人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

高橋英夫著「疾走するモーツァルト」を読む~光と影のアンビヴァレンツが魅力

2014年03月31日 07時00分43秒 | 日記

31日(月)。とうとう3月も今日で終わり。明日から4月、新年度です 一昨日は一斉に桜が咲いたと思ったら、昨日は一転、”花に嵐”の雨の日になってしまいました 21日(金・春分の日)から29日(土)までの9日間で11回のコンサートを聴いたせいか、身体の疲れが取れません という訳で、昨日は外出せず、家でスダーン指揮東響によるシューベルト「交響曲第2番、第3番」や、アンジェラ・ヒューイットの演奏するショパン「夜想曲・即興曲集」のCDを聴きながら本を読んで過ごしました

 

          

          

 

  閑話休題  

 

高橋英夫著「疾走するモーツァルト」(新潮社)を読み終わりました この本は、先日高橋英夫氏の死去のニュースに接して、20数年ぶりに本棚から引っ張り出して読み始めたものです 手元の単行本は1987年5月20日発行、1988年2月20日5刷と表示されています。長女が2~3歳の頃に買ったと思われます

 

          

 

先日のブログで、この本の「序章」の一端をご紹介しましたが、この本のタイトル「疾走するモーツアルト」は、小林秀雄が『モオツァルト』の中で「スタンダールは、モーツアルトの音楽の根柢はtristesse(かなしさ)というものだ、と言った。アンリ・ゲオンは弦楽五重奏曲K.516の第1楽章冒頭について tristesse allante と呼んだ。確かにかなしさは疾走する。」と紹介しているところから取られています

 

          

 

高橋英夫氏は第Ⅱ章「逃走」の中で、この話をさらに掘り下げ、小林秀雄はゲオンの言葉を誤訳したのではないか書いています

「小林秀雄が、ゲオンのいう allante を『疾走する』と訳し、『モーツアルトのかなしさは疾走する』といったのは小林秀雄的『誤訳』、一種の創造的誤訳ではなかったのか

「ゲオンは tristesse allante を直接にはニ長調の『フルート四重奏曲K.285』の第1楽章について言っているのである もちろんすぐ続けて、その曲が後の傑作、ト短調の『弦楽五重奏曲K.516』の冒頭の『新しい音』を時に響かせていると述べているし、K.516を語った個所からも、ゲオンがこのト短調の中にやはり tristesse allante を感じていたであろうことは察しがつくのであるのだが

「しかし、訳語の『疾走する』はもう少し問題にしなければならない。語学的にはそれは誤っているが、だからといって現行の仏和辞典での allante の訳語『動き回ることの好きな、活動的な』、『元気旺盛な、はつらつとした』、『活動的な、元気な』を持ってきて、例えば『活動的な悲しみ』、『はつらつとした悲しさ』というふうに言い表せば、的確と言えるだろうか それでもまだぴったりしないように思われる。これは『陽気で軽快』ではあるが、、中には『悲しみ』がたたえられているという二つの矛盾した特性の融合なのである アンビヴァレンツを含んでいるのである。ゲオンが言いたかったのはそれであろう。このように了解した上で、おそらくいかなる訳語も完全には表現しきれないモーツアルト的本質がそこにある、と受け止めるほかない

私はこの文章に接した時、なるほどと思うと同時に、モーツアルトの音楽の本質は「光と影」「陰と陽」「表と裏」の同居ではないかとも思いました。とくに短調の曲を聴いている時に強く感じます

モーツアルトと同じことを感じたのは、意外にもヴィヴァルディの音楽でした もうかなり前のことです。NHKのテレビドラマでヴィヴァルディのフルート協奏曲が使われていたのですが、すごく楽しげなメロディーなのに、聴いていてすごく悲しいのです この時も音楽はアレグロで”疾走”していました。思い出してみるとドラマは悲劇的な内容でした。その時、この番組のディレクターは音楽の分かる人だな、と思いました

さて、「疾走するモーツアルト」は「序章」「唯一者」「逃走」「深淵」「記憶」「調和」「謎」「終章」、2つの「インテルメッツォ」から成りますが、日本におけるモーツアルト音楽の演奏史なども書かれていて興味が尽きない内容になっています 古い本なので一般の書店には売っていないと思われます。興味のある方は神保町あたりの古書店でお求めください

