちは、トラウマにならないだろうかと心配していた。


石巻は、少しずつだが太陽を見上げて、明日を夢見て立ち上がろうとしている。
そのためには、まだまだ人の手が、他人の力が必要なんだと思った。
それも、見ず知らずの人たちが、ここまでやってくださるなんてという懸命な姿を見て、勇気づけられ、励まされ、支えられてやっとの思いで一歩踏み出そうとしている。

このままではだめだ。片付けようと言う気持ちになれたのは、川開きだったり、お盆があったからだろう。
でも、瓦礫を片付けた後の石巻は、本当にさみしい光景になってしまった。
あの町に、かつての活気がよみがえるにはまだまだ時間がかかるかもしれない。
でも、きっと、復興する。させなくてはいけないと思う。


私の盆休みは今日まで。
明日からまた、新たな気持ちでボランティア活動に出かけよう。