明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1021)後藤さん、湯川さんを救おう!緊急署名とJVJA声明拡散にご協力を

2015年01月23日 08時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150123 08:30)

後藤さん、湯川さんを救うために残された時間はわずかです。今できることを再度、提案します。

一つはネット上で広がっている緊急署名に協力することです。
現時点で署名数が17000人を越えてさらに伸びつつあり、報道でも取り上げられ始めています。以下の署名です。

 [緊急署名]イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください
 https://www.change.org/p/%E5%A4%96%E5%8B%99%E7%9C%81-%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%AE%98%E9%82%B8-%E7%B7%8A%E6%80%A5%E7%BD%B2%E5%90%8D-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%9B%BD%E5%91%A8%E8%BE%BA%E5%9B%BD%E3%81%B8%E3%81%AE2%E5%84%84%E3%83%89%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%82%92%E7%95%99%E4%BF%9D%E3%81%97-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%91%BD%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84?recruiter=50897116&utm_source=share_petition&utm_medium=facebook&utm_campaign=autopublish&utm_term=des-lg-share_petition-reason_msg

署名にあたって僕が書き添えたコメントもここに記しておきます。

  ***

 政府は後藤さん、湯川さんを救うために全力を尽くすべきです。そのために「対イスラム国支援」を取り下げるべきです。
 また一切の軍事援助を行わないことも明言し、その上で、すべての戦争の被害者としての難民を救済し、ムスリムの方たちをも守ることを明言すべきです。
 その上で粘り強い交渉を行って、必ず二人の命を守ってください。
 政府は、今、この時にまったく不用意に「対イスラム国」宣言を行い、火種を撒いた責任にかけて、これを行う必要があります。

 また、すべてのみなさん。
 後藤さんは、中東地域で犠牲になってきた方たちを取材し、戦場から真実を私たちに伝えてきてくれた素晴らしい方です。私たちの良心の眼であり耳です。こんなに素晴らしい行動を貫いてきて方を何が何でも守り抜かなくてはいけない。
 できることはとても限られているかもしれません。有効な手はなかなか見いだせないのかもしれない。でも思いついた限りのことを短い時間の中で行いましょう。
 この署名も一助になると思います。とにかく二人の命を責任にかけて救え!という声を政府に集中しましょう。署名へのご協力、拡散を訴えます!

 ***

もう一つは日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)が発信した命を救う声明を拡散することです。
この署名は僕が最も信頼するジャーナリストの豊田直巳さんが執筆したもので、日本語・アラビア語・英語バージョンがあります。アラビア語、英語バージョンがあることが極めて重要です。

以下に日本文だけ貼り付けておきます。アラビア語、英語はリンク先をご覧下さい。

 ***

 IS(イスラム国)による日本人人質事件に対する声明
 http://t.co/jz0OKQ74ou

 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)はフォトジャーナリストやビデオジャーナリストの団体です。
 私たちは、イラク戦争とその後の占領下において、米英軍を中心とした有志連合軍による攻撃がイラク市民にどんな災禍をもたらされたかを取材、テレビや新聞などで報道してきました。また、イスラエルのパレスチナ・ガザ地区への無差別攻撃に晒された市民を取材し、テレビや新聞等で報道してきました。私たちの報道はけっしてアメリカやイスラエルの攻撃を肯定するものではありませんでした。
 私たちジャーナリストが、現場での取材を通して理解した戦争下の住民の現実だったからです。同時に、報道を通して私たちはあらゆる暴力を批判してきました。日本政府の戦争政策に対しても批判してきました。イスラエルのガザ攻撃に対しても、私たちは強く批判してきました。私たちは現在の安倍政権の戦争を肯定するかのような政策を、報道を通して批判しています。
 現在、IS(イスラム国)が拘束している後藤健二さんには、取材の現場で会ったことがあります。後藤健二さんもまた、イラクやシリアでの戦火に苦しむ市民の現状をテレビやインターネットで報道してきました数少ないジャーナリストです。湯川遥菜さんは、私たちと直接の接点はありませんでしたが、報道によると個人的な興味から「イスラム国」に入ったようです。
 私たちは、暴力では問題の解決にならないというジャーナリズムの原則に立ちます。武力では何も解決されない現実を取材をとおして見てきたからです。「交渉」を含むコミュニケーションによって問題解決の道が見つかると信じます。
 私たちは、IS(イスラム国)の皆さんに呼びかけます。日本人の後藤さんと湯川さんの2人を殺さないように呼びかけます。人の命は他の何ものにも代え難いものです。イスラムの教えは、何よりも平和を尊ぶことだと理解しています。
 私たちは、同時に日本政府にも呼びかけます。あらゆる中東地域への軍事的な介入に日本政府が加担することなく、反対し、外交的手段によって解決する道を選ぶようにと。
  
 2015年1月20日
  日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)

  ***

このJVJAの声明はNHKのニュースでも取り上げられており、同じ記事が英語放送のNHKworldでも流されています。
実はIS(イスラム国)も、NHKworldを観ています。「殺害警告」のビデオの冒頭で安倍首相の中東訪問に関する同番組の報道動画が使われていたからです。
このため英語でのこの報道によりイスラム国内部にもこの報道と声明が伝わる可能性が高いです。

英語放送と日本語放送のリンクを貼り付けておきます。

 Journalists in Japan urge release of 2 hostages
 http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/20150122_29.html

 ジャーナリスト団体がアラビア語で解放求める
 http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20150122/k10014893411000.html

さらにたった今、豊田さんのFacebookページをチェックしたところ、イラクのテレビ局で二人の解放に尽力している同志社大学の中田考氏の記者会見の様子とJVJAの声明が流されたそうです。
かつてイラクで人質になり解放されたものの、その後、「自己責任論」バッシングの猛攻を受け、大変辛い中から再度、ジャーナリストとして起ちあがって奮闘してきた高遠菜穂子さんの尽力によるものだそうです。
これは非常に大きい!間違いなく「イスラム国」の眼にも触れるでしょう。
https://t.co/2MxxnJ0phB

もちろんこれらの声明はイスラム国だけでなく、よりたくさんの世界の人に伝わる必要があります。
そう考えて、「明日に向けて」で英語バージョンを作り、JVJAが発信した声明と、NHKworldの記事を貼り付けておきました。
英語を使っている友人、知人、英語圏のお仲間にぜひお送りください。

 For tomorrow(1020)Please cooperate to protect our Japanese friends!
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/effb880bc6c7986e2198605bddfdf3d3

なお、2003年の「人質」事件の際、「自己責任論」によるバッシングが吹き荒れました。
実はこれは、政府批判をかわし、矛先をつかまった3人に向けるために官邸主導で行われた世論操作の結果であったことが今日明らかとなっています。
「自己責任論」はまったくのあやまりです。危険地帯にわざわざ出向いて真実を報道してくれる方たちがいるからこそ、私たちの眼が曇りきらないでいるのです。こうしたジャーナリストの方たちは私たちの眼であり耳です。私たちの心の窓でもあります。私たち自身のかけがえのない宝です。ぜひとも守りましょう。

高遠さんとともに拘束され、解放後に酷いバッシングを受けた今井紀明さんが、この点で的確で温かい声明を発しています。苦労を越えてきた彼の言葉を記した東京新聞の記事をご紹介しておきます。

 ***

 救出努力、寛容に見守って 04年イラクで拘束・今井紀明さん
 東京新聞 2015年1月22日 夕刊
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015012202000241.html?ref=rank

 湯川遥菜さん(42)=千葉市花見川区=とフリージャーナリスト後藤健二さん(47)=東京都港区=が、過激派「イスラム国」とみられるグループに人質とされた事件を、特別な思いで注視する人がいる。かつてイラクで人質として一時拘束された今井紀明さん(29)=現NPO法人共同代表=だ。「自己責任」を問われた自らの体験を踏まえ、激しいバッシングが起きるのではないかと懸念している。社会全体で「寛容に(日本政府の救出努力を)見守るようなムードになってほしい」と願う。 
 「拘束された時の強い恐怖がよみがえった」。二人の殺害を警告するビデオ声明が飛び込んできた時、二〇〇四年四月にボランティア高遠(たかとお)菜穂子さんら二人と共に武装グループに拉致された時のことを思い出さずにはいられなかった。

 今井さんらは銃で武装した男らに取り囲まれて目隠しをされ、様子をビデオで撮影された。武装グループは当時イラクに駐留していた自衛隊が三日以内に撤退することを要求したが、今井さんらには自分たちの命と引き換えだということは知らされていなかったという。「今回の二人は、殺されると目の前で通告されたとみられ、七十二時間の期限が迫る。絶望はずっと重い」と思いやった。
 今はとにかく「相手の誤解を解くことが重要」だと思う。日本の二億ドル(約二百三十五億円)に及ぶ中東向けイスラム国対策費は、人道支援目的だという事実が伝わっていない恐れを心配し「敵対心を持っているわけではないと、あらゆる交渉ルートを使って訴えてほしい」と語る。
 今井さんらも当初、武装グループに「米国のスパイ」と間違われた。だが拘束が続くうち、高遠さんが現地で続けていた支援活動のことが相手に伝わったり、有力宗教指導者が仲介役となってくれたりしたことで解放への道筋が開けたという。

 帰国後、今井さんには渡航を非難する電話や手紙が押し寄せた。対人恐怖症と診断され、立ち直るまでに四~五年間かかり、兄も仕事をやめざるを得なくなった。今は当時の経験も基に、大阪市を拠点に不登校を経た若者らの支援活動を行う。
 今回もネット上で「自業自得」など似たような言葉が出始めているのが気掛かりだ。「もし反省点があったとしても、それは自分が一番分かっていると思う。どんな状況下でも、政府はその国の人を守らなければいけない。救出に全力を尽くしてほしい」

 ***

以上、まだまだ伝えたいことがありますが、情報過多になるのでこれぐらいにしておきます。
緊急署名とJVJA声明拡散にぜひご協力ください!

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For tomorrow(1020)Please cooperate to protect our Japanese friends!

2015年01月23日 01時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

by Toshiya MORITA(20150123 01:00)

Dear my friends;

A journalist, one of my friend wrote a comment about incident by which Japanese were kidnaped.
Please spread this comment by all means.