 

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太田光著「向田邦子の陽射し」を読む~モーツアルト「フィガロの結婚」を思い出しながら

2014年03月30日 21時01分14秒 | 日記

30日(日)。その2。太田光著「向田邦子の陽射し」(文春文庫)を読み終わりました 太田光はご存知、漫才コンビ”爆笑問題”の芸人です つい最近まで太田光が向田邦子の信仰者であることをちっとも知りませんでした

この本はⅠ.ぼくはこんなふうに向田邦子を読んできた、Ⅱ.向田邦子が書いた女と男の情景、を本編として、「読む向田邦子」ベスト10、「観る向田邦子」ベスト10を間に挟んでいます

 

          

 

この本を通じて、久しぶりに向田邦子のエッセイや小説などに接しましたが、「この本にはこんなことが書いてあったのか」と思うことがしばしばでした

私が向田邦子を読むきっかけになったのは、長女が実践女子高校に入学した時です。向田邦子は実践女子専門学校国語科を卒業しているからです。彼女の作品はその頃片っ端から読みました しかし、時間が経つと内容はあまり覚えていないことに愕然とします。それを「向田邦子の陽射し」は思い出させてくれました

この本の中で、なかなか鋭いと思ったところがあります。それは「生への”沈黙”-向田邦子の恋文 向田邦子の遺言」です

「向田邦子は”沈黙”の作家だと思う。今回、こうして向田邦子作品を読み返し、やはり改めて思い知ったのは、向田さんの”沈黙”の凄まじさだ。『思い出トランプ』でも、『あ・うん』でも、多くのエッセイでも、いつも感じ、感動し、恐ろしく思うのは向田さんの”黙っている姿”だ 読者にはそれが伝わる。”黙っている”というのは、”言葉を発しない”ということではない。言葉を、言葉以外のことを伝える為にその道具とする、ということだ。例えば音楽は、無音の状態がなければ生まれないし、生む意味もない。音と音との間に無音がある。また、音の後ろにも無音がある。我々は音を聞きながら、実は必ずその後ろにある無音を目指している

それから、もう一つ、向田文学の特徴をよく言い表している言葉があります

「向田さんの作品には、人間というのは愚かで、未熟で、自然も破壊するし、戦争も起こす。大変なことが起こっているのに、登場人物が飯を食ったりする。そんなやつらだけれど、それがいとおしいじゃないかというメッセージがある

向田作品を読んでいると、確かに指摘されているような”目”が感じ取れます

それから、1979年にNHKで放送された「阿修羅のごとく」の「女正月」の台本を取り上げた部分で、太田光は次のように書いています

「四姉妹がぺちゃくちゃ話している。話の核心は親父の浮気なのに、脇道にそれながら、ぺちゃくちゃ話をする。揚げ餅を頬張りながら、またぺちゃくちゃ。男は次女の旦那ひとり。そのうち長女のさし歯がとれて、「やだ」と言ってハンカチを口で隠す。普通のコメディとしてもおもしろいし、それが人物紹介にもなっている シナリオの教科書みたいなシーン。でも誰も真似できない。これを手本にして書け、とシナリオセンターで言われてもできない。こんなアクロバットは向田さんにしかできない

これを読んでいて、なぜか、モーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」を思い出しました この歌劇の台本はフランスの喜劇作家ボーマルシェの原作を基にイタリア出身の台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテが書き、それにモーツアルトが音楽を付けた訳ですが、時に、ソロが二重唱に、二重唱が三重唱に、三重唱が四重唱にと、どんどん歌が拡大していきます。こういうところは「阿修羅のごとく」のいくつかのシーンによく似ているな、と思いました さしずめ、向田邦子は日本のダ・ポンテか

 

          

 

太田光は「読むベスト10」の一つに「あ・うん」を挙げています。「あ・うん」の最初の「狛犬」を途中まで紹介して「以下略」としています。この先はどうだったか、気になって、文春文庫「あ・うん」を引っ張り出して「狛犬」の続きを読みました。向田作品にはそういう魅力があります

 

          

 

