明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2487)アメリカは原爆によってアメリカの人々をも被爆させた 原水爆実験では世界中の人々を被爆させた 「唯一の被爆国」という言葉はこの消し去ってしまっている

2025年01月03日 15時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20250103 15:00)

年頭より「被爆国」「被爆国政府」という言い方を越えていこうと言う提案を行っていますが、今回は戦争犯罪を繰り返したアメリカ政府の責任も指摘しておきたいと思います。

アメリカは原爆攻撃のため戦争を長引かせ自国民も大量に犠牲にした

前回も触れたように、アメリカは1944年に日本から奪取したテニアン島から、日本本土までB29を飛ばせるようになり、本土の絨毯爆撃が始まりました。この時、使用された新型爆弾が焼夷弾=ナパーム弾でした。
開発の主任は有機化学者のフィーザ―、バックアップしたのはスタンダード石油でした。後者は石油王ジョン・ロックフェラーが立ち上げ、一時期は全米の石油事業を独占し、その後、独占禁止法によってエッソ、モービル、ゼネラルなどに分社化された会社です。
アメリカ軍は焼夷弾をB29に大量に搭載し、日本の主要都市のほとんどを焼き尽くしましたが、これは明らかな戦争犯罪でしたし、戦争に勝つためにも必要のない攻撃でした。これでエッソなどは巨額の儲けを上げたことを、車に給油するときに思い出して下さい!


左 ナパームをつめた焼夷弾(ネットより) 右 B29戦略爆撃機 NM州にて守田撮影 下 ネットより

日本の主要都市はこの攻撃で灰燼に帰し、大量の死傷者を出し、戦争継続の力などもはや皆無でした。にもかかわらずアメリカは莫大な資金を投入して開発中だった原爆をなんとしても使おうとしていました。
実はこの時、アメリカも日本政府が戦争をやめたがっていること、終戦の条件として天皇制の存続を望んでいることをつかんでいました。その上でアメリカは、日本の終戦への意志を無視したまま硫黄島や沖縄での戦闘継続しつつ、原爆開発を急ぎました。
そして7月16日に、ニューメキシコ州トリニティサイトで人類初の核実験に「成功」しました。この時、アメリカ政府は国民・住民には何も知らせなかった。このため大量の人々が被爆してしまいました。放射能は州境を越えてかなり遠くまで飛散しました。

初の核実験で放出された放射能は全米各地を覆っていた ネットより

その翌日から連合国の首脳がポツダムに集まって会議を行い、7月26日に日本向けにポツダム宣言が発せられました。日本が飲めないだろう無条件降伏を突きつけましたが、実は前日25日にトルーマン大統領は広島への原爆攻撃命令を発していました。
案の上日本はポツダム宣言を受け入れず、広島と長崎で原爆による大量虐殺が行われました。原爆のことに詳しい詩人のアーサー・ビナードさんは、この過程でアメリカ青年もまた無駄に殺されたと指摘しています。硫黄島や沖縄での戦いも必要なかったからです。
このような過程をみる時、私たちは原爆で最初に被爆させられたのが、アメリカ国民・住民であったこと、その前にウラン鉱の周りの先住民が被爆させられていたことに注目する必要があります。


ポツダム会談に臨んだチャーチル・トルーマン・スタ―リン 1945年7月26日 ネットより
トルーマンはこの前日に広島への原爆攻撃の秘密命令をだしていた


「唯一の被爆国」という言い方はより間違っている

このように見たときに「唯一の被爆国」という言葉は、より実態から外れていることが見えてくると思います。というより日本を唯一の「被爆国」だと言いなすことは、アメリカが世界中の人々を被爆させた事実を覆い隠してしまっています。
繰り返しますが第二次世界大戦の過程ですら、アメリカはアメリカ国民・住民をまず被爆させました。さらに広島・長崎への虐殺攻撃でも被曝死者の17%が朝鮮人だったし、他にもたくさんの「日本人」以外の人々が被爆しています。
だから「被爆国」という言い方も間違いだし、「唯一の被爆国」という言い方はより大きく間違っています。

とくに第二次世界大戦終結後にアメリカは、戦争の末に日本から奪った南洋の島々で、大規模な核実験を繰り返しました。マーシャル諸島をはじめ、本当にたくさんの島々の人々が深刻に被爆させらるとともに、放射能は世界中に拡散しました。


