明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2090)『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』向日市で3回目の読む会開催です(9月11日土曜日)

2021年09月04日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です (20210904 23:30)

向日市で3回目の読む会を行います。

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』、11日に向日市で3回目を行うことになりました。
土曜日の午前9時45分から12時までです。
1回目は昨年9月12日、2回目は本年4月23日、そして3回目と連続でお招きいただき感謝です。

会場は向日市寺戸公民館大会議室。会員対象の学習会なので参加費無料。
会場定員がコロナ禍のため20人のため、予約申し込みで先着順とのこと。

主催と申し込みは、「原発をなくす向日市民の会」
事務局筒井さん 電話・FAX 075-931-3788
Eメールアドレス genpatsu.zero.20120714@gmail.com


向日市1回目はこんな感じでした!

1回目は入口。『放射線副読本』に込められている「騙しのテクニック」をつかむことが主眼でした。こんな感想をいただきました。

政府が都合の悪いことは隠していることが多いのが、わかりやすく理解することができた。
非常にわかりやすく「放射線副読本」の問題点を説明してもらって、政府や東電の対応のひどさがよくわかりました。
驚きました。孫がこんな本をもらって、先生に教えられているかと思うと、これはいけないと思った。

知っていたようで、知らなかった話を聞き良かったです。改めて放射能(線)の恐さを知り、政府の思惑もこれから先をもっと考えて行かないといけないと思いました。子ども達、若い人たちかが知ってほしい内容ですね。
いつもと違う方式での学習会で、楽しく参加させていただきました。わかりやすく、テキストをもとにもっと学習しなくては…という気になりました。ありがとうございました。
副読本の読み解き、とても面白かったです。もっと聞きたかった。またひとつ原発いらないの想いを強くしました。

詳しくは以下の記事をご覧下さい。
明日に向けて(1896)向日市での『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』読む会はこんなふうに行われました!
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/cdad20080bd566b290fcbb55ef1e125d


 

2回目は原爆の話をしっかりしました

2回目では「被曝のことは原爆被害者の調査で明らかになった」という副読本のくだりが出てくるので原爆と放射線のことをしっかりお話しました。
放射線被曝のことは原爆なしには語られません。原爆による市民の大量虐殺を自己肯定し、さらに核戦略を続けんとするがために、アメリカが被爆影響を極めて軽く見積もったからです。
どのようにしてか。内部被曝を無視することにおいてでした。爆心地ですら外部線量だけで影響が評価され、放射性微粒子を吸い込んだ被害がとても小さく扱われてきました。

このもとで黒い雨被害など、たくさんの被爆者が無視されてきたのです。
さらにアメリカは広島・長崎にABCC=原爆傷害調査委員会を設営し、排他的な「調査」を繰り返しましたが、中でも力が入れられたのは放射線被曝の遺伝的影響の無視でした。
アメリカは内部被曝を無視することで、被爆者に起こった多くの傷害や病を認めないとともに、遺伝的影響を抹殺することで、次世代への攻撃性を見えなくしようとしてきたのです。


3回目は完結編。ナガサキとフクシマとハンフォードのつながりについてお話します!

3回目の読み解きではまずBOOKを通じて、「福島の今」についてお話します。
BOOKには復興のこと、福島の今の空間線量のことなどが書いてあります。ここでも被曝の深刻さは無視されている。本当でしょうか。もちろんウソです。
ではフクシマははいまどのような方向に動かそうとされているのでしょうか。

そこで今回、ナガサキとフクシマとハンフォードのつながり=核との共存の強制の流れについてお話します。
とくに大事なのは「福島イノベーションコースト構想についてです。なんと長崎を壊滅させたプルトニウムを製造した核の町、「ハンフォード」との提携が始まっているのです。
そのハンフォードは激しく核汚染されながら、福利厚生にだけ莫大な予算がつぎ込まれてきた町。アメリカの研究者が「プルートピア」と呼ぶところです。そのコーディネーターが福島に入り込んできている。

もちろんだからそれで「もうだめだ!」というのではありません。「核との共存の強制」を打ち破る道は確かにある。
その一つを与えてくれたのが「黒い雨」訴訟の完全勝利です。いまそれは長崎の黒い雨被爆者にも新たな展望性を与えつつある。
そしてもう一つは放射線被曝の遺伝的影響と逞しく立ち向かっていくこと。僕はまさにそのことを京都「被爆二世三世の会」の一員として推し進めてきました。
これらについて、最新情報を含めてお話します!ぜひ聴いていただきたいです。


あなたのまわりでも『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を読む会を!