*******

Statement on IS (Islamic State) Japanese Hostage Incident

Japan Visual Journalist Association (JVJA) is an organization of photojournalists and video journalists.
We have documented how the attacks by the American and British-led coalition forces brought destruction and suffering to the Iraqi people during the Iraq War and the occupation that followed. We reported what we documented through media including television and newspapers. We have also interviewed civilians who came under Israel’s indiscriminate attacks on Palestine and Gaza, also reporting on television and in newspapers.
Our coverage has never supported the attacks by the United States and Israel. This is because as journalists, we cover events as they happen where they happen, and we thus understand the realities of people living in war conditions. Through our reporting, we have been criticizing all forms of violence. We continued to criticize the Japanese government’s war policies. We have also strongly criticized Israel’s attacks on Gaza. We are also using our reporting to criticize the Abe administration’s current policies that affirm war.
While covering the situation on-site, we met Kenji Goto, one of the hostages taken by IS (Islamic State). Kenji Goto is also one of the few journalists who has reported on television and through the internet on the suffering of civilians in war-torn Iraq and Syria. We have not had any direct interactions with Haruna Yukawa, but according to reports, it seems he entered IS (Islamic State) from of his own personal interest.
We stand by the principles of journalism that violence does not resolve problems. This is because we have continued to see for ourselves the ravages of areas where the use of arms and force has not solved anything. We believe that communication, including negotiation, is the way to resolve problems.
We appeal to everyone of IS (Islamic State). We appeal to you not to kill the two Japanese, Kenji Goto and Haruna Yukawa. Human life is priceless and cannot be traded for anything else.
We also appeal to the government of Japan. We demand that the Japanese government refrains from becoming complicit in military intervention in the Middle East by opposing it and choosing diplomatic means to find solutions.

January 20, 2015
 Japan Visual Journalist Association
 http://www.jvja.net
 e-mail: office@jvja.net

*******

This is the news that NHK broadcast.

Journalists in Japan urge release of 2 hostages
Jan. 22, 2015 - Updated 20:09 UTC+9

An organization of freelance journalists in Japan is calling on Islamic State militants to immediately release two Japanese nationals believed to be held by the group.
The statement says one of the hostages, Kenji Goto, is a freelance journalist who reported on the suffering war causes to civilians.

The Japan Visual Journalists Association, which is open to freelance photo journalists and video journalists, has published a statement in Arabic on the Internet.
Photo journalist Naomi Toyoda prepared the statement with the help of acquaintances from the Muslim world. Toyoda has more than 30 years of experience in covering conflicts, mainly in the Middle East. He also knows Goto.

The statement says that Japanese journalists appeal to the Islamic State militant group not to kill the 2 hostages, Goto and Haruna Yukawa, stressing that human life is priceless and cannot be traded for anything else.
The statement, also published in Japanese and English, describes Goto as one of the few journalists who have reported on the suffering of civilians in war-torn Iraq and Syria.

People affiliated with the association have reposted the statement on their Facebook pages in order to spread the word to friends, including journalists and guides in Syria.
The Arabic version Toyoda posted has been shared nearly 400 times.
Toyoda says that he has no direct channel of contact with members of Islamic State. But he hopes that if the message reaches as many people as possible through social media, it will eventually reach the hostage takers as well.
Toyoda says he prays for the safe return of Goto and Yukawa.

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/20150122_29.html

 

 

 

 

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明日に向けて(1019)後藤さんたちを救いましょう!JVJAの声明を拡散してください!

2015年01月22日 15時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150122 15:30)

後藤さんたちを救出できるか、どうか残された時間がどんどん少なくなりつつあります。
そんな中で、「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)」による「IS(イスラム国)による日本人人質事件に対する声明」が出されたので転載します。
友人でジャーナリストの豊田直巳さんのFacebookページからシェアしました。声明は、日本語、アラビア語、英語で書かれています。
今は世界の人にできるだけたくさん届く言語で命を救うメッセージを拡散することが大事です。とくにアラビア語での発信が重要です。

この協会は、過酷な戦場を駆け巡って、私たちに世界に真実を発信してきた方たちの集まりですので、その言葉は信頼生が高く、同時に人を説得する強い力が宿っていると僕は思います。
なのでぜひこのメッセージの拡散にご協力ください!とりわけアラビア語を解する人々に、知人友人にまわしてもらってください。
なお残念ながら僕の使っているブログやメーラーがアラビア語に対応していないので、アラビア語が掲載できません。
転送・転載にあたってはJVJAのURLのリンクを貼る形で、おまわしください。

*****

IS( イスラム国) による日本人人質事件に対する声明
http://t.co/jz0OKQ74ou

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会( JVJA )はフォトジャーナリストやビデオジャーナリストの団体です。
私たちは、イラク戦争とその後の占領下において、米英軍を中心とした有志連合軍による攻撃がイラク市民にどんな災禍をもたらされたかを取材、テレビや新聞などで報道してきました。また、イスラエルのパレスチナ・ガザ地区への無差別攻撃に晒された市民を取材し、テレビや新聞等で報道してきました。私たちの報道はけっしてアメリカやイスラエルの攻撃を肯定するものではありませんでした。
私たちジャーナリストが、現場での取材を通して理解した戦争下の住民の現実だったからです。同時に、報道を通して私たちはあらゆる暴力を批判してきました。日本政府の戦争政策に対しても批判してきました。イスラエルのガザ攻撃に対しても、私たちは強く批判してきました。私たちは現在の安倍政権の戦争を肯定するかのような政策を、報道を通して批判しています。
現在、IS(イスラム国)が拘束している後藤健二さんには、取材の現場で会ったことがあります。後藤健二さんもまた、イラクやシリアでの戦火に苦しむ市民の現状をテレビやインターネットで報道してきました数少ないジャーナリストです。湯川遥菜さんは、私たちと直接の接点はありませんでしたが、報道によると個人的な興味から「イスラム国」に入ったようです。
私たちは、暴力では問題の解決にならないというジャーナリズムの原則に立ちます。武力では何も解決されない現実を取材をとおして見てきたからです。「交渉」を含むコミュニケーションによって問題解決の道が見つかると信じます。
私たちは、IS(イスラム国)の皆さんに呼びかけます。日本人の後藤さんと湯川さんの2人を殺さないように呼びかけます。人の命は他の何ものにも代え難いものです。イスラムの教えは、何よりも平和を尊ぶことだと理解しています。
私たちは、同時に日本政府にも呼びかけます。あらゆる中東地域への軍事的な介入に日本政府が加担することなく、反対し、外交的手段によって解決する道を選ぶようにと。
  
2015年1月20日
 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)


Statement on IS (Islamic State) Japanese Hostage Incident

Japan Visual Journalist Association (JVJA) is an organization of photojournalists and video journalists.
We have documented how the attacks by the American and British-led coalition forces brought destruction and suffering to the Iraqi people during the Iraq War and the occupation that followed. We reported what we documented through media including television and newspapers. We have also interviewed civilians who came under Israel’s indiscriminate attacks on Palestine and Gaza, also reporting on television and in newspapers.
Our coverage has never supported the attacks by the United States and Israel. This is because as journalists, we cover events as they happen where they happen, and we thus understand the realities of people living in war conditions. Through our reporting, we have been criticizing all forms of violence. We continued to criticize the Japanese government’s war policies. We have also strongly criticized Israel’s attacks on Gaza. We are also using our reporting to criticize the Abe administration’s current policies that affirm war.
While covering the situation on-site, we met Kenji Goto, one of the hostages taken by IS (Islamic State). Kenji Goto is also one of the few journalists who has reported on television and through the internet on the suffering of civilians in war-torn Iraq and Syria. We have not had any direct interactions with Haruna Yukawa, but according to reports, it seems he entered IS (Islamic State) from of his own personal interest.
We stand by the principles of journalism that violence does not resolve problems. This is because we have continued to see for ourselves the ravages of areas where the use of arms and force has not solved anything. We believe that communication, including negotiation, is the way to resolve problems.
We appeal to everyone of IS (Islamic State). We appeal to you not to kill the two Japanese, Kenji Goto and Haruna Yukawa. Human life is priceless and cannot be traded for anything else.
We also appeal to the government of Japan. We demand that the Japanese government refrains from becoming complicit in military intervention in the Middle East by opposing it and choosing diplomatic means to find solutions.

January 20, 2015
Japan Visual Journalist Association
http://www.jvja.net
e-mail: office@jvja.net

 

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明日に向けて(1018)後藤さん、湯川さんを救おう!・・・(イスラム国の日本人殺害警告に対して)

2015年01月20日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150120 23:30)

風雲急を告げる事態が発生しました。「イスラム国」が日本首相と日本国民に対して、身代金2億ドルを72時間以内に払わな分ければ、拘束している二人の日本人、後藤健二さんと湯川遥菜さんを殺害すると通告してきました。
なぜ2億ドルなのかも説明されています。「私たちの女性や子どもを殺し、イスラム教徒の家を壊すために1億ドルを拠出した」さらに「イスラム国の拡大を止めるためにムジャヒディン(イスラム聖戦士)と戦う背教者の訓練に1億ドルを拠出した」からだそうです。
詳しくは以下の毎日新聞の記事に書かれています。

 イスラム国邦人人質:日本人2人殺害を警告 ネットに映像
 毎日新聞 2015年01月20日 16時19分(最終更新 01月21日 00時16分)
 http://mainichi.jp/select/news/20150120k0000e030220000c.html

また多くのマスコミが、この時期に「イスラム国」がこういう行動に出たのは、安倍首相が中東歴訪で「過激主義批判」や「テロ批判」を行い、「対イスラム国支援」を明言し、そのためと銘打って資金援助をしたためだと指摘しています。
援助の中身自身は人道的なものとされていますが、それを「対イスラム国支援」としてしまったことで、欧米による軍事攻撃と一体のものとして受け取られてしまったのです。
さらに昨年から続けてきたイスラエルとの関係強化をこの時期に一層鮮明にしたことも、強い反発を買ってきたのだと思われます。パレスチナへの白昼堂々たるテロ戦争には一言も批判せずに、イスラエルの接近を強めてきたからです。

これに対してとくに後藤さんは、中東地域に何度も足を運び、戦争の犠牲になった人々のことを取材し、何度も私たちに真実を伝えてきてくださっている素晴らしいジャーナリストです。
僕の友人の豊田直巳さんなど、多くのジャーナリストが彼を救うために何ができるかと激しく己に問うています。池上彰さんなども、彼が中東を取材する時に何が危険かを後藤さんからアドバイスされた、頼りにしていたと語り、ショックを明らかにしています。
そんなこれまでの後藤さんの活躍を知り、広めること、世界に発信していくことも大事なことの一つだと思います。