ビキニ環礁で行われた4,5回目の核爆発  写真はクロスロード作戦の中のベイカー実験
1946年7月25日 ちょうど一年前の同じ日に広島への原爆攻撃の極秘命令が出された ネットより


アメリカはまたネバタ砂漠でも核実験をはじめ、約100回も核爆弾を破裂させて大量な放射能をアメリカ中にばら撒きました。公的に発表された資料からだけでも、放射能は繰り返し全米を覆い、ニューヨークまでも届いていたことが分かっています。

出典:リチャード・ミラー、「1951-62年のアメリカ南西部の核実験の時代に2つ以上の放射性雲が交差した地域」

その上、核実験は旧ソ連も、イギリスも、フランスも、中国も繰り返しました。核実験場の周辺が深刻に被爆するとともに、その放射能も世界中に未だに漂い続けています。


守田講演スライドより

にもかかわらず日本だけを「被爆国」だという言い方はアメリカに、核兵器保有国に、まったく都合が良いことがお判りになると思います。それでは日本人以外の人々への被爆の強制が見えなくなってしまうからです。膨大な被害がマスクされてしまいます。
つまり「被爆国」という言い方は、被爆をさせた核兵器保有国の罪をも隠してしまうことに結果しているのです。そうではない。被爆させられたのは世界中の人々であり、だからなあなたであり、私なのです。
私たちはこのことをこそ、広島と長崎の痛みを知るものとして、世界に広めていきましょう。「被爆国」という言葉を越えて前に進みましょう!

続く

#ノーベル平和賞 #被爆国論の再考を #唯一の被爆国言うのをやめよう #アメリカは被爆被害を隠してきた #空襲は戦争犯罪 #被爆したのは日本人だけではない#世界中の人々が被爆している #焼夷弾 #ナパーム弾 #ポツダム宣言

*****

核なき未来に向けた歩みを強めるために、カンパで活動をお支え下さい!
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151

paypalからもお支払いできます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(2486)「被爆国」という言い方を越えて米日政府による戦争犯罪のもみ消しー被爆被害の極小化に立ち向かおう・・・ノーベル平和賞のその先に-3

2025年01月02日 17時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20250102 17:00)

前回の投稿に続き、「被爆国」という言い方を越え出ることを訴えたいと思います。

まずは「被爆国」という言い方では被害の実相が正しく捉えられないこと、さらに「被爆国政府」という言い方は、当時の日本政府が、アメリカ軍による大量の国民・住民の虐殺を少しも防ぐことができないのにいたずらに戦争を長引かせ、原爆による大量虐殺も受けてしまったことの責任を免罪するものでしかないことも明らかにしました。

今回、さらに問いたいのは、日本政府が原爆による民間人の殺傷という戦争犯罪を利用することで、自らのアジア侵略における戦争犯罪を隠蔽してきたことです。


日本軍は侵略による戦争犯罪をもみ消すためにアメリカの原爆を使った戦争犯罪を使った

この点を大きく暴いたスクープが2010年にNHKによって報じられました。『封印された原爆報告書』という番組です。
「明日に向けて」にこの番組の文字起こしを掲載しているのでご紹介します。以下の記事(2446)から(2447)(2448)と連載しています。ぜひご覧下さい。

明日に向けて(2446)日本陸軍は原爆被害をすぐに調査しアメリカに差し出していた-(再掲 NHK「封印された原爆報告書」より―1)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/de08bea545511918a2297939001b80f1

ここで描かれたのは、原爆の被害をいち早く調べ始めたのが日本陸軍であったこと。しかも陸軍がそれを即刻英訳し進駐軍としてやってきた米軍に、いちはやく差し出していたという衝撃的な事実でした。
なぜそんなことをしたのか。当時、それに関わった元軍医中佐がこう証言しています。「(アメリカの)心証を良くするためだった」「731のこともあるでしょうね」・・・。731とは中国大陸で人体実験などを繰り返した石井731部隊のことです。
彼は「新しい兵器を持てばその威力っていうものは、誰でも知りたいものですよ。カードで言えば有効なカードがあまり無いので、原爆のことはかなり有力なカードだったんでしょうね」とも述べています。

