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中年の底力~『ファイブ』を見て~

2008-05-05 10:53:00 | 徒然なるままに
先日NHKで『ファイブ』というドラマを見た。
確かお正月に放映された番組の再放送だったと思う。

【ドラマのあらすじ】

 ミスター・バスケットボールと呼ばれチームを何度も優勝に導いた主人公・佐山(岸谷五朗)だったが、突然チームが解散。引退を覚悟した佐山に万年最下位チーム「あおなみファイターズ」からオファーが。「いい歳してバスケなんかやめちゃいなよ」反発する娘だったが、佐山のプレーに魅せられ長年連れ添ってきた妻・今日子(高島礼子)は一言「行きましょう」。
 移籍先のそのチームはしかし、ひとくせ、ふたくせあるベテラン選手ぞろい。とまどい、衝突を繰り返しながら、やがて佐山にとっての新しいシーズンが開幕する…。
http://www3.nhk.or.jp/drama/news_five/html_five00.html

見終わって、
『この歳でバスケットを続けられるありがたみを喜ぼう』
『若い者に勝てる方法は・・・』
と言う台詞がすごく身に沁みた。

体力・気力の限界は遅かれ早かれ、誰にでも来る。まだまだ若いつもり、できるつもりでいたのに、体力は落ちる、故障しやすくなる、怪我しても治りが遅い、自信も気力もなくなって、自分自身に見切りを付け、続けてきたことを諦めなければならないときが来る・・・。
それが早いか遅いかはその人の気持ち次第だが・・・。

好きなら、どんな形でも続けられるはず。
いろんなことを理由にして、やめてしまうのはそこまでの気持ちしかないのでは・・・。

高橋尚子選手、伊達公子選手、栄光時代よりも体力は落ち、持久力も落ちて、最後まで身体がついていかないかもしれない。
でも、挑戦する心と、自分を励ましてくれる人たちの気持ちに応えたいと、最後まで投げ出さずに頑張る姿に感動した。

去年、娘のミニバスの親子大会に出たとき、本当に自分の体力の衰えに愕然とした。でも、ガッツだけは現役の小学生にも、30代のお母さん達にも負けてはいなかった。と思う。

40代には40代の経験と、やり方と、余裕と、楽しみ方がある。それはスポーツだけではなく、いろんなことにも言えるのかも。
若いときには若さと言うお金では変えない強みがある。
歳をとると衰えるものもあるが、研ぎ澄まされた感覚や、鍛えられた技、経験から来るカンと応用力がある。

そして何より、才能のある後進を見出し、育てる楽しみがある。
そのためには常に自分も前向きで、自分の後姿を見せられるぐらいの精進が必要だ。
まだまだ引退なんて考えられない。
人生、何歳になっても青春現役生でいたい。(こんなこと書く事自体、すでに年寄り臭いのだが・・・)

『ファイブ』を見て、なんだかとってもやる気と元気をもらった。
ぜひ、今度は原作を読んでみよう!

ホームシックと5月病、そして『現在』

2008-05-04 08:55:00 | 徒然なるままに
5月4日

今から30年前、大学1年生のGW、私は情けなくも上京して1ヶ月で『ホームシック』になり、いわゆる『五月病』になってしまった。GWを待って、当時、上野発23時の夜行『いわて3号』に乗って、懐かしい故郷に逃げるように帰省した。
車中の懐かしい東北弁に泣きたくなって、すぐに同席の人に話しかけ、友達になった。(旅は道連れ!)
福島から鈍行になり、朝の光に輝く松島湾を見る頃には、ドキドキワクワクしながら、懐かしさで涙が止まらなかった。
蛇田駅に着いたときには、思わず駅の柱に頬ずりしてしまったほどだった。

何日かを家で過ごし、懐かしい母校や『いつもの場所』をめぐり、親戚や友達に会って、癒される反面、むくむくと焦りが沸いて来た。
『まだ帰れない。東京でまだ私は何もしていない。』

私は、すっかり元気とヤル気を回復させ、今度こそ決意を新たに東京へと舞い戻っていった。

故郷は、その後も帰省するたび、温かく迎えてくれ、私を心身共に元気にしてくれた。
遠く離れ、時間がたつほど、大切で、懐かしい故郷。
最近は帰るたびにドーナツ化現象が進み、懐かしい風景は思いの中の映像で、現実の故郷の姿にカルチャーショック状態ではあるけれど・・・。
いつか、私がまだ元気が残っているうちに、石巻に戻って、石巻を元気にする素の一粒に慣れたらいいなと思っている。
それまで、あと少し、千葉で子育てがんばろう。


