明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2364)「電気が足らん?よし原発新設じゃあ!」あれ?というチラシのもと、19日(土)綾部市、舞鶴市、20日(日)宮津市、伊根町でお話します!

2023年08月11日 16時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です (20230811 16:30)

電気のことを軸に原発についてお話します

8月19日(土)13時30分から綾部で。18時30分から舞鶴で。20日(日)13時半から宮津で。19時から伊根でお話します!
お招き下さるみなさんが、「電気が足らん?!よし原発新設じゃあ!」と政治家?お役人?電力会社幹部?がくわああと叫んでるチラシを作成してくれました。
うーむ、原子力を推進しようとする人々のはじける?感じが良く出てますね。


今回はこのタイトルに沿ってお話します。
もちろん、「電気が足らん?よし原発新設じゃあ」なんて大ウソ!
それに原発新設なんて、相当に無理な道。大声で叫んでいる「次世代革新炉」も、実際には展望のないものばかり。

破たんするのは確実です。そもそも原子力は終わったコンテンツ。オワコンなのです。核燃料サイクルも実現できないことが明白になっています。
でもこの事実を直視できない人々が暴走しているので、破たんの前に過酷事故が起きる可能性がある。なんとしても止めなくてはです。
この点を原発を目前にした綾部、舞鶴、宮津、伊根でお話します。


原発からの命の守り方もお話します

これに加えて、この間、『原爆初動調査 隠された真実』の紹介などを通じてつかんできたこともお話します。
端的に言って、今の放射線防護学がどれほどいい加減なデータの上に成り立っているか。被曝影響を軽く扱っているかについてです。
原発から命を守る上で一番大事なのはこの知識!なぜって被曝影響をすごく軽く扱う大ウソに騙されていたら命を守れないからです。

その上で原子力防災を逞しく進めることもお話します。
とくに高浜原発1,2号炉、美浜3号炉などの稼働が推し進められている中で、とっとと逃げるための準備を重ねていただきたい。
また安定ヨウ素剤をみんなで手にすることも一緒に進めたいです。

なお、にょきにょきプロジェクトのにしむらしずえさんも舞鶴まで一緒に参加します。『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』読む会などのご案内もします。



『原発からの命の守り方2023』
無料ダウンロードフォーム
https://forms.gle/jKTs15xtgRRJdDVD9

冊子版もあります。郵送でお届けできます。(1冊300円、送料は何冊でも200円)
冊子版申し込みフォーム
https://forms.gle/i51qejdizJdjma5Q7


お近くの会場にお越し下さい!

それぞれの情報を示します。京都府北部の方、また福井県南部、兵庫県北部のみなさんにも参加していただきたいです。

綾部会場
19日(土)13時30分から
市里山交流研修センター・森ホールにて。詳しくは以下から
https://fb.me/e/gnBzV7aWH

舞鶴会場
19日(土)18時30分から
舞鶴市西方寺429-3にて。詳しくは以下から
https://fb.me/e/5VjACXXI5

宮津会場
20日(日)13時30分から
府中公民館2Fにて。詳しくは以下から
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ffdfa46f44ec581a27df9883930716e3

伊根会場
20日(日)19時00分から
藤原音夢さん宅にて。詳しくはお電話で
09067350973藤原

ぜひお越しください!


福井原発銀座と綾部、舞鶴、宮津、伊根

#電気から原発について考える #原発新設 #次世代革新炉 #原発は終わったコンテンツ #原発はオワコン #核燃料サイクルもオワコン #綾部 #舞鶴 #宮津 #伊根

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守田敏也お話会、宮津・与謝のチラシです! 

2023年08月11日 11時30分30秒 | 明日に向けて(2201~2400)

8月20日、宮津・与謝お話会のチラシです。

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明日に向けて(2363)諫早原爆慰霊祭にご参加、ご注目を!(11日午前10時57分より)

2023年08月10日 22時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230810 22:00)

原爆慰霊の碑の前にお集まり下さい!

明日11日、午前10時57分より、諫早市百日紅公園の「原爆慰霊の碑」の前で「諌早市原爆被災者協議会原爆慰霊祭」が行われます。
僕は残念ながら駆けつけられないのですが、お近くの方、ご参加下さい。また各地のみなさま、ぜひご注目下さい。

この慰霊碑は諫早市で亡くなられた長崎原爆被災者を慰めるために建てられたもの。
長崎市と諫早市は20キロ以上離れています。このため諫早は原爆直爆を免れていますが、長崎市の被爆直後から、被爆者が続々と列車で運ばれてきました。諫早に海軍病院があったためです。さらに大村の海軍病院に運ばれた方もいたそうです。
しかし搬送中、あるいは諫早駅に着いてから、多くの方が亡くなられていきました。そのためこの地に遺体が運び込まれ、焼かれ、埋葬されたのだそうです。その数、400体から500体。なおこの時、被災者を助けた諫早の方たちが救護被爆されています。

しかしその後、この場はきちんと慰霊がなされず、「なんだか怖い」ところだったのだとか。それで若い時に救護も担われた前の被災協・諫早の会長だった清水多喜男さんが、とにかく慰霊の碑を建てたいと思われた。
その気持ちを受け取った被爆二世の会・諫早のみなさんなどの尽力で、ついに2020年8月に碑の建立に漕ぎ着けたのだそうです。この時の長崎新聞の記事をご紹介しておきます。

旧火葬場に「慰霊の碑」 救護被爆、史実のシンボル 諫早・百日紅公園 
https://nordot.app/665034618172900449?c=174761113988793844


2020年8月8日に建立されたばかりの碑の前で行われた慰霊祭 長崎新聞


長崎と諫早の被災協のみなさんの他、市長、鎮西大学学長などなどが参加

11日の式次第を書き出します。

開会の辞 10時57分
黙祷   11時02分
献花   11時03分
ご焼香
会長挨拶 諫早市原爆被災者協議会副会長 森多久男様 11時26分
来賓挨拶 11時30分
     諫早市長 大久保潔重様
     諫早市議会副議長 中村太郎様
     長崎被災者協議会会長 田中重光様
     学校法人鎮西大学学長 姜尚中様
平和の誓い 11時43分
     長田小学校 北諫早中学校
千羽鶴奉納 11時50分
     長田小学校 北諫早中学校 鎮西学院高校 鎮西学院大学

なお鎮西大学は戦前長崎市にあり、原爆で校舎が倒壊、自宅や学校で職員7人、学生150人以上が犠牲になられたのだそうです。
戦後、諫早市に移っており、そのため碑の建立にも関わられたのだとか。それで明日は学長の姜尚中さんも挨拶されます。

お近くの方、ご参加下さい。百日紅公園入口にある碑の前で行われます。


慰霊碑と公園の前で 左は案内して下さった長崎被災協・被爆二世の会・諫早の高屋忠義会長 守田撮影 2023年1月15日


原爆慰霊の碑を訪れて

僕はこの場に1月15日に訪れました。諫早駅前で長崎被爆二世の会の大宮美喜夫さんに駅でピックアップしていただき連れて行っていただきました。
現場では長崎被災協・被爆二世の会・諫早の高屋忠義会長が待っていて下さり、案内して下さいました。
その時にLIVE配信した動画のアーカイブをご紹介します。

この日のことを僕は二つのブログ記事で書いています。
1本目はこの碑を建てた人々の思いにシンクロしながら。2本目はここに運ばれて亡くなった方たちの思いにシンクロしながら。

明日に向けて(2290)諫早の「慰霊の碑」を訪れて
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/bd3956a54f874d2ba7dd79e43e8f8906

明日に向けて(2291)長崎で被爆し諫早に送られて力つきた人々を思って・・・(続諫早の慰霊の碑を訪れて)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/d56b886c5221dc8f666214ce59fd9135

忘れられない思い出があります。ここを歩いて回った時、高屋さんから「ここで作業をしようとすると雨が降っていても止むんです」と教わりました。
2020年8月の初めての慰霊祭の時も、市長が参加し、テレビカメラもたくさん並んだ恵にぎにぎしかったそうですが、慰霊祭後に土砂降りの雨になったのだとか。
そしてこの1月の僕の訪問の後も、立ち去るや否や雨が降ったのです。この場に眠るみなさんの「ありがとう」という思いの表れのような気がしました。この点について、動画の最後の方で話しています・・・。

明日の慰霊祭に合わせて、僕も鎮魂と平和の祈りを捧げます。


諫早を訪れた日に泊まった長崎市のホテルからの夜景 守田撮影 1月15日夜、これを観ながらFacebookにメッセージを書きました

#諫早原爆慰霊の碑 #諌早市原爆被災者協議会原爆慰霊祭 #長崎原爆被災協 #長崎被爆二世の会 #鎮西大学 #高屋忠義 #長崎原爆 #大宮美喜夫 #百日紅公園 #救護被爆

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明日に向けて(2362)長崎の日を迎えて-被爆被害の極小化と対決し放射線被曝から命を守ろう!