とりあえず「NEVERまとめ」にあげられた後藤さんの情報をお知らせしておきます。

「インデペンデント・プレス」ジャーナリスト後藤健二さん イスラム国に拘束されていた #イスラム国
 更新日: 2015年01月20日
 http://matome.naver.jp/odai/2142173579724441501?page=2

私たちに何ができるのか。できることは限られているかもしれませんし、政府に要望を出してもきちんと動いてはくれないかもしれない。それでも今は考え着く限りのことをすることが大事だと思います。
その一つにネット上に緊急署名が呼びかけられていたので紹介します。

 [緊急署名]イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください
 https://www.change.org/p/%E5%A4%96%E5%8B%99%E7%9C%81-%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%AE%98%E9%82%B8-%E7%B7%8A%E6%80%A5%E7%BD%B2%E5%90%8D-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%9B%BD%E5%91%A8%E8%BE%BA%E5%9B%BD%E3%81%B8%E3%81%AE2%E5%84%84%E3%83%89%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%82%92%E7%95%99%E4%BF%9D%E3%81%97-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%91%BD%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84?recruiter=50897116&utm_source=share_petition&utm_medium=facebook&utm_campaign=autopublish&utm_term=des-lg-share_petition-reason_msg

最初に内容を読んだときに、政府に「人道支援を留保せよ」と言っても聞かないだろうなとかも思ったのですが、そんなことを言っていると限られた時間しかありませんから、何もできないことになりかねません。
それならばたとえ政府をそこまで動かせずとも、「対イスラム国支援を口にし、火種を撒いたことへの市民的怒りがある。これに対応して命を救わないとまずい」・・・という思いを少しでも強めさせることができるかもしれない。その分、二人の解放の可能性は少しでも広がるかもしれない。そう考えてキャンペーンに賛同することにしました。

署名にあたって書き添えたコメントもここに記しておきます。

  ***

 政府は後藤さん、湯川さんを救うために全力を尽くすべきです。そのために「対イスラム国支援」を取り下げるべきです。
 また一切の軍事援助を行わないことも明言し、その上で、すべての戦争の被害者としての難民を救済し、ムスリムの方たちをも守ることを明言すべきです。
 その上で粘り強い交渉を行って、必ず二人の命を守ってください。
 政府は、今、この時にまったく不用意に「対イスラム国」宣言を行い、火種を撒いた責任にかけて、これを行う必要があります。

 また、すべてのみなさん。
 後藤さんは、中東地域で犠牲になってきた方たちを取材し、戦場から真実を私たちに伝えてきてくれた素晴らしい方です。私たちの良心の眼であり耳です。こんなに素晴らしい行動を貫いてきて方を何が何でも守り抜かなくてはいけない。
 できることはとても限られているかもしれません。有効な手はなかなか見いだせないのかもしれない。でも思いついた限りのことを短い時間の中で行いましょう。
 この署名も一助になると思います。とにかく二人の命を責任にかけて救え!という声を政府に集中しましょう。署名へのご協力、拡散を訴えます!

 ***

書いた通りですが、本当に後藤さんは素晴らしい活動をされてきた方です。何としても守りたいです。
湯川さんについては、もともとミリタリーグッズのショップを経営していたそうです。「軍事関連会社」経営と名乗っていますが、実体はなく、「自分探し」の末に中東にたどり着いたようです。
実は昨年春に、シリアの反体制武装勢力の「自由シリア軍」につかまり、そのときに後藤さんが関わって解放させています。しかしそのまま自由シリア軍と親しくなって行動を共にし、イスラム国と交戦となったときに部隊からはぐれて拘束されたと見られています。

後藤さんは自由シリア軍から解放したときに、湯川さんを帰らそうとしたのですが、その後に再び舞い戻って結局イスラム国に拘束されてしまうこととなったことに対して責任も感じ、なんとか救いたいと思っていたようです。実際にはけして責任を問われる立場ではなかったと思われますが。
ただそうであっても湯川さんの命ももちろん大事にし、後藤さんとともに救いたいです。後藤さん自身、湯川さんの命を何度も救おうとしてきたのですから。

今後、分析しなければならないこと、論じなければならないことはたくさんあります。
年頭よりこれまで、繰り返し、現在の中東の火種はソ連によるアフガニスタン戦争以来、アメリカこそが撒いてきたこと。これにイギリスなど西欧諸国が加担してきたことを指摘してきました。
その上で湾岸戦争が行われ、さらにアメリカの911事件後のアフガン二スタン戦争、イラク戦争が行われて、戦争犯罪である大量虐殺が行われてきました。その上に捕虜収容所などでの拷問、虐待なども加えられてきたのでした。それが暴力の連鎖を生んできた元凶なのです。

これに対してまだ論じることができていなかったこと、私たちにとってとても大事なことは、イスラム圏で日本は非常に信頼を持たれており、愛されている国なのだということです。
中東の多くのイスラム国家の人々にとって、欧米は長い間植民地支配をした人々であり、その後も、軍事力を背景に繰り返し横暴なことを繰り返してきました。
さらにアメリカのバックアップのもとに、イスラエルによる軍事的な横暴を繰り返されてきました。

中東から見える日本は、そのアメリカに原爆まで投下されながら、平和産業を軸に復興してきた国なのです。
しかも大国になっても軍事展開せず、暴力を背景に横暴なことをすることがなかった。・・・そこには「美しき誤解」も多々あるのですが、ともあれそうしたあり方がこの国のよい評判を作り出してきたのです。
だからこそ、私たちの国は、本当は、中東での争いのもっとも優れた調停者、平和の媒介者になりうる歴史的脈絡を持っているのです。

それが今、安倍政権によって壊されようとしているのです。イスラム国が「日本は十字軍に加担した」と言っていることがそれを象徴しています。
私たちはここで踏みとどまらなければいけない。アメリカの暴力に巻き込まれ、いわんや手先にされてはいけない。憲法9条のもとに、非武装の理念で歩んできた歴史、だからこそ世界の多くの人々に信頼も得てきた歴史を今こそ大切にし、平和力を発揮していかなければなりません。
それが本当の中東の平和と安定への貢献になるのです。

そのことを頭に入れつつ、二人の命を救うことに今は全力を上げましょう。
その中で、どうやったらアメリカやイギリス、フランスが作りだしている戦争政策から私たちの国を脱っせられるのか。いかにして真の平和に貢献することができるのかを考えぬきましょう。
今、問われているのは私たちの平和力です。その平和力の最良の発信者であった後藤さんの命、そして湯川さんの命を共に守りながら、わたしたちの国が本当に歩むべき道を切り開いていきましょう!

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明日に向けて(1017)排外主義といかに立ち向かうのか(ポーランド訪問で学んだこと-4)

2015年01月18日 12時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150118 12:30)

前回、アウシュヴィッツ訪問でNHKBSドキュメント「ヒトラー・チルドレン」で描かれた場に立ち、イスラエルの若者たちの見学風景に遭遇したことを述べました。
その時の日本人ガイドの中谷剛さんのお話を紹介しましたが、現場の聞き取りでのことなので、中谷さんの真意を十分に伝えらていないかも知れません。
中谷さんのお話に興味を持たれた方は、ぜひ以下の書をご覧になってください。僕が描けていないアウシュヴィッツの全体像が書かれています。今、このときにこそ読んでいただきたい本です。

 新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内
 http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN978-4-7736-3607-9.html

その上で、もう少し、中谷さんから教わったことの中で強い印象に残ったことを記したいと思います。
アウシュヴィッツにはこのところ、年々、来館者が増えているのだそうです。その半分が若者たちです。実際、僕が現場に立った時も、とても若者が多いのに驚きました。各国から修学旅行などで来ている若者も多いのだろうと感じました。
このことについて中谷さんは印象的なことを語られました。

「こうやって来館者が増えているのは、ヨーロッパがにわかに目覚めたからではありません。むしろ逆です。今、あちこちで排外主義が強まっているのです。このような状態をなんとかしようと思っている人たちが、若者にアウシュヴィッツを見せなくてはいけないとせっせと送り込んでくるのです」
何とも深く感銘を受けました。もちろん、排外主義が強まっていることに対してではありません。それに抗する人たちの努力もまた高まっているのです。そしてその思いを中谷さんはしっかりと受け取って、丁寧にガイドされているのです。
それはガイドの方たちの共通の思いなのでしょう。途中で何度も各国の見学者たちが狭い収容棟の中ですれ違い、ガイドの方たちが言葉を交わしあうのですが、そこにはなんとも言えないようなガイド仲間の間の連帯感が漂っているように思えました。「ここに今まさに排外主義に立ち向かっている人々がいる!」と胸がジーンとなりました。

実はあのフランスの事件が起こる直前の1月5日に、ドイツのドレスデンで移民排斥デモが起こりました。18000人という多さでした。主催したのは極右団体のPEGIDA(Patriotic Europeans Against the Islamisation of the West)です。
ドイツはナチズムへの反省から移民に寛容な政策を採り続けてきたため、中東からたくさんの人々が移り住んできています。トルコからもとても多い。300万人が移り住んでいます。僕が仲良くなった方もトルコからドイツに移って医師として働いています。
これに対してペギーダが昨年10月から毎週の移民排斥デモを始めた。まったく由々しきことです。

一方でドイツ各地でカウンター行動も起こっています。1月5日の行動に対してイスラム教徒の多いケルンではペギーダ支持者の10倍の人々が集まって排外主義反対のデモを敢行。ベルリンでもペギーダ側400人に対して排外主義反対で5000人が集まり、カウンターデモを行いました。
ケルンの大聖堂やベルリンのブランデンブルク門は、全ての明かりを消して、移民排斥デモに対する抗議の姿勢を示しました。僕もニュースでその映像を観ました。
「ああ、中谷さんが言っておられた通りだ。排外主義者が行動を開始しているけれど、一方で懸命になって排外主義に反対して行動している人々がいる。この人々と連帯して僕も前に進もう」とそう思いました。

