人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

キリル・セレブレン二コフ監督「チャイコフスキーの妻」を観る ~ 言論・表現の自由のない現在のロシアでは上映できないであろう内容 / 新国立オペラ「夢遊病の女」ゲネプロ見学会に当選!

2024年09月15日 01時23分27秒 | 日記

15日(日)。新国立劇場の会員サービス「クラブ・ジ・アトレ」から、「2024/2025シーズン  ポイントアップサービス」の選択アイテム(オペラ・プログラム引換券4枚+ショップ・クーポン1枚)が届きました また、抽選アイテムに応募していた9月30日のベッリーニ「夢遊病の女」ゲネプロ見学会の当選通知とチケットが同封されていました

     

     

オペラのゲネプロは当選30名なので当選確率が高かったと思われます ゲネプロの当選は①コルンゴルト「死の都」、②グルック「オルフェオとエウリディーチェ」に次いで今回が3度目です 今回の「夢遊病の女」は10月3日の初日公演を聴く予定だったのが、他の2つのコンサートとダブっていることから14日の最終公演に振り替えたので、「だいぶ出遅れてしまうなぁ」と がっかりしていたのですが、初日公演より前にゲネプロの形で聴くことができるので、逆転ホームランのような気分です

ということで、わが家に来てから今日で3533日目を迎え、11月の米大統領選で共和党政権のトランプ前大統領の陣営が12日、対立候補の民主党ハリス副大統領への支持を表明した米歌手テイラー・スウィフトの世界ツアー「エラス・ツアー」のグッズデザインに酷似したTシャツ(1枚36ドル)の販売を開始したが、ファンからは「トランプを支持するスウィフティーズはいない」「恥ずかしい」「訴えるべき」と批判が殺到している  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     恥も外聞もなく資金稼ぎに走るところは  さすがはトランプの支持者!  訴えるべき

          

昨日、新宿武蔵野館でキリル・セレブレン二コフ監督による2022年製作ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」(143分)を観ました

物語の舞台は女性の権利が著しく制限されていた19世紀後半の帝政ロシア かねて同性愛者だという噂が絶えなかった作曲家チャイコフスキー(オーディン・ランド・ビロン)は、世間体を鑑みて、熱烈な恋文を送ってくる地方貴族の娘で音楽院に通うアントニーナ(アリョーナ・ミハイロワ)と結婚する しかし、女性に対して愛情を抱いたことのないチャイコフスキーの結婚生活はすぐに破綻し、愛する夫から拒絶されたアントニーナは孤独な日々の中で次第に狂気に駆られていく

     

チャイコフスキーはアントニーナから熱烈な求愛の手紙を受け取ると、わざわざ彼女に会いに行き「あなたとは歳も離れているし、私には財産もない。もっと冷静になりなさい。私は女性には興味がない」と明言します チャイコフスキーの冷たい態度にアントニーナは失望します このシーンを観て、私は「まるでチャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』の主人公のようだな」と思いました タチアーナは年上のオネーギンに愛の手紙を出しますが、オネーギンは彼女の愛を受け入れず「自分はまだ結婚によって束縛されたくない。あなたはまだ若い。もっと冷静になりなさい」と諭します。オペラと違うのは、アントニーナは2度目の手紙を書いて、結果的にチャイコフスキーから結婚の約束を取り付けることに成功します

タチアーナはチャイコフスキーから「女性には興味がない」と言われたものの、「自分の力で克服し、自分を愛させて見せる」と信じて結婚に踏み切ったと思われます しかし、現実にはチャイコフスキーの同性愛は彼女が考えるほど浅いものではなく、彼女を徹底的に拒絶することになります チャイコフスキーの弟からも「結婚は仕事に支障をきたしている。兄のために離婚してほしい」と迫られます しかし、彼女は「私は彼を愛しているし、彼も私を愛している」と主張し離婚を承諾しません ここで疑問が起こるのは、「果たしてアントニーナは本当にチャイコフスキーを心の底から愛していたから結婚したのか、あるいはチャイコフスキーという有名な作曲家の妻になることを望んで結婚したのか」ということです 映画を観る限り、彼女は本当にチャイコフスキーという人物を尊敬し愛していたのだろうと思います 2人の同居生活はたったの6週間で終わったといいます その後、チャイコフスキーがコレラに罹患し死去するまでの16年間、自身の死までの40年間、決して離婚を受け入れることがありませんでした 映画のラストに、アントニーナはその後の半生を精神病院で過ごしたというテロップが表示されます チャイコフスキーへの献身的な愛が受け入れられず、冷たくあしらわれたショックが精神を病む状態に追いやったのでしょう

映画ではチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」のオネーギンのアリアが、何度か管弦楽で流れたほか、ピアノ独奏曲なども流れましたが、残念ながら私の知識が及ばず、1曲も分かりませんでした

ところで、本作の監督のキリル・セレブレン二コフは反体制派ロシア人で、2022年に亡命し、現在はベルリンを拠点に欧州で活躍しています 本作は有名芸術家の性的指向(同性愛)を正面から捉えて描いた作品ですが、一昨年、ロシアは非伝統的な性的関係の情報発信を制限する「反LGBT法」を制定しました 同性愛に批判の目を注ぐロシアにとって、本作は”好ましくない作品”と捉えられるでしょう その意味では、言論・表現の自由のない現在のプーチン・ロシアでは公開されないと思います そうでないことを祈るしかありません

     

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マクシム・エメリャ二チェフ ✕ セルゲイ・ナカリャコフ ✕ 読売日響でアルテュニアン「トランペット協奏曲」、リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」「序曲”ロシアの復活祭”」を聴く

2024年09月14日 00時04分49秒 | 日記

14日(土)。わが家に来てから今日で3532日目を迎え、米共和党のトランプ前大統領(78)は12日、大統領選に向けた次回のテレビ討論会に応じない考えを示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     勝ち目がないと 拒否したトランプに 声援を送ろう!  よーわむし♪  よーわむし♬

         

昨日、夕食に「タンドリーチキン」「生野菜とアボカドのサラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました タンドリーチキンは久しぶりに作りましたが、美味しかったです

     

         

昨夜、サントリーホールで読売日響「第675回名曲シリーズ」を聴きました プログラムは①リムスキー=コルサコフ:序曲「ロシアの復活祭」、②アルテュニアン「トランペット協奏曲」、③リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35です 演奏は②のトランペット独奏=セルゲイ・ナカリャコフ、指揮=マクシム・エメリャ二チェフです

マクシム・エメリャ二チェフは1988年、ロシア生まれ モスクワ音楽院でロジェストヴェンスキーに指揮を師事。12歳で指揮者としてデビュー チェンバロ、ピアノでも活躍している 2013年から古楽アンサンブル「イル・ポモ・ドーロ」、19年からスコットランド室内管それぞれの首席指揮者を務め、25年にスウェーデン放送響の首席客演指揮者に就任する予定

エメリャ二チェフ✕読響を聴くのは5日の「定期演奏会」に次いで今期2度目です

     

オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンという対抗配置で、正面奥にコントラバスが横一列に並びます コンマスは客演の伝田正秀、隣は戸原直というダブルトップ態勢を敷きます 伝田はかつて読響コンマスでしたが、現在は新日本フィル特任コンマスを務めているので、一時的な古巣復帰ですね

1曲目はリムスキー=コルサコフ:序曲「ロシアの復活祭」です この曲はニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)が1888年に作曲、同年12月3日にサンクトペテルブルクで初演されました 「ロシアの復活祭」はロシア正教の一般向け聖歌集「オビホード」からの旋律に基づく演奏会用序曲です 作曲者は「キリスト受難の陰鬱で神秘的な土曜日の午後から、復活祭の日の開放感溢れる異教的歓喜への転換」を表現したかったと『わが音楽の年代記』に記しています

エメリャ二チェフの指揮で演奏に入りますが、リムスキー=コルサコフらしい色彩感溢れる音楽が展開します フリスト・ドブリノヴのフルートが冴えています 伝田コンマスのヴァイオリン・ソロ、富岡廉太郎のチェロ・ソロも素晴らしい 中盤ではトロンボーンが重厚な演奏を繰り広げました

2曲目はアルテュニアン「トランペット協奏曲」です この曲はアルメニアの作曲家アレクサンドル・アルテュニアン(1920~)が友人のアルメニア・フィルの首席トランペット奏者のために1949年から50年にかけて作曲、1950年にモスクワで初演されました 曲は3つの部分から構成されますが、単一楽章の協奏曲です

トランペット独奏のセルゲイ・ナカリャコフは1977年生まれ。10歳でオーケストラと共演。1991年にはザルツブルク音楽祭にデビュー 15歳でテルデック・レーベルと専属契約を結びCDデビュー、2002年にはドイツのECHOクラシック賞優秀器楽奏者部門に選ばれる

エメリャ二チェフの指揮で演奏が開始され、やがてナカリャコフのソロが入ってきます 速いパッセージも何の苦もなくあっけらかんと吹いているので、簡単な曲なのではないかと勘違いしてしまいますが、実は超絶技巧曲で、あまりにも鮮やかなタンギングとスピーディーな指使いが簡単に見せているだけです よく見ると、ナカリャコフの吹いているトランペットは古色蒼然たる”地味な”楽器で、オケのメンバーが使用しているキンピカの楽器とはまったく違います 彼にとっては”長年使い込んでいる”道具のようなものなのでしょう 中間部では、ミュートを付けたトランペットによるノクターン風の音楽がしみじみと心に沁みました 超絶技巧による最後のカデンツァは見事のひと言でした

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました。ナカリャコフはアンコール態勢に入りますが、なぜかエメリャ二チェフが、なぜかオケの真ん中に設置されていたチェンバロに座って、トランペット中心のJ.S.バッハ「G線上のアリア」の演奏に入りました ナカリャコフは大きめのトランペットを吹きましたが、豊かな音楽が会場を満たしました ナカリャコフとエメリャ二チェフに再び大きな拍手が送られました

     

プログラム後半はリムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35です この曲は「千一夜物語(アラビアン・ナイト)」を題材に1888年に作曲、同年11月3日にサンクトペテルブルクで初演されました 第1楽章「海とシンドバッドの船」、第2楽章「カランダール王子の物語」、第3楽章「若い王子と王女」、第4楽章「バグダードの祭り、海、青銅の騎士の立つ岩での難破、終曲」から成ります

オケは16型に拡大します コントラバス8本の横一列配置は壮観です ステージ中央奥にハープがスタンバイします

エメリャ二チェフの指揮で演奏が開始されます この曲では各楽章で、シェエラザードの主題を独奏ヴァイオリンが演奏しますが、伝田正秀は美しいビブラートで素晴らしい演奏を繰り広げました 第1楽章では、演奏を聴きながら、波打つ海をゆく船に乗っているような気分を味わいました この曲は何回聴いたか分からないくらいですが、こういう気分を味わったのは初めてです 第2楽章では金子亜未のオーボエ、金子平のクラリネット、井上俊次のファゴットが冴えていました 第3楽章では弦楽セクションのアンサンブルが美しく響きました 第4楽章では、エメリャ二チェフの躍動感あふれる指揮のもと、目まぐるしく変わるテンポの中、オケ総力を挙げてのスケールの大きな演奏が展開しました

満場の拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコールが繰り返されました 読響らしいゴージャスなサウンドを存分に引き出したエメリャ二チェフは侮れません

     

     

     

     

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ピナ・バウシュ演出「春の祭典」「PHILIPS 836 887 DSY」、ジェルメ―ヌ・アコニー「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」を観る

2024年09月13日 00時10分10秒 | 日記

13日(金)。わが家に来てから今日で3531日目を迎え、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、11日にパレスチナ自治区ガザ中心部の学校にイスラエルによる空爆が2回あり、同機関の職員6人が死亡したが、単一の事件での職員死者数としては過去最多だった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     イスラエルによる無差別殺人はいつまで続く? ネタニヤフ・ナチ政権を打倒せよ!

         

昨日、夕食に「豚肉の冷しゃぶ」「生野菜とアボカドのサラダ」「厚揚げの味噌汁」を作りました 昨日は真夏の暑さだったので、豚肉でスタミナを付けようと思いました

     

         

昨夜、東京国際フォーラムCで舞踏演劇(ダンス・シアター)の巨星ピナ・ヴァウシュの演出による「春の祭典」(ストラヴィンスキー)&「PHILIPS  836  887  DSY」と、アフリカン・コンテンポラリー・ダンスの母、ジェルメ―ヌ・アコニー振付・出演による「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」を観ました 「春の祭典」を踊るのはアフリカ13か国から選ばれたダンサー35人です ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踏団のメンバーがリハーサルを指導し、ピナ・バウシュ・ファウンデーション(ドイツ)、エコール・デ・サーブル(セネガル)、サドラーズ・ウェルズ・シアター(イギリス)が共同制作しています

     

ピナ・バウシュのダンスを初めて観たのはヴィム・ヴェンダース監督によるドイツ映画「Pina/ピナ・バウシュ  踊り続ける命」でした それを観てすっかり「ダンス・シアター」に魅了され、ライプで是非観たいと思っていたのです 映画の感想は2012年3月2日付のtoraブログに書きましたので、興味のある方はご覧ください 今回のパフォーマンスは、残念ながらピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踏団ではないのですが、振付がピナ・バウシュなので内容的には映画で観た「春の祭典」と同じはずです

自席は2階12列24番、センターブロック前から3列目の左から4つ目です 会場は満席です オーケストラの定期公演と違い女性が多く、若者も多い。さらに演劇やバレエの世界にいるような雰囲気の人もちらほら見かけました

最初にピナ・ヴァウシュ演出による「PHILIPS  836  887  DSY」を観ました 1990年フランス・ブルターニュ出身のエヴァ・パジェのソロにより踊られました 「動と静」ということでは「静」に重きを置いたダンスですが、エヴァは身体能力の高さを発揮しました 照明の使い方が巧みでダンスが映えました