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を読む会は、BOOKの読み会とともに、常に情報をアップデートした僕の解説を加えています。
あなたとあなたの大事な方、さらには未来世代の命を守るために一緒に学びましょう。

なおBOOKは以下から無料でダウンロードできます。現場でプリント版も買えます。
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

BOOKの解説動画もご覧下さい。
https://youtu.be/aDE3vdaEQJg

#放射線副読本 #すっきり読み解きBOOK #原発をなくす向日市民の会 #放射線被曝を軽く見せるテクニック #内部被曝 #被曝の遺伝的影響 #福島の今 #ハンフォード
 
原発や放射線被曝の危険性の暴露など、取材・執筆活動のためのカンパを訴えます。以下からお願いします。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalの場合:https://www.paypal.me/toshikyoto/500(金額は自由に設定できます)

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明日に向けて(2089)科学者たちは国の大義を優先し沈黙し隠ぺいに加担したーNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー4 

2021年09月02日 13時10分54秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210902 13:30)

NHKスペシャルの文字起こしの4回目をお届けします。なお小見出しは守田がつけました。

ソビエトも被爆実態をつかみながら恣意的に情報を操作していた

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-4回目
2021年8月9日放映 

ナレーション
広島・長崎以来、最悪の放射能汚染問題に直面したソビエト。

ロシア国立社会政治史文書館
実は、ソビエトも76年前に、原爆初動調査を行っていました。

ロシア国立社会政治史文書館職員
「これは共産党中央委員会の対外政策関係の資料です。」

ソビエトが被爆地(広島と長崎)に調査員を派遣し纏めた報告書です。
「ソビエト原爆調査報告書 1945年9月~46年9月」
「被爆地は報道されていたほど、恐ろしい状況ではないようだ。放射線で多くの人が亡くなったのは、医療支援を行わなかったためである。」

原爆の被害は殆ど無い・・と報告していたのです。

私たちはウクライナで、当時報告書を纏めた人物の遺族(ラリーサ・トロヒーメンコさん)に会うことができました。

クズマ・デレビヤンコ(対日理事会ソビエト代表)。
当時の指導者スターリンに高い外交手腕を買われ、日本に派遣された人物です。デレビヤンコは手帳を残していました。

手帳
「ヒロシマでの原爆の被害がすさまじい。」

手帳には、報告書とは異なる原爆の被害の凄まじさを物語る内容が書かれていました。

ソビエトの調査団が撮影した被爆地の映像です。(1945年9月)調査員は地元の人から残留放射線の被害と見られる実態を耳にしていました。

「被爆地で目にしたのはひどい被害だった。警察官から『街中では恐ろしい疫病が蔓延しているから行かないほうがいい』と言われた」

デレビヤンコは帰国から4年後、膵臓ガンで死亡しました。

遺族ラリーサ・トロヒーメンコさん
「脱毛が始まって、他にも不調があるようでした。原爆投下から間もない時期に、被爆地で調査したことが原因だろうと思っています。こんなことになるなんて。」


スターリンのアメリカへの対抗意識から原爆の威力を否定。チェルノブイリ事故でも情報操作が行われた

何故、ソビエトの原爆調査員は、実態とは異なる報告をしたのか?スターリンの政策を研究する歴史学者のニキータ・ペドロフさんです。
当時、スターリンはアメリカへの対抗意識から、原爆のあらゆる威力を否定していたと指摘します。

ニキータ・ペドロフ
「報告書は、ソビエトが原爆を恐れていないことを示しています。これはスターリンが当時、個人的な会合で「原爆は報道されている程恐ろしくない」と語った政治方針に沿ったものでした。
調査員には、報告書を読む側の政治的な要求を満たすことが求められたのです。」

ロシアの核政策に長年携わり、チェルノブイリ事故の医療対策責任者を務めたレオニード・イリイン博士です。
イリイン博士は、科学が政治に左右される状況は、今も変わっていないと言います。

レオニード・イリイン博士
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題は、かなり恣意的なものでした。例えば、ストロンチウムの汚染度など、全て恣意的に決定していたと非難されたものです」

そして2011年。東京電力福島第一原子力発電所で水素爆発が発生。今も、世界は放射線を巡る難題に直面し続けています。




残留放射線の影響を日本も無視し続けてきた

アメリカとソビエトが否定的する残留放射線の影響に、日本はどう向き合ってきたのか?
原爆投下直後から降った放射性物質を含む「黒い雨」。「健康被害を受けた」と訴える住民たちは、長年、国と争ってきました。