ところがその直後にフランスのあの事件が勃発しました。これに対してドレスデンでは30000人の反テロ集会が行われたといいます。内容はどのようなものだったのでしょうか。詳細が伝わってきてないのでとても気になるところです。
フランスのあの事件で各国の極右勢力が移民排斥の声を強めています。排外主義に反対し、すべての人の平等を訴え、連帯を叫ぶ人々には逆風になっていると思われます。その中でドイツの心ある人々がどんな行動に出るのかを注目したいです。
一方でそんなドイツ当局に対して、海外の情報筋から「テロ情報」がもたらされたといいます。ベルリンの駅が狙われており、さらにはドレスデンのペギーダのデモもターゲットとされていると伝えられたと言います。

こういう情報は信憑性が分かりません。情報操作の可能性も強くあります。しかしドイツ警察はペギーダのデモも警備せざるを得ないでしょう。
ドイツだけではありません。ベルギーでは「警察署襲撃計画」が事前に摘発され、「犯人」とされる2名が射殺され、多数が逮捕されました。今後、こうした事件が頻発しそうな趨勢です。
他方でイスラム教徒の多いたくさんの国で、シャルリ・エブドの風刺画に抗議する激しいデモが起こっています。とくにニジェールではデモ隊と警察が激しく衝突し、警官を含む7人が死亡しています。キリスト教会への放火も多発しているそうです。

まさに世界が騒然としているわけですが、どうしてドイツで移民排斥デモが起こっているのかを考える際に、とても示唆に富んだことを中谷さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
排外主義が世界を跋扈しているのは、新自由主義のもとでの貧富の格差の拡大、著しい人権蹂躙が背景にあると僕は確信していますが、問題はナチズムを捉え返してきたドイツでどうしてそれが起こるのかです。
この点について中谷さんはこう語りました。「日本人も他のアジアの人々もそうですが、ドイツを美化しすぎです。ヨーロッパでは誰もドイツを褒めません。このぐらいして当たり前と言う感覚です。それほどまでに普通のたくさんの市民がこの虐殺に手を貸し、あるいは見てみぬふりをしたのです」。

さらにビルケナウを歩いているときに、僕が「日本で『ヒトラー・チルドレン』という番組を観て感銘して来たのですが、ご存知ですか?」と尋ねたら、中谷さんはこうおっしゃいました。
「おお、あれをご覧になりましたか。あれは本当に良い番組でしたね。あのアウシュヴィッツの生き残りの方と会うシーンなどとても感動的でしたね。あのヘスさん、お孫さんですが、あんなに罪を問い返せる人はドイツでもほとんどいませんよ。彼はドイツでは変人扱いです」
「なるほど!」と思いました。何かストンと腑に落ちるものがあった。実際、ライネル・ヘスさんはこうも言っていたのです。「私がここに来たのは、我が家に伝わる嘘に対して真実を知るためです」と。つまりヘスさん一家は、ホロコーストの罪を認めているわけではないのです。

いや他の登場人物たちの家族の多くもそうでした。そのため、罪に対する語り部となったことを理由に一族を絶縁された人々もいます。一方で、ナチス高官のゲーリングの弟のお孫さんたちは、兄と妹ともに不妊手術を受けられました。呪われたゲーリングの血を残さないためだそうです。
一方でこれほどに過去の罪を背負い、問い続けようとしている人々がいながら、罪を認めず、否定している人々もいる。後者の方が多いのです。もちろん後者の人々は間違っていますが、ここには過去の罪を問い返すことの本質的な難しさも横たわっていると僕は思います。
人間は自分に不利なことは隠したい。できればないことにしたい。そうした心証を強く持っている生き物です。だからこそ、過去の罪を振り返り、捉え返し、責任を果たそうとする行為は気高いのです。人間としてきわめて尊いのです。僕にはそう思えます。

その意味では、僕は「日本はドイツより遅れている」とあまり首をうなだれていてはいけないと思うのです。もちろん制度的に遅れているものはたくさんあります。フランスで伸びている極右のルペンは「われわれを極右というのはおかしい。われわれは国籍条項をせめてあの日本ぐらいにしようと主張しているに過ぎない」とかつて述べていました。
日本はそれほどにもともと移民を構造的に排斥している国です。それやこれや、制度の問題として正さなくてはならないこと、進んだドイツに学ばなくてはならないことはもちろんたくさんあります。
しかし、ドイツにはドイツの文脈があるのです。核心的なことはその中で本当に真剣に罪を捉え返している人々はやはり少数で、「変人扱い」なのだということです。だとしたらぜひとも僕はこの日本で「変人」として生き抜こうと思います。ライネル・ヘスさんのようにです。

同時にその対局に立っているのが安倍晋三という人物であることを私たちは忘れてはならないと思います。なぜなら彼こそまさに「ヒトラー・チルドレン」なのだからです。A級戦犯岸信介の孫なのです。それだけに彼には過去の罪を暴かれることへの恐怖がある。
そのことがとくに日本の戦時暴力の非人間的象徴としてある「慰安婦」制度、性奴隷制度を、絶対に認めず、躍起になってもみ消そうとしている根拠があると僕は思います。
戦時下の罪を認めることにほとんど本能的と言えるほどの恐怖を抱いている。だからこそ安倍首相のもとで、新自由主義のもとで心が荒れ、誰彼かまわず攻撃したいさもしい暴力的心情にかられ、ヘイトクライムに惹きつけられていくものたちが跳梁跋扈しているのでもあります。

自らの罪を捉え返すこと、自国や自民族、自らに繋がる人々の罪を捉え返すことはとても難しい。誰だって自分が親しみを持つ人々が「悪者」であって欲しくはない。
しかしだからこそ、なかなか万人が歩みとおせない道だからこそ、そこを切りひらくことの中にこそ、未来への大きな可能性を作り出す道があると僕は思います。
それぞれが歴史的罪を捉え返す中でこそ、真の相互理解、対話、そして平和の道が開けていく。もう本当にそろそろ人類は愚かな前史を閉じて、新しい時代に入っても良いころです。

今私たちには勇気ある選択が問われている。
だからこそ、攻撃的精神に巻き込まれることを拒否し、今こそ、非戦の心を逞しくし、大きく連帯を訴えて歩んで行こうではありませんか。
この騒然とした世界情勢の中でこそ、真の平和の道を光らせて行きましょう!

 

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明日に向けて(1016)仏「対テロ戦争」反対!暴力を捉え直すために「ガザ希望のメッセージ」へ!

2015年01月17日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150117 23:30)

フランス新聞社襲撃事件は、不穏な方向に展開しつつあります。
1月13日フランスのパルス首相は「フランスはテロとの戦争状態に入った」と語りました。
翌日14日にはオランド大統領が「イスラム国」に対する空襲作戦に仏海軍の主力空母「シャルル・ドゴール」を参加させる意向を表明。
「シャルル・ドゴール」は前日13日に仏南部トゥーロン港を出港。すでにペルシャ湾近海に展開していると思われます。

しかしちょっと待ってほしい。そもそもフランスはこれまでも「イスラム国」への空襲に参加してきているのです。
「対テロ戦争」だってほかでもずいぶんやってきた。「フランスはテロとの戦争状態に入った」のではなく前から「入っている」のです。
それをあたかもフランス新聞社襲撃事件への回答として攻撃を行うかのような言い方をしています。
おかしい。まったくおかしい。

フランス政府は暴力反対とは一言もいいません。「テロ反対」とは言う。自分たちの暴力は棚に上げて、自分たちに敵対するものの暴力のみを「テロ」と呼んでいる。
それでジェット戦闘機を飛ばし、ミサイルと撃ち込み、爆弾を投下してきています。しかも「敵」だけを殺しているのではない。たびたび民間人を巻き込んで酷く殺しています。
正義だったらどんな暴力も振るっていい。悪だったらどんな暴力も許さない。フランスはそんな傲慢な立場から近代兵器をつぎ込んだ攻撃を継続している。
でもそんな考えは容易に反転するのです。つまりフランスが攻撃する側もまったく同じ論理を行使してくる。こうして互いに正義を掲げ、相手を悪となじり、交戦する・・・それこそが戦争なのです。

もうたくさんだ。何時までも人類はこんな低次元にいてはいけない。いい加減、戦争遂行者のマインドコントロールから解き放たれなくてはいけない。
フランス新聞社襲撃事件に際して言うべきことはただ一言、暴力反対、殺人反対です。だからさらにこう言わなければならない。殺し合いをやめよう。報復の連鎖をとめようと。
その点でシャルリ・エブドが14日に発効した風刺画も大変間違っていると思います。何より殺人襲撃にえぐいヘイトスピーチで対抗しているに過ぎないからです。
世界中のムスリムの方たちがとても神聖だと思っているものを著しく傷つけている。僕はそれも一つの暴力だと思います。シャルリ・エブドに言いたい。ぜひとも目の前にいる最も強大な暴力的権威、フランス軍をこそ皮肉って欲しいと。

フランス政府は明らかにシャルリ・エブド襲撃事件を、すでに行ってきた戦争の継続のために利用しています。死者への冒涜です。
こんなところに正義はない。愛もない。人権もない。自由もない。平等もない。フランスは自由と平等を踏みにじっている。そのことを僕は言論と、民衆の非暴力直接行動で示していくことこそが必要だと思います。
そのためにも、ぜひともみなさん。今この時だからこそパレスチナに目を向けてください。フランスが、アメリカが、西欧列強国が、どんなにひどい国家テロを容認していきたのかを知ってください。
知って、この暴力を止めさせるためにこそ、努力を傾けましょう。今こそ平和思想を逞しく成長させ、広げていきましょう。

パレスチナから暴力を捉え返すための一助として、再度、朗読劇「ガザ・希望のメッセージ」をご紹介したいと思います。
今回はこの朗読劇を製作・プロモートしてきた友人の岡真理さんが発したメッセージをそのまま転載します。
ぜひ周りの方にもお伝え下さい。
大阪市、津市近郊の方は、ぜひ朗読劇をご覧になってください。

*****

■拡散歓迎■

みなさま、
京都大学の岡真理です。ガザ朗読劇のご案内です。

朗読劇「The Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ」は、2009年、2011年、2014年と,
のべ4回にわたり京都で上演しておりますので、ご覧くださった方もたくさんいらっしゃると思います。この2月、1年ぶりに再演の運びとなりました。

まずは、こちらをご覧ください。ガザ朗読劇2013年東京公演のようすを収めた動画です(2分)。
http://readers-without-borders.org/