次にジェルメ―ヌ・アコニー振付・出演による「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」を観ました この作品は死と、旅立った者たちとの対話を描いています 現在80歳になるというアゴニーが出演しましたが、ダンスというよりは演劇に近い作品だと思いました 「亡くなった者たちは死んでいない・・・」という詩が読まれたり、アコニーが花びらを撒いたり、そうかと思うと、いきなり巨大スクリーンに海の映像が流れたりと、静かな中にも変化のある作品でした

下の写真は「パンフレット」として売っていた冊子です 白く細長いのがプログラムで、作品解説や出演者の紹介などが収録されています 四角いダークグレーの冊子は「春の祭典」を踊るダンサーたちのモノクロ写真集です はっきり言って、これで3000円は高いと思います しかし、情報が欲しい私にとっては”必要経費”です

     

後半はいよいよピナ・バウシュ演出による「春の祭典」です 映画で一度観ているはずですが、12年前のことでほとんど忘れています

音楽は録音素材を使用しています ファゴットの高音により音楽が始まると、細長い照明に導かれるように女性ダンサーが登場します 彼女が来ているのはキャミソールに近い白のワンピースです。人数がどんどん増えていき、群舞になります よく見ると土が舞い上がっています ここで初めて、ステージは板ではなく、乾いた土が撒かれていることに気が付きます 当然、ダンサーが寝転べば白の衣装が汚れます。しかし、ダンサーはそんなことにはお構いなく懸命に踊り続けます ここで思い出しました。「そうか、これがピナ・バウシュの『春の祭典』だった」。凄い!と思ったのは、女性ダンサーが男性ダンサーに次々と飛びつき、横肩車のようにして肩に乗ったシーンです 女性ダンサーは赤い布を巡って、取ったり、他の女性に押しつけたりして踊り続けます この赤い布こそ「生贄」の少女が着るべき衣装なのです 最後にそれを手にした少女は、男性ダンサーにより白から赤の衣装に着替えさせられ、「生贄」の踊りを狂ったように踊ります 私は、ラストは群舞で踊られるのかと思っていましたが、最後まで「生贄」の少女がソロで踊り切り、最後の1音で倒れて、ステージが暗転しました 見事な演出でした

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されましたが、私も大きな拍手を送りました ピナ・バウシュ版「春の祭典」の日本での上演は18年ぶりとのことですが、ライブで観て本当に良かったと思いました

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岡田暁生著「西洋音楽史講義」を読む ~ 感覚的なものではなく、「具体的に音楽について語れるようになること」を目的として書かれた音楽史のテキスト / ストラディヴァリウス”メシア”

2024年09月12日 00時19分16秒 | 日記

12日(木)。昨夜NHK -TVで放送されていた「ステータス」という番組でヴァイオリンの名器「ストラディヴァリウス」が取り上げられていました どうやらこの番組は「所有すれば『ステータスシンボル』となる、名品・逸品を一つ取り上げ、その魔力、美、伝説に触れながら、本物の感触を求める」というコンセプトで作られているようです ストラディヴァリウスの数々の名器は17~18世紀イタリアのクレモナで作られましたが、番組ではストラディヴァリウスの中でも「究極の名器」と言われる通称”メシア”の伝説の音を追い求めて、旅が続きます 荒井里桜やHIMARIがストラディヴァリウスを弾くシーンやインタビューなどを挟みながら、イギリス・オックスフォードの博物館に保管されている”メシア”に迫っていきます ”メシア”は誰も触ることが許されない、まして音を聴くことは不可能という究極な楽器です 番組ディレクターや出演者も観るだけで満足するしかありませんでした 番組を観ていて一番印象的だったのは、ヴァイオリニストのサラヴァトーレ・アッカルドが”メシア”について語った言葉です。彼は「メシアはとても美しい楽器だ。しかし、音には期待しない方がいい」と言いました 番組ディレクターが「良い音はしないということですか?」と訊くと「そうです」と答えました それはそうだろうと思います。「ガラスケースに閉じ込めたまま100年近くも外に出さない楽器を弾いて、良い音が出る訳がないだろう 弾き続けて初めて楽器が良く鳴るのだろう」と思うからです ”メシア”は観賞するためのストラディヴァリウスであり、弾くためのそれではない、ということでしょう ”メシア”は売買の対象にならない楽器ですが、もし対象になった場合は50億円は下らないだろうと推測されるそうです 番組の中で言われていた「ヴァイオリン界のモナリザ」という呼称が相応しいかもしれません

ということで、わが家に来てから今日で3530日目を迎え、歌手のテイラー・スウィフトさんが、10日に開かれた米民主党のハリス副大統領と共和党のトランプ前大統領の両大統領候補によるテレビ討論会後、2億8300万人のフォロワーがいると言われる自身のインスタグラムを更新し、「11月のアメリカ大統領選でカマラ・ハリスに投票する」と表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     これでトランプはジョーカーを出さないと勝てないが  出せるのはジョークだけだ

         

昨日、夕食に「鮭の西京焼き」「鮪の山掛け」「生野菜とアボカドのサラダ」「豚汁」を作りました ヘルシーで美味しかったです

     

         

岡田暁生著「西洋音楽史講義」(角川文庫)を読み終わりました 岡田暁生は1960年京都市生まれ。京都大学人文科学研究所教授。専門は音楽学。著書に「音楽の聴き方」「ピアニストになりたい」「西洋音楽史」「オペラの運命」「音楽の危機」など多数

     

本書は、2013年3月に放送大学教育振興会より刊行された「西洋音楽史」を加筆修正し、改題のうえ2024年8月に文庫化したものです 放送大学のラジオ講座の教科書として書かれたものです 「はじめに」の中で著者は、本書の最終的な目標は「『この曲が好きだ』『この曲が好きじゃない』という感覚的なものではなく、少しでも具体的に音楽について語れるようになることである 特定の音の使い方はいつ頃から始まったか?その背後にはどんな影響関係があるのか この音がこんな風に響くのは一体どういう仕掛けがあるからなのか? これらの問いについて具体的に答えることは、ある程度は可能だ そのことを知ってほしい」と書いています

本書は次の各章から構成されています

第1章「西洋音楽の歴史をなぜ学ぶのか」

第2章「古楽・クラシック・現代音楽 ~ 西洋音楽史の3つのエポック」

第3章「多声的音楽の始まり ~ 西洋音楽の夜明け」

第4章「中世音楽の黄金時代と黄昏」

第5章「ルネサンス前期と無伴奏合唱」

第6章「ルネサンズ後期と劇化する音楽」

第7章「バロック音楽と絶対王政の時代」

第8章「『音楽の父』としてのバッハ」

第9章「ウィーン古典派と近代市民音楽の始まり」

第10章「ベートーヴェンの偉大さ」

第11章「ロマン派音楽の制度と美学」

第12章「ロマン派と芸術宗教」

第13章「前衛への越境」

第14章「第一次世界大戦の後」

第15章「クラシックと現代音楽とポピュラーと」

本書の内容を大きな流れで捉えると、グレゴリオ聖歌から、オペラの誕生、バロック、ウィーン古典派、ロマン派、そして20世紀のポピュラー音楽までを、「古楽」「クラシック」「現代音楽」という3つの画期に着目し、千年にわたる音楽の変遷を通史として描き出していると言えます