ようするに陸軍は原爆の威力を知りたかったアメリカに、広島・長崎の人々の被害の克明なレポートを差し出して心証を良くし、自らの戦争犯罪への訴追を免れようとしたのです。いわばアメリカの戦争犯罪を利用し、アジア侵略などの戦争犯罪を隠蔽したのです。
あまりにひどい。戦中に「鬼畜米英を倒せ」と国民を煽りながら、その米軍の虐殺攻撃によって被害を受けた人々のレポートを、自らの延命のために日本軍は利用した。
だからこそ、そうして訴追を免れて生きのびた陸海軍出身者をたくさん抱えた日本政府は、アメリカの戦争犯罪をまったく批判してこなかった。それが自分たちの戦争犯罪とつながっていたからです。


守田講演スライドより

日本政府は被爆被害のもみ消しにも貢献してきた

私たちが見据えておかねばならないのは、これが戦後の一時期だけでなく、その後も一貫して続けられてきたこと、それが今も生きていることです。

アメリカは広島と長崎で行った最悪の戦争犯罪の実態を懸命に隠すため、放射線被曝の影響を極端に低く見積もろうとしてきました。
使われたのはシンプルなテクニックでした。放射線被曝による被害を、原爆が爆発した瞬間に発生した中性子線や、ガンマー線による外部被害のみに切り縮め、膨大に発生した内部被曝を無視することでした。
これらを体系化したものが、ICRP(国際放射線防護協会)による被曝評価であり、それがいまも通用しています。福島の現状を語るときの大前提にもこのICRPの評価が使われています。

日本政府は戦後、このアメリカの主張に完全に同意し、被爆(被曝)被害の影響隠しに協力し続けてきました。協力することで、自らの戦争犯罪の隠蔽を続けてきました。
そのことでたくさんの被爆者が、途端の苦しみの中に喘がねばなりませんでした。多くの被害が認められず、無視されてきたからです。だからいまなお苦しんでいます。

その点で日本政府は、広島・長崎の人々が原爆による虐殺攻撃を受けたことに責任があるばかりか、戦後に被爆者を抑圧してきた大きな罪も抱えています。
謝罪や補償をしないばかりか、アメリカと共に被爆者への迫害を続けたことをあらためて怒りを持って告発します。

いかがでしょうか。「被爆国」「被爆国政府」などという言葉が、日本政府による、被爆者抑圧に対する隠れ蓑としてしか作用していないことはもはや明らかです。
だからもうこんな言葉を使うのはやめましょう。その上で、米日両政府が隠してきた現にいまも続いている被爆(被曝)の実相を暴くことへと進みましょう。


守田講演スライドより

続く

#ノーベル平和賞 #被爆国論の再考を #被爆国政府と言うのをやめよう #アメリカは被爆被害を隠してきた #日本政府は被爆者を抑圧してきた #被爆国 #唯一の戦争被爆国 #核なき未来へ

*****

核なき未来に向けた歩みを強めるために、カンパで活動をお支え下さい!
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151

paypalからもお支払いできます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(2485)「被爆国」という表現は正しくない。「被爆国政府」論では日本政府を免罪することにしかならない・・・ノーベル平和賞のその先に-2

2025年01月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20250101 23:30)

あけましておめでとうございます

みなさま。新年を迎えました。おめでとうございます!今年もどうかよろしくお願いします。
2025年をみんなで核なき未来を力強く手繰り寄せる年にしたいです。もちろん戦争、暴力をできる限り無くしていきたい。力を合わせて進みましょう。

年末にそんな思いを込めて「ノーベル平和賞受賞を踏まえてその先にーいま現に進行している被爆(被曝)と立ち向かおう!」という記事を出しました。
今日は、ノーベル平和賞の先に進むための一つとして「被爆国」という言葉を越え出ていくことを呼びかけたいです。何回かに分けます。一緒にお考え下さい。



「被爆国」という言い方は被害を正しく伝えていない

これまでも述べてきたように、日本被団協へのノーベル平和賞授与は「二度と被爆者を作らないで」と訴えてきた被爆者の方たちに光を当てる行為でした。それ自身はとても大きなことです。
大事なのはこの被爆者の声を受け継ぎ、豊かに発展させていくこと。そのために核兵器にとどまらずあらゆる被爆(被曝)に抗い、核なき未来をたぐり寄せていくことです。