太田光はエッセイでは「水羊羹」をベスト1に挙げています。向田邦子は、水羊羹を食べる時にかける音楽はミリー・ヴァ―ノンの「スプリング・イズ・ヒア」が一番合うと書いています これを初めて読んだ時は、普段は行かないCDショップのジャズのコーナーに行って買い求めました。「スプリング・イズ・ヒア」を聴いてみて、そうか、向田邦子はこういう音楽が好きなのか、と感心したのを覚えてます ちなみにCDの曲目解説によると「春が来たけど、心は弾まない。恋人が居ないから」という春の憂鬱を歌ったもの、とありました 「スプリング・イズ・ヒア」は当時の向田邦子の心象風景を歌ったものだったのでしょうか

 

          

          

 

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スダーン最後の音楽監督公演を聴く~東響第618回サントリー定期でシューベルト「第2交響曲」再び!

2014年03月30日 09時07分03秒 | 日記

30日(日)。昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第618回サントリーシリーズ定期演奏会を聴きました。プログラムは①ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番”皇帝”」、②シューベルト「交響曲第2番変ロ長調」で、①のピアノ独奏はゲルハルト・オピッツです。指揮は3月いっぱいで東響の音楽監督を退任し4月から桂冠指揮者に就任するユベール・スダーンです 3月22日に東京オペラシティコンサートホールでオール・ハイドン・プログラムを指揮しましたが、昨日のコンサートは実質的に東京での東響・音楽監督として最後の演奏会です

 

          

 

サントリー定期はいつも9割位は入っているのですが、昨夕は残席ゼロではないかと思うほど文字通り満席の状況でした コンマスはグレブ・ニキティン。チューニングが終わり、ソリストのオピッツがスダーンとともに登場します ピアノの前に座るオピッツを見ていたら、まるでベートーヴェンの音楽に向き合うブラームスのような風貌です 彼はドイツの巨匠ウィルヘルム・ケンプの直弟子で、ケンプの音楽的な伝統を受け継ぐピアニストです

ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番」は『皇帝』の標題で親しまれています。この呼び方は出版社のクラマーが、この作品に相応しいものとして付したものですが、ベートーヴェンのスケッチ帳にも「戦闘へ、歓喜の歌」「攻撃」「勝利」などの言葉が書きこまれているように、『皇帝』の名に値する最高峰の作品です

第1楽章の「アレグロ」は、オーケストラの総奏に導かれて、勇壮なピアノ独奏が入ってきます オピッツは終始、頭や身体を大きく揺らすことなく自然体でピアノに対峙します。これは冷静沈着な演奏をしていた師匠ケンプの演奏スタイルと同じではないか、と思いました

終盤にはカデンツァが置かれていますが、この作品のカデンツァはベートーヴェン自身が作曲したものです。それまではピアノ奏者の創意に委ねられていたのですが、この作品の楽譜には「演奏者によるカデンツァ不要」という指示が書きこまれています。難聴が進行していたベートーヴェンにとって、「勝手な解釈をして演奏してもらっては困る」という気持ちが強かったのではないか、と思います

オピッツのピアノは一音一音が粒立っていてとても綺麗です 特に高音部の輝きが美しく響きます。力強く、また、抒情的です。スダーンは東響をコントロールし、しっかりとサポートします

終演後、スダーンと握手をしてオケにも頭を下げ、聴衆の拍手に応えます。ニコニコ顔のブラームスを見ているような気がしました

 

          

              (終演後、プログラムにサインをもらいました)

 

休憩時間にチラシを見ていたら、スダーン+東響のシューベルト「交響曲第2番・第3番」のCDが1,000円で売っていることが分かり、ロビーのCD売り場に行くと「サイン会あり」の文字が目に入ったので、躊躇なく買い求めました。絶対サインもらわねば後で後悔するぞ

 

          

 

ピアノがステージ左サイドに片付けられ、オケは約50人ほどに縮小します。いよいよ東京における最後の演奏曲目・シューベルト「交響曲第2番変ロ長調」です この曲を含めて、スダーン+東響が2008年に演奏した「シューベルト・チクルス」は「第21回ミュージック・ペンクラブ賞」を受賞するなど音楽界で大きな話題を呼びました 私は2008年に78回コンサートを聴きましたが、今振り返ってみてその年のベスト・コンサートだったと確信します

交響曲第2番は1814年から15年にかけて作曲されましたが、公開初演として記録に残っているのは1877年のロンドンにおける演奏会とのことですから、何と62年後のことです。シューベルト、可哀そう