本書が他の西洋音楽史の書籍と異なる大きな特徴は、放送大学のテキストらしく、各章の最初に新聞でいう「リード記事」のように、その章で学ぶべき要点を掲げていることです 例えば第11章「ロマン派音楽の制度と美学」では次のように書かれています

「19世紀音楽を理解する上で重要なのは、それが『ロマンチックではない時代のロマンチックな音楽だった』ということである 演奏会および音楽学校という近代的な音楽制度が普及するのもこの時代である 音楽語法的にロマン派は古典派の延長線上にある和声的音楽であるが、半音階を多用することで表現領域の拡張をはかる 独創性の追及、芸術家意識の高揚、記念碑性とアフォリズムの同居、果てしない技術開発、なども19世紀音楽に特有の現象である

その上で、本文に入っていきます 例えば『ロマンチックではない時代のロマンチックな音楽だった』というリードの説明として、次のように解説します

「『ロマン派音楽』というと、19世紀があたかもロマンチックな時代であったような印象を与える しかしながら19世紀とは実は、産業革命と科学の進歩と資本主義の時代である 世界はどんどん散文的なものとなっていく。神秘の森も妖精のも夜の湖も村祭りも過去のものとなり、蒸気機関車が轟音を立てて走り、ガス灯が街の夜を煌々と照らし、無数の会社が設立されて容赦なく利益を追求し、労働者が都市に集中して社会運動が生まれる それが19世紀であり、ロマン派音楽は『ロマンチックではない時代のロマンチックな音楽』であった 現実からロマンが失われていくからこそ、人は音楽の中にロマンを求めた しかも忘れてはならないのは、このロマンチックな音楽もまた、飛躍的な演奏技術の発展により演出されるロマンであったという点である 最も分かりやすいのは楽器の改造である。職人が工房で手作りしていた18世紀までと違って、19世紀に入ると楽器は『製品』となる。次々に楽器会社が設立され、争って技術開発を始める。大量生産が可能になったのも、19世紀のことである

本書を読んで、なるほどと思ったのは「ロシアの音楽」と「ソ連の音楽」を明確に区分していることです 第14章「第一次世界大戦の後」の中で、著者は次のように書いています

「20世紀音楽を考えるとき避けられないのが、今はもうなくなってしまったソ連という国である 周知のように第一次世界大戦中の1917年、ロシアでは革命が起きてロマノフ朝は崩壊し、ソ連という人工国家が誕生した ムソルグスキーやチャイコフスキーやラフマニノフがロシアの作曲家とすれば、プロコフィエフやショスタコーヴィチはソ連から生まれてきた 両者はかなり明確に『別の国の作曲家』として区別されなければならない ソ連の作曲家は、権力による厳重な統制下において創作をしなければならなかったという点で、従来の音楽史においては類例を見ないような状況下に置かれていた

実際に音楽を聴けばチャイコフスキーやラフマニノフに代表される「ロシアの音楽」とプロコフィエフやショスタコーヴィチの「ソ連の音楽」は、まったく相容れない、異なる音楽であることが分かります

本書は分かりやすく書かれているので、クラシック音楽史の入門書として最適であるばかりでなく、ある程度 知識のあるクラシック・ファンにとっても、知識を整理する上で参考になります 広くお薦めします

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N響9月B定期 ⇒ エレーヌ・グリモー降板 / 新日本フィルの来年10月定期は久石譲指揮に決定 / 風邪とモーツアルト ~ イタリア弦楽四重奏団「モーツアルト『弦楽四重奏曲全集』」をめぐって

2024年09月11日 00時03分00秒 | 日記

11日(水)。NHK交響楽団の公式サイトによると、9月19日、20日の「9月度定期公演Bプログラム」でシューマン「ピアノ協奏曲」を独奏する予定だったエレーヌ・グリモーは、体調不良(新型コロナ感染)により来日出来なくなったため、代わりにアレッサンドロ・タヴェルナが出演するーとしています 曲目、指揮者に変更はないとのことです

エレーヌ・グリモーと言えばオオカミの研究で有名ですね

アレッサンドロ・タヴェルナは1983年、イタリアのヴェネチア生まれ 2009年リーズ国際ピアノ・コンクールで第3位入賞

プログラムは①シューベルト「イタリア風序曲 第2番 ハ長調」、②シューマン「ピアノ協奏曲 イ短調」、③ベートーヴェン「交響曲第7番 イ長調」で、指揮者はファビオ・ルイージです

         

新日本フィルの公式サイトによると、「2025/2026シーズン・プログラム」のうち内容が未定だった来年10月の「第666回 定期演奏会」の詳細が決定しました 下のプログラム表の通り、①フィリップ・グラス「ヴァイオリン協奏曲第2番 ”アメリカン・フォー・シーズンズ”」、②ジョン・アダムズ「シティ・ノワール」で、①のヴァイオリン独奏=ロバート・マクダフィ―、指揮=久石譲です プログラムは久石氏得意のミニマル・ミュージックですね

     

ということで、わが家に来てから今日で3529日目を迎え、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記は9日、建国76年に合わせた演説を首都平壌で行い、「我々は責任ある核保有国だ。核戦力を絶えず強化する」と述べ、核兵器を「幾何級数的」に増やす政策を実行していると語った  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     責任ある核保有国なら  核兵器を幾何級数的に増やして  平壌に集中的に撃ち込めよ

         

昨日、夕食に「焼き厚揚げのおろしポン酢かけ」「生野菜とアボカドのサラダ」「けんちん汁」を作りました 以外にも「けんちん汁」は初めて作りましたが、美味しくできました

     

         

先週の土曜日に風邪を引いてから4日目を迎えました 私は昔から風邪が長引いたときに必ず聴くCDがあります それはイタリア弦楽四重奏団のモーツアルト「弦楽四重奏曲全集」(全23曲)です CDは PHILIPS レーベルで、録音は1966年8月から1973年8月までで、もちろんステレオ録音です 演奏は第1ヴァイオリン=パオロ・ボルチアーニ、第2ヴァイオリン=エリーザ・ぺグレッフィ、ヴィオラ=ピエロ・ファルッリ、チェロ=フランコ・ロッシというメンバーです

     

そもそも私がイタリア弦楽四重奏団を初めて聴いたのは、独身時代に地元のクラシック音楽観賞会の仲間の家で聴いたハイドン「弦楽四重奏曲第64番”ひばり”」(1965年録音)のLPレコードでした タンノイ・アーデンから流れてくる優美な演奏にすっかり魅せられてしまいました 蛇足ですが、そのスピーカーは「自己流に改造してしまったので、それでも良ければ2本15万円で譲る」とその知人から言われ、買い取りました たぶん正価の半額以下だったと思います。彼はその代金にプラスαしてJBLのスピーカーを購入したようです

     

その彼から「イタリアSQは、モーツアルトの全集も出しているよ」と教えられて購入したのがPHILIPSの全集でした

最初に全曲通して聴いたのは、20代後半の現役時代に風邪を引いて1週間以上も職場を休まなければならなかった時です 「風邪を治すには寝ているしかないのだから、この際、普段は忙しくて聴けないモーツアルトのSQ全集を片っ端から聴いてみよう」と思ったのがキッカケでした 聴く順番は第1番K.80から始まり第23番K.590で終わるという作曲順です 風邪で長期間ダウンした時以外にこの全集を制覇したことはありません したがって、この全集を聴き通した回数と長期間風邪で寝込んだ回数は、数えていませんが 一致しています