2008‐2009年のガザ攻撃以来、毎年、年の瀬が巡ってくるたびに、あの攻撃を思い出します。世界がクリスマスの余韻に浸り、新年を言祝いでいたとき、ガザの、150万(当時)のパレスチナ人は、封鎖されたガザに閉じ込められ、イスラエルによる一方的な攻撃にさらされて、虐殺されていました。
人間を文字どおり「袋のネズミ」状態にして、空から陸から海から、ミサイルや砲弾を見舞い、殺戮する――攻撃は22日間にわたり、1400名以上が殺されました。人間の想像を絶する出来事でした。
この出来事に対する応答として、朗読劇「ガザ 希望のメッセージ」は生まれました。そして、この朗読劇を上演するため、私たちは京都市民・学生有志からなる朗読集団「国境なき朗読者たち」を結成し、2009年以来、京都を中心に上演を重ねてまいりました。

昨年夏、ガザはまたも、イスラエルの大規模軍事攻撃に見舞われました。この6年間に、実に三たびもの攻撃、しかも、6年前のあの、人間の想像を絶する攻撃と思えたそれが「のどか」なものに思えてしまうような、異次元の破壊と殺戮でした。
攻撃が続き、毎日、人間が大勢殺されているあいだは、マスメディアもさかんに報道します。しかし、一旦、停戦が成立し、人が大量に殺されなくなると、潮が引いたように、ほとんど報道されません――ガザの人々が「生きながらの死」と呼ぶ封鎖は依然続き、イスラエルによる断続的空爆は日常茶飯事であるというのに・・・。

私たちは、この朗読劇が、過去の物語となり、再演する必要のない日が来ることを願っています。しかし、エンドレスフィルムのように繰り返される殺戮と破壊によって、ガザ朗読劇は私たちの願いに反し、皮肉にも、古びるどころか、ますますその今日的意義を帯びて止みません。
ふぇみん大阪、ガザ朗読劇三重公演実行委員会の制作、市民社会フォーラムの協賛で、2月1日、8日、大阪と三重県津市で、ガザ朗読劇を再演します。(再演の機会を作ってくださったふぇみん大阪と三重の実行委員会のみなさま、そしてこの間、情宣にご協力くださったすべてのみなさまに心から感謝申し上げます。)

韓国の詩人の言葉、「忘却が次の虐殺を準備する」を胸に、肉声によってガザと私たちを架橋します。ガザを忘却しないために、そして、1人でも多くの方がガザと出会い、ガザの思いに触れ、私たちが生きるこの世界への思いを新たにすることを願って。

すでにご覧になった方も、初めての方も、ぜひお越しください。
今日とは違う明日の世界を、ともに創りましょう。

※過去公演、来場者の感想はこちら↓
http://readersforpeace.sakura.ne.jp/?page_id=399

以下、公演の情報です。
ーーーーーーーーーーーーーーー
※詳細はHPをご覧ください。http://readers-without-borders.org/

■大阪公演 
日時:2015年2月1日(日)14:00 / 18:00
会場:ドーンセンター
http://www.dawncenter.or.jp/shisetsu/map.html

■三重公演
日時:2月8日(日) 14:00
会場:津市中央公民館
http://www.miyakohotels.ne.jp/tsu/facilities/index.html/

■料金
事前予約 1500円(障がいのある方及び介助の方・学生 800円)
当 日  2000円(同 1300円)

※メール、またはお電話でご予約ください(問合せ先も同じ)。
大阪 080-5314-1539(つくい)、tsubamegekidan@gmail.com (つばめ劇団)
三重 059-229-3078(FAX兼)、090-1239-1410(宮西)、syashinten@za.ztv.ne.jp

■以下、ご注意ください。
※いずれも開場は開演の30分前、受付開始は開場の20分前です。
※開演10分前までに受付をお済ませください。開演前10分を過ぎても受付ををされていない場合は、自動的にキャンセル扱いになります。
※満員の場合はご入場できませんので、事前に予約お申込みくださいますようお願い申し上げます。(当日でもご予約になれます。)

※公演直前になると予約がめちゃくちゃ立て込みます。なるべくお早めにご予約ください。

■情宣にご協力ください。
一人でも多くの方に、聴いていただきたいと思います。
ぜひ、情報の拡散にご協力ください。

※HPからチラシをダウンロードできます。

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制作:ふぇみん大阪、ガザ朗読劇三重公演実行委員会、つばめクラブ
協賛:市民社会フォーラム
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明日に向けて(1015)「ヒトラー・チルドレン」とイスラエル(ポーランド訪問で学んだこと-3)

2015年01月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150116 23:30)

2014年12月17日に「京都被爆2世3世の会」の拡大総会での話を、同会の平信行さんが起こしてくださったものに手を入れた報告記事の3回目をお送りします。
今回は「ヒトラー・チルドレン」=ナチス高官の子どもたち孫たちのナチスの犯罪の捉え返しとイスラエルの若者たちとの対話、そしてその先にあるものについて述べます。

*****

ポーランド訪問で学んだこと-3
-ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉えなおす
2014年12月17日学習会 守田敏也

■ヒトラーチルドレンと現代の問題
前回の最後に、アウシュヴィッツ博物館に多くの若者たちが訪れている中で、イスラエルの若者たちが国旗を掲げて歩いている場面に出くわしたことを書きました。
その若者たちが例えばドイツの若者たちとすれ違ったりする。「こういうことがとても大事なのです」とガイドの中谷さんがおっしゃり、「なるほど」と行き違う両国の若者たちを感慨深く見ていたのですが、その後、何ともショッキングな場面に出くわすこととなりました。
というのは、僕はこの博物館を訪れる前に、日本でNHK・BS世界のドキュメンタリー「ヒトラー・チルドレン~ナチスの罪を背負って」という録画してあった番組を観てきていました。(2013年8月15日放映)

その番組はナチスの重要人物の息子や娘、親族などに当たる5人のドイツ人を取材したものでした。監督は親族をホロコーストで亡くしたユダヤ人。過去を背負いながら生きる人々の苦悩する姿を描いたイスラエルとドイツの共同制作番組でした。
この中のハイライトとして、アウシュヴィッツ収容所の初代所長ルドルフ・ヘスの孫ライネル・ヘスさんのシーンがありました。ドイツの子どもたちは小さい時に学校単位でアウシュヴィッツを訪れるそうですが、ライネル・ヘスさんは所長の孫ということで、長くアウシュヴィッツ側に訪問を拒まれていました。
このためこの番組の中で初めて訪問することになりました。ホロコースト生存者の孫で、ライネル・ヘスさんと同年代のユダヤ人ジャーナリストが同行しました。

アウシュヴィッツ所長のルドルフ・ヘスはこの敷地内に住んでいたのでした。家族と一緒でした。子育てもしていて、実際にライネル・ヘスさんのお父さんもそこで育ちました。その家の中に入って外を見ると、すぐ近くに見える壁がもう収容所の壁でした。
そしてその先にガス室と焼却場があったのでした。家からは巧妙に見えないようになっていましたが、ライネル・ヘスさんは父が祖母から庭にある作物や果物を採ったらきれいに洗いなさいと強く言われていたことを思いだしました。
「君のお父さんは死体を焼いた灰や匂いの中で育ったのだね」とユダヤ人ジャーナリストが語りかけました。ライネル・ヘスさんは「つらい」とだけつぶやきました。

このアウシュヴィッツにイスラエルの若者たちが訪問してきていました。手に手にイスラエル国旗を持ち、はためかせながら歩いていました。ライネル・ヘスさんはその若者たちと対面することになりました。
若者たちはライネルさんに問いました。「なぜここに来たのですか」。「祖父の作りだした恐怖を見るためです」。「責任を感じますか」。「罪の意識を感じています」。
さらに起ちあがった女の子が「あなたの祖父は人を拷問し、殺害し・・・」そこまで言って絶句してしまいました。何度も涙をぬぐいながら絞り出すような声で「私の家族を虐殺しました。私たちの前に立つのが怖くはないのですか」と問いました。

ライネルさんは答えました。「私は会えてうれしいです。そして申し訳なく思っています」。引率の男性が「あなたの祖父に会えたらどうしますか?」と問いかけました。「Oh、私がどうするか聞きたいですか?私はこの手で殺します」。ライネルさんはそう答えました。どよめきが起こりました。
このときホロコーストを生き延びた老人が、あなたと握手をしたいとライネルさんに呼び掛けてきました。「私はここにいたんだよ」と言いながら近寄る老人。二人は強く抱き合いました。拍手が起こりました。
老人はライネルさんに語りました。「ずっと以前から私はドイツの若者たちに話をしてきた。『君たちはそこにいなかった。君たちがやったわけではない』と」。ヘスさんは流れる涙を手でぬぐいました。

この時を振り返ってライネスさんは、「老人が一歩、一歩近づいてくるのが怖かった」と言いました。次に胸がいっぱいになった。そうして「究極の衝撃が私を打ちのめしました。アウシュヴィッツの生存者が私の前に立って、手をとってこう言ったのです。『君たちは罪悪感を持たなくていい』と」と語りました。
ライネスさんは続けます。「胸がいっぱいになりました。堪えきれなくなりました。もうダメでした。頭の中が真っ白になりました。そしてその時、恐怖や恥ずかしさとは違う感情が湧き上がってきました。幸福と心からの喜びを感じました。あれほど過酷な経験をしてきた人から『君ではない。君がやったのではない』と言ってもらえたのです。」
番組は現場に立ち返って対話の後の光景を流しました。絶句しながら「あなたの祖父が・・・私の家族を虐殺しました」と問いかけた女の子が「ありがとうございました」と言いながらライネルさんに近寄り、ハグをしてから去っていきました。

番組はなお先に進むのですが、僕はこのシーンを観て、ライネルさんとともに落涙してしまいました。日本軍の性奴隷制度の被害にあい、過酷な体験を経てきたおばあさんたちに何度も同じことを言われてことを思い出したからでした。
「日本軍の罪を申し訳ないと思っている」と語ると、おばあさんたちは異口同音に「なんであなたが謝るの。そんな必要はないよ。あなたたち日本人は私は大好きだ。悪いのは当時の軍人と政府だ」と語ってくれました。その僕にはライネルさんがこの時感じた、恐ろしさや恥ずかしさを越えたところにある喜びの意味が良く分かります。
同時に僕はこうして罪を問い続けようとするライネルさん、同時にそうした人々に「あなたたちに罪はない」と語りかけるサバイバーの方たちこそが、もっとも美しく、尊い生を貫いているのだと感じました。過去の罪を捉え返すのは過酷で苦しいことですが、しかしそこには究極の人間の強さ、美しさがあります。それはまたサバイバーの方たちの尊厳をかけた訴えとの出会いの中で初めて輝くのです。