スダーンの指揮で第1楽章「ラルゴ~アレグロ・ヴィヴァーチェ」が始まります。冒頭はモーツアルトの交響曲第39番に曲想がよく似ています。ゆったりしたメロディーが続いていたかと思うと、一転、躍動感に溢れたアレグロ・ヴィヴァーチェに移ります ひとことで言えば「疾走する青春」とでも表現したらよいでしょうか 前へ前へと前進する音楽が心地よく響きます。第2楽章「アンダンテ」の冒頭は、ロザムンデの音楽にちょっと似ています。主題と5つの変奏なのですが、主題の輪郭を留めながら変奏していくので「シューベルト特有の、同じメロディーの繰り返しか」と思ってしまいます しかし、美しいメロディーです

第3楽章「メヌエット」を経て、第4楽章「プレスト・ヴィヴァーチェ」に移ります。冒頭部分はロッシーニ風のメロディーです。再び「疾走する青春」のような溌剌としてリズミカルなメロディーが展開され、フィナーレを迎えます

終演後、スダーンは会場一杯の拍手とブラボーに何度も頭を下げ、オーボエの池田肇、フルートの甲藤さち、クラリネットの吉野亜希菜、ファゴットの福士マリ子を立たせ、次いでオケ全体を立たせて聴衆の声援に応えます スダーンは深く頭を下げて涙をぬぐい、頭を上げて、拍手を制してお別れの挨拶をしました。マイクなしで英語だったので、よく分かりませんでした ここに紹介できず残念です。どなたか、分かった方は教えてください。今日、同じプログラムの演奏会がミューザ川崎で開かれるので、その時、同じ挨拶をされるかもしれません

アンコールに、シューベルトの「ロザムンデ」間奏曲第3番を穏やかに感動的に演奏しました 東京での公演はこれで終わりです。もちろん、これからも桂冠指揮者として何度か東響を振りますが、これまでの10年間、素晴らしい演奏を聴かせてくれたことに心から感謝したいと思います

 

          

 

終演後、サインをもらおうとロビーのCD売り場に行くと、だれも並んでいないので、訊いてみると、サイン会場は通路の奥のスペースでやるとのことだったので、出口に向かう聴衆の波に逆らって、通路の奥に進みました すでに20人近くの人がサインを求めて並んでいました。後ろを振り返ると通路の突き当りまで列が続いていました。20分ほど待たされ、やっとサイン会が始まりました。向かって左にスダーン、右にオピッツが並んでサインするようです

私はCDジャケットの表紙部分を抜き出して、そこにスダーンにサインしてもらいました 隣のオピッツにはプログラムにある彼の写真のところにサインをもらいました。CDにサインをもらうのはほとんどがスダーンで、オピッツはプログラムばかりだったので、ちょっと気の毒に思いました まあ、しかたないですね。スダーンは東京での”有終の美”ですから

あらためて、スダーンにお礼を言います。長い間お疲れ様でした。ありがとう 素晴らしい演奏の数々、決して忘れません。これからも桂冠指揮者としてわれわれ聴衆を楽しませてください

 

          

          

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第3回音楽大学フェスティバル・オケを聴く~エリシュカ指揮でスメタナ&ドヴォルザーク

2014年03月29日 10時21分11秒 | 日記

29日(土)。昨夕、池袋の東京芸術劇場で第3回音楽大学フェスティバル・オーケストラの演奏会を聴きました オケは国立、昭和音楽、洗足学園、東京音楽、東京藝術、東邦音楽、桐朋学園、武蔵野音楽の各大学の選抜メンバーから成ります。指揮はラドミル・エリシュカです。エリシュカは2001年から2013年までチェコ・ドヴォルザーク協会会長も務めたことのある、チェコ音楽の権威です。

プログラムは①スメタナ「連作交響詩『わが祖国』から”高い城”、”モルダウ”、”シャルカ”」、②ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界より”」です

 

          

 