いま何回目かの長期間の風邪で、何回目かのモーツアルトのSQ全集制覇に挑んでいますが、いずれも清々しく素晴らしい演奏です

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益田ミリ著「47都道府県 女ひとりでいってみよう」を読む ~ 何かを学ぶ、などにはこだわらない『ただ行ってみるだけ』の旅の魅力

2024年09月10日 02時58分29秒 | 日記

10日(火)。昨日朝、体温を測ったら36.1度だったので、行きつけのクリニックに電話を入れました 9時半診療開始なので9時15分ごろ電話をしたら繋がりません。しばらく待って9時半過ぎに何度か電話してみたのですが、やはりつながりません 月曜日だから混んでいるのだろうと思いました 「発熱や咳が出るときは事前に電話してから受診を」ということなので、平熱の場合は大丈夫だろうと思い、直接クリニックに行きました 受付で「電話がつながらなくて直接来ましたが、熱は平熱です」と伝えると、すんなりと受け付けてくれ、その場で体温を測ったら36.7度でした 受診の結果はやはり風邪で、「コロナの検査をするまでもないでしょう コロナに罹っていたとしても2度目の場合(私は無症状コロナの経験あり)は、風邪と処方は同じですから」と言われ、薬(5種類)を処方されて薬局で受け取ってきました これでやっと一安心です

ところで、待合室で順番を待っている間に、中年男性が受付にやってきて、「内科と皮膚科でどっちがすいていますか?」と訊きました 受付が「内科です」と答えると「じゃ、内科でいいや」と言ってました 内科と皮膚科では診療内容がかなり違うと思うのですが、この人はいったいどこが悪いんだろう?」と首をかしげてしまいました 多分、頭だな

ということで、わが家に来てから今日で3528日目を迎え、パレスチナ自治区ガザでの戦闘を巡り、イスラエルの商都テルアビブで7日、ネタニヤフ政権がイスラム組織ハマスに捕らわれた人質の解放交渉を進めていないとして、政権に抗議する大規模デモがあり、主催者発表で約50万人が参加した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     交渉には妥協が必要だが ネタニヤフには譲歩の姿勢がない 相手の殲滅だけが目的

         

昨日は、私が体調不良だったので、娘が夕食に「餃子」を焼いて、卵スープを作ってくれました なぜか私にはこのように美しく焼くことができません いつも自分で作っているので、人が作ってくれる料理は一段と美味しく感じます 大変おいしゅうございました

     

         

益田ミリ著「47都道府県  女ひとりでいってみよう」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 益田ミリは1969年大阪府生まれ。イラストレーター、漫画家、エッセイスト 主な著書に「すーちゃん」シリーズ、「僕の姉ちゃん」シリーズなどがある。第28回手塚治虫文化賞短編賞を受賞 朝日新聞で「オトナになった女子たちへ」を伊藤理佐と交代で連載している”エッセイスト”としてお馴染みです

     

本書はウェブ連載「益田ミリの47都道府県  女ひとりでいってみよう」をまとめて2011年4月に幻冬舎文庫として刊行したものです

2002年12月から2006年10月まで、著者が33歳の終わりから37歳にかけての約4年間、毎月毎月、1度も欠かさず47都道府県を訪ねたひとり旅のエッセイです

著者は「何かを学ぶ、などにはこだわらない『ただ行ってみるだけ』の旅」と位置付けています 原則的に現住所の東京から出発する旅ですが、目的地によって1泊だったり2泊だったり3泊だったり日帰りだったりします

第1回目の青森県から、三重県、北海道と続けていきますが、4番目の茨城県ですでに「はっきりいって、もう飽きている ひとり旅・・・。まだ3県しか行ってないのに嫌になってきた」と弱音を吐いています 結局、「わたしの県にはいついらっしゃるのでしょうか? 楽しみです」というファンレターが届いて、再度やる気を出します   旅を始めたばかりの頃は、名物を食べなければという焦りを感じたり、しゃべる相手がいない寂しさを感じていたものの、回数を重ねていくうちに気軽に考えるようになっていきます    地元の名物を食べに行くよりも、コンビニで総菜を買ってホテルでテレビを観ながら食べることに抵抗がなくなっていきます    したがって、現地の人たちとの会話とか交流というものもほとんどありません   ただ、「駅員さんとか、お土産屋さんの人とか、タクシーの運転手さんとか、道を尋ねた人とのちょっとしたやりとりで、なんとなく土地の雰囲気というものが伝わってくるものです」として、47都道府県で「人」が好きな順位でいうと、大分県、高知県、山形の女の人がベスト3になるそうです 全都道府県を回らないにしても、皆さんはどうでしょうか

前述の通り、基本的にミリさんは他人との交流が苦手のようで、自分からは声をかけることはしませんが、他人に迷惑をかけているわけでもないし、本人が良ければそれで良いのだと思います 逆に言えば「ミリさん流 ひとり旅」は誰からも干渉されない自由気ままな「ひとり旅の極意」と言えるかもしれません

ところで、ミリさんの旅はかなり「行き当たりばったり」に近いもので、開いているはずの施設が閉まっていたり、やっているはずのお祭りが終わっていたりと、かなり無駄な時間を過ごしていると思うところも少なくありませんが、それもまた旅というものかもしれません

各都道府県のエッセイの最後には、思い出となった出来事が4コマ漫画で描かれていて、その隣には旅で使ったお金の明細(交通費、宿泊費、食費、入場料、自分の土産代等)が書かれています 「あとがき」によると、47都道府県全てを巡った総経費は約220万円だったとのこと    もちろん、これは今から約20年前の金額なので、現在、同じことをやろうとしたら何割か高くつくでしょう

ミリさんの素晴らしいところは、47都道府県すべてを毎月1回ずつ旅すると"決意"し、それを"実行"に移したことです   これは時間とお金がなければ出来ないことですが、それ以前にその決意がなければ出来ません    現在、50代になったミリさんは いつどこでどういう旅をしているのでしょうか

     

            (表紙が2重になっていて拍子抜けしました)

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宮本輝 ✕ 吉本ばなな「人生の道しるべ」を読む ~ 17歳離れた2人の小説家が創作手法、家族、健康、死生観などを語り合った対談集

2024年09月09日 07時08分21秒 | 日記

9日(月)。昨日朝、体温を測ったら36.4度まで下がっていました 下手に病院で解熱剤を処方されて無理に熱を下げることをせず、寝ている間に汗をかいて熱を出し切ったのが良かったのだと思います 相変わらず喉が痛いのですが、朝食も普段通り食べることができました 熱が下がったので、予定通り10時から区民集会室で開かれたマンションの「大規模修繕工事説明会」とその後の「理事会」に出席しました 本当は体調が良くないので欠席したかったのですが、普段から「理事会に出席しない奴はけしからん」と言っている手前、そうもいきませんでした びっくりしたのは年1回の定時総会では委任状ばかりで4~5人しか本人出席がないのに、この日は30人以上が顔を見せたことです。やはり生活に密着したテーマだと集まるのだなと納得しました。その後の理事会は、結局私を含めて3人だけの出席だったので唖然としました 結局、みんな自分の都合が最優先なのです