国は「住民が主張する黒い雨による健康被害の科学的根拠は無い」とし、一定の条件が認められた人以外は、援護してきませんでした。

先月(2021年7月)、広島高等裁判所は住民の主張を認め、国が指定する区域以外でも健康被害が及んでいると判断。国も上告を断念しました。
しかし、未だに被爆したことを認められない人もいます。西山より遠い、爆心地から7.5キロに位置する間の瀬地区です。

この地区に暮らす鶴武(つるたけし)さん(84)です。黒い雨に当たった姉は、ガンで亡くなったと訴えています。

鶴武さん
「喉の首が腫れてて胃がんにもなっとったけえ。腹がこう、大きくなっとった。人間もあげんなってしもうとやろかって思うごた、辛い目におうとっとじゃもん。」

鶴武さん
「政府の人も認めてもらえないちゅうことで 誰に頼ればよかでしょうかっちて。言いたいことが全然通じないっちゅうことで、情けなかですたい」

国は、「間の瀬では健康に影響を及ぼすような放射性物質は降ったとは認められない」としています。


アメリカも被害を受けた元兵士の訴えを無視

一方、アメリカでも残留放射線による被害を訴える人がいます。ジェームス・スネレンさん。94歳です。
原爆投下から五週間後、長崎に駐留していた時に被爆。帰国後に皮膚ガンを発症したと主張しています。

ジェームス・スネレン
「異なる2人の医師から、私の皮膚ガンは放射線による被ばくの可能性が50%以上であると診断されました。同じ部隊の上官は白血病で亡くなり、砲術将校も胃がんで亡くなりました。仲間の多くが放射能で亡くなっているんです。」

アメリカ政府もまた、スネレンさんの訴えを却下しています。今も、核兵器の開発を続けるアメリカ。

トランプ政権で、国防次官補代理を務めていたエルブリッジ・コルビーさんです。アメリカの核戦略と残留放射線の認識について聞きました。

エルブリッジ・コルビー
「アメリカは中国と覇権争いをしており、戦争を抑止する”準備”が必要でした。その為の選択肢として小型の核兵器の配備が議論されようとしています」

NHKスタッフ
「それは残留放射線を出さないのですか?」

エルブリッジ・コルビー
「地中で爆発させたら多くの残留放射線が発生しますが、空中だと最小限で済みます。爆発させる高度が非常に重要です。」

高い地点で爆発させれば、放射線の影響はほとんどない。その論理は76年前と変わっていませんでした。


真実を語らなかった科学者の苦悩

76年前のあの日、原爆初動調査に携わった人たちは残留放射線の実態を把握しながら、国家の大義を優先し沈黙しました。被爆地を調査した医師や科学者たちはその後、どんな人生を送ったのか・・?

ジェームズ・ノーラン医師の孫のノーラン教授
「これが私の祖父です」

ジェームズ・ノーラン医師。マンハッタン計画に参加し、その後広島で調査を行った放射線の専門医でした。

ノーラン教授
「祖父に『日本はどうだった』と聞くと『想像を絶する惨状以外の何ものでもなかった』と答え、それ以上何も話しませんでした。祖父は生涯、深い苦悩にさいなまれていました。」

残りの人生を、患者のいのちを救うことに捧げたというノーラン医師。真実を言えなかったという負い目があったと、遺族は考えています。

ノーラン教授
「グローブスは『医師たちがこう言っています』などと言うことで、医師の専門性を利用していました。ある意味では祖父たち科学者も共犯者になっていたのです。
祖父は戦後、核実験が行われたという記事を読むたびにこう嘆いていました。『あいつらは核の恐ろしさをわかっていない』。」

長崎西山地区で、白血病の為に命を落とした松尾幸子さん。亡くなってから54年が経ちました。幸子さんが亡くなる年に家族に宛てた手紙です。原因解らないされた病に苦しむ無念が綴られていました。

松尾幸子さんの家族宛の手紙
「私の病気は、今の医学ではどうすることも出来ないものです。どんなに立派な薬を飲もうが名医であろうが同じことです。くれぐれも体に気をつけて下さいね。さようなら。」

原爆初動調査。そこで解った事実が明らかにされていれば、救えた命があった筈でした。何故、調査は隠蔽されたのか?そして何故、痛みは放置され続けるのか?被爆地からの訴えです。