ところで、Cafeの日記のいいところは過去の日記をすぐ見られるところ。
さっき、古い順に5月の日記を見ていたら、すごく懐かしくなった。「ああ、2年前はそうだった」「あの頃こんなことがあったっけ」「こんな時もあったよね・・・」なんて感じで。
特に子ども達のことが書かれてあると、その成長振りに驚き、あの頃がすごく懐かしく思える。
けして楽しい思い出ばかりではないけれど、「あの頃があって、今がある」と思えるようになったこともあるし、「あの頃のことを忘れないようにしなくては」と言うこともある。

『現在』は、常に『過去』の延長線上にあるが、『過去』戻れない。『未来』は『現在』の延長線上にあるから、『未来』を変えたければ、『現在』を大切に過ごさなければならない。

来年、5年後、10年後、私はどうなっていたい?どこにいる?何をしていたい?
けして、病院のベットで動けない状態にはなっていたくはない。

そのためにも、健康第一、交通事故に気をつけ、病気や怪我をしないように心がけよう。
仕事はしていても、余暇を生かして充実した毎日を送っていたい。

家族や友人間関係はずいぶん変化していくことだろう。
いつまでも一緒にいられるのはほんのわずか。子ども達はみな私の手元から巣立っていくことだろう。
今一緒に働いている人とまた一緒に働ける機会はもうないかもしれない。
『一期一会』を大切にして悔いのないように付き合って行きたい。

なんだかずいぶん年寄り臭いことを書いているなあと思うが、自分の健康にだんだん自信がなくなってくると、昔のようなギラついた感じがなくなって、夢がちょっとづつしぼんでくるみたい。

5年前、10年前の私から見た、今の私はどう見えるだろう。
『夜空ノムコウ』の歌詞ではないけれど、『あの頃の未来に僕らは立っているのかな?』

あえて言えば、去年、九死に一生を得てから、『我』がなくなり、なんだかやたら『生かされている理由』とか『使命感』みたいな感じで物事を考えるようになってしまっている。
『もっと、わがままでいいよ』とか
『いやなものはいやだと言っていいんだよ』とか
『怒るときは怒りなさい』
と言われるんだけれど、なんだか妙に客観視している自分がいて、自分のことだと言う実感がないのかな・・・。
妹にも、
「お姉ちゃん、そんなことじゃただの『便利屋さん』として利用されるだけだよ」と忠告されている。
この歳になっても、まだ『自分を大切にする』とか『自分を生きる』ことができないでいる。

でも、時々、『スイッチ』が入るときがある。
きっかけは『感動』だったり、『怒り』だったり・・・。そういうときに『使命感』が沸き起こってくる。何かに突き動かされたときのエネルギーは、もしかしたら若い頃以上のものがあるかもしれない。そんなときの行動力は自分でもびっくりするぐらい迅速で、容赦がない。

良く言えば、『メリハリ』がついてきたのかもしれない。
父の様な『究極の+思考』にはまだまだ及ばないが・・・。


『五月病』ではないが、毎年新しい環境に慣れ始めた頃、ちょっと前の環境がやたら懐かしくなる。
大変だったこと、苦しかったことは喉もと過ぎれば何とやらで、今は懐かしさや良かったことばかりが昇華されて残っている。
でも、いつまでも懐かしがっているわけにはいかない。
時代は動いているし、みんな生きて、変化している。
『こんなはずじゃなかった』と立ち止まっている場合ではない。
『日進月歩』『日々是好日也』で、がんばろう!