このためこの番組は僕の頭の中に鮮烈な印象を残したのでしたが、アウシュヴィッツ博物館の建物を次から次への通り過ぎ、多くの若者たちが行き交う姿を目で追ったその先で、実は僕はこの番組の「先」を見てしまうこととなりました。
というのはたくさん居並んだ収容棟の一番奥まで行った時に、フェンスで覆われてその先が立ち入れない場に出くわしました。瞬時にテレビで観た光景がよみがえってきました。フェンスの向こうにルドルフ・ヘスの旧宅があるのです。
「ああここかあ」と感慨深く建物の方角に目を凝らし、振り返った僕の眼の中に入ってきたのは、ルドルフ・ヘス宅からは見えないようにされていたガス室と焼却炉でした。距離にして数十メートル離れていました。

その刹那に、この二つのモニュメントの間に、あのドキュメントでは写ってないものがあったことを知って、僕は大きなショックを受けました。なんとそれはルドルフ・ヘスが絞首刑に処せられた死刑台でした。まるで鉄棒のように、吊るされた枠組みがそこに残されていました。
しかもイスラエルの若者たちがこの刑場の前に集まってきて勢揃いし、国旗を何枚も広げて記念撮影をするのです。「ああ、何ということだ。あの番組の先にはこれがあったのだ。こうして若者たちは刑場の前で自らを国旗と共にフィルムに焼き付けて帰国するのだ」。僕にとってそれは番組の感動がひっくり返るような衝撃でした。
ライネル・ヘスさんもここを観たのでしょうか。いや必ず観たに違いありません。そのときも若者たちが国旗を掲げて写真を撮っていたでしょうか。

この時、僕は中谷さんに「イスラエルの子たちはいつもここであのようにして写真を撮るのですか?」と質問をしました。
中谷さんはその問いには直接には答えられず、同行していた10人余りの日本人全体にこう語られました。「みなさん。どう思われますか。僕にはここで写真を撮るあの若者たちの思いが分かる気がします。ユダヤ人はみなこの大虐殺の遺族なのです」
「もちろん僕はイスラエルのパレスチナへの野蛮な攻撃に絶対に反対です。でもそれを止めるためにも世の中がもっとユダヤ人が安心できるようにならなくてはいけないけないと僕は思います。それが必要です。そしてこの場に来るとイスラエルの若者は世界の多くの若者が痛みを分け持ってくれていることを知ることができるのです。そうした連なりの中で、世界中で多くのユダヤ人が、イスラエルの攻撃に反対するようにもなってきているではないですか・・・」

僕は、さまざまな思いを巡らしながら、この場で平和のために活動している中谷さんの言葉に深く感銘しました。感銘しながら、やはりイスラエルの若者たちを目で追わずにはおれませんでした。彼ら、彼女らはおそらくこれから国に帰って学校を卒業し兵役にとられていくのでしょう。この若者たちにガザへの侵攻の命令がくだるのかも知れない。そんなことはやめて欲しい。絶対に戦争に行かないで欲しい。
僕にはパレスチナへの侵攻を繰り返すイスラエルが、アウシュヴィッツを国家的に利用しているとしか思えませんでした。アウシュヴィッツを深く捉え返せば平和の思いがにじみ出てくるはずなのに。イスラエルは犠牲になった方たちを裏切っているように僕には思えました。
そんな思いに支配された僕のまなざしの先にいるイスラエルの若者たちは、一様に神妙な顔をしていました。でもその列の後ろの方で3人の男の子たちが、引率する大人たちの言葉をあまり熱心に聞かずにふざけあってもいました。どこにでも必ずいるやんちゃな子たちでした。そんな子たちをも含んだこの若者たちがたまらなく愛おしく感じられました・・・。

続く


なお同番組が5つに分かれてネットに載っていたのでアドレスを紹介しておきます。ライネル・ヘスさんとイスラエルの若者たちとの対話は4番目に出てきます。
 「ヒトラー・チルドレン~ナチスの罪を背負って」NHK・BS世界のドキュメンタリー
  https://www.youtube.com/watch?v=DoSgAlmy3k0
  https://www.youtube.com/watch?v=J6ekC_py41s
  https://www.youtube.com/watch?v=nT5ebMxeamk
  https://www.youtube.com/watch?v=GWN6-WD0rg4
  https://www.youtube.com/watch?v=g5sgXK9Ktno

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明日に向けて(1014)アウシュヴィッツを訪れて(ポーランド訪問で学んだこと-2)

2015年01月15日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150115 22:30)

昨年12月17日に「京都被爆2世3世の会」の拡大総会での話を、同会の平信行さんが起こしてくださったので、それをもとに報告記事を書いています。
講演の時はたくさんのスライドをお見せし、同会の会報にもそれを載せていただいているのですが、ここでは写真を使っていないため、その分を文字によって補うことにします。

*****

ポーランド訪問で学んだこと-2
-ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉えなおす
2014年12月17日学習会 
守田敏也

■ポーランドの独立回復とドイツ・ソ連による侵攻・分割
1917年のロシア革命と第一次世界大戦終結により、1918年、ポーランドは独立を回復しました。
しかし、1939年、ポーランドはナチスドイツとソ連から攻め込まれました。独ソ不可侵条約締結によってドイツとソ連によって分割されることになったのでした。このことが、アウシュビッツなどの「収容所」がドイツ国内ではなく、たくさんのユダヤ人の住むポーランドの中に作られた理由でした。
さらに1941年、ナチスドイツはポーランドを足場に、ソ連侵攻=バルバロッサ作戦を展開するに至りました。

ポーランド一帯がドイツとソ連に分割された時、ウクライナ地域ではナチスの力を利用してソ連の侵攻に抵抗する勢力がありました。
その勢力は第二次大戦後のソ連領時代に徹底して弾圧され、その勢力の名前も聞かれなくなってしましたが、ソ連崩壊やウクライナの独立を経て復活してきました。これらの人々がネオナチを形成しています。
しかも2014年2月のウクライナの政変による新政府発足を機により台頭し、新政府内の一部を構成するに至っています。

■アウシュヴィッツ
アウシュヴィッツは最初からユダヤ人殺害のための収容所として作られたわけではありませんでした。最初は「強制収容所」と言われ、主にポーランド占領に抵抗したポーランド人やソ連軍捕虜の収容を目的に作られました。
その後徐々にユダヤ人、ロマ・シンティ(ジプシー)、障がい者などに収容が拡大し、ヨーロッパ中からこうした人々を集めてくる所になっていきました。
最終的には収容所の目的がユダヤ人の絶滅に転換されて「絶滅収容所」となっていきました。このためアウシュヴィッツに送られたユダヤ人の4分の3は、実際は収容されることもなく、直接ガス室に送られて殺害されてしまったのです。
このためアウシュヴィッツでは何人の人が殺されたのか正確にはどうしてもわからないのだそうだです。一説に150万人とも言われています。
ちなみに、当時のポーランドに住んでいたユダヤ人は約300万人、生き残った人は約5万人、したがって約295万人のユダヤ人がポーランド一帯で殺されたことになります。ヨーロッパ全体で殺されたユダヤ人は600万人ですから、その半分がポーランドに住んでいたユダヤ人ということになります。
現在のポーランドにはユダヤ人はほとんど住んでいません。戦後にも迫害があったためです。悲しい現実です。

この施設を日本人ガイドの中谷剛さんの説明を受けながら歩きました。この地にはアウシュヴィッツの他にビルケナウというより大きな収容所があります。映画『シンドラーのリスト』の撮影なども行われたところです。
まずアウシュヴィッツ博物館に入館しました。入口の門にはドイツ語で「働けば自由になる」というスローガンが書かれています。もちろん嘘です。ユダヤ人を少しでも安心させようとしたのでしょう。
中に入ると絞首刑場などがありました。抵抗する人々がいると見せしめで処刑していたのでした。

この敷地にはたくさんの建物が並んでいます。もともとポーランド軍の営倉だったそうで、それ自身はしっかりとした建物ですが、その中にたくさんのユダヤ人やロマ・シンティの人たちなどが詰め込まれていました。
それぞれの建物に展示があり、次々と建物に入ったり出たりを繰り返します。世界中からいろいろなグループが数十人単位で訪れていて、それぞれをその国の言語を話すガイドが率いています。
夕方までの入館はガイドと一緒でなければできないのですが、実際に何も知らずにここを訪れても、外観は違いのない多数の建物のどこに入れば良いか分からないでしょう。
ガイドたちは非常に巧みに、たくさんの見学者が重ならないように、次々と展示場を案内していきます。

館内にはいろいろなものが展示されていました。やはり胸が痛くなるのは当時の人々が持参したものでした。たくさんのトランクがありますが、「名前を書くように」と言われて、出身地と名前が記されていました。それらのカバンが主を失ったままむなしく積み上げられていました。
あるいは人々が最後まで持ち歩いた食器もたくさん展示されていました。無数の靴、メガネなども積み上げられていました。
目を覆いたくなるのは、死体から取られた女性の髪がつみあがったものでした。ナチスはこれを使い、布地の製作までしていました。どれだけの製品がここから世の中に送り出されていったのでしょう。

当時の様子を記録した写真も多数残されていました。その中で印象的だったのは、ヨーロッパ中からビルケナウにまで通じてきた鉄路の果てに貨車から降ろされたユダヤ人を、ナチス・ドイツの将校と軍医が「振り分け」ているシーンでした。
強制労働に「使う」か、そのままガス室に送るかを判別しているのでした。そこでガス室側に振り分けられた無数の人々が、何も知らずにガス室に向かって列をなしていました。
その中には子どもと母親たちの姿がたくさんありました。ナチスは子どもは労働力にならないとすぐに殺していたのです。このとき母親も一緒にガス室へと送られました。その殺される直前の母と子が写っていました。