~資料提供~
広島平和記念資料館
長崎原爆資料館
広島市公文書館
理化学研究所
東京大学総合研究博物館
資料映像バンク 主婦の友社
共同通信社
朝日新聞社
毎日新聞社
中国新聞社
中国放送
長崎放送
岸田貢宜
岸田哲平
尾糠政美
松田弘道
ロシア連邦国立公文書館
ロシア国立社会政治史文書館
Getty Images atom central
Buyout Footage NC State University
US Army Heritage Education Center
Yale University Medical Historical Library
National Museum of Nuclear Science and History
National Archives and Records Administration
UCLA Library Special Collections
McGovern Historical Center
Texas Medical Center Library
Atomic Heritage Foundation

取材協力
高橋博子
港区立郷土資料館
Dr.Janet Brodie
Paul Liebow 
David Holloway

声の出演
小林勝也
菅生隆之
今井朋彦
久保田民絵
大場泰正
佐古真弓
清水明彦
田中明生
斉藤志郎

語り:広瀬修子 濱中博久
取材:喜多祐介
撮影:三好学
照明:富田弘之
音声:落原徹 土肥直隆
CG作成:倉田裕史
映像技術:横山良一
コーディネーター:エテリ・サコンチコワ イーゴリ・ヘラスコ
リサーチャー:渡辺秀治 ナタリヤ・ゴリャーチェヴァ
編集:河野達則
音響:日下英介
ディレクター:佐野剛士 大小田紗和子 水嶋大悟
制作統括:佐藤稔彦 小口拓朗

終わり

素晴らしい番組を提供してくださったNHKのスタッフのみなさん、番組協力者のみなさん、またいち早く番組を文字起こしして下さった諸留能興(もろとめよしおき)さんに深い感謝を捧げます。

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKスペシャル #残留放射線 #ソビエト原爆調査 #スターリン #黒い雨 #長崎間の瀬地区 #沈黙した科学者たち #被爆地からの訴え

続く

被爆問題をさらに深く理解するためにぜひ以下の企画にご参加下さい
明日に向けて(2076)zoom公開講座「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」にご参加を!(9月12日(日)15時~18時)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e41521a366d8b22ce6a8e0951fe653ad

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明日に向けて(2088)長崎西山地区の人々は被爆されるままにまかされ観察され続けたーNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー3

2021年09月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210901 23:30)

NHKスペシャルの文字起こしの3回目をお届けします。なお小見出しは守田がつけました。

アメリカは西山地区で被爆による健康被害を克明に調べていた

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-3回目
2021年8月9日放映 

ナレーション
調査によって高い放射線が計測された長崎西山地区です。
戦後、住民の体調不良や、突然亡くなるケースが相次いでいました。実はその背後でアメリカは、西山地区の人たちを長期にわたって調査し、観察し続けていたことが解りました。

原爆投下から5年後の1950に纏められた残留放射線の報告書です。詳しい聞き取りと共に、住民の写真も添付されていました。

報告書
「農家の中尾夫人は、原爆が投下された時にかぶっていた綿のほおかぶりを倉庫から持ってきてくれた。彼女は原爆の後にやってきた泥の雨が、このてぬぐいの上に降ったと語った。」

中尾恒久さん。86歳です。
「ははあ。これはここですねぇ。これはたぶんうちの母親でしょうね」

写真の女性は母親のたかさんでした。原爆が投下された時、10歳だった中尾さん。アメリカの調査団が家を訪れ、雨について調べていたことを覚えていました。

中尾さん
「原爆の落ちたときは暑かったとですもんね。雨降ってきたちゅうて外に出おったとですよ。雨っていうてもドロドロした、ちょっと油っこかった雨だったですよ。」

報告書では、残留放射線と雨との関係について分析していました。
「住民によると西山地区に降った雨は赤みがかった黒色で、異物が混じった大粒の雨だったと言われている。
配水管が詰まるほど濃い雨で、貯水池の水には苦みがあり、1週間ほど飲めなかったと語った。」

中尾さんの母親が8月9日に使っていた手拭いについても調べられていました。

「中尾夫人のほおかぶりをX線フィルムでサンドイッチ状態にした。そして横田基地のラボでそのフィルムを現像すると、おなじみの放射性物質の斑点が見られた。」

中尾さん
「もう相当、なご~飲んどっとですねえ」(言いながら白湯を飲みながら投薬を服用する中尾さん)
放射性物質を含む雨、いわゆる「黒い雨」にあたった中尾さん。その後、甲状腺の異常に悩まされ続けています。

