鎌倉二十四地蔵霊場巡り、二番札所の来迎寺から三番の覚園寺へ。道に迷った。
普通、覚園寺へ行くときは鎌倉駅からバスで鎌倉宮まで乗り、鎌倉宮から左の道を歩く。右に歩くと、瑞泉寺である。両方の寺とも、鎌倉アルプスの麓に位置する。奥まった場所にある。
三番の覚園寺。ここは決まった時間にお寺の案内がある。
<御朱印>
覚園寺から7番の瑞泉寺へ。どうしてこういう順番でまわったのか、今では理解しがたい。
瑞泉寺は鎌倉屈指の花の寺である。
<御朱印>
鎌倉二十四地蔵霊場巡り、二番札所の来迎寺から三番の覚園寺へ。道に迷った。
普通、覚園寺へ行くときは鎌倉駅からバスで鎌倉宮まで乗り、鎌倉宮から左の道を歩く。右に歩くと、瑞泉寺である。両方の寺とも、鎌倉アルプスの麓に位置する。奥まった場所にある。
三番の覚園寺。ここは決まった時間にお寺の案内がある。
<御朱印>
覚園寺から7番の瑞泉寺へ。どうしてこういう順番でまわったのか、今では理解しがたい。
瑞泉寺は鎌倉屈指の花の寺である。
<御朱印>
鎌倉には霊場が4つある。一番簡単なのが七福神で、次が十三仏霊場、地蔵霊場は24の札所からなる。観音霊場はもちろん三十三だね。観音霊場は一度しかまわっていない。
地蔵霊場は札所の数も24と手頃である。鎌倉中をまわるので、鎌倉観光にはもってこいだ。
平成19年の晩秋にまわった。この時は写真もあまり撮っていない。お寺ごとに3枚程度。写真を撮るのに飽きた時だった。こういう時もある。
一番が寳戒寺。鶴岡八幡宮の近くだ。
<御朱印>
二番は来迎寺。寳戒寺から横浜国大附属の中学校の横の道を通るが、見つけにくい寺である。通り過ぎてしまった。
<御朱印>
深谷駅から高崎線で鴻巣駅まで乗る。駅から歩いて10分ほどで、鴻神社(こうじんじゃ)に至る。
鴻神社は御朱印ビジネスの神社である。こういう神社は、御朱印神社と私は分類している。別に批判しているわけではない。
地域が衰退し、連帯感も薄れれば、神社を支援する氏子の力も衰える。そうなれば、神社の存続も危ぶまれる。よって、神社にとって御朱印ブームは干天の慈雨のようなものだ。
御朱印ブームの主体が若い女性であるから女性好みになるのは仕方ない。
<御朱印> カラー御朱印を通り越してアート御朱印である。15種類あった。筆書きはナシ。600円也。
JR高崎線の深谷駅でおりる。深谷は渋沢栄一の故郷である。
駅前に瀧宮(たきのみや)神社が鎮座している。
社殿がガラス障子になっているのが風変わりだ。
<御朱印>
二本松駅から郡山駅に戻り、郡山市内に鎮座する安積国造(あさかくにつこ)神社を参拝する。市の中心地にあり、駅から徒歩で10分ほど。
歩道橋から鳥居が見える。
<御朱印>
田村市にある大鏑矢神社を参拝後、再び磐越東線に乗り、終点の郡山駅まで行く。ここで東北本線に乗換え、二本松駅で下りる。
二本松神社は駅に近く、歩いて5分ほどだった。
二本松といえば、戊辰戦争における二本松少年隊の悲劇で名高い。16名の少年戦士が亡くなった。
もう一つ階段を上がると、随神門である。
正面に神門がある。「×」印が目に入るが、この地を治めた丹羽家の家紋である。
社殿。
<御朱印>