もっとも鮮烈な印象の残るのは再建されたガス室でした。天井に無数の穴があけられていました。そこから殺虫剤のチクロンBが投与されて、瞬く間に人々が殺害されたのでした。その部屋を出るとすぐに焼却施設がありました。
こうした展示の中を次から次へと説明を聞きながら歩いていきましたが、中谷さんが繰り返し「文芸もさかえ、知的活動も活発に行われいたドイツでこんなにひどい殺害がなされたのです。それがなぜなのかぜひ考えてみて下さい」と語られているのが印象的でした。確かにここで行われたのはあまりにも酷い罪です。二度と許されてはならないことです。犠牲になった方たちの痛み、苦しみをこそ、私たちは永遠に分かち合っていかなくてはならないと思います。それがこの場が私たちに教えてくれていることでした。

同時に実際にこうして歩いてみた私の感想は、「確かにここはたくさんの方が悲惨に殺された場だけれども、とても丁寧に慰霊がなされているのではないか」ということでもありました。
博物館になってから物凄く多くの人々が訪れており、花が手向けられ、虐殺のひどさにみんなが胸を痛めてきていて、当日も多くの方が死を悼んでいました。僕自身も何度も手を合わせました。僕はたくさんの方が亡くなった場への訪問なので、ある種の覚悟をしていったのですが、僕にはここで亡くなった方たちは、もうここで彷徨っていることはないのではないかと感じられました。

比較するのは全く失礼ではありますが、津波被害のあった直後の三陸海岸を通った時の方が、肌に感じる、何とも言えない、自分が不安になるようなものを感じたことを思い出しました。まだそのころは全く慰霊がなされておらず、酷い復興政策ばかりがハイライトされていた時期だったからかと思います。アウシュヴィッツ博物館には、確かにものすごい痛みがありますが、一方でそれをシェアしようとするものすごい力も満ちていることを感じたのです。
アウシュヴィッツには今でもたくさんの人が訪れてきています。特に若者が多い。若い人がこうしてたくさん訪問してきて、この痛みを自らのものとして引き受け、人類が犯した罪と向き合うのは僕にはとてもいいことだと思えました。
僕自身がさまざまな戦争の被害や加害の実態に、自分の人生の中でずっと向き合って生きてきていたので、こうした場を訪れるある種の心構えができていたために、それほど深いショックを受けなかったのでもあると思います。
アウシュヴィッツ博物館には確かにあまりにも残酷な虐殺の証拠や記録が示されているわけですが、その多くを事前に学習してもいたので、事前に本から感じた通りの印象を受けたという感じがしました。

それよりも、現代のことに関わる問題ですごくびっくりすることになりました。
先にも述べたように、この博物館には各国の人々が訪れてきていて、狭い館内で何度もすれ違います。その度にガイドの中谷さんがどこの国からの来館者なのかを教えてくれます。ドイツの若者もいました。「ドイツ人は一番勇気がいるでしょうね」と中谷さん。
その中で説明されずとも一目瞭然の団体がいました。イスラエルから来た若者たちです。なぜすぐに分かるのかと言うと、何枚ものイスラエル国旗を手に手に歩んでいるからです。キッパというユダヤ教徒が被る小さな帽子を頭に載せている大人の方も一緒にいます。
「この方たちはみんなここで亡くなった方たちの遺族です」と中谷さん。そうです。600万人が殺されているということはそういうことなのです。
若者たちはみな高校生ぐらいの年齢に見えました。修学旅行のようなもので訪れているのではないでしょうか。とすればこの若者たちは帰国後に徴兵されるのではないか。そう思いながら一行を見ていると、ちょうどドイツの若者たちとすれ違っていきました。
「こうしたこの場でのすれ違いが大事なんです」と中谷さんが語りました。

続く

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明日に向けて(1013)ポーランド訪問で学んだこと(20141217学習会より-1)

2015年01月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150114 23:30)

世界情勢を俯瞰する連載の途中ですが、昨年末に行った「京都被爆2世3世の会」の拡大例会で行ったポーランド訪問報告会の内容を文字起こししていただいたので、多少、手を入れてここにも掲載することにしました。
文字起こししてくださったのは、同会代表の平信行さんです。僕の話した問題意識をとても良く受け止めて下さり、同会の会報用に文字起こし下さいました。前回に続く文字起こしです。講演でお話したことを文字起こししていだけることはあまりないので本当にありがたいです。心から感謝申し上げます。
なおヨーロッパ・トルコ訪問にまつわる報告会は12月に5回開催しましたが、この時の会だけポーランドに特化してお話しました。そのため他の会場では話せなかった細かい内容が盛り込まれています。
すでに「ポーランドを訪れて」という連載の中でも触れてきてはいますが、現代の世界の問題にも深くつながっているので、ぜひもう一度、読んでいただけたらと思います。なお起こしていただいた文章は「である調」ですが、ここでは「ですます調」に直して掲載します。

*****

ポーランド訪問で学んだこと
-ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉えなおす
2014年12月17日学習会 要旨報告
守田敏也

はじめに

今年は2月末にベラルーシを訪問。その後ドイツ、日本、ベラルーシ医師団と合流して、3月のドイツ国際医師会議に参加し、それに引き続いて、ヨーロッパ・アクション・ウィークに参加しました。
ヨーロッパ・アクション・ウィークのテーマは「チェルノブイリと福島の事故の後の未来を考える」で、それぞれの事故の証言者を各地・各国に派遣するとりくみでした。
僕はトルコに派遣されました。日本がトルコに原発を輸出しようとしているからです。

ヨーロッパ・アクション・ウィークを主催しているのはドイツのIBB(国際的な教育と交流の場の提供をしている組織)という団体で、教育と交流のプログラムを熱心にやっています。
チェルノブイリ被災支援もものすごくやっていて、さらにドイツの子どもたちをアウシュビッツに連れていくことなども積極的に取り組んでいます。
この取り組みで3月にトルコを訪問した縁で、8月、再びトルコから招かれました。トルコのシノップ県ゲルゼ市の夏祭りへの招待でした。夏祭りのテーマが脱原発、反原発でした。

10月に、ヨーロッパ・アクション・ウィークによるポーランド国際会議が開催されました。各国に派遣された人たちがそれぞれの成果を持ち寄り、今後の脱原発運動をどう進めるかについて語り合おうという会議でした。
僕は日本とトルコの間で新しく作り上げた脱原発ネットワークについて発言をしてきましたが、この機会を活かして、アウシュビッツも訪問し、いろんなことを学んできました。
このうちベラルーシ、ドイツ、トルコ訪問については、8月9日の「2世・3世の会」の学習会ですでにお話ししているので今回は省略し、今日は10月のポーランド国際会議、及びポーランド訪問で学んだこと、それらを通じて、特にウクライナについて深めてきたことにフォーカスしてお話ししたいと思います。

1、ポーランドにおけるユダヤ人の歴史とアウシュビッツ

■ポーランドにおけるユダヤ人の歴史概観
ポーランドは10世紀に建国された国ですが、現在の領土はほぼ建国時と一致しています。そのポーランドの歴史を見ていくと、まずヨーロッパの中で最も宗教的に寛容的だったことを知らされます。
言うまでもないことですがヨーロッパは歴史的にキリスト教中心の社会でした。そのことはユダヤ教や異教徒に対して非常に迫害的、差別的であったことをも意味しています。
キリスト教は対外的にはイスラム教と対立し、ヨーロッパの内側では絶えずユダヤ教や異教徒との対立を続けてきましたが、ヨーロッパのそのような宗教的土壌の中で、ポーランドのみはユダヤ教に対しても寛容的な国としての歴史を歩んできました。

具体的には、1264年9月8日「ユダヤ人の自由に関する一般教書」(カリッシュ法)が制定され、ユダヤ人の人権保護が明記されています。
その後、ドイツ騎士団と度々戦争が繰り返され、14世紀末グルンヴァルドの戦いでポーランドが勝利、1414年コンスタンツ会議で論争が行われました。ドイツ騎士団はポーランドが異教徒のリトアニア人と連合したことを批判。
これに対してポーランドは、「異教徒と言えどもまったく同じ人間であり、リトアニア人には自らの政府を持つ権利、平和に暮らす権利、財産に対する権利があり、これらを自衛する権利がある」と主張。教皇庁もこの主張を採択しました。
正確には、教皇庁はリトアニア人の人権は認めないが、ポーランドがリトアニア人と連合したことは認めたのでした。こうした歴史から、ポーランドにはたくさんのユダヤ人が流入するようになっていきました。

加えて14世紀、ヨーロッパでペストが大蔓延した時、ペストの流行をユダヤ人の犯行とする風評が広がり、たくさんのユダヤ人が虐殺されました。この時も、唯一このような風評の広がらなかったのがポーランドで、そのことがユダヤ人の流入をさらに加速させる結果となりました。
ユダヤ人は迫害されてきた民であるため、貧しさから逃れることができませんでした。その中でのしあがろうとする一部のユダヤ人は金融業者として力をつけていきました。
中世キリスト教社会は建前的には金融業(特に利子)を否定していました。神の司る時間を使って金儲けをすることはけしからん、利子は人を堕落させるというのがその理由でした。
しかし、現実的には社会における貨幣経済の浸透、拡大にともなって、金融業の必要性は高まり、それを「下賤な仕事」としてユダヤ人が携わることになっていきました。ユダヤ人は社会の真っ当な構成員として認められず、しばしば共同体の外に置かれていたからでした。

金融的な力を持つユダヤ人の流入によって、ポーランドは大国として成長していくことになりました。
ポーランドは1569年~1795年の時期に最盛期を迎えました。現在のベラルーシ、バルト三国、ウクライナの地域なども領土として含むヨーロッパ最大の強国となりました。
その後、18世紀中頃からヨーロッパ全体は新しい激動の時代を迎え、特にプロテスタントの台頭等が顕著になっていきました。そうした中、ポーランドは弱体化していきました。1795年、ポーランドは隣接するロシア帝国、プロシア王国、オーストリアの3強国によって分割されてしまいました。
ポーランドは領土分割され独立国としての立場を失いましたが、多くのユダヤ人は旧ポーランド領(現在のポーランド、ベラルーシ、ウクライナ等)一帯にとどまり、そこを安住の地として住み続けました。後年、こうした地域にナチスが攻め込むことになったのでした。