2023年08月10日 16時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230810 16:30)

『原爆初動調査 隠された真実』から何を学ぶのか-1,放射線防護学が虚構であることが突き出された!

昨日8月9日は長崎の被爆から78年目の日でした。この日、アメリカ軍は広島に続き長崎でも大量虐殺を行いました。
原爆によって殺されたすべての方に深い哀悼の意を捧げます。サバイバーである被爆者、二世、三世、四世、そして縁者のみなさまに心からお見舞い申し上げます。

この日に向けて、NHKBS1スペシャル『原爆初動調査 隠された真実』を文字起こししてお届けしましたが、今回、ここから何を学びとるべきかを論じたいです。 (文字起こし記事のアドレスを末尾に貼り付けます)
僕が思うのは大事なのは、アメリカが広島・長崎の被爆事実を徹底して隠していたことが暴かれたのですから、米軍の被爆者調査を元にした被曝防護基準の虚構性もまた明らかになったということだと思います。

これまでも指摘してきましたが、米軍は被曝影響を、原爆からの「初期放射線」被曝だけに限り、爆心地から半径2キロ以内とすることで、内部被曝を完全に無視してきました。
今回、明らかになったのは、実際には米軍が西山地区などで内部被曝の影響を調査し、把握しつつ、隠してきたことです。西山地区は爆心地から約3キロ、2回目の記事にあるアメリカ陸軍軍医のコメントが重要です。

「西山地区の人々は原子爆弾の投下から数か月後に、有意な白血球増加がみられた。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性があり、人間がどうなるか特に興味深い。また放射性物質を経口摂取した後の人体から、骨肉腫も確認されている。
西山地区に残る放射性物質の堆積物には、人がさらされ続けると危険を伴う可能性がある。この条件を考えると、原爆の直接の影響を受けていない西山地区の住民は、残留放射線の影響を観察するのに理想的な集団である。」


米軍による西山地区調査の写真 NHK

米軍は西山地区の人々をモルモットにして調査を続けていたのです。そのデータはどこかにあるはず。3回目の記事には西山地区で「ルテニウム」「セリウム」などの核種が同定されていたことすら記されていました。
大事なのはこの犯罪行為が今につながっていること。福島原発事故に際しても、この矮小化されたデータから作られた基準が適用されてきたのです。その虚構が根本から暴かれたことを、もっと大きく広げましょう!


2,米軍グローブス少将は米兵をも被曝させていた!それが戦争の本質だ

さらに注目すべきことは、原爆による大虐殺を指揮したグローブス少将が、アメリカ兵すら被曝させつつ、原爆の威力をつかもうとしたことが明らかにされたことです。この点も極めて重要です。
1,2回目の記事に出てきますが、グローブスは原爆大虐殺直後に、英米のジャーナリストが現地に入り「広島では原爆が落ちた30日後にも人が死んでいる。それは『原爆の疫病』としか表現できない」と報道したことに危機を感じていました。
番組はこう説明しています。「当時、アメリカは占領のため、日本に兵士を駐留させようとしていたからです。原爆投下後に自国の兵士が被爆することになれば、議会や世論の反発は避けられない。こうした中で初動調査は行われていたのです。」


米兵たちも被爆の危険性を知らされずに調査に投入された NHKより

さらに1945年11月28日、グローブスがアメリカ議会に呼ばれこう証言していることも紹介されています。
質問者 「残留放射線を調査した記録はありますか?」
グローブス 「はい。ございます。残留放射線は『皆無』です。『皆無』と断言できます」。
質問者 「私から見ると、陸軍省は何度も何度も『放射線による被害はなかった』と強調しています。そこには放射能被害を認めると、倫理的に間違いを犯したことになるという思いが、陸軍省側にあったのではないですか?」
グローブス 「この問題は、ひと握りの日本国民が放射能被害に遭うか、それともその10倍ものアメリカ人の命を救うかという問題であると私は思います。これに関しては私はためらいなくアメリカ人を救う方を選びます。」


アメリカ議会にて NHKより

番組には出てないことですが、グローブスは広島・長崎襲撃に先立つ1945年7月16日に、ニューメキシコで行われた核実験の陣頭指揮もとりました。
このとき拡散した死の灰で、周辺に住むアメリカ市民が手酷く被曝しました。最近になって、死の灰はアメリカ国土の大半を覆い、カナダ・トロントの湖にまで届いていたことが明らかにされています。
グローブスは広島・長崎市民だけでなく、アメリカ市民を被爆させ、アメリカ兵も被爆させたのです。アメリカ議会を騙した上でです。

ここに原爆使用を含む戦争の本質がよく表れています。原爆はアメリカ国民や一般の兵士が選択して使われたのではなく、ごくごく一握りのアメリカ上級国民が決めて使ったのです。民衆すら犠牲にして。
これが戦争の本質です。ごく一握りの人々のため、敵味方に分かれた国の民衆が手酷く殺され傷つけらる。原爆でもそうだったのです。だから二度と「国」を名乗る上級国民に騙され、戦争協力してはいけない。そのことをしっかりつかみましょう。


番組で突き出されたことを広めよう!

番組から「これは」という点を抽出するならこの二点が大事だと思いますが、もっとみなさんと感想をかわしたいものです。その点を含めてぜひこの内容を広めて下さい。記事のアドレスを記しておきます。


明日に向けて(2358)アメリカは原爆による被曝実態を隠した。実際の被害はずっと大きかったーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー1
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0df5777dabfb79d35ff97d210b14137e

明日に向けて(2359)グローブス少将が残留放射線をもみ消し被爆者救護も禁止したーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー2
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2d04989270bbc5e708613642ca3d836f

明日に向けて(2360)米軍は長崎西山地区の人々を被爆されるままに任せつつ観察し続けたーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー3
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/cccc7cf66d5d38b8722e41c2747eb770

明日に向けて(2361)科学者たちは沈黙し隠ぺいに加担。このため多くの人々が被害を認められず、苦しみ続けてきたーNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー4
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/917f4bb98537047bf24d0eca23148580

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #長崎西山地区 #グローブス少将 #被曝防護基準の虚構性 #アメリカ兵も被爆させられた #残留放射線 #内部被曝 #被爆被害の矮小化

*****

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明日に向けて(2361)【再掲】科学者たちは沈黙し隠ぺいに加担。このため多くの人々が被害を認められず、苦しみ続けてきたーNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー4

2023年08月08日 16時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)
守田です(20230808 16:00)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの4回目をお届けします。なお小見出しは守田がつけました。

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-4回目
2023年8月6日再放送

● 長崎間の瀬地区も被爆させられ見捨てられ続けている 

残留放射線の研究が進まなかったことで、被爆者として認められないという人たちがいます。西山より遠い、爆心地から7.5キロに位置する間の瀬地区です。

鶴武(つるたけし)さん(84)。原爆の影響によって家族がガンに苦しめられてきたと訴えてきました。

原爆が投下されたとき、8歳だった鶴さん。
「ここが私たちが住んでたとこです。」

その日降った雨に当たり、脱毛の症状が出たといいます。

鶴さん
「私は髪の毛が薄なって、くしにかかってから、くしを外さもできんよと、そげんつらい目に遭ったということは事実や。」
「ここが池になっとったです。」

当時、間の瀬地区では、池や沢の水が暮らしに欠かせないものでした。

「飲んだら危険ちゅうことは誰もわからんけんで、それを飲んだり、料理も、何をすっとも一緒。」

家族に異変が生じたのは、原爆投下から15年ほど経ったころ。

「腹の腫れたり、首の腫れたりしとったけんね。それば思い出して。」

間の瀬地区で育った4つ上の姉、愛子さんが亡くなったのです。

「胃がんにもなっとったけえ。腹がこう、大きくなっとった。人間もあげんなってしもうとやろかって思うごた、辛い目におうとっとじゃもん。」

間の瀬地区でも原因不明の病で亡くなる住民が相次ぎました。しかし国から被爆者として認められていません。
住民たちが綴った国への請願書です。

請願書
「ドシャブリの雨に濡れて」「幼子が原因も解らない病気で日増しに悪くなり、食べ物も食べずに死んでいきました。」
「厚生省のお役人様。私たちは今だに何の命の保障もありません。」