小さな箱に、思いをこめて・・・

2008-05-03 22:32:00 | 徒然なるままに
最後は3年生の選択美術。
こちらは「BOX・ART」

今までは中学3年生の必修課題として取り組んできたのだが、今年の3年生は篆刻にじっくり取り組ませ、鑑賞に力を入れるためにるために、あえて「BOX・ART」を必修からはずした。

先日、今までの作品をスライドで生徒に見せた。
テーマは3つ。
1.中学時代の思い出
2.未来に生きる自分
3.憧れの世界
自分と同い年だった頃の先輩が、どんな思いをこめて、小さなBOXに思いをこめて作ったのだろう。
自分だったらどんな風につくろう・・?
そういう思いで、みんな真剣にスライドを見ていた。

選択教科とはいえ、第1希望で美術を選んだ生徒は少なかったに違いない。教材費も別にかかるわけだし。

でも、この講座を選んでくれた以上、やりがいのある授業と、一生大切にしたいような作品に仕上げさせる。

人を描く楽しさ

2008-05-03 22:06:00 | 徒然なるままに
2年生の選択美術では人物像の彫塑を作る。

まずは、棒人間しかかけない生徒達に、人体の頭身のバランス、顔の表情の描き方を教える。

美術を選択する位だから、マンガに興味があり、自分でも人物が描けて、フィギアを作りたいと思っている意欲的な生徒達だ。
まるで『マンガの達人』のような授業だが、人物を描くのも教えるのも楽しい。

まずは頭身を理解して、男女の描き分け方、年齢に応じた頭身の描き分け方、喜怒哀楽の表情の描き分け方、顔の向きや体格の描き分け方などを練習する。
最終的には自分の思い描く人物のホーズが描けて、それを立体化させることができる。
完成は今年末ぐらいかなあ。
でも、その頃には、いろいろな人物が描ける様になって、人を描く事が楽しくなってくれているといいなあ。

今週は、私がモデルになってクロッキーをした。来週から生徒が一人ひとりモデルになってクロッキーをする。
ウ~ン・・・前途多難だけれど、逆にやりがいはあるかな?!

清水焼と仏像

2008-05-03 21:06:00 | 徒然なるままに
3年生は、修学旅行に先駆けて、「清水焼の絵付け体験学習」用の下絵作りにはいった。

「100均に行けば『湯呑み』なんて売っている。1300円もかけて湯呑み1個は高すぎる」
という生徒に、陶芸の画像を見せた。
土を練り、轆轤で形を整えて、釜で素焼きにし、絵付け(これを体験する)をしたものに、釉薬をかけ、再び釜で焼き、それを丁寧に梱包して送料をかけて届ける。仕事とはいえ、ちゃんと絵付けの仕方を指導にきてくれる講習料も入っているわけで、そこで体験できること自体、貴重な体験は忘れられない思い出となり、その記念すべき世界に1つしかないオリジナルの湯飲みを手にしたとき、みんなはどう感じるのだろう。

我慢することができない。物に恵まれすぎて、物のありがたみがわからない。選択肢が多すぎて、自分で選ぶことができない。壊れたらすぐ新しいものを買えばいい。人は死んでもリセットボタンを押せば生き返るゲームのキャラクターのようによみがえると思っている現代っ子たち。

1つの『湯呑み』を通して、お金では買えない、人の手が加わって1つの作品ができる過程と、自分の作品に対しての愛着、日本の水墨画や意匠の面白さを味わってほしい。

藍色の染付や祥瑞(しょんずい)の美しさにも興味を持てるよう、頑張って指導したい。

それが終わったら、『仏像を10倍楽しめる見方』(京都・奈良編)を学習する。
以前、鎌倉校外学習で、『仏像を10倍楽しめる見方』(鎌倉編)をやったところ、大好評だった。

この連休中はばっちり清水焼と仏像の勉強をしなくっちゃ!

レタリングにハマる?!

2008-05-03 20:15:00 | 徒然なるままに
2年生の授業は、『レタリング』と『一点透視図法』。

PCやコピ一機が一般家庭に普及している今、何も苦労して『レタリング』を覚えなくても・・・。と、教育現場では『レタリング』の授業自体なくなってきて、『レタリング字典』を購入させる学校も減っている。

確かにクリック一つで書体が選べ、拡大縮小もでき、ワ一ドア一トを使えば面白いレイアウトもできる。

でも、最初から機械に頼らず、自分でやってみるということも必要だと思う。
私の授業では、明朝体とゴシック体で一文字を時間をかけて書かせた上で、トレスの仕方やカ一ボン紙の使い方を教える。
あんなに苦労して書いたのが、あっという間に書けてしまう。まるで自分の字が印刷された文字みたいに見える。