■ユダヤ人とは何か?
それではそもそも「ユダヤ人」とはいかに定義できるのでしょうか。つぎのような考察があります。
「現在のユダヤ人は民族的、文化的に統合されておらず、言語も同一ではなく、宗教との関係も様々であっても、かれらは特殊で、痛ましい、永く続いた歴史によってつながれている。」(『ポーランドのユダヤ人』より)
ユダヤ人=ユダヤ教徒と考えられがちだが、それは正しくありません。18世紀以降ヨーロッパでは、キリスト教徒であることを否定し、無神論、非キリスト教徒宣言する人たちが登場してきました。
ユダヤ人においても同様で、自分はユダヤ教徒ではないと主張し、さらにはユダヤ人であることを辞める人たちもたくさん生まれてきました。そのため実際には、ユダヤ人とは何かという問いに対して、その回答は大変難しく複雑なものになっていきました。

しかし一方で、「お前はユダヤ人だ!」と外からの決めつけによって「ユダヤ人」とされ、多くの人が迫害、虐殺されることになっていきました。
自分はユダヤ人だとは思っていなかったのにユダヤ人とされた一人の典型がアンネ・フランクでした。彼女などはユダヤ人としてのアイデンティティはほとんど持っていなかったのに、ナチスによって「ユダヤ人」にされてしまったのでした。
ナチスは、祖父、祖母のどちらかがユダヤ人であった人は全員強制的に「ユダヤ人」と決めつけ、迫害、虐殺を行っていきました。ユダヤ人とされた人々がユダヤ人であることを止めようとしてもヨーロッパ社会は認めてくれなかったのでした。

これらを踏まえて前掲書では「ユダヤ人とは何か?」という問いに以下の答えを当てています。
「その歴史の始源は旧約聖書によって知られている。そこにはユダヤ人の自己意識の基礎的な要素が示されている。すなわち族長アブラハムに始まるかれらの出自、イスラエルの地、つまり聖書の約束の地との絶えることのないこだわり、それに信仰あるユダヤ人とキリスト教徒とのきずなである唯一のヤーヴェへの信仰である。
ユダヤ人の運命の独自性は、迫害のない自由な土地を求めて続けられた永い放浪、つまり他民族の間にちりぢりに営まれたディアスポラの生活、それに加えてユダヤ人以外の環境との関係に由来する。(『ポーランドのユダヤ人』より)
非常に分かりにくい説明ですが、しかし、敢えてユダヤ人について説明すると、こう言うしかないのだと思います。つまり「ユダヤ人とは何か?」それは常に繰り返されてきた問いであって、容易に回答することのできない問題なのです。

ではユダヤ人たちは自己の解放の方向性をどこに求めていったのでしょうか?第一に、非常に象徴的なことして、ユダヤ人としての民族解放ではなく、普遍的な人間としての解放を求めた人々がいました。その人々はマルクス主義に傾倒していき、ロシア社会民主労働党(ボリシェビキ)に結集していきました。
そのことは革命直後の党中央委員会にユダヤ人が圧倒的に多いことに表されています。例えば、トロッキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ラデック、クループスカヤなどがそうです。一方、ユダヤ人であることにこだわりつつ社会主義を模索した人々はユダヤ人としての独自組織を作っていきました。(ユダヤ人ブンド)
さらに社会主義ではなく、ユダヤ人だけの国家建設を求める人々はシオニズム(シオンの地=イスラエルにユダヤ人国家を建設しようというもの)に傾倒していきました。これが現在のイスラエル国家の建国につながっています。

続く

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明日に向けて(1012)朗読劇「ガザ希望のメッセージ」にご参加を(2月1日大阪、8日津)

2015年01月13日 21時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20140113 21:00)

フランス新聞社襲撃事件に触れながら、この数十年間、アメリカを中心とする大国がアフガニスタンやイラクなどにどれほどひどい暴力的な戦闘を仕掛けてきたのかを指摘してきました。
またその中で「アルカイーダ」などの「過激派」はもともとアメリカが育成してきたことも指摘しました。今回の襲撃事件もこうしたアメリカの残虐さを真似たものであり、だからこそ僕は許してはならないと強く思います。
こうした殺人事件をなくすためには、もっとも大規模な殺人を繰り返しているアメリカを中心とした列強国の戦争政策をこそ止めていく必要があります。

その点でもう一つ、非常に大事なことは、パレスチナに繰り返し行われきた残虐な大量殺人です。大人も子どもの区別なく、居住地にミサイルを撃ち込む本当に非道な攻撃がイスラエルによってこれまで何度も繰り返されてきました。
アメリカは、このイスラエルの殺人攻撃を最も強くバックアップし、かばい続けてきました。「アメリカの中東の憲兵」と言われたイランのパーレビ王政を失ってからはなおさらでした。アメリカはイスラエルに加担しながら、中東への影響力を誇示してきたのでした。
アメリカの影響を受けた西側の多くのメディアは、イスラエルが人々が普通に暮らしている地域を一方的に攻撃しても「テロ」とは言いません。いやイスラエルがパレスチナの特定の誰かを殺した時もテロとは言わずに「暗殺」などと言う。明らかに非合法的な殺人なので「暗殺」と言いながら「テロ」とだけは絶対に言わないのです。

理不尽きわまるこの殺人攻撃の指導者、昨年夏に子どもたちを含む何千人もの命を奪った責任者であるイスラエルのネタニヤフ首相が、今回のフランスのデモで、オランドフランス大統領らと並んで行進していました。「テロ」に反対しているはずのあのデモにおいてです。
どう考えたってこれはおかしい。昨年の夏、あれだけのなんらの罪もない人々、多数の子どもを含む人々が、白昼堂々とこの首相のもとに次から次へと殺されていったというのに、フランスも、ドイツも停めようとはしませんでした。そうして今回、戦争犯罪人であるネタニヤフ首相がデモに参加しているのです。
私たちはこういう理不尽さをこそ批判し、覆していかなければなりません。表現の自由はそのためにこそ行使されなくてはならない。そうでなければ絶望した人々の暴力への傾斜をどうして止められるでしょうか。

フランスの事件に胸を痛めているすべての方に、今だからこそパレスチナに目を向けること、昨年夏のイスラエルによる連続殺人を振り返ること、昨年夏だけではなく、長い間繰り返されてきた暴力の歴史を捉えることを強く訴えたいと思います。
そのための良い企画が大阪と三重で行われるのでご紹介します。朗読劇・ガザ希望のメッセージです。京都大学の岡真理さん演出・脚本で、友人たちで構成されている「国境なき朗読者たち」が出演します。
お近くの方はぜひご参加下さい。また参加できない方も、ぜひホームページなどをご覧下さい。パレスチナを身近に感じてこそ、本当の暴力反対を貫き、何としても平和を紡ぎ出す決意が沸いてきます。みなさん。ぜひとも今、パレスチナに近づいてください!

 朗読劇に興味を持たれた方はまずこのショートビデオを!
 https://www.youtube.com/watch?v=Gmnbz-W8SK8

以下、朗読劇の案内を転載します。

*****

朗読集団 国境なき朗読者たち
<朗読劇>

the Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ

2014年の夏、パレスチナのガザ地区は、イスラエルによる、言語を絶する大量破壊、大量殺戮に見舞われました。攻撃は51日間に及び、2200名もの命が奪われました。その大半が民間人、500名以上が子どもです。50万もの人々が家を追われました。
ガザに対する大規模軍事攻撃は、これが初めてではありません。6年前の2008年12月、ガザ地区全土に対し突如、イスラエル軍による一斉攻撃が始まりました。完全封鎖され、逃げ場のない 150万の住民たちの頭上に、22日間にわたりミサイルや砲弾の雨が降り注いだのです。世界がクリスマスの余韻に浸り、新年を祝っていたそのとき、ガザの人々は一方的な殺戮と破壊にさらされていました…。
私たちの朗読劇「The Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ」は、この出来事に対する応答として、2009年に誕生しました。

この朗読劇は、4つのテクストから構成されています。一つは、空爆下のガザから連日連夜、世界にメールを発信し続けたサイード・アブデルワーヘド教授の『ガザ通信』、二つ目は1972年、36歳の若さで爆殺されたパレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの短編「ガザからの手紙」。
三つ目は2003年、占領下のパレスチナ人住民の人権擁護活動のためガザに赴いたアメリカ人女子大生レイチェル・コリーがガザからアメリカの家族に書き送ったメール、そして攻撃のさなか、ガザで活動を続けた「インターナショナルズ」と呼ばれる世界の若者たちの証言です。

私たち、平和をめざす朗読集団「国境なき朗読者たち」は、この朗読劇を上演するため、 つばめクラブのプロデュースにより、2009年、京都の市民・学生有志をメンバーに結成されました。以来、京都を中心に、広島、東京などで上演を重ねてきました。
停戦になり、一時に大量に人が殺されるという事態がなくなると、マスメディアは報道しなくなります。しかし、ガザでは依然、封鎖が続いています。家を失った何十万もの人々が、瓦礫の中で、冬の寒さを耐え忍んでいます。「過ちは二度と繰り返しませんから」という私たちの誓いをあざ笑うかのように、繰り返されるジェノサイド……。
いくたび破壊と殺戮に見舞われようと、生を愛し、「人間の側に踏みとどまり続け」ようとするガザの人々の闘い。不正と暴力に抗するために、ガザと私たちを、「想像力」という人間の力によって架橋します。肉声を通して語られるガザの声に触れ、今もなお完全封鎖のもとに置かれているガザへの思い、そして私たちが生きるこの世界への思いを新たにしてください。
岡 真理(演出・脚本) 

2015年2月1日 大阪公演
1、14:00 開演
 (13:10受付開始、13:30開場、15:45終演)
2、18:00 開演
 (17:10受付開始、17:30開場、19:45終演)

2015年2月8日 津公演
1、14:00 開演
 (13:10受付開始、13:30開場、15:45終演)

会  場: 大阪 ドーンセンター  津 中央公民館ホール
事前予約 1500円  (障がいのある方及び介助の方・学生 800円)
当 日  2000円  (同 1300円)

大阪/三重公演のチラシ>> ダウンロードしてお使いください。(表面、裏面)

重要⇒〇予約・お問合せ ※メール、またはお電話でお願いします。
 大阪 080-5314-1539(つくい)、 tsubamegekidan@gmail.com (つばめ劇団)
 三重 059-229-3078(FAX兼)、090-1239-1410(宮西)、syashinten@za.ztv.ne.jp
    
制作:ふぇみん大阪、ガザ朗読劇三重公演実行委員会、つばめクラブ
協賛:市民社会フォーラム

国境なき朗読者たち ホームページ
http://readers-without-borders.org/

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