守田です(20190718 07:25 ニューメキシコ時間)
16日は前日と打って変わってアルバカーキにあるニュークリア・ミュージアムを訪れました。
ニュークリアミュージアムというより、ウエポンミュージアムと言った方が良い。いやジェノサイドミュージアムと言った方が良いところでした。ともあれご報告します。
国立核博物館(写真はネットより)
● 核兵器の歴史を整然と。都合の悪いことはすべて無視!
ここはマンハッタンプロジェクト=原爆製造・投下計画を担ったロスアラモスのあるこの州を象徴するミュージアムです。
まず入り口に近づいて驚いた。本物のB29が外のグランドに展示してあるからです。その横にはB52も展示してある。
中に入ると核の歴史が展示されていました。レントゲンやキューリー夫妻、ベクレルが並んでいる。
でもちょっと待ってほしい。ベクレルもマリー・キューリーも大変な量の放射線を浴びて悶絶して亡くなっています。それが示されていない。
核の「輝かしい世界」を誇らしげに展示。被曝被害は一切見せない(守田撮影)
続いて日本軍とドイツ軍の残虐さを示す展示がなされていました。軍刀や歩兵銃などが展示されてきます。
でもちょっと待って欲しい。米軍が本土空襲で殺したのはもっぱら民間人でした。沖縄では日本軍と民間人を分けることなく猛烈な攻撃で殺しました。そんなの戦争犯罪です。
さらにマンハッタンプロジェクトが輝かしく描かれている。ウランの採掘から濃縮、そしてトリニティサイトでの核実験が描かれています。
でもちょっと待って欲しい。先住民を殺し聖地から追い出した上に、その後に発掘も先住民にさせ、その上世界初の核実験で被ばくさせたことに何も触れられていない。
そして広島・長崎への原爆投下。広島にリトル・ボーイを運んで投下したエノラ・ゲイの乗組員のインタビューが長々と描かれている。「あれで戦争を終わらせることができた。そうでなければもっとたくさんのアメリカ人が死んだだろう。日本人だってもっと死んだはずだ」と語られている。
エノラ・ゲイ乗組員のインタビュー動画(守田撮影)
でもいい加減にして欲しい。原爆を投下された被爆者のことが何一つ描かれてない。あの攻撃がどんなに酷いものだったのか、まったく無視されている。
「あれ、最近、同じような批判を展開したよなあ」と思ったら、文科省が出している『放射線副読本』と作り方がそっくりなことを思い起こしました。
そうです。都合の悪いことは一切無視して人々を騙し続けることこそが、核戦略の重要な柱なのです。
数少ない被爆後の広島の写真。すでにかなり整理されている。被爆者はいない!(展示物より)
● B29と向かいあって
原爆投下の展示が終わると旧ソ連を意味する鎌とトンカチを重ねたマークのついた垂れ幕を潜り、冷戦の部屋に出ました。その途端にミサイルがたくさん展示されている。実物もあれば模型もある。
この途中でグラウンドに出ました。僕がまっすぐに向かったのはB29でした。この当時は超大型だったこの爆撃機は1945年に登場し、もっばら日本各地の空襲に使われました。
実物のB29 「こんなもので庶民を襲いやがったのか」と思わず身震い(守田撮影)
とくに攻撃方法を激変させたのが1945年3月14日未明の東京大空襲でした。
指揮したのはカーチス・ルメイ将軍。彼はそれまでの空襲は高高度から行い軍事施設に限るという掟を除外し、低空から下町に侵入。庶民の皆殺しを企てました。
このため火薬を詰めた爆弾を使わず油脂を詰めた焼夷弾を多用。軍事施設なら破壊が必要ですが庶民の家なら火をつければドンドン燃えるからです。
しかもある間隔を持って焼夷弾を一直線に落として火の壁を作りました。その壁に挟まれた地域は火炎地獄となって火が次々と飛び移ったそうです。
こうしてルメイは一晩で東京市民10万人以上を焼き殺しました。
それでもこの時、火炎の中を彷徨いながらも、奇跡的に逃げ切った人々がいました。
そのうちの1人が少女時代の僕の母でした!
続く
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