● 世界は残留放射線を無視したまま核災害を繰り返してきた

その後も、核兵器の開発を押し進めた世界は、残留放射線の存在から目を背け続けました。



1954年、アメリカはビキニ環礁で核実験を実施。

爆発の際に出た放射性物質が広範囲に降り注ぎ、日本の第五福竜丸が被爆しました。

さらに、核の平和利用を掲げた原発で事故が発生。(スリーマイル島原発事故1979年)放射性物質が放出され、その影響が議論されます。



そして1986年、チェルノブイリ原発事故で、史上最悪の放射能汚染事故が起きます。



原子炉から出た大量の放射性物質が、外部に拡散。WHOでは「被爆による死者は9000人に上る可能性がある」と推定しています。


● ソビエトも被爆実態をつかみながら恣意的に情報を操作していた

ナレーション
広島・長崎以来、最悪の放射能汚染問題に直面したソビエト。

ロシア国立社会政治史文書館
実は、ソビエトも76年前に、原爆初動調査を行っていました。

ロシア国立社会政治史文書館職員
「これは共産党中央委員会の対外政策関係の資料です。」

ソビエトが被爆地(広島と長崎)に調査員を派遣し纏めた報告書です。
「ソビエト原爆調査報告書 1945年9月~46年9月」



「被爆地は報道されていたほど、恐ろしい状況ではないようだ。放射線で多くの人が亡くなったのは、医療支援を行わなかったためである。」

原爆の被害はほとんど無い・・と報告していたのです。

私たちはウクライナで、当時報告書を纏めた人物の遺族(ラリーサ・トロヒーメンコさん)に会うことができました。

クズマ・デレビヤンコ(対日理事会ソビエト代表)。
当時の指導者スターリンに高い外交手腕を買われ、日本に派遣された人物です。デレビヤンコは手帳を残していました。

手帳
「ヒロシマでの原爆の被害がすさまじい。」

手帳には、報告書とは異なる原爆の被害の凄まじさを物語る内容が記されていました。

ソビエトの調査団が撮影した被爆地の映像です。(1945年9月)調査員は地元の人から残留放射線の被害と見られる実態を耳にしていました。

「被爆地で目にしたのはひどい被害だった。警察官から『街中では恐ろしい疫病が蔓延しているから行かないほうがいい』と言われた。」

デレビヤンコは帰国から4年後、膵臓ガンで死亡しました。

遺族ラリーサ・トロヒーメンコさん
「脱毛が始まって、他にも不調があるようでした。原爆投下から間もない時期に、被爆地で調査したことが原因だろうと思っています。こんなことになるなんて。」


● スターリンのアメリカへの対抗意識から原爆の威力を否定。チェルノブイリ事故でも情報操作が行われた

何故、ソビエトの原爆調査員は、実態とは異なる報告をしたのか?スターリンの政策を研究する歴史学者のニキータ・ペドロフさんです。
当時、スターリンはアメリカへの対抗意識から、原爆のあらゆる威力を否定していたと指摘します。

ニキータ・ペドロフ
「報告書は、ソビエトが原爆を恐れていないことを示しています。これはスターリンが当時、個人的な会合で『原爆は報道されている程恐ろしくない』と語った政治方針に沿ったものでした。
調査員には、報告書を読む側の政治的な要求を満たすことが求められたのです。」

ロシアの核政策に長年携わり、チェルノブイリ事故の医療対策責任者を務めたレオニード・イリイン博士です。
イリイン博士は、科学が政治に左右される状況は、今も変わっていないと言います。

レオニード・イリイン博士
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題は、かなり恣意的なものでした。例えば、ストロンチウムの汚染度など、全て恣意的に決定していたと非難されたものです。」

残留放射線については、データが高く見積もられていても、低く改ざんされていても、私は気にしません。」

そして2011年。東京電力福島第一原子力発電所で水素爆発が発生。今も、世界は放射線を巡る難題に直面し続けています。




● 残留放射線の影響を日本も無視し続けてきた

アメリカとソビエトが否定する残留放射線の影響に、日本はどう向き合ってきたのか?
原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」。「健康被害を受けた」と訴える住民は、自分たちを被爆者と認めるよう、長年、国と争ってきました。



国は「住民が主張する黒い雨による健康被害の科学的根拠は無い」とし、一定の条件が認められた人以外は、援護してきませんでした。

7月(2021年)、広島高等裁判所は住民の主張を認め、国が指定する区域以外にも健康被害が及んでいると判断。国も上告を断念しました。

そして国は、被害を訴える人を認定する新たな基準を作るため、広島県や市と協議を始めています。

一方、今も被爆者として認められていない、長崎県間の瀬地区の住民たち。長崎県と市は、被害を訴える人を被爆者として認定するよう国に訴えていますが、見通しは立っていません。

鶴武さん
「政府の人にも認めてもらえないちゅうことで 誰に頼ればよかでしょうかっちて。
我々は議員でもないし何でもない。でも苦しむだけ苦しんでいる。言いたいことが全然通じないっちゅうことで、情けなかですたい」


● アメリカも被害を受けた元兵士の訴えを無視

アメリカでも残留放射線による被害を訴える人がいます。ジェームス・スネレンさん。94歳です。
原爆投下から五週間後、長崎に駐留していた時に被爆。帰国後に皮膚ガンを発症したと主張しています。

ジェームス・スネレンさん
「異なる2人の医師から、私の皮膚ガンは放射線による被ばくの可能性が50%以上であると診断されました。同じ部隊の上官は白血病で亡くなり、砲術将校も胃がんで亡くなりました。仲間の多くが放射能で亡くなっているんです。」

アメリカ政府もまた、スネレンさんの訴えを却下しています。
今も、核兵器の開発を続けるアメリカ。

トランプ政権で、国防次官補代理を務めていたエルブリッジ・コルビーさんです。
アメリカの核戦略と残留放射線の認識について聞きました。

エルブリッジ・コルビー氏
「アメリカは中国と覇権争いをしており、戦争を抑止する”準備”が必要でした。その為の選択肢として小型の核兵器の配備が議論されようとしています。」

NHKスタッフ
「それは残留放射線を出さないのですか?」

コルビー氏
「地中で爆発させたら多くの残留放射線が発生しますが、空中だと最小限で済みます。爆発させる高度が非常に重要です。」

「高い地点で爆発させれば、残留放射線の影響はほとんどない。」 その論理は76年前と変わっていませんでした。


● 真実を語らなかった科学者の苦悩

76年前のあの日、原爆初動調査に携わった人たちは、残留放射線の実態を把握しながら、国家の大義を優先し沈黙しました。被爆地を調査した医師や科学者たちはその後、どんな人生を送ったのか・・?

ジェームズ・ノーラン医師の孫のノーラン教授
「これが私の祖父です」

ジェームズ・ノーラン医師。マンハッタン計画に参加し、その後、広島で調査を行った放射線の専門医でした。

ノーラン教授
「祖父に『日本はどうだった』と聞くと『想像を絶する惨状以外の何ものでもなかった』と答え、それ以上、何も話しませんでした。祖父は生涯、深い苦悩にさいなまれていました。」

残りの人生を、患者の命を救うことに捧げたというノーラン医師。真実を言えなかったという負い目があったと、遺族は考えています。

ノーラン教授
「グローブスは『医師たちがこう言っています』などと言うことで、医師の専門性を利用していました。ある意味では、祖父たち科学者も共犯者になっていたのです。
祖父は戦後、核実験が行われたという記事を読むたび、こう嘆いていました。『あいつらは核の恐ろしさをわかっていない』。」

原爆初動調査を統括したグローブス少将。その後、中将に昇進し、核開発計画を指揮し続けました。73歳で亡くなるまで「残留放射線は皆無である」という見解を変えることはありませんでした。