出場学生の家族・友人・知人を中心に(?)会場はほぼ満席です。自席は1階O列13番、センターブロック左通路側です 学生合同オケのメンバー約100名が登場します。やはり女子学生が圧倒的に多い傾向は昨年と変わりません しかし、昨年よりも男子学生の比率が若干高まったような気がします。男子学生、頑張れ プログラムの巻頭に音楽大学オケの実行委員長があいさつ文を書いていますが、それによると、日本には音楽系大学と短大が121校もあるそうです。これには驚きました この日のメンバーは、全国121校のうち在京の学生オケから選抜されたメンバーということになります 相当一人一人の実力が高いと言えるのではないかと思います。オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという態勢です。前半のコンマスは桐朋学園の内野佑佳子さん(やっぱり女子学生!)です

1931年チェコ生まれのラドミル・エリシュカがタクトを抱えて登場します。今年83歳を迎えるとはとても思えない、かくしゃくとした足取りです エリシュカの合図で「高い城」冒頭のメロディーがハープ2台によって奏でられます。この部分はとても美しいですね

次に有名な「モルダウ」が演奏されます。オケは源流の小さな流れから、しだいに川幅を拡大してプラハの街を流れていくモルダウの様子を描写します ここでは、源流を奏でるフルートが非常に美しく響きます。この演奏が終了すると、予想どおり会場のあちこちでパラパラと拍手が

そして「シャルカ」に入ります。オケは厚みのある音で指揮者エリシュカの要望に応えます。演奏中に、この指揮者から睨まれたら本当に怖いのではないか、と思ってしまう、そんなオーラを感じます エリシュカと学生たちは「おじいさんと孫たち」のように見えますが、出てくる音楽は若々しく活気に溢れています

休憩後は管楽器・打楽器のメンバーが前半と入れ替わります。コンマスも東京藝大の石田紗樹さん(やっぱり女子!)に代わります。出演メンバーリストの中で唯一顔と名前の一致するのはこの人だけです

エリシュカの合図で”新世界”交響曲が始まります。演奏者が100名もいることもあるでしょうが、厚みのあるサウンドで圧倒します 第2楽章では、有名な”遠き山に陽は落ちて”のメロディーが、コーラングレの独奏でしみじみと演奏されます 何度聴いても良いですね。そして力強い第3楽章に移り、最後はオケ総動員で第4楽章アレグロを熱演して全曲を閉じます エリシュカは、よく動けるなあと思えるほど、年齢を感じさせない、かくしゃくとした指揮振りでした

エリシュカは弦の首席と握手するだけでは物足りないのか、コンサート・ミストレスを務めた女子学生2人をハグして(役得!)演奏を讃えました

何度もステージに呼び戻されたエリシュカは、「もう勘弁してくれ」と言いたげな顔をしながらも、アンコールにドヴォルザークの「スラブ舞曲第15番」を鮮やかに演奏しました

この日出演した約120名の学生たちは、いつの日か、自分は名匠エリシュカの指揮で本場の音楽を演奏したのだ、ということを誇りとともに思い出すことでしょう 熱演を聴かせてくれた選抜学生たちに、あらためて大きな拍手を贈ります

 

          

 

  閑話休題  

 

当日配布されたプログラムの「今後の公演予定」に第5回音楽大学オーケストラ・フェスティヴァル2014の日程が公開されていました

2014年11月16日(日)午後3時開演。ミューザ川崎。①昭和音楽大学(ブラームス「交響曲第2番」ほか)、②東京藝術大学(チャイコフスキー「交響曲第5番」)

2014年11月24日(月・祝)午後3時開演。ミューザ川崎。①上野学園大学(モーツアルト「交響曲第35番」ほか)。②武蔵野音楽大学(バルトーク「管弦楽のための協奏曲」)、③洗足学園音大(レスピーギ「交響詩”ローマの噴水”、”ローマの松”」)

2014年12月6日(土)午後3時開演。東京芸術劇場。①国立音楽大学(ブルックナー「交響曲第7番」)、②桐朋学園大学=未定。

2014年12月7日(日)午後3時開演。東京芸術劇場。①東邦音楽大学(ブラームス「交響曲第4番」)、②東京音楽大学(R.シュトラウス「交響詩:英雄の生涯」)