と書いたところで、夜夕食後に体温を測ったら38.0度に上昇していました やはり、会議出席はまずかったようです クーラーがガンガン効いていたし おまけに日曜日の日課のアイロンかけや掃除までやったので、熱が出ないわけがありません 昨夜は常温の水を飲んで寝汗をかいた結果、今朝体温を測ったら36度台の平熱に下がっていたので、今日こそ行きつけのクリニックに行きます

ということで、わが家に来てから今日で3527日目を迎え、アメリカ共和党のチェイニー元副大統領は6日、声明でトランプ前大統領について、「アメリカの歴史の中で彼より国への脅威となった人物はいない」と批判、「二度と彼に権力を託すことはできない」とし、「私はカマラ・ハリス副大統領に投票する」と表明したが、トランプ氏はSNSで「チェイニー親子は何の関係もない名ばかりの共和党員だ」と反応した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     身内から批判されて恥とも思わないトランプは  余程の強気か鈍感か  結果が楽しみ

         

宮本輝 ✕ 吉本ばなな「人生の道しるべ」(集英社文庫)を読み終わりました 宮本輝は1947年兵庫県生まれ。1977年「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞しデビュー 78年「蛍川」で第78回芥川賞を受賞したのをはじめ受賞多数 吉本ばななは1964年東京都生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。1987年「キッチン」で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー 88年「ムーンライト・シャドウ」で第16回泉鏡花文学賞、89年「TUGUMI」で第2回山本周五郎賞を受賞したのをはじめ受賞多数

     

本書は2015年10月に集英社より刊行された単行本を、2024年8月に文庫化した対談集です

最初に正直に告白すると、恥ずかしながら、この2人の作品は1冊も読んだことがありません それでも手に取ってみたのはタイトルに惹かれたからです

本書は次の各章から構成されています

第1章「作家の資質」

第2章「人間の成長とは」

第3章「人生の達人」

第4章「父として、母として」

第5章「心と体を健やかに」

第6章「『死』はいつも身近にある」

第7章「生きること、書くこと」

17歳も歳の離れた2人ですが、対談を通じて分かる2人の共通点は、人間の「生」を力強く書き続けていることです 宮本は「ぼくは、小説の世界では、心根のきれいな人々を書きたい」と述べ、吉本は「読んだ人に『自分と同じだ』と感じてもらえたら、ちょっと治癒が起きるんじゃないか」と述べています 一方で、歳が離れていることもあり、吉本が大先輩の宮本を尊敬しているあまり、委縮しているところも見えて、若干物足りなさを感じるところもあります

宮本が人生の転機点と捉えた時のことが、第4章「父として、母として」の中で次のように語られています

「宮本と言えばこの作品と、ひとつやふたつに絞れないほどたくさんの代表作を書こうと思った それが36歳の時でした。ぼくは女房に『子どもたちは任せた』と言いました 『俺はもう仕事だけをする。幼稚園のお迎えも、運動会にも行ってやれないかもしれないし、キャッチボールしてやることもできないかもしれないけど、俺が命がけでやるしかないから、そうさせてくれるか』と頼んだ すると、『え、いままでもそうでしたけど』と言われて(笑)」

今から思うと、その頃のことだったのだと思います 当時勤務していた新聞関係団体に労務委員会という組織(人事・労務局長クラス)があり、その下に「時短問題研究会」という下部機構(人事・労務部長クラス)がありました 当時は頻繁に団体直轄の「湯河原壮」に泊まり込みで会議と懇親会を開いていました つまり、「人事・労務上の各社の本音は会議では出ない、懇親会で出る」ということから泊まり込み合宿になったわけです ある日の懇親会の席で、隣り合わせた全国紙 Y 新聞社の Y 労務部長が「今、うちの妹の家が大変らしいんだ 夫が小説家で、家のことは全くしないで妹任せにしているらしいんだ」と話しかけてきたので、「それってどなたですか?」と訊いたら、「芥川賞作家の宮本輝っていう小説家だけど、知ってる?」との答でした もちろん名前だけは知っていましたが、ずいぶん身近なところに小説家の家族がいるもんだと思いました それと同時に、小説家に限らず、いろいろいるんだろうな、とも思いました

本書は2人の創作手法、家族、健康、死生観など幅広く語り合っています 残り少ない人生かもしれませんが、生きていく上で参考になると思います お薦めします

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佐藤正午著「佐世保で考えたこと エッセイ・コレクションⅡ(1991-1995)」を読む / 風邪でダウン

2024年09月08日 06時59分06秒 | 日記

8日(日)。すっかり風邪を引いてしまいました。喉が痛み、身体がだるい 昨日の朝、体温を測ったら37.9度ありました 血圧は119/79。心拍数は81と高め。腰痛が治りかけて良かったと思っていたのも束の間、次から次へと健康不安が襲い掛かってきます いつも通っている近所の内科に電話をかけて診てほしいと頼んだら、土曜日で手術が入っており、発熱外来患者を受け入れる余裕がない、と断られてしまいました しかたないのでネットで自宅周辺の発熱外来を検索したら、歩いて行くには遠かったり、口コミの評判が悪かったりで適当なクリニックが見つかりませんでした 外出して悪化してはまずいので、土・日は家で寝て過ごし、熱が引いてから月曜日に再度、行きつけの内科に行くことにしました

ということで、わが家に来てから今日で3526日目を迎え、ニューヨーク州裁判所は6日、トランプ前大統領が不倫の口止め料を不正に処理したとして有罪評決を受けていた事件の量刑言い渡しを、大統領選後の11月26日に延期することを決めた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     量刑言い渡しが延期されるだけで 有罪が覆される訳じゃない 恥ずかしい元大統領

         

佐藤正午著「佐世保で考えたこと    エッセイ・コレクションⅡ(1991-1995)」(岩波現代文庫)を読み終わりました 佐藤正午は1955年、長崎県佐世保市生まれ。北海道大学文学部中退。1983年「永遠の1/2」で第7回すばる文学賞を受賞。2015年「鳩の撃退法」で第6回山田風太郎賞を受賞。2017年「月の満ち欠け」で第157回直木賞を受賞 「身の上話」「5」「小説家の四季」など著書多数

     

本書は地元の佐世保で暮らしながら小説やエッセイを書いている佐藤正午が、1994年の佐世保の深刻な水事情について語ったエッセイをはじめ、万年筆からワープロ専用機の時代に移り変わる頃の創作の過程を綴ったものです  「ありのすさび」「セカンド・ダウン」など代表的な連載エッセイや、「葉書」「ドラマチック」「そこの角で別れましょう」「叔父さんの恋」「17歳」といった短編小説も収録されています

私が佐藤正午の小説やエッセイを読む時に感じる「正午節」とでも言うべき語り口について、本人が「あなたと僕は違う」と題するエッセイの中で次のように書いています

「皮肉な見方、考え方、というのは小説を書くうえで大切だと思っているし、また小説を書いていると自然に身につくものであるので、僕としてはまず、いったいこの世の中に、何かに『しばられない』で『伸び伸びしている人』なんてひとりでもいるのだろうかという気がするわけです

まさに「皮肉な見方、考え方」こそ佐藤正午らしい特徴だと思います

本書は約400ページあるので、もっとご紹介したいところがあるのですが、風邪で意識が朦朧としていてうまく考えがまとまりません 今日はこの辺にしておきます

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高関健 ✕ 東京シティ・フィルでブルックナー「交響曲第8番 ハ短調」(第1稿・新全集版ホークショー校訂)を聴く ~ 第372回定期演奏会 ~ 楽団演奏史に残る名演奏!