アメリカが長年にわたって残留放射線の調査を続けていた長崎西山地区。現在、「放射線量は減衰し、自然界と同じレベルだ」とされています。

西山地区で生まれ育ち、白血病の為に命を落とした松尾幸子さん。亡くなってから54年が経ちました。

松尾トミ子さん
「訳が分からずに、ただ白血病ということだけで亡くなってですよ、無念だったんじゃないかな。」

幸子さんが亡くなる前、家族に手紙を書いていました。

松尾幸子さんの家族宛の手紙
「私の病気は、今の医学ではどうすることも出来ないものです。どんなに立派な薬を飲もうが、名医であろうが同じことです。くれぐれも体に気をつけて下さいね。ごめんなさいね。さようなら。」

原爆初動調査。
そこで分かった事実が明らかにされていれば、救えた命があったはずでした。何故、調査は隠蔽されたのか?そして何故、痛みは放置され続けるのか?
被爆地からの訴えです。

~資料提供~
広島平和記念資料館
長崎原爆資料館
広島市公文書館
理化学研究所
東京大学総合研究博物館
資料映像バンク 主婦の友社
共同通信社
朝日新聞社
毎日新聞社
中国新聞社
中国放送
長崎放送
岸田貢宜
岸田哲平
尾糠政美
松田弘道
ロシア連邦国立公文書館
ロシア国立社会政治史文書館
Getty Images atom central
Buyout Footage NC State University
US Army Heritage Education Center
Yale University Medical Historical Library
National Museum of Nuclear Science and History
National Archives and Records Administration
UCLA Library Special Collections
McGovern Historical Center
Texas Medical Center Library
Atomic Heritage Foundation

取材協力
高橋博子
港区立郷土資料館
Dr.Janet Brodie
Paul Liebow 
David Holloway

声の出演
小林勝也
菅生隆之
今井朋彦
久保田民絵
田村勝彦
山像かおり
大場泰正
佐古真弓
清水明彦
田中明生
斉藤志郎
外石 咲

語り:広瀬修子 濱中博久
取材:喜多祐介
撮影:三好学
照明:富田弘之
音声:落原徹 若生正和
CG作成:倉田裕史
映像技術:押鐘慎司

コーディネーター:エテリ・サコンチコワ イーゴリ・ヘラスコ
リサーチャー:渡辺秀治 ナタリヤ・ゴリャーチェヴァ
編集:河野達則 樋口俊明
音響:日下英介 田中繁良
ディレクター:佐野剛士 水嶋大悟 大小田紗和子 
制作統括:佐藤稔彦 小口拓朗

制作・著作 NHK広島 福岡

文字起こし終わり

素晴らしい番組を提供してくださったNHKのスタッフのみなさん、番組協力者のみなさんに深い感謝を捧げます。

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #ソビエト原爆調査 #スターリン #黒い雨 #長崎間の瀬地区 #沈黙した科学者たち #被爆地からの訴え

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明日に向けて(2360)【再掲】米軍は長崎西山地区の人々を被爆されるままに任せつつ観察し続けたーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー3

2023年08月08日 11時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)
守田です(20230808 11:00)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの3回目をお届けします。小見出しは守田がつけました。なおここから後編となりますが、冒頭の3分半ぐらいは前半のダイジェストなので割愛しました。

● アメリカは西山地区で被爆による健康被害を克明に調べていた

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-3回目
後編 見過ごされた被害 そして世界は核を求めた
2023年8月6日再放送 

ナレーション
爆心地から3キロにある長崎市西山地区です。
山を隔てているため、原爆の熱戦や爆風は届かず、直接の被害はほとんどなかったとされています。ところが戦後になって、住民の体調不良や、突然亡くなるケースが相次ぎました。

原爆投下から30年余り、それまで元気だった働き盛りの男性が、突然白血病で命を落としました。

岩﨑恒子さん(85)です。
西山地区で生まれ育った夫の岩﨑精一郎さんを44歳で亡くしました。



「これがミカン狩りをした時の写真。」

精一郎さんは、他の農家に先駆けて観光農園を開くなど、地域の期待を背負った存在でした。

「元気だったですもんねえ。『長崎県一になる、みかんば植える』一生懸命、意気込みしてたんですけどね。」



4人の子どもにも恵まれた精一郎さん。それは突然の宣告でした。

「白血球がものすごく多くて、人の何倍もあるって言われて。あとね、三月ぐらいですよって。私には絶対、俺は死ぬってことは、言わなかったですもんね。でも最後にはね。(子どもを)学校だけは出しなさいって。」

「私、(医師に)聞いたんですよ。これ原爆の関係ですか、身から持ち出しですがって聞いたら『わからない』っておっしゃいました。」

夫の死後、農業の仕事を引き継ぎ、四人の子どもを育て上げた恒子さん。なぜ夫は白血病で命を落とさなければならなかったのか。今も考え続けています。

「(婚姻時の写真を指して)これね、私が亡くなったら、ひつぎに入れてくれって言ってるんです。
お年寄りが手をつないで歩いていく姿を見てね。私も年をとったら、あんなんして手をつないで歩きたかったなと。



原爆にあったからこんな病気になったとはっきりしたらねえ、いいんですけど。それも分からないまま。」

こうした住民たちの疑念をよそに、アメリカは西山地区で、長期にわたって調査を続けていたことが分かりました。

原爆投下から5年後の1950に纏められた残留放射線の報告書です。詳しい聞き取りと共に、住民の写真も添付されていました。

報告書
「農家の中尾夫人は、原爆が投下された時にかぶっていた綿のほおかぶりを倉庫から持ってきてくれた。彼女は原爆の後にやってきた泥の雨が、このてぬぐいの上に降ったと語った。」

中尾恒久さん。86歳です。
「ははあ。これはここですねぇ。これはたぶんうちの母親でしょうね。」

写真の女性は母親のたかさんでした。原爆が投下された時、10歳だった中尾さん。アメリカの調査団が家を訪れ、雨について調べていたことを覚えていました。

中尾さん
「原爆の落ちたときは暑かったとですもんね。雨降ってきたちゅうて外に出おったとですよ。雨っていうてもドロドロした、ちょっと油っこかった雨だったですよ。」

報告書では、残留放射線と雨との関係について分析していました。
「住民によると西山地区に降った雨は赤みがかった黒色で、異物が混じった大粒の雨だったと言われている。
配水管が詰まるほど濃い雨で、貯水池の水には苦みがあり、1週間ほど飲めなかったと語った。」

中尾さんの母親が8月9日に使っていた手拭いについても調べられていました。

「中尾夫人のほおかぶりをX線フィルムでサンドイッチ状態にした。そして横田基地のラボでそのフィルムを現像すると、おなじみの放射性物質の斑点が見られた。」

アメリカはどれだけ放射線が残留しているか、中尾さんの畑や家の屋根などあらゆるサンプルを集めていたのです。

先祖代々、農業を営んできた中尾さん。調査団はこの畑についても入念に調べましたが、その理由については明かしませんでした。



「ちょうどあそこら辺の、ハナモモが植わっている辺やったですよ。(調査員が)傘をさしてですね、泥をとって。当時は目的とか何とか、そういうことは言わんですね。」

● 西山地区は核爆発による放射性物質拡散のモデル地区にされていた

なぜ、アメリカは西山地区を調査し続けていたのか?私たちは、報告書を作成した人物の遺族を訪ねました。

マーグレット・レベンソールさんです。

今年父親の遺品を整理した時に、膨大な原爆の資料を発見しました。
「原爆に関する研究は重要性が高いと思ったので全部残しておきました。」

父親の名前は、リオン・レベンソール。



放射線を分析する装置を開発する会社、トレーサーラボ(Traser lab)に務めていました。レベンソール残した手記には、西山地区を訪ねた理由が書かれていました。

「Traser labは空軍と契約していて AFOAT-1(Air Force Office Atomic Energy1)と呼ばれる秘密組織が存在した.。
その目的はソビエトの核実験の爆発の際に出る放射性物質の検知であった。」

当時、ソビエトは初めての核実験を成功(1949年)。米ソの核開発競争が激しさを増していました。



レベンソールは大量の放射性物質が降り注いだ西山地区をモデルに、核爆発で放射性物質がどのように広まるのかをつかもうとしていたのです。

レベンソールの部下の、ロドニー・メルガードさんです。西山地区には大量の放射性物質が残されており、格好の研究場所だったと言います。

NHK取材班スタッフ
「広島・長崎の原爆で、残留放射線は存在していましたか?」

ロドニー・メルガード
「はい、もちろん。原爆を開発した科学者たちは正確に把握していました。爆発直後、放射性物質の90%は空気中にあり、小さな粒子が風に乗って浮遊していたはずです。
風下であれば数㎞離れた場所でも、命を脅かすような放射線の影響が出ていたでしょう。」