※以上全席指定、各回1,000円。

1年後の第4回音楽大学フェスティバル・オーケストラ演奏会(選抜オケ)は次の通りになっています

2015日3月28日(土)ミューザ川崎。ユベール・スダーン指揮大学選抜オケ。ムソルグスキー「組曲”展覧会の絵”」ほか。

2015年3月29日(日)東京藝術劇場。ユベール・スダーン指揮大学選抜オケ。ムソルグスキー「組曲”展覧会の絵”ほか。

※以上全席指定、各回S席=2,000円、A席=1,500円。

私の場合は、すでにコンサートの予定が入っている日がほとんどなので、残念ながら1つか2つの公演しか聴けません とくにスダーンが指揮をする選抜オケのコンサートは両日とも埋まっていて、とても残念です。超お薦め公演です。どなたか代わりに聴きに行ってください

 

 

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道尾秀介著「カササギたちの四季」を読む~本当に事件を解決するのは誰だ?

2014年03月28日 07時01分01秒 | 日記

28日(金)。昨日、新国立劇場から「オペラ・プルミエ会員」2014/2015シーズンのチケット10枚が送られてきました それはいいのですが、年会費の銀行引き落とし日が昨年は5月10日だったのに、今年は4月10日と1カ月も早められているのです これは困ります。定期会員継続申し込みの時点では何の説明もありませんでした 今回も「4月10日のお引き落としになります」と書かれているだけで、なぜ1カ月早まったのか一切説明がありません。新国立劇場というのは時々こういうことを平気でやります 別に払わないということではありませんが、はっきり言って20万円近くの金額の引き落としが1カ月も前倒しされると予定が大幅に狂い、一介のサラリーマンにとっては死活問題です。善処を求めたいと思います

 

          

 

  閑話休題  

 

現在、朝日夕刊の「人生の贈りもの」コーナーは、ヴァイオリニスト前橋汀子さんのインタビューを連載しています 昨夕は第4回目でしたが、読めば読むほど前橋汀子という人はもの凄い先生に師事してきたことが分かります ソ連からアメリカに渡って、ジュリアード弦楽四重奏団のロバート・マン氏に師事、その後、スイスに移って名匠ヨゼフ・シゲティに師事します。1970年にはカーネギーホールで、何とストコフスキー指揮アメリカン・シンフォニーをバックにパガニーニのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビューします その時に弾いたヴァイオリンはシゲティから借りたものだったそうです とにかくスケールが違います。才能ばかりでなく、度胸もあったのでしょう 彼女の演奏は3月14日に「東京・春・音楽祭」の「春が来た!コンサート」で聴いたばかりですが、まだまだ元気な現役です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

道尾秀介著「カササギたちの四季」(光文社文庫)を読み終わりました 

リサイクルショップ・カササギの店長・華沙々木(かささぎ)、いつもリサイクル品を高く売りつけられてくる日暮(ひぐらし)、そして店に入り浸っている中学生の菜美の三人は、四季それぞれに起こる事件に巻き込まれる いつも華沙々木が自信満々に「僕が解決する」と言って「マーフィーの法則」を持ち出して事件解決に臨むが、実際には、日暮が裏で段取りをつけて事件が解決するように仕向けている

春「鵲(かささぎ)の橋」、夏「蜩(ひぐらし)の川」、秋「南の絆」、冬「橘(たちばな)の寺」の四編から成ります。最初のうちは安っぽいリサイクル品を高く売りつける黄豊寺の住職が、いかにも意地悪な悪徳住職のように描かれていますが、最後には誤解が解けて「めでたし、めでたし」になります。道尾秀介の書く小説は、どこか温かみがあり、しかも謎解きは期待を裏切りません。お薦めします

 

          

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新日本フィル室内楽シリーズ「豊嶋泰嗣プレゼンツ~モーツアルト”音楽の冗談”」ほか

2014年03月27日 07時00分42秒 | 日記

27日(木)。昨日の日経朝刊・文化欄にピアニストの横山幸雄氏が「ショパンの楽曲”奏破”~年に一度のピアノ・コンサート、今年は最多の217曲」のテーマでエッセイを書いています。超訳すると