レタリングに対して苦手意識が取れたところで、拡大縮小の仕方や長体・平体・斜体・曲体のかけ方、影の付け方を教える。
なんだか自分の文字がカッコよく見えてくる。

そして今週は、一点透視図法を使って、文字をさらに立体的に見せる書き方を学習した。
山の向こうや水平線から飛び出してくるような文字、スタ一ウォ一ズのオ一プニングに出てくるような宇宙空間に消えていくような文字、ウルトラマンのように見上げるような巨大な文字の書き方など、『消失点』一つ決めるだけで、いろんな角度からいろんな『表情』を持った文字が書けるようになる。

「早くこの書き方を使って、CDジャケットをデザインしたいです!」

でもまだやらせてあげな~い。
色の効果や「溝引き」を学習してから・・。
描きたくて書きたくてたまらなくなるまで、もっとじらせてあげよう。*(ニヤ)*
まっててね*(ウインク)*

「赤の補色は何色?」

2008-05-03 19:33:00 | 徒然なるままに
今、1年生の授業では、『色の三要素』を学習している。

色の三要素とは、
1.色相(色合い・・・赤や黄色や緑などの色味のこと。
2.明度・・・色の明るさのこと。白に近づくほど明度が高く、黒に近づくほど明度は低い。
3.彩度・・・色の鮮やかさのこと。純色(赤・青・黄の3原色で作られる色)に近いほど彩度は高く、灰色に近いほど彩度は低い。

というようなことを、12色相環やグレスケールを見せながら説明するのだが、1年生は、『図工』から『美術』になったばかりで、『美術って難しいもの』とばかりに緊張している。

そこで、『捕色』の実験をしてみる。
いわゆる『残像現象』の実験だ。
白地に赤色の色紙を見せて、30秒後、その色紙をはずすと、何が見えるか・・・・。
集中力のない生徒や、まれに色を認識できない生徒には、何も見えない。
でも、みんなが、
「水色みたいな緑色のチカチカしたのが見える!」
と騒ぎ出すと、見えなかった生徒が
「先生、もう一回やって!」
と言い出す。
そこで、12色相環を使って、補色の説明をし、
「じゃあ、それがわかったら、今度赤の反対色の緑を見たら、何色が見えるか、自分の目で確かめてごらん」
そうして、みんなの目が慣れた頃、今度は、白地に緑の折り紙を見せる。
その30秒間は、水を打ったように静かになる。が、待ちきれない生徒が、
「おお!」と驚きの声を上げだす。
さっと緑の色紙を取り去ると・・・・!

そこから、生活の中で生かされている補色の効果の説明を、クイズ形式で生徒達に投げかけていくと、すごい集中力で説明を聞き、積極的に発言や解答をしてくれる。

あっという間に時間となり、最後に、
「自分の影をじっと見つめて、青い空を見上げると、自分の影と同じ形の入道雲が見えるよ」
と教えてやる。

鎌倉の大仏の前でそれを実験したときは、大騒ぎの大喜びで、周りの観光客を不思議がらせた。

『美術』に対して、『理科の実験みた~い!』『お父さんとお母さんに教えてあげたよ!』『今まで不思議だったことがわかってよかった』『もっといろんなことが知りたい』と意欲満々な1年生。

でも、楽しいことばかりじゃないんだな~、今週から『3原色で12色相環を作ろう』という実技に入った。
黄色と赤で橙、黄色と青で緑、青と赤で紫を色見本通りに自分で色作りをする。
これが結構難しいのだが、生徒達は、失敗しながらも、何とか仕上げようと頑張る。出来上がる頃にはコツもわかって、今度は、最初の頃のリベンジを図りに、
「先生もう1枚紙頂戴。もう一回、今度は前よりもきれいに色作ってぬるから」
と意欲的な子まで現れる。
「先生!今まで、黄緑色なくなったら、絵の具買いに行っていたけれど、今度から買わなくてすむね!」

色作りにみんながはまった頃、アニメの背景で散々やった「ぼかし」を教える。
ものの30秒で赤から黄色、黄色から青、青から赤のきれいな中間色の「ぼかし」ができるようになると、
「何でこんな簡単で楽な方法、最初から教えてくれなかったの!」
と抗議を受ける。
「最初から『楽』を覚えたらだめなんだよ。あれだけ苦労して色の微妙な違いを出せるようになってからじゃないと、このありがたみはわからないでしょ。みんなはもう、自分の作りたい色が自由自在に作れるようになっているんだよ。『苦あれば楽あり』『苦』を知らない人は本当の『楽』この場合、『楽しさ』のほうね。わからないんだよね。」