西山地区の土をアメリカに持ち帰ったレベンソールは、人体への影響の手がかりも見つけていました。放射性物質の核種です。
核種とは原子核の種類のことで、陽子と中性子の数によって放射性物質の種類を特定できます。

リオン・レベンソール
「我々はバークレーに戻って土を分析したところ、放射性ルテニウム(Ru-106)とセリウム(Ce-144)が見つかった。これらは最初のプルトニウム原爆(長崎原爆)から出たものであることが確認された。」

私たちはレベンソールの資料を、残留放射線を長年研究する物理学者の星正治教授と、放射線影響科学専門の大瀧慈教授に見てもらいました。

広島大学星正治名誉教授
「こういう測定ができるというのは、ものすごい量の放射能があります。僕の感覚から言うと。このルテニウムとセリウム。これはよく核実験の後で見つかる「核種」やから。
体にもし入ったとしたら、放射能によって体のどこにいくか、「プルトニウム」や「ストロンチウム」は骨にいくとか、「セシウム」は筋肉とか違うから、だから核種の同定は必要ですよ。
広島・長崎の「核種」を同定(確定)した話はないと思うな。」

もし、核種の情報が日本に伝えられていたら、原因不明の死や、体調不良を訴える住民の為の研究が進んでいた可能性があります。

広島大学大瀧慈名誉教授
「なぜいままで隠されてきたか?公やけな、公的なね、報告がなされてきてなかったか?そちらこそ問題があると思うんです。」



「この結果、このデータに関連するようなですね、調査とか研究が行われていないとは、むしろ考えにくいんですよ。」



1950年にレベンソールが(米)国の原子力委員会で行った報告です。

レベンソール
「長崎と広島で低レベルの放射性物質が、広範囲にわたって点在し続けている証拠に多くの関心が寄せられた。
被爆地域の肥料に現地住民のし尿が用いられるため、除去された放射性物質はその地域に戻されるだけでなく、汚染されていない地域にも散布されることが考えられる。



残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」

アメリカは日本が独立した後も、残留放射線の影響を継続しました。しかしその成果は、西山地区の住民達に伝えられることはありませんでした。

アメリカの調査対象になっていた西山地区の住民、中尾恒久さん(86)です。

訪問した診療所の医師
「きょうは甲状腺の超音波の検査をしますからね。」

長年、病に苦しみ続けてきた中尾さん。二十歳の頃、甲状腺機能低下症を発症。その後、ガンにも見舞われました。西山地区では甲状腺の病に苦しむ人が少なくありません。

医師
「ここにあるのが甲状腺ですよ。ちいとこれが小さい。萎縮しているんですね。」



しかし残留放射線との関係は今もほとんど明らかになっていません。

NHK記者
「(調査結果について)ちゃんと説明を受けたことはありますか?」

中尾さん
「いや、そりゃなか。放射能がそんなに残っとっていうとに知らせずに調査して。ほんとうに。何十年もあれして、住んどっと所に住まれんっていうことは、聞きとうもなかったですけど、しかし聞きとうなかっても、事実ば教えてくれないとですねえ。」



● 被爆するがままに任され観察され続けた西山地区の人々

西山地区に住んでいた義理の妹を亡くした松尾トミ子さんです。松尾さんは幸子さんの死に対して、今も割り切れない思いを抱いています。
今回、幸子さんの死因について1980年に長崎大学がまとめた報告書を入手しました。

長崎医学会報誌 43巻9号  809-813頁
所謂、「西山地区」より発生した慢性脊髄性白血病の一例(急性転化例)長崎大学原研内科教室
富安孝則(とみやすたかのり)・岡部信和(おかべのぶかず)・松本吉弘(まつもとよしひろ)

飲み水を通して、体内に放射性物質が取り入れたれた可能性が指摘されていました。
「しかしこの一例のみでは、残留放射線との因果関係は断言できない」と結ばれていました。

NHKスタッフが松尾トミ子さんと面談し「長崎医学会報誌」を見せて説明
「こういう所にすごく高い残留放射線が測定されていた。だけど公表されていなかったということなんですよね。」

松尾トミ子さん
「ええ、ええ。」

私たちはアメリカが原爆投下の5年後には確証を特定し、人体への影響について研究を続けていたことを伝えました。

松尾トミ子さん
「いやあ、はっきり言って腹が立ちますよね。うん。これは人として見ていないみたいな感じが私はするんですよ。実験みたいにしてるなって。そういうふうにしか取れないですね。」

実は西山地区では、長年放射線の影響が噂されていました。しかし農業で生計を立てる住民が多く、誰もそれを自分から語ろうとしなかったといいます。

松尾トミ子さん
「父もお野菜作っていたんですよ。市場に持っていってたんですよ。それをして生計を立てているから、売らないといけない。だけどそれを言ったら、自分たちの生活が成り立たない。」



「何か言ったら、みんなから変な目で見られる。村八分になる。そういう気持ちがあったんじゃないかなと思いますけどね。」

西山地区の白血病と残留放射線との因果関係は今も証明されていません。

長年、西山地区の白血病について研究を行ってきた、長崎大学の朝長万左男(ともながまさお)名誉教授です。原爆との関係を証明するのは容易ではないとしています。

朝長教授
「普通の人からも10万人に1人か2人は慢性骨髄性白血病は出るんですよ。
「それと混同していませんか」と、言われると「いやいや、これははっきり原爆の放射線で起こっているんですよ」と言うにはどうですか。相当な根拠がないといかんですよ。そこですね。
(残留放射線は)累積していくわけだから、本当はそれが計算できないといけないけど、生活パターンが非情に、その時に福島でも同じような問題が起こっているのですけどね。外にどのくらい出ていて、家の中でどのくらい生活していたのか。
そうしたことを毎日記録している人なんていないでしょう。そういうところに壁があってね、福島でも正確な被爆線量を出すことは非常に難しいんですよね。」

アメリカが残留放射線を否定したことは、何をもたらしたのか?

朝長教授
「残留放射能の研究が進んでないでしょ。例えばプルトニウムが人体に入っててね、これも残留放射能でしょ、ある意味でね。それが、今頃分かってんのよ。
一生懸命にその当時にやっていれば、もっといろんなデータが出たはずでしょ。そういう事ですよね。そこに科学者でもない陸軍のトップがね、「無い」と判断するのは、もう、政治以外の何ものでもないですよね。」

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #長崎西山地区 #黒い雨 #ルテニウム #セリウム #星正治 #大瀧慈

以下の動画もご覧下さい。



*****

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明日に向けて(2359)【再掲】グローブス少将が残留放射線をもみ消し被爆者救護も禁止したーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー2

2023年08月07日 23時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)
守田です(20230807 23:00)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの2回目をお送りします。

● マンハッタン計画責任者グローブスが残留放射線をもみ消した

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-2回目
2023年8月6日再放送

ところが、これらの調査結果は、ある人物によって隠蔽されます。グローブス少将です。
ペースが調査後にグローブスに呼び出されていたことが、今回初めて分かりました。



「帰国後、私は報告書を書き『Secret』扱いにした。」
「ある日、上司に呼び出されると一緒にグローブス少将がいた。彼らはしかめ面をしていた。
彼は「報告書は『Top Secret』にすべきだった」「これに関係する文書やデータは全て廃棄し全てを忘れろ」「報告書を書いたことも忘れることを命じる」と言った。
これは作り話ではない。私は「イエス サー」と答え、しっぽを巻いて退散し彼の言う通りにした。」

さらに被爆地を撮影していたコリンズも、軍の意向に沿った調査報告を求められていたと語っていました。

ドナルド・コリンズ
「原爆調査に向かう前、責任者からこう言われました。『君たちの任務は、放射能がないことを証明することである』。
そこで私はこう言いました。『失礼ですが我々は残留放射線を測るように命令を受けたのですが』。すると責任者は『放射線量が高くないことを証明しろ』と言ったのです。」

その結果、グローブズが提出させた初動調査の報告書では、残留放射線の存在が完全に否定されていました。

グローブス少将宛「原爆調査報告書」(1945年9月5日~10月12日)
「『残留放射線』の測定結果と、人への被害の臨床的な証拠がないことを考えると、爆発後、有害量の残留放射線が存在した事実はない。