「ショパンは特別な作曲家だ。2010年から毎年、ショパンの主要なピアノ曲を1日で弾くコンサートを続けてきた 1990年、19歳の年にショパン国際ピアノコンクールの第3位に入賞し、より深くショパンを知りたいと思うようになった。2010年のショパン生誕200年の節目の5月4日に、ショパンの166曲を全部暗譜して演奏した 朝9時から、休憩を挟んで4部構成として演奏し、深夜0時過ぎに終演した 2011年には1日で212曲を奏破し、ギネス世界記録に登録された 翌12年は作品番号付きの曲と、ピアノ協奏曲第1番と第2番を取り上げ、13年はオーケストラとの協奏作品も加えた。今年は今までで最多の217曲を弾く。5月3日と4日の両日に分けた。1年ぶりに弾く曲もある。再会が今から待ち遠しい

全曲演奏会だけでもすごいと思いますが、全曲暗譜で演奏というのは驚きを超えています ショパンがよっぽど好きなのでしょう。日本にもこういうピアニストがいるのだということ自体が脅威です 今年こそは聴いてみようと思っていましたが、5月3日、4日は「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭に入り浸っているので残念ながら今年も聴けません 

 

  閑話休題  

 

昨夕、すみだトリフォニー(小)ホールで新日本フィルの室内楽シリーズ「豊嶋泰嗣プレゼンツ~音楽は楽しい」を聴きました プログラムは①ヒンデミット「ミニマックス”弦楽四重奏のための軍楽隊レパートリー”」、②モーツアルト「ディヴェルティメント・ヘ長調”音楽の冗談”K.522」、③フランセ「八重奏曲」です 出演はヴァイオリン=豊嶋泰嗣、佐々木絵理子、ヴィオラ=矢浪礼子、チェロ=矢野晶子、コントラバス=城満太郎、クラリネット=重松希巳江、ファゴット=石川晃です

 

          

 

開演に先立ってこのコンサートの”売り物”プレトークがありました。プレトーク担当のコントラバス奏者・村松裕子さんは産休のため、前任の、第2ヴァイオリン奏者・篠原英和さんがピンチヒッターで再登場です

篠原さんはステージに出てきた早々「プレトークを”勇退”してから、こんなに早く出戻ってくるとは思いもよりませんでした 今月と来月は私がプレトークを担当させていただきます。村松さんは3月11日、無事にちょうど3,000グラムのお子さんを出産されました というわけで、本日のプレトークは、またか、と思われそうですが『今再び、アマデウス弦楽四重奏団』です」とあいさつ。篠原さんが師事したアマデウス弦楽四重奏団の一人一人について熱意をもって解説しました

アマデウス弦楽四重奏団を語る時の篠原さんは若干前のめりになっています 本当に心の底から尊敬し大好きなのでしょうね。40年もの間メンバーを一人も替えることなく続いたカルテットも珍しいと思います 久しぶりに篠原節を聴くことができたのも産休の村松さんのお陰です。サンキュー

演奏者の登場です。左から第1ヴァイオリンの豊嶋泰嗣、第2ヴァイオリンの佐々木絵理子、ヴィオラの矢浪礼子ですが、椅子の数に一人足りません。豊嶋氏が舞台袖に向かって「おーい、始めるぞ」と言いながら演奏を始めると、舞台袖からチェロの矢野晶子があわてて登場します 曲はヒンデミットのミニマックス「弦楽四重奏のための軍部隊レパートリー」です 解説によると、軍隊音楽を皮肉ったタイトルで「軍隊音楽の最小最大作品集」といったようなものとのこと。女性陣は黒のお洒落なハットをかぶっています 曲は①「軍隊行進曲第606番」、②「防水詩人と鳥籠農夫への前奏曲」、③「2本の遠く離れたトランペットのための間奏曲”ドナウ源泉の夕べ」、④「演奏会用ワルツ”小川の岸辺の小さなタンポポ」、⑤「2本のピッコロのための個性的作品”2羽の陽気なくそムクドリ」、⑥「行進曲”懐かしき勝利仲間”」の6曲から成ります

①「軍隊行進曲第606番」は各楽器の演奏が揃っておらず音が濁っています それぞれが精いっぱい演奏しているにもかかわらず、アンサンブルというよりも半サンブルといった感じです ②「防水詩人と鳥籠農夫への前奏曲」では、暴走する第2ヴァイオリンに悲鳴を上げる第1ヴァイオリン ③「2本の遠く離れたトランペットのための間奏曲”ドナウ源泉の夕べ」では、演奏中に電話のベルが鳴り、佐々木絵理子が電話に出て「あ~、お母さん・・・何?お見合いの話?写真はあるの?あとで見るから」などとしゃべったり、ステージの左サイドでヴァイオリンを弾きながら飛んだり跳ねたりしています そうかと思うと、反対側の矢浪礼子がベートーヴェンの”運命のテーマ”を弾いて佐々木を脅かしたりします 佐々木絵理子は可愛らしくて可笑しいです あれは彼女のキャラでしょうか?しかし、彼女を侮ってはいけません。れっきとした首席奏者です