この授業で、半分ぐらいの生徒が、美術を嫌いな理由のダントツ1位『絵の具が嫌い。混色、色作りがめんどくさい』の苦手意識がぬけ、早く作品を作りたくなってくる。

でも、まだまだ作品は作らせない。
この後は15種類の『デザイン技法』~裏技~の伝授が待っている。
楽しみ~*(ハート)*

「どうして先生になったのですか?」

2008-05-03 12:31:00 | 徒然なるままに
5月3日

2ヶ月ぶりの更新。
相変わらず、波乱万丈の毎日を超前向きに、むしろ楽しみながら元気にすごしている。
1年更新の講師なので、3月31日に後頭部が禿げるくらい後ろ髪を引かれながら前任校を去り、翌日には新しい中学校に赴任した。
隣の市ということで、半分以上頭の中をリセットして、新しい組織や方針、やり方をインプットしていくのは、結構大変で疲れる。
4月8日は、末娘の中学の入学式だったが、その晩の手巻き寿司を食べているとき、掌にのりを置き、ご飯を載せたままの状態で意識を失っていた。
3月は土日もなく、月の半分以上は2時間睡眠、完徹や学校に泊り込み(仕事をしていたら夜が明けてしまった)もあって、身体も気も休む暇もなく、新しい環境に突入していって、やっとほっとして気が緩んでしまったのかもしれない。

離任のときの送別会で、ほとんどの先生方から『がんばりすぎないで』と言われた。
1年間、娘の学校行事(授業参観や卒業式など)で休んだ以外は休まず登校し、夜9時前に帰宅することはなく、土日もなく、仕事をしていた。(自分で仕事を増やしていたのかも?)
それなりの成果や達成感はあったが、反面、家族に寂しい思いをさせ、家事を犠牲にし、身体を酷使しすぎた。
まるで軽自動車で追い越し車線をノンストップで120kmで飛ばしているみたいだとも言われた。
それでは乗っている家族は、ドライブを楽しむどころではない。心配で、緊張して、景色を見ている余裕もなく、安心してドライブを楽しめない。
私自身、目の前のことにばかりに集中して、車の状態や家族の様子、自分の体調にも気を配れない。

正月に帰省したとき、父に
『これから先に出会う生徒達のために、ここで力尽きてはだめだ。』
と言われた。
でも、私は立ち止まれずに、ますますまるで生き急ぐように仕事をした。


でも、娘の入学式の祝いの席でにあんな状態で意識を失ってしまうなんて・・・。すごく反省した。

これからは、80kmぐらいで、登坂車線をのんびり行きながら、2時間おきには休憩を取ったり、時々高速から降りて、その土地で今しか見られないものを見たり、美味しいものを食べたり、みんなで温泉につかったり、記念になるものを買ったりしながら、ドライブを楽しもうと。

去年は、ぎっくり腰やぎっくり背中や三叉神経痛になって、家族にすごく心配をかけてしまった。(それでも休まず仕事に行って、息子に叱られた。)自分でも健康に自信をなくしてしまった。

何とか無事でいられて、元気になったからこそ出会えた今の職場の同僚や、生徒達。またその先で出会える人たちのためにも、今までも今も私を支えてくれている人たちとの大切な時間をずっと一緒に元気に過して行くためにも、無理は禁物だと反省している。

まして、今年度は3年生の副担任。め一杯仕事を抱え込んで身体でも壊したら、最後の最後に学年だけでなく、生徒の進路にも迷惑をかけてしまう。
いつ何を頼まれても、フットワーク軽くすぐに対応できるように、元気でいるためには、『頑張りすぎない』ように気をつけよう。

最後に。今日のタイトルの質問の答え。
いつも生徒達に質問される。(今回も)
アニメの仕事や人形劇の活動をやめてまで選んだ美術の先生と言う仕事。
1.生活のため。
2.教員免許があったから。
3.昔取った杵柄を生かせる仕事だから。
4.教えることが好きだから。
5.子ども好きだから。