人々が苦しんでいるのは、爆発直後の放射線のためであり、残留放射線によるものではない」

グローブズが残留放射線が存在しない理由として挙げたのが、原爆を開発した物理学者オッペンハイマーの理論でした。



原爆は爆発する瞬間、強烈な初期放射線を放出します。これに対し残留放射線は2種類あります。
一つは爆心地の土壌などが中性子を吸収することで放射性物質となり、放出するケース。もうひとつは爆発で発生した放射性物質が雨や塵などと共に降り注ぎ、地上に残り続けるケースです。

ただしオッペンハイマーは「広島 長崎では残留放射線は発生しない」としました。
なぜなら「原爆は地上600mという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達。地上に落ちてくるのは極めて少量になる」というのです。
これがアメリカ政府の残留放射線に関する公式見解となりました。


● 実際には深刻な残留放射線の影響があった

グローブスによって否定された残留放射線。私たちは極秘とされた海軍の測定した値や、日本の科学者による測定値を入手。専門家と共に値と場所を地図上にプロットしてみました。
1945年9月から46年1月までに測定された、長崎の残留放射線の値です。残留放射線は時間と共に急激に低くなる減衰という現象を起こします。



そこで時間を遡り値の変化を調べてみることにしました。

すると原爆投下の1時間後、爆心地から3キロ離れた西山地区で、放射線は1時間当たり97ミリシーベルトを超えていた可能性があることが解りました。



この放射線の値を計算した京都大学複合原子力科学研究所の今中哲二研究員です。

NHKスタッフ
「一番注目すべき地域ってどこだと思われますか?」

今中哲二研究員
「それはやっぱり西山ですよね。西山が圧倒的に線量が高かったですから。これはもう私からしたら直ちに避難するか、直ちにどこか遮蔽の強いコンクリートの建物に避難するとかという線量です。
そういう中でたぶん西山の人たちはね、暮らしてたんだと思います。」

放射線医学の第一人者である広島大学の鎌田七男名誉教授は、人体に影響を与えていた可能性を指摘します。

鎌田七男名誉教授
「6時間たった段階で(がん死亡リスクが高まる)100ミリシーベルトは優に超えちゃうと。これだけの数値からでも人体への影響はあったと。
体調を崩していったり脱毛した方もあるわけですから、これを見て(人体への影響があると)意を強くすることができますね。」

西山地区の住民を対象に血液検査を行っている写真も見つかりました。近隣の子どもたちまで集め、検査に協力させていました。



原爆投下から2か月後、アメリカ軍が注目していたのは白血球の値でした。正常値を遙かに超える1万以上の高い値を示す住民が多数に上りました。(1945年10月~46年1月)

鎌田名誉教授によると「放射性物質が体内に入ったことで起きた可能性が高い」と言います。
アメリカ軍は残留放射線を測定していただけではなく、人体への影響の可能性まで周到に調査していたのです。

陸軍軍医による報告書
「西山地区の人々は原子爆弾の投下から数か月後に、有意な白血球増加がみられた。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性があり、人間がどうなるか特に興味深い。
また放射性物質を経口摂取した後の人体から、骨肉腫も確認されている。西山地区に残る放射性物質の堆積物には、人がさらされ続けると危険を伴う可能性がある。



この条件を考えると、原爆の直接の影響を受けていない西山地区の住民は、残留放射線の影響を観察するのに理想的な集団である。」


● 核開発のために在留放射線は皆無と語ったグローブス

次々に明らかになる残留放射線に関する不都合な事実。しかし、グローブスは公式見解を変えようとはしませんでした。
1945年11月28日、グローブスは議会で証言を行います。その議事録を今回入手しました。

質問者
「残留放射線を調査した記録はありますか?」

グローブス
「はい。ございます。残留放射線は『皆無』です。『皆無』と断言できます」。
爆発が非情に高い地点で起きたため、放射能による後遺症は発生しませんでした。

質問者
「私から見ると、陸軍省は何度も何度も『放射線による被害はなかった』と強調しています。そこには放射能被害を認めると、倫理的に間違いを犯したことになるという思いが、陸軍省側にあったのではないですか?」

グローブス
「この問題は、ひと握りの日本国民が放射能被害に遭うか、それともその10倍ものアメリカ人の命を救うかという問題であると私は思います。これに関しては私はためらいなくアメリカ人を救う方を選びます。」

当時ソビエトとの冷戦が既に始まっており グローブスは今後も核兵器が必要であると強調します。

グローブス
「アメリカの科学者の研究では残留放射線による死についての報告は実証されていない。



原子力の研究をやめてしまうことは、アメリカが自ら死を選ぶことに等しい。」

「原爆は非人道的な武器では無く、アメリカになくてはならないものだ。」
グローブスは残留放射線の影響から目をそらし、核開発で世界をリードすることを最優先としたのです。


核開発の歴史を分析してきた歴史学者のジャネット・ブロディ教授です。
グローブスは科学を都合よく利用することで、残留放射線の問題をアメリカ国民の目からも覆い隠していったと指摘します。

「アメリカ社会では「無知学」と呼ばれるずるい手法が使われることがあります。
「無知学」とは当局が望まない情報の拡大を何らかの手段で阻止することです。



グローブスは全ての″原爆に関わる文章″を支配し続けていました。
そして科学的なメリット、医学的な効果など、肯定的な結果だけを取り上げて、負の部分は隠しました。
これは戦争犯罪を犯した人に対して、見て見ぬふりをするのと一緒です。

グローブスは負の側面から顔をそむけたい市民の深層心理につけ込んでいったのです。
政治家やアメリカ国民を残留放射線の問題から、目を背けるように巧みに操ったのです。」


● 日本軍もまた「放射能はすぐに減衰する」と深刻な影響を隠そうとした

アメリカが残留放射線を否定する一方で、日本はその影響をどう捉えていたのか?
実は日本軍も原爆が投下された翌日から、被害を調べる為、医師や科学者を現地に送っていました。(8月7日、日本海軍調査、8月8日日本陸軍調査、8月13日九州大学調査)



その中に、残留放射線にいちはやく注目した医師がいました。東京大学の都築正男(つづきまさお)教授です。

都築正男教授 中国新聞1945年9月5日掲載記事より
「爆発の当日、広島におらず、その後広島にやってきた人で数日間、勤労作業などに従事した人の健康状態については、相当の症状を示し、また死亡した人もある。」



「爆発後、数日以内に爆心地から半径500m以内の土地で働いたものには、ある程度の傷害があたえられていると考えてよかろう。」

都築が疑ったのは、原爆が爆発した後に爆心地に入った人が被爆する”入市被爆”でした。



爆心地の土壌は、中性子を吸収することで放射性物質となり放射線を放出します。
今回入手した値で作成した、広島の爆心地周辺での残留放射線です。原爆投下後の1時間後は1時間当たり15ミリシーベルト(15.13mSv/hr)と極めて高い値になっていました。

広島では、原爆投下の翌日に救護や家族を探す為に、少なくとも1万8千人が爆心地に入っていて、残留放射線を浴びた可能性があると考えられています。

残留放射線が人体に与える影響を危惧していた都築医師。
長男の正和さんは、その原点に戦前にアメリカに留学して放射線医学を研究した経験があったと語ります。
「(原爆投下前に)アメリカの放射線の専門医から、そんなに大量の放射線を生物に照射することはありえないわけだから、お前の研究は放射線医学にとって意味のない研究であると。ただそれが後になったときに、放射線の生物に対する影響がどういうものがあるのかもっと研究しなければいかんということは、直接、聞きましたけどね。」

当時、日本の科学者の間では残留放射線については、さまざまな思惑が交錯していました。
西山地区の調査に参加した物理学者の森田右(すすむ)博士は、住民を避難させることを検討していました。(回想録 1991年より)
「西山地区に雨と一緒に死の灰が降り注ぎ、地面一帯が強い放射能を持っていることが判明、住民の避難が検討されたこともあった。」

さらに西山地区の調査に協力した石川数雄医師は、血液検査で分かった白血球の値についてこう述べていました。

「いままでかつて我々が予期しなかったとにかく普通でない変化がありました。非常にたくさん増えて1万2万といわゆる白血球増多症を持っていたわけです。それが若い子どもの方が多かった。私たちはここに非常に恐るべき事実があるような気がしましてそれが蓄積した時にどうなるかと。」