NHK記者
「(残留放射線の)ちゃんと説明を受けたことはありますか?」

中尾さん
「いや、そりゃなか。放射能がそんなに残ってっていうとに知らせずに調査して。ほんとうに。事実ば教えてくれればとですねえ。」



西山地区は核爆発による放射性物質拡散のモデル地区にされていた

なぜ、アメリカは西山地区を調査し続けていたのか?私たちは、報告書を作成した人物の遺族を訪ねました。

マーグレット・レベンソールさんです。

今年父親の遺品を整理した時に、膨大な原爆の資料を発見しました。
「原爆に関する研究は重要性が高いと思ったので全部残しておきました。」

父親の名前は、リオン・レベンソール。



放射線を分析する装置を開発する会社、トレーサーラボ(Tacer lab)に務めていました。レベンソール残した手記には、西山地区を訪ねた理由が書かれていました。

「Tacer labは空軍と契約していて AFOAT-1(Air Force Office Atomic Energy1)と呼ばれる秘密組織が存在した.。
その目的はソビエトの核実験の爆発の際に出る放射性物質の検知であった。」

当時、ソビエトは初めての核実験を成功(1949年)。米ソの核開発競争が激しさを増していました。



レベンソールは大量の放射性物質が降り注いだ西山地区をモデルに、核爆発で放射性物質がどのように広まるのかをつかもうとしていたのです。

レベンソールの部下、ロドニー・メルガードさんです。西山地区には大量の放射性物質が残されており、格好の研究場所だったと言います。

NHK取材班スタッフ
「広島・長崎の原爆で、残留放射線は存在していましたか?」

ロドニー・メルガード
「はい、もちろん。原爆を開発した科学者たちは正確に把握していました。爆発直後、放射性物質の90%は空気中にあり、小さな粒子が風に乗って浮遊していたはずです。
風下であれば数㎞離れた場所でも、命を脅かすような放射線の影響が出ていたでしょう。」


西山地区の土をアメリカに持ち帰ったレベンソールは、人体への影響の手がかりも見つけていました。放射性物質の核種です。
核種とは原子核の種類のことで、陽子と中性子の数によって放射性物質の種類を特定できます。

リオン・レベンソール
「我々はバークレーに戻って土を分析したところ、放射性ルテニウム(Ru-106)とセリウム(Ce-144)が見つかった。これらは最初のプルトニウム原爆(長崎原爆)から出たものであることが確認された。」


私たちはレベンソールの資料を、残留放射線を長年研究する物理学者星正治教授と、放射線影響科学専門の大滝恵教授に見てもらいました。

広島大学星正治名誉教授
「こういう測定ができるというのは ものすごい量の放射能があります。僕の感覚から言うと。このルテニウムとセリウム。これはよく核実験の後で見つかる「核種」やから。
体にもし入ったとしたら、放射能によって体のどこにいくか、「プルトニウム」や「ストロンチウム」は骨にいくとか、「セシウム」は筋肉とか違うから だから核種の同定は必要ですよ。
広島・長崎の「核種」を同定(確定)した話はないと思うな。」


もし、核種の情報が日本に伝えられていたら、原因不明の死や、体調不良を訴える住民の為の研究が進んでいた可能性があります。

広島大学大瀧慈名誉教授
「なぜいままで隠されてきたか?公やけな、公的なね、報告がなされてきてなかったか?そちらこそ問題があると思うんです。」



「この結果、このデータに関連するようなですね、調査とか研究が行われていないとは、むしろ考えにくいんですよ。」



1950年にレベンソールが(米)国の原子力委員会で行った報告です。

レベンソール
「長崎と広島で低レベルの放射性物質が、広範囲にわたって点在し続けている証拠に多くの関心が寄せられた。
被爆地域の肥料に現地住民のし尿が用いられるため、除去された放射性物質はその地域に戻されるだけでなく、汚染されていない地域にも散布されることが考えられる。



残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


アメリカは日本が独立した後も、残留放射線の影響を継続しました。しかしその成果は、西山地区の住民達に伝えられることはありませんでした。


被爆するがままに任され観察され続けた西山地区の人々

西山地区に住んでいた義理の妹を亡くした松尾トミ子さんです。松尾さんは幸子さんの死に対して、今も割り切れない思いを抱いています。
今回、幸子さんの死因について1980年に長崎大学がまとめた報告書を入手しました。