2024年09月07日 00時01分12秒 | 日記

7日(土)。風邪を引いたのか喉が痛い 昨夜、コンサートから帰ってきて風呂に入り、就寝前に体温を測ったら37.6度あった もう風邪に間違いない 今日は1日中寝ていることにしよう それじゃ、いつもと同じだけど

ということで、わが家に来てから今日で3525日目を迎え、「『いいね』を押すだけ」「スタンプを送るだけ」といった、すき間時間に簡単な作業で稼げるとうたい、逆に送金を要求されるなど、副業に関するトラブルが増加していると国民生活センターが4日、注意を呼びかけた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     楽にお金を稼げる仕事はないと肝に銘じるべきだ  詐欺を仕掛ける奴は監獄に行け!

         

昨日、夕食に「青椒肉絲」「生野菜サラダ」「山芋の味噌汁」を作りました 「チンジャオロースー」は牛肉を使いましたが、美味しく出来ました

     

         

昨夜、東京オペラシティコンサートホールで東京シティ・フィル「第372回定期演奏会」を聴きました プログラムはブルックナー「交響曲第8番 ハ短調」(第1稿・新全集版 ホークショー校訂)です 指揮は常任指揮者・高関健です

     

この曲はアントン・ブルックナー(1824-1896)が1884年から87年にかけて作曲した全4楽章形式での最後の完成した交響曲です 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「スケルツォ:アレグロ・モデラート」、第3楽章「アダージョ:厳かにゆっくりと、しかし引きずらないように」、第4楽章「フィナーレ:厳かに、速くなく」の4楽章から成ります

柴田克彦氏は「プログラムノート」で次のように解説しています

「本作は、1884年7月に作曲が開始され、翌1885年8月にスケッチが終了。その間に第7番の初演が大成功を収めたことからブルックナーも自信を持って筆を進め、最終的には1887年8月10日に完成された これが第1稿である ブルックナーは敬愛する指揮者ヘルマン・レヴィにスコアを送ったが、『演奏不能』と否定的な返事が返ってきた 落胆したブルックナーはレヴィや弟子のヨーゼフ&フランツのシャルク兄弟の勧めに従って改訂に着手、1890年3月に新たな稿を完成させた これが通常演奏されている第2稿である

「『第8番の改訂は、演奏されるためになされた妥協の産物で、当時自らの創作に自信を持っていた(第5番~7番は改訂を行っていないし、第4楽章を『私の生涯で最も優れた音楽』と自認していた)ブルックナーの本意ではない すなわち第1稿こそ作曲者本来の意思やヴィジョンを反映したものである』といった見方も根強い

また、高関健は「第1稿・新全集版ホークショー校訂について」の中で次のように述べています

「『第1稿』と『第2稿』を比べると、音の選択や和声進行、表情や強弱など細部にわたる違いがある しかし改訂される以前の楽想に かえって魅力を感じることもあり、実に興味深い テンポの設定を変えて演奏する必要もあるだろう。『第1稿』をあらためてよく知ることで、第8交響曲をより深く理解、表現の充実に利することも多いと考える    これこそが今晩初めて『第1稿』を演奏する最大の目的である

上記の2人の解説を頭に入れて、演奏を聴くことになりました

高関健のブルックナーということでか、会場はほぼ満席です

オケは14型で左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、その後ろにコントラバスという対抗配置 ステージ下手にはハープが3台スタンバイします。コンマスは戸澤哲夫です

高関の指揮で第1楽章に入ります 冒頭から谷あかね率いるホルン・セクションが素晴らしい演奏を展開します チェロとコントラバスの低弦の分厚い演奏が印象的です 本多啓佑のオーボエが冴えています いつも聴いている第2稿では、この楽章の最後は息絶えるように終わりますが、第1稿ではフォルティッシモで力強く終わったのでビックリしました 第2楽章ではホルンと弦楽器の渾身の演奏が素晴らしく、固いマレットで打ち込まれるティンパニが心地よく響きます 中間部のトリオの音楽は初めて耳にするフレーズでしたが、これも第1稿によるものです 第3楽章はハープ3台と弦楽セクションのアンサンブルが天国的に美しく、ブルックナーの敬愛する神への捧げもののように感じます ホルンやテューバなど金管楽器が重厚感溢れる演奏を繰り広げます 高関の指揮は地に根が張ったような安定感のあり、ブルックナーの指示通りの演奏であることが分かります 印象的だったのは、頂点で鳴らされるシンバルの数です 第2稿では2発ですが、この日聴いた第1稿では6発が華々しく鳴らされました 第4楽章では、冒頭から分厚いブラス・セクションと弦楽器の渾身の演奏が光ります フィナーレはオケ総力を挙げてのアグレッシブな演奏が展開、音の大伽藍を築き上げました

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました 高関は、譜面台上の分厚い第1稿のスコアブックを軽く叩き、「第1稿に拍手を!」を言わんばかりの仕草を見せました

演奏開始は19時06分、終演は20時34分。演奏時間はプレトークで高関氏が語っていた、ゲネプロ時の時間と全く同じ88分でした 私は、ここに高関氏の職人技を見ました

なお、各楽章の演奏時間は私の時計で第1楽章=17分、第2楽章=16分、第3楽章=25分、第4楽章=28分でした

演奏を振り返ってみると、終始 集中力に満ちたアグレッシブな演奏で、弛緩するところが全くありませんでした 滅多に演奏されない版での演奏は新鮮でしたが、ブルックナーらしさは変わりませんでした 東京シティ・フィルの歴史に残る名演奏と言っても過言ではないでしょう

     

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マクシム・エメリャ二チェフ ✕ マハン・エスファハニ ✕ 読売日響でシューベルト「交響曲第8番”グレイト”」、スルンカ「チェンバロ協奏曲」他を聴く ~ 第641回定期演奏会

2024年09月06日 00時13分35秒 | 日記

6日(金)。来月の手帳のスケジュール欄の10月3日(木)の予定を見て焦りまくりました というのは、当日①18時半から新国立オペラ:ベッリーニ「夢遊病の女」が、②19時から読売日響「名曲シリーズ」が、③同じく19時から東京シティ・フィル「定期演奏会」があり、三つ巴でダブっているのです このうち他公演に振り替えが効かないのは東京シティ・フィルだけなので、これを生かすしか手はありません さっそく①については新国立劇場チケットボックスに電話を入れて、10月14日(月・祝)13時からの「最終公演」に振り替えました 他に3回振り替え可能公演があったのですが、すでに他のコンサートが入っているのでこの日しか空いていませんでした ②については読響チケットセンターに電話を入れて、9月28日(土)14時からの「土曜マチネーシリーズ」に振り替えました   これにより、長原幸太氏 最後のコンマス公演を聴くことになります    結果的にこれはラッキーでした