一方で石川数雄医師は、残留放射線が大衆を不安に陥れることを危惧していました。

石川数雄医師
「アメリカの方から伝えられた『70年生物の存在を許さない』とPRされて、そのことに多くの方々が恐れおののいて、多くの死体の片付けも十分できないような不安な気持ちであった。
私は『放射能というのは時間とともに強く減弱していくんです。弱っていくんです。いわゆる人間の体に受けても心配はいらないんだ』と県知事に申し上げたことを記憶しています。」

廣島戦災(放射能に関する)調査報告書(1945年8月15日)
陸軍がまとめた報告書です。「人体に障害を与える程の放射線は測定できなかった」と記されています。有害な残留放射線は存在しないとされることでパニックを防ぎ、人心の安定を図ろうとしていたのです。


● 人々を助けようとする科学者たちは米軍に圧迫された

それでも日本の科学者たちは、アメリカの調査に協力する一方で、残留放射線の人体への影響を証明しようと取り組みます。



原爆調査に当たった都築正男医師が残した資料です。

原爆投下から3ヶ月後に開かれた原爆災害調査研究特別委員会の極秘の記録が見つかりました。

1945年11月30日。GHQの立ち会いの下、広島、長崎を調査した科学者が、初めて一同に会し、報告を行いました。(「原爆災害調査研究特別委員会」)
戦中、国産の原爆開発を行っていた仁科芳雄博士。爆心地から離れた地で残留放射線を測定した事実を発表します。

仁科芳雄博士
「特別な地区の放射能が強くなっている所があります。原爆が爆発して原子核の破片が飛散して放射能を示している。雨と一緒に落ちてきている。」

続いて、残留放射線の人体への影響を危惧していた都築正男医師。

都築正男医師
「爆発後 他の土地から応援にまいり、作業に従事した人の白血球の数が減りました。放射能の障害を受けたのではあるまいか?ただ確実にそうである実例をいまだつかみえないのであります。」

しかし アメリカ側が科学者に対し厳しい言葉を突きつけます。

GHQ経済科学局幹部
「日本人の原爆研究は許さぬ」

都築はこの発言に強く反論します。「広島と長崎ではここで発言している瞬間にも原爆症で次々と死亡しつつある。原爆症はまだ解明されていない新しい疾患でまだ治療方法はない。たとえ進駐軍の命令でも医学上の問題について研究発表を禁止することは、人道上許しがたい。」

しかし、アメリカ占領下では都築医師の主張が通ることはありませんでした。
戦後、都築都築正男(医師)にインタビューした広島大学の今堀誠二教授は、都築から「科学者としての無念」を聞いていました。

「問題は政治が先か、人道が先かということであって、結局は人道が政治に押し切られてしまった。広島・長崎に何万という被爆者がいるんだと。毎日何人も死んでいってるんだと。
その人々を助ける方法があり、研究もでき、発表もできるにもかかわらず、占領軍の命令によってそれを禁止して、この人々を見殺しにするとは何事かと。」



晩年まで被爆の研究を続けた都築医師
核の平和利用が検討され始めたころ、原爆初動調査を振り返り、こう語っていました。
「私は今後、機会が与えられるならば、資料を整理して人類の幸福のためにより友好的な形で編み直してみたい。
そうすれば苦心して集めた資料が真に実を結ぶ時を迎えるだろう。」

国家の思惑の中でにぎり潰されていった科学的事実。
新たな取材でアメリカは残留放射線を否定しながら、被爆地の調査を続けていたことがわかりました。

「残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


体調不良や原因不明の死があいついだ長崎市西山地区。調査の対象にされながら、住民たちはその事実を一切、知らされませんでした。

松尾トミ子さん
「これは人として見ていない感じがするんですよ。実験みたいにしてるなって。」

戦後、核兵器の開発を進めた世界は、残留放射線の存在から目を背けつづけました。

チェルノブイリ事故医療対策責任者
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題はかなり恣意的なものでした。」

残留放射線の否定は私たちに何をもたらしたのか。現在にいたる核と人類の関係を紐解いていきます。

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #グローブス #オッペンハイマー #都築正男 #仁科芳雄 #広島 #長崎

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明日に向けて(2357)今日は広島の日、核の犠牲者を追悼し「原爆許すまじ」の思いをあらたにしよう

2023年08月06日 08時15分17秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230806 08:15) 

それぞれの場で祈りを捧げよう 京都のビジルにもご参加を!

本日8月6日は広島市民がアメリカ軍が使用した原爆によって大量虐殺された日です。原爆は8時15分17秒にエノラゲイから落とされ、16分に高度580メートルで大爆発、約14万人を虐殺しました。
今日は広島の犠牲者への追悼の思いをみんなでシェアしたいと思います。同時にあらゆる核の犠牲者への追悼の思いも込めて、祈りの時間を過ごしましょう。

広島市では8時ちょうどから平和記念式典が行われています。正式名は「令和5年(2023年)平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」です。
京都市でも私たち京都「被爆二世・三世の会」の主催で、キャンドルビジルを行います。午後7時に京都市の三条大橋東詰に集まります。お近くの方ご参加下さい。
https://fb.me/e/1nPDdXbAq

また僕は知人のピアニスト大前チズルさんとnaoさんによる自由即興音楽と絵本朗読のコラボにも参加します。午前11時から京都ミチカケで行われます。限定20名なのでまだ申し込み可能かどうか分かりませんが、参加申込フォームを記しておきます。
https://docs.google.com/forms/d/13d_Yu0K0SpYmyK91JFL1jggaNOAvxN06LOqdIcR9xao/viewform?edit_requested=true


「原爆投下」ではなく「原爆による虐殺」と正しく言おう

すでに広島での式典が進行中ですが、報道などで繰り返し「原爆投下から78年」という言葉が使われることに「これではいけない」という思いを強めています。
「投下」という言葉で事実が覆われてはいるからです。この日はアメリカが大量虐殺を行った日なのです。「南京虐殺」というように「アウシュヴィッツの虐殺」というように、「広島虐殺」というべきなのです。


夕暮れの広島原爆ドーム 守田撮影

そもそも原爆で虐殺されたのはほとんどが無抵抗な市民です。しかももっとも死者数が多かったのは当時13歳の子どもたち。アメリカは子ども、老人、女性たちを中心とする市民を大量に虐殺したのです。
しかも殺し方もとても酷かった。一瞬に命を失った人々もたくさんいましたが、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた末に亡くなった方もたくさんいました。いやその苦しみと死の連鎖は今日まで続き、二世、三世、四世に被害を及ぼしています。

これほど明らかな戦争犯罪はありません。それを正し、アメリカ政府からの誠実な謝罪を引き出さなければ、そしてそのもとで核兵器廃絶を実現しなければ、平和は担保されません。
みなさん。ぜひこの日に、「アメリカ政府は大量虐殺を謝罪せよ!」との声を上げましょう。

本日、NHKBS1スペシャルで『原爆初動調査 隠された真実』という番組が放映されます。午後3時20分から5時までです。
2021年8月9日に行われた番組の拡大版の再放送です。アメリカが広島・長崎での調査で被爆被害の多くを隠ぺいしていたことを告発したスクープ番組です。ぜひご覧下さい!
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/5WP52P5267/



アメリカ国民、住民も犠牲者だ!太平洋の島々の人々をはじめ世界のヒバクシャに想いを馳せよう

みなさん。同時に私たちは、原爆の犠牲者は日本人だけでなく、広島、長崎にいた朝鮮半島出身者(被爆者の約1割)をはじめとしたさまざまな国の人々とともに、アメリカ国民、住民でもあることをしっかりとおさえましょう。
原爆は広島、長崎での使用による大量虐殺に先んじて、1945年7月16日にニューメキシコ州のトリニティサイトで実験されました。長崎で使ったものと同規模の爆発を持ったものが炸裂し、周辺住民を手酷く被爆させました。

さらに最近、そこから飛び出した死の灰が、アメリカ本土の大半を覆い、カナダ・トロントの湖まで届いていたことが明らかにされました。原爆はアメリカ国民、住民にも犠牲を強いたのです。
しかもアメリカ軍はその後、ネバタ砂漠で約100回の核実験を行い、アメリカ住民、国民を被爆させ続けました。最初に被爆させられたのがウラン鉱を掘らされた先住民族の人々だったことも忘れてはなりません。


トリニティで放出された放射能の拡散図 毎日新聞掲載

さらにアメリカは、日本から奪った太平洋諸島でも核実験を繰り返し、南洋の人々を被爆させ続けました。遅れて核開発を行った旧ソ連、イギリス、フランス、中国も核実験でたくさんの人々を被爆させました。
さらに核兵器生産工場や、核兵器体系の副産物である原子力発電所の事故でもたくさんの人々が被爆させられました。それが核の犠牲者です。今日、この日、世界のヒバクシャ-グローバルヒバクシャにも思いを馳せましょう。

ここにトリニティサイトの犠牲者を追悼するビジルの動画(2019年守田撮影)をご紹介しておきます。



トリニティサイトの核実験で被爆しガンで亡くなられた遺族の写真をはりだした女性と 守田撮影

今日、この日にすべてのみなさんと「原爆許すまじ」の思いをあらたたにしたいと思います。共に核なき未来に向けて歩んでいきましょう。

#ヒロシマ #ナガサキ #広島平和記念式典 #核兵器反対 #キャンドルビジル #京都被爆二世三世の会 #核実験 #トリニティサイト #ニューメキシコ #グローバルヒバクシャ

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明日に向けて(2356)トリニティサイトの核実験の死の灰はアメリカの大半の地域を覆いカナダやメキシコにも届いていた!