どれもその通りなんだけど、なんだかそれでは、別に『先生』でなくても、別の職業でもいいわけで・・・・。

その答えが、今年の1月に見つかった。
きっかけを与えてくれたのは、3年生の『篆刻』の授業だった。
あるクラスの生徒が、がんばっていい作品を仕上げてくれた。途中何度も投げ出しそうになったのを励まし続け、ついに完成した時の彼の満足感・達成感と、その作品を通して彼を見る周りの目が温かく、一変したのを目の当たりに見た時だった。
その生徒は、ちょっと自分に自信が持てず、クラスにも居場所がなく、体育祭のムカデ競争の練習などで、とても辛そうにしている生徒だった。
でも、その篆刻がもうひとがんばりで完成するという時、彼は「これ以上無理」と言い、「ここまでで評価してほしい」と言ってきた。その未完成の作品をクラスのみんなに見せたところ、
「○○、すげー頑張ったじゃん、諦めないで最後まで頑張れよ」
「これの完成したの見てみた~い!」
とクラス中からエールが沸き起こった。
彼は、ちょっと照れくさそうに笑って、「先生、これ家に持って帰って仕上げてくるよ」
そして彼は3連休明け、すばらしい作品に仕上げて持ってきた。
後日、3年生の作品を1,2年生に鑑賞させたところ、誰もが彼の作品をBEST5に選んでいた。特に彼の妹のコメントは、
『お兄ちゃん本当に良くがんばったね。完成して良かったね。おめでとう!』とクラッカーのはじけているイラスト入りで書いてあった。

この時に、私の美術と講師と言う仕事の目的は、『宝探し』なのだと悟った。
ただの子ども好きや、絵が得意だの生活のためだけで、こんなに一生懸命にはなれない。
教師なんて仕事は10のうち、9は苦しいことや辛いこと、大変なことや理不尽なことばかりで、割に合わない仕事だと思う。
実際、昨年、末娘が私の給料計算をしてくれたら、その時点で、自給760円で、残業すればするほど自給が下がっていくと言うとても残念な結果に愕然とした。
早く帰っても、山ほど仕事を持ち帰る羽目になり、家では充電切れのようになって、仕事ははかどらず、結局そのまま次の日に持ち越しになるのだ。
かといって手を抜けず、ますます頑張ってしまうと言う不器用さ。

でも最後に残った『1』。かけがえのない『1』。
この『1』は、ときに『9』をはるかに凌駕し、どんな温泉よりも、ご馳走よりも私を癒し、励まし、元気にしてくれる。いわゆる『先生冥利に尽きる』と言うものだ。
私にとって、100人に1人でもいいから、本人も周りも気づかない『原石』を見つけること。
美術が嫌いと言っていた生徒に、『1年前よりも、少し美術が好きになりました』『次の学校に行っても、美術が嫌いな生徒に、美術の楽しさを教えてあげてください!』とメッセージをもらえたとき。
そこまで諦めずに、投げ出さずに、逃げずに頑張り抜いてこその達成感と、それに対しての生徒達からのメッセージのために、教師を続けているのだと思う。

今年度の授業の初めにもアンケートを配り、「評価に関係ないから正直に書いて」と言ったら、半数以上の生徒が、「美術嫌い」に○をつけていた。理由は、
1.下手だから
2.面白くないから
3.面倒だから
4.興味ないから
5.仕上げられないから
7.受験に関係ないから
8.時間の無駄
9.将来役に立つと思えないから
10.先生が嫌いだから
などなど、私に喧嘩を吹っかけているような内容ばかり。
でも、こういう気持ちでいる生徒を1年間かかって、前述のメッセージを書いてくれるように変えられるかどうかが、私の腕の見せ所。
堂々と受けて立とうじゃないの。その喧嘩!最後には最高の仲直りで分かれてあげるから!

さらに、前任校では、美術だけでなく、担任を持つと言う体験から、『育児は育児』というように、『教えることは教わること』と言う貴重な体験をすることができた。

私にとって、教師を続けることは、自分自身と向き合い、自分自身を成長させ、スキルアップするために、今の自分に一番合っている仕事だと思うからやっていることだと思う。というか、今、生徒と一緒に美術を学習することが、毎日楽しいから。この学校では、どんな『原石』と出会えるか、ワクワクしている。

G.Wが終わったら、修学旅行の準備、中間テストの準備と加速度を増してに忙しくなる。今のうちに溜まった家事を片付けなくっちゃ!