長崎医学会報誌 43巻9号  809-813頁
所謂、「西山地区」より発生した慢性脊髄性白血病の一例(急性転化例)  長崎大学原研内科教室
富安孝則(とみやすたかのり)・岡部信和(おかべのぶかず)・松本吉弘(まつもとよしひろ)


飲み水を通して、体内に放射性物質が取り入れたれた可能性が指摘されていました。
「しかしこの一例のみでは、残留放射線との因果関係は断言できない」と結ばれていました。

NHKスタッフが松尾トミ子さんと面談し「長崎医学会報誌」を見せて説明
「こういう所にすごく高い残留放射線が測定されていた。だけど公表されていなかったということなんですよね。」

松尾トミ子さん
「ええ、ええ。」

私たちはアメリカが原爆投下の5年後には確証を特定し、人体への影響について研究を続けていたことを伝えました。

松尾トミ子さん
「いやあ、はっきり言って腹が立ちますよね。うん。これは人として見ていないみたいな感じが私はするんですよ。実験みたいにしてるなって。そういうふうにしか取れないですね。」


実は西山地区では、長年放射線の影響が噂されていました。しかし農業で生計を立てる住民が多く、誰もそれを自分から語ろうとしなかったといいます。

松尾トミ子さん
「父もお野菜作っていたんですよ。市場に持っていってたんですよ。それをして生計を立てているから、売らないといけない。だけどそれを言ったら、自分たちの生活が成り立たない。



「何か言ったら、みんなから変な目で見られる。村八分になる。そういう気持ちがあったんじゃないかなと思いますけどね。」

松尾幸子さんの死から10年後、西山地区で2例目の白血病を発症した住民が亡くなりました。しかし今も、残留放射線との因果関係は証明されていません。


「残留放射能」から目を背けたまま核開発が進み、ビキニ環礁、スリーマイル島、チェルノブイリと深刻な被爆(被曝を含む)が続いてきた

長年、西山地区の白血病について研究を行ってきた、長崎大学の朝長万左男(ともながまさお)名誉教授です。原爆との関係を証明するのは容易ではないとしています。


朝長教授
「普通の人からも10万人に1人か2人は慢性骨髄性白血病は出るんですよ。
「それと混同していませんか」と、言われると「いやいや、これははっきり原爆の放射線で起こっているんですよ」と言うにはどうですか。相当な根拠がないといかんですよ。そこですね。
(残留放射線は)累積していくわけだから、本当はそれが計算できないといけないけど、生活パターンが非情に、その時に福島でも同じような問題が起こっているのですけどね。外にどのくらい出ていて、家の中でどのくらい生活していたのか。
そうしたことを毎日記録している人なんていないでしょう。そういうところに壁があってね、福島でも正確な被爆線量を出すことは非常に難しいんですよね。」

アメリカが残留放射線を否定したことは、何をもたらしたのか?

朝長教授
「残留放射能の研究が進んでないでしょ。例えばプルトニウムが人体に入っててね、これも残留放射能でしょ、ある意味でね。それが、今頃分かってんのよ。
一生懸命にその当時にやっていれば、もっといろんなデータが出たはずでしょ。そういう事ですよね。そこに科学者でもない陸軍のトップがね、「無い」と判断するのは、もう、政治以外の何ものでもないですよね。」

その後、核兵器の開発を押し進めた世界は、残留放射能の存在から目を背け続けました。



1954年、アメリカはビキニ環礁で核実験を実施。

爆発の際に出た放射性物質が広範囲に降り注ぎ、日本の第五福竜丸が被爆しました。


更に、核の平和利用を掲げた原発で事故が発生。(スリーマイル島原発事故1979年)放射性物質が放出され、その影響が議論されます。



そして1986年、チェルノブイリ原発事故で、史上最悪の放射能汚染事故が起きます。


原子炉から出た大量の放射性物質が、外部に拡散。WHOでは「被爆による死者は9000人に上る可能性がある」と推定しています。


続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKスペシャル #残留放射線 #長崎西山地区 #黒い雨 #ルテニウム #セリウム #星正治 #大瀧慈

被爆問題をさらに深く理解するためにぜひ以下の企画にご参加下さい
明日に向けて(2076)zoom公開講座「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」にご参加を!(9月12日(日)15時~18時)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e41521a366d8b22ce6a8e0951fe653ad

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