2023年08月02日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230802 23:30)

人類初の核実験(トリニティサイトにて)での被爆実態が初めて明らかにされた!

みなさん。毎日新聞よりすごい記事が出ました。高橋博子さんのFacebookへの投稿で知りました。まずは記事をご紹介します。

1945年、世界初の核実験 「死の灰」降下、46州に カナダ・メキシコにも 米大学解析
https://mainichi.jp/articles/20230731/ddm/001/030/128000c?fbclid=IwAR1S-ckyBdsiVQH0Nc4I19oAMgF0GHg4pnP-NgdDl-PbLJyfMNOGgxqBha8


毎日新聞記事より

添付された図をご覧下さい。1945年7月16日のニューメキシコ州トリニティサイトで行われた核実験で飛散した死の灰が、どのように降下したのかの図です。
なんとアメリカの大半を覆い、カナダ・メキシコにまで到達していました。
原爆は広島・長崎での大量虐殺の前に、アメリカや周辺国の人々をたくさん被爆させていたのです。

この記事のよりどころになっている英文論文も高橋さんがアップして下さったので、それをここにも貼り付けておきます。
https://arxiv.org/ftp/arxiv/papers/2307/2307.11040.pdf

この原爆は長崎原爆とほぼ同規模のものでした。ということは長崎で放出された死の灰ももっとものすごく広範に降ったことが考えられます。
長崎や九州は言うにおよばず、日本の多くを覆い、中国、朝鮮なども襲っていたのではないか?あらためて「核兵器許すまじ!」です。


アメリカ・ダウンウィンダーズやディネ(ナバホ)の人々と連帯しよう

僕は京都「被爆二世・三世の会」の仲間と共に、この人類初の核実験のことを問題にして2020年から毎年7月16日に該当で宣伝活動を行ってきました。
被爆二世の私たちから「核爆弾による人類初のヒバクシャは広島の人々ではない。アメリカ住民が先に被爆させられた」と告げねばと思ったからです。
さらに「核爆弾を作るためのウラン鉱掘削のために各国の先住民族が一番最初に被爆している」と訴え、世界のヒバクシャとともに核廃絶を目指すことを訴えてきました。


716行動に参加した京都「被爆二世・三世の会」の仲間と共に 守田撮影(タイマー撮影)

また実はこの7月16日は、1979年にも全米最大最悪の核事故が起こった日です。ニューメキシコ州チャーチロックでのウラン鉱山鉱滓ダムで大決壊が起こったのでした。
私たちはこの二つの716のことを訴え、核実験で被災した風下住民=ダウンウィンダーズ、そしてまた1979年の事故で被災したディネ(ナバホ)の人々への連帯を訴えてきました。

今年の行動をご紹介します。
https://www.facebook.com/1182740570/videos/594368526115177/

そのダウンウィンダーズがトリニティサイトの近くで行ったビジルの映像をお届けします。2019年のこと。僕が撮影したものです。


犠牲になった家族の写真をはりだした地元の女性とともに 2019年

NHKB1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」をご視聴下さい!

この点での理解を深めるためにうってつけの番組が再放送されます。
NHKB1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」です。8月6日(日)午後3時20分から5時までです。
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/5WP52P5267/

実はこの番組、2021年8月9日にNHKスペシャルで放映されたもので、その年の12月29日にカットされた部分を足してB1スペシャルから放映されたもの。
この貴重な内容をどうしても伝えたいという、製作者たちの思いも強く伝わってくる番組で、それで僕もこの番組の放映時にただちに文字起こしし、記事にしてきました。
今回も放映を前にご紹介しておきます。(全部で3回あります)

明日に向けて(2042)アメリカは原爆による被曝実態を隠した、実際の被害はずっと大きかったーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー1
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4bbc57c757bcb808d36e0687026017ff


キャンドルビジルにご参加を

さて、これらの点に踏まえた上で、こうしたすべての核の災害の犠牲者を追悼するためのキャンドルビジルへのご参加を訴えます。
8月6日日曜日、午後7時から京都三条大橋にてです。京都市近郊のみなさま。ぜひご参加下さい。
https://fb.me/e/1nPDdXbAq

京都市まで来られない皆さんのために、当日、短くなりますが、数回にわたりLIVE配信も行います。
Facebookからにご視聴でもご参加下さい。

核なき未来に向けてともに歩みましょう。

#ヒロシマ #ナガサキ #トリニティサイト #人類初の核実験 #ダウンウィンダーズ #核兵器反対 #キャンドルビジル #京都被爆二世三世の会 #三条大橋 #ニューメキシコ

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明日に向けて(2355)広島の日6日に京都市三条大橋でキャンドルビジルを行います!ご参加を!

2023年08月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230801 23:30)

このところ恒例になっている広島の日のキャンドルビジルを今年も行います!
午後7時京都市三条大橋集合です。午後8時まで行います!


キャンドルビジル2021より 守田撮影

広島、長崎に想いを馳せるとともに、1945年7月16日にアメリカニューメキシコ州で行われた人類初の核実験の犠牲者や、広島、長崎後に繰り返された太平洋の島々を始めとする核保有国の実験場とされた地域での犠牲者、あるいは核兵器製造工場の事故で被爆した人々、そしてスリーマイル、チェルノブイリ、フクシマなど原発事故で被爆した人々、さらにはニューメキシコ州チャーチロックなどウラン鉱山関連で被爆した人々など、あらゆる核の犠牲者、被災者への思いを込めて静かに立ちたいと思います。
 
 
◯【注意】今年は8月6日だけの開催となります。ぜひ6日にお集まりください。

◯いま三条大橋は補修工事中です。例年のように橋の上に立つと通行がしにくくなってしまうので、今年は橋の東詰のいつも集合・解散に使っているあたりから横に横にと広がりたいと思います。

Facebookイベントページも立ち上げたのでこちらもご覧下さい。
https://fb.me/e/1nPDdXbAq


◯主催は京都「被爆二世・三世の会」です。
問い合わせは守田まで。morita_sccrc@yahoo.co.jp

◯どうかそれぞれでキャンドルやプラカードを持参してお集まりください。サイレントで静かに立ち続ける行動です。
小雨決行、強い雨の時は中止します。

◯なお5日に西院にあるラボール京都5階の原水協の事務所をお借りしてキャンドルなどの準備をします。可能な方はご参加下さい。



この日は広島をはじめさまざまなところで追悼の催しが行われると思います。
僕が南フランスのナルボンヌで知り合った方は、毎年6日から9日まで断食して、被爆者の思いをシェアしていると語ってくれました。
その意味でこの日に静かに祈りを捧げてきた人々は日本だけに留まらない。
だからこそ、私たちも世界のグローバルヒバクシャにも思いを馳せてこの日を送りたいものです。



最後に2019年7月16日前後に訪れたアメリカ・ニューメキシコ州で参加した、人類初の核実験で被爆し、ガンで亡くなった人々を追悼したビジルの映像をお送りします。短いのでぜひご覧下さい。
みんなで悼む心をシェアしあって、核なき未来、真の平和に向かって歩んでいきたいと思います。
 

 
#ヒロシマ #ナガサキ #原爆許すまじ #核兵器反対 #キャンドルビジル #京都被爆二世三世の会 #三条大橋 #ニューメキシコ #被爆者 #グローバルヒバクシャ

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