④演奏会用ワルツ「小川の岸辺の小さなタンポポ」は、ヨハン・シュトラウスのウィーン風ワルツをわざとらしく誇張して演奏します ⑤「2本のピッコロのための個性的作品”2羽の陽気なくそムクドリ」では、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとが2羽のムクドリになっておしゃべりをします そして最後の⑥「行進曲”懐かしき勝利仲間」では威勢よく行進曲を演奏しながら、最後は突然終わります 聴衆は、乗車中にいきなり急ブレーキをかけられて慣性の法則によって前につんのめりそうになった山手線の乗客のような状態に置かれ、唖然とします

まあ、豊嶋さんという人は面白い曲を選ぶものだと感心します ヒンデミットがこのようなパロディ音楽を作っているとは思ってもいませんでした。ヒンデミットはワーグナーを素材にした室内オーケストラ曲「朝7時の湯治場で二流のオーケストラにより初見で演奏された『さまよえるオランダ人』の序曲」という曲を作っているそうです。どんなパロディ音楽か「豊嶋プレゼンツ」で是非聴いてみたいものです

2曲目はモーツアルト「ディヴェルティメント『音楽の冗談』K.522」です。作曲の動機は分かっていませんが、二流・三流の作曲家や演奏家を音楽で皮肉ったパロディです。左から豊嶋、佐々木(以上Vn)、藤田、井出(以上Hr)、矢浪(Va)、矢野(Vc)、城(Kb)という並びです 城(じょう)は付け眉毛、付けモミアゲで、まるで孫悟空のような顔で現われます。あなたは別に、それを付けなくても、そのまんまで・・・・とは誰も言いません。後が怖くて

第1楽章からホフナング音楽祭さながらに下手な演奏のオンパレードです 第2楽章の中の、ホルンが外すところでは、井出が藤田の方を向いて「キミ、外したね」という顔で迫り、藤田が小さくなります。一転、第3楽章のアダージョ・カンタービレに入ると、ホルンの二人は席を離れ、なぜか舞台袖から出された丸テーブルの前のバス椅子に座り、なぜか出てきたシャンパンをお互いに注ぎ合って乾杯します 藤田が少し飲む間に、井出は一気飲みし、お代わりを要請します 藤田は驚いて注ぎます。井出がまた一気飲みします。藤田が再び驚いて注ぎます。やっぱり井出は一気飲みします。1本を空けて、もう1本を請求します・・・・・・・とうとう井出は5杯を一気飲みしてしまいます。豊嶋と佐々木はワインが気になって、時々演奏中に後ろを振り返ります そして第4楽章の演奏に移ります。井出はあんなに飲んでも平気で演奏しているのですから、流石のプロ根性です 白眉は第4楽章のフィナーレです。モーツアルトの「弦楽四重奏曲第19番”不協和音”K.465」の冒頭も真っ青な不協和音で20分のディヴェルティメントを終了します 

ヒンデミットにしてもモーツアルトにしても、普段は相当の実力の持ち主で真面目に演奏している楽員たちが、わざと下手に演奏しなければならないというジレンマの中で演奏に挑戦した訳ですが、一つだけ言えることは、彼らは楽譜を見て演奏していたということです 楽譜がなければあんなに下手な演奏は(=下手に聴こえる演奏は)出来ないだろうということです

休憩後はパロディから離れ、フランセの「八重奏曲」です。向かって左から豊嶋、佐々木、矢浪、矢野、城、藤田、石川(Fg)、重松(Cl)という並びです この曲はシューベルトの八重奏曲へのオマージュとのことですが、曲想はまったく異なります。第1楽章冒頭は厳かな雰囲気の音楽が続いたかと思うと、突然はじけて軽快な音楽に変わります お洒落で軽妙洒脱と言えば良いのでしょうか。8人の奏者はそれぞれがソリストとして素