そのためにこれまでの枠をいろいろな意味で脱していくことが問われていますが、今回、取り上げたいのは「被爆国」という言い方のおかしさです。
そもそもアメリカ軍の原爆攻撃で被爆したのは、広島と長崎にいた人びとでした。被爆者は約70万人と数えられましたが(実際はもっと多い)そのうち約1割は朝鮮人でした。しかも爆死者を数えてみると朝鮮人の割合はなんと17%にもなります。日本人の僕には痛ましく、哀しく、恥ずかしく思えます。

しかし南北朝鮮は「被爆国」に数えられてはいません。当時は「日本」とされていたにもかかわらず。その点では台湾だって数えられていないことに注目すべきです。
反対に北海道は被爆したでしょうか。沖縄は?いや東京だって大阪だって、被爆したという認識を持ってはいません。でも被爆国にはこれらの地はみんな入り、南北朝鮮、台湾は除外されています。
これはおかしい。ここから分かるのは「被爆国」という捉え方では、被害の実相に迫れていないことです。とくに爆死者の17%も占めた南北朝鮮の人々が抜け落ちてしまうことは大きな問題です。

さらにそもそも戦中に核爆弾で被爆被害が生じたのは広島が初めてではありません。1945年7月16日にアメリカ軍はニューメキシコ州アラゴモード周辺のトリニティサイトで核実験を行い、周辺住民を被爆させています。
「被爆国」という言い方ではこの被害者たちも除外されてしまう。だから私たちは「被爆国」という言い方を脱していく必要があります。


守田講演スライドより 平信行さん使用のものに加工

「被爆国政府」という言い方は日本政府を免罪するだけ

そもそも原爆による攻撃は民間人の大量虐殺でした。当時の国際法から言っても明らかなる戦争犯罪です。なんとしてもこのことをアメリカ政府に認めさせ、謝罪させなくてはいけない。世界平和のためにです。
今回強調したいのは、同時に日本政府も、こうした虐殺攻撃を受けたことに大きな責任を負っていることです。にもかかわらず「被爆国政府」などという言い方は、この日本政府の責任を免罪してしまうことになりかねません。

そもそも日本政府は、国力があまりに違うアメリカを相手に、勝てないことなど分かっていながら無謀な戦争に突入したのでした。
しかも緒戦でこそ幾つかの「戦果」をあげたものの、アメリカ軍の猛攻にどんどん後退を強いられ、1944年秋のレイテ決戦で大敗北し、大きく抗戦能力を落としていました。軍隊対軍隊の戦闘ではもうここで決着がついていたのです。

にもかかわらずアメリカはサイパン・テニアン島を奪取し、その飛行場からB29戦略爆撃機を日本まで飛ばせるようになったことを受けて、何百という編隊で本土空襲を始めました。かくして1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに都市空襲が構造化されました。
日本政府はせめてこの段階で降伏すべきだったのです。まったく勝ち目がないし空襲も防げなかったからです。にもかかわらず天皇制の存続と支配層の自己保身のため戦争が続けられた。「アメリカに一泡吹かせる」とか言って、人々が大量虐殺されるがままに任せていた。

つまり政府は日本の国民・住民の保護義務を放棄したのです。1944年末に降伏すれば都市の大規模空襲だって、沖縄地上戦だって、硫黄島の戦いだって必要なかった。特攻も玉砕も必要なかったし、原爆攻撃だって受けずにすんだのです。
アメリカもまた日本がもう勝てないことも、降伏の意志があることも知っていた。でも原爆を落とすまで降伏させたくなかった。この両政府の犯罪的な思惑の中で、あたらたくさんの人々が死んだのです。その中にはたくさんの米兵も含まれています。

これらの歴史を踏まえ、どこか被害者のような響きのある「被爆国政府」などという言い方を「もうやめましょう」と提案したいのです。


守田講演スライドより

続く

#ノーベル平和賞 #被爆国論の再考を #空襲は戦争犯罪 #大日本帝国政府は国民住民を守らなかった #被爆国 #唯一の戦争被爆国 #核なき未来へ

*****

核なき未来に向けた歩みを強めるために、カンパで活動をお支え下さい!
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151

paypalからもお支払いできます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする