12月1日(木).今日から12月に突入です.今年も残りあと1か月です わが家に来てから今日で793日目を迎え,政府が 廃炉を検討中の高速増殖原子炉「もんじゅ」に代わる「高速実証炉」の開発方針を示したというニュースを見て 感想を述べるモコタロです
ほとんど運転実績のない『もんじゅ』はどうなるの? もんじゅの知恵がいるね
閑話休題
昨日,池袋の新文芸坐で,佐藤太監督「太陽の蓋」と森達也監督「FAKE」の2本立てを観ました 「太陽の蓋」は2011年の東日本大震災発生から5日間,首相官邸と福島で何が起きていたかを描いた実録ドラマ(2016年.130分)です
2011年3月11日午後2時46分,東日本大震災が発生し,巨大な津波が東日本の沿岸に押し寄せ多くの犠牲者を出したばかりか,福島第一原子力発電所は全電源喪失という事態に陥った 冷却装置を失った原子炉は温度が上昇し続け,チェリノブイリに匹敵する最悪の事態が迫っていた 想定外の事態を前にしながら必要な情報が思うように入手できない官邸は混乱を極める
この映画では,震災当時の民主党・菅内閣の政治家をすべて実名で登場させ,当時の状況をリアルに再現しています この映画を観て,当時のことを思い出しました.テレビで放映された 津波が家々を呑み込んでいく様子,田畑を侵食していく様子,福島第一原発の水素爆発の様子・・・あの時は,日本はもう全滅するのではないか,と本気で思ったものです この映画を観ると,あらためて国家の緊急事態時に国を預かる政治家は何をすべきか,ということを考えさせられます
昨日の日経朝刊に「福島第一原子力発電所の廃炉にかかる費用が,今後30~40年で8兆円ほどかかる」旨の記事が載っていました 記事には「経産省は廃炉にかかる費用を引き続き東電1社に負担してもらう方針.通常なら超過利益が出た場合に送配電の料金を下げなければならないが,東電には特例を適用して利益を廃炉用に積み立てられるようにする」「賠償費も8兆円に膨らむし,増大する除染費などを含めると事故処理費用は合計で20兆円を超える」と書かれています.いまだに福島県内外に避難を余儀なくされている方々もいらっしゃいます 結局,原発は一旦事故が起こると恐ろしいほどコストがかかるというのは疑いもないでしょう
「FAKE」は2014年に週刊文春に載った新垣隆氏の告白に基づくゴーストライター騒動で,クラシック音楽界のみならず日本中の話題を集めた佐村河内守氏の”その後”を追ったドキュメンタリー映画(2016年.109分)です
映画のタイトル「FAKE」は,「偽造する」「~のふりをする」「偽物」という意味です
聴覚に障害を持ちながら「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作品を書いたとして「現代のベートーヴェン」と称された佐村河内氏だったが,音楽家の新垣隆氏が,18年間にわたってゴーストライターを務めていたとや 佐村河内氏が耳が聴こえていたことを暴露した これに対し佐村河内氏は 作品が自身だけの作曲でないことを記者会見で認めて謝罪した.その一方で,新垣氏に対しては名誉棄損で訴える可能性があると話し,その後は沈黙を守り続けてきた そうした中で,森監督は佐村河内氏の自宅で撮影を行い,普段の素顔に迫るとともに,取材を申し込みにくるテレビ関係者や外国人ジャーナリストたちとのやり取りも映し出す
奥さんが通訳のような形で取材者側の言葉を手話を交えて佐村河内氏に伝えるのですが,奥さんの言うことは聴こえるのに,なぜ森監督や外部の取材者たちの声が聴こえないのかが疑問です 「聴こえないのではなく,単に聴き取りにくいのではないか」と思います.極め付きは映画の最後のシーンで,森監督が「これが最後のインタビューになります.私にウソをついていることはないですか?」と訊くのですが,カメラは口をつぐんで考え込む佐村河内氏を映し出し,「ないです」という答えがないまま映画は終わっています 実際のインタビューで「ないです」と答えたかどうかは分かりませんが,答えのないまま終わらせるところは流石に映画の作り方が”上手い”と言わざるを得ません 映っているのは事実そのものですから
一方,森監督は新垣氏の出版サイン会に出向き,本にサインをもらって一緒に写真まで撮って,後日 インタビューしたいと申し出ると,新垣氏も「私も話したいことがあるので是非」と応答するのですが,後で申し込むと事務所を通じて拒否されます どうも新垣氏側には取材をされると困ることが隠されているのではなか,と勘繰りなくなります 世間で描かれている「佐村河内氏=悪,新垣氏=善」という図式は,きっぱりとそう言い切れるのか,という疑問が湧きます.あの事件で有名になった新垣氏がテレビのバラエティー番組に出演して事件をいじったトークに応じるシーンも映し出されますが,はしゃぎ過ぎだと感じます
映画撮影の期間中のある時点で,森氏の提案で佐村河内氏はシンセサイザーを購入し,それを演奏しながら新しい曲を作曲するシーンが映し出されます このシーンは,佐村河内氏は頭の中で音楽をイメージしているだけでなく,実際に鍵盤を弾いて作曲もできるのだということを証明するのに貢献しています
そうしたことを含めて全編を観た上での感想は,「何があっても佐村河内氏を信じ切っている奥さんは非常に良い人だな,この人がいなかったら佐村河内氏は生きていなかっただろうな」ということです カメラは,キーボードを操作して作曲する佐村河内氏の音楽を,じっと下を俯いて聴き入る彼女の指に輝く指環を映し出します このあと森監督は「お二人を映したかったんですよ」と言いますが,監督の狙いが見事に映像に結実したシーンでした
話は変わりますが,私はこの事件の前の年 2013年7月21日に佐村河内守作曲「交響曲第1番”HIROSHIMA"」を横浜みなとみらいホールで聴いています 金聖響指揮神奈川フィルによる演奏でした.当日の感想はその翌日7月22日のブログに書きましたので,興味のある方はご覧ください.だれもが佐村河内守の作曲だと疑わなかった当時の感想です 私はこの中で,演奏後 佐村河内氏が急ぎ足でステージに向かって歩いていった旨を書いていますが,あの速さは尋常ではありませんでした.彼はサングラスをかけ杖をついていましたが,とても身体のどこかの具合が悪くて杖をついて歩くような速さではありませんでした 今にして思えば,耳を含めてどこも悪くなかったのではないか,と思いますが
そんなことを思いながら,家に帰って佐村河内守(実際には新垣隆)作曲による「交響曲第1番”HIROSHIMA"」を久しぶりに聴きました 2011年4月11~12日の録音です.私がこのCDを購入したのは上記コンサート直前の 2013年春ごろだったと思いますが,発売当時(東日本大震災のちょうど1カ月後)にこのCDを買った人はどのように聴いたでしょうか? きっと大震災の悲劇と結びつけて聴いたのではないか,と想像します
今あらためて,一連の騒動を抜きにして純粋に音楽として聴くと,音楽そのものはFAKEではないと思います