ついでに11月のスケジュールを見ると20日(水)は①16時から新国立オペラ:ロッシーニ「ウィリアム・テル」が、②19時から東京都交響楽団「Bシリーズ」があり、オペラは約5時間かかるので、都響とダブります これについては、オペラも都響も振り替え先公演がありますが、オペラの振り替えは年3回までという制限があるので、都響を10月13日(日)14時からの「プロムナードコンサート」に振り替えました 都響の振り替え手続きはWEB上の「マイページ」からいつでも簡単にできる(新たな指定席が確保できる)ので大変便利です 定期会員券を含めたチケット発行・販売システムは都響の方式がシンプルかつ確実で一番優れていると思います 他のオケも都響方式で統一すればすべてが混乱なくスムーズにいくと思います 他のオーケストラの皆さん、考えてくれませんかねえ

ということで、わが家に来てから今日で3524日目を迎え、米司法省は4日、11月の米大統領選でロシアが返り咲きを期待する共和党のトランプ前大統領が有利になるよう、ロシア政府の指示を受けて偽情報を流布させた同国営メディアの職員を起訴した  と発表したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     プーチンにとっては 悪友のトランプが大統領になった方が やり易いだろうからな

         

昨日、夕食に「揚げジャガイモと鶏肉の炒め物」「生野菜とアボカドのサラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 「揚げジャガ~」は久しぶりに作りましたが、美味しくできました

     

         

昨夜、サントリーホールで読売日響「第641回定期演奏会」を聴きました プログラムは①メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26,②スルンカ「チェンバロ協奏曲 ”スタンドスティル」(日本初演)、③シューベルト「交響曲第8番 ハ長調 D944 ”グレイト”」です 演奏は②のチェンバロ独奏=マハン・エスファハニ、指揮=マクシム・エメリャ二チェフ です

マクシム・エメリャ二チェフは1988年ロシア生まれの36歳 モスクワ音楽院でロジェストヴェンスキーに師事。12歳で指揮者デビュー 現在は古楽アンサンブル「イル・ポモ・ドーロ」とスコットランド室内管弦楽団の首席指揮者を務め、25年にはスウェーデン放送響の首席客演指揮者に就任予定

     

オケは左から第1ヴァイオリン(10)、ヴィオラ(8)チェロ(6)、第2ヴァイオリン(10)、後方にコントラバス(4)が横一列に並ぶという変則10型の対抗配置です コンマスは戸原直。これまで林悠介とダブルトップ態勢を取ってきましたが、長原幸太コンマスの退団(今月末)を見据えて 今月から独り立ちするようです

1曲目はメンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)がスコットランドのヘブリディーズ諸島への旅で、スタッファ島にあるフィンガルの洞窟を見た印象をもとに1829年から30年にかけて作曲、1832年5月14日にロンドンで初演されました

エメリャ二チェフの指揮で演奏に入りますが、中館壮志のクラリネット、荒木奏美のオーボエの演奏が印象に残りました

2曲目はスルンカ「チェンバロ協奏曲 ”スタンドスティル”」(日本初演)です この曲は1975年チェコ・プラハ生まれのミロスラフ・スルンカが2019年から22年にかけて作曲、2022年9月11日にケルンで初演された単一楽章の作品です 「スタンドスティル」とは「停止、行き詰まり」を意味します

チェンバロ独奏のマハン・エスファハニは1984年テヘラン生まれ スタンフォード大学で音楽学と歴史を学び、ボストンとプラハでチェンバロの研鑽を積む。2015年BBCミュージック・マガジン年間最優秀新人賞を受賞 時代の最先端を行くチェンバロの革命児と言われる

オケは12型に拡大します   通常、協奏曲ではソリストの演奏を生かすため弦楽器を縮小しますが、逆に拡大するのは珍しいと思います

エスファハニがステージ中央の黒と金の輝くチェンバロに向かい、エメリャ二チェフの指揮で演奏に入ります 演奏を聴きながらプログラム・ノートの「楽器編成」の「打楽器」の構成を眺めていたら「ゆで卵カッター」という文字があり、「なんじゃこりゃ 」と松田優作の台詞が出てきました 打楽器奏者を観察していたのですが「ゆで卵カッター」を発見できませんでした

チェンバロは、短いフレーズを速く弾くことを繰り返すのを基本とする演奏でした 中盤では、指ではなく 両肘で鍵盤を叩いて弾くシーンがあり、現代音楽も山下洋輔にやっと追いついてきたか、と感慨深いものがありました 最後には鍵盤と弦との繋がりを断ち、鍵盤だけをパタパタと弾いていたので、音が全く響かず、「ああ、これがスタンドスティル(行き詰まり)か」と納得しました

大きな拍手の中、カーテンコールが繰り返され、作曲者のエスファハニがステージに呼ばれ、大きな拍手を浴びました

エスファハニはアンコールに応え、パーセル「グラウンド  イ短調」 を鮮やかに演奏、それでも鳴りやまない拍手に、上着を脱いで(一肌脱いで)ラモー「ガヴォットと6つの変奏」を唖然とする技巧で演奏、再び大きな拍手に包まれました

     

プログラム後半はシューベルト「交響曲第8番 ハ長調 D944 ”グレイト”」です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が1825年に作曲、シューベルトの死後、1839年に自筆譜がロベルト・シューマンによりシューベルトの兄フェルディナントのもとで発見され、翌1839年3月21日にライプツィヒでメンデルスゾーンの指揮により初演されました 第1楽章「アンダンテ ~ アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・コン・モト」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

オケは再び変則10型の対抗配置に戻ります エメリャ二チェフはタクトを持たず、指揮台も使用しません

第1楽章がホルンにより開始されますが、日橋辰朗の演奏が素晴らしい エメリャ二チェフは速いテンポでメリハリを付けてサクサクと音楽を進めます 弦楽器をよく観察するとノン・ビブラートの古楽奏法(ピリオド奏法)で演奏しています 彼が古楽アンサンブルの指揮者も務めていることを思い出します 第2楽章ではオーボエの荒木奏美、クラリネットの中館壮志の演奏が冴えています そしてノン・ビブラートの弦楽セクションのアンサンブルが美しく響きます 硬いマレットで打ち込まれるティンパニの演奏が爽快です 第3楽章では木管楽器が大活躍し、ホルンも素晴らしい 第4楽章も速いテンポによりメリハリのある演奏が展開しますが、とても10型とは思えない14型くらいの重量感のある音が迫ってきます エメリャ二チェフは終始 躍動感溢れる指揮で読響の面々を煽り立て、持てる力を全て引き出しました オケ総力挙げての渾身のフィナーレは圧巻でした

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました 読響の底力を見せつけたエキサイティングな演奏でした

     

     

     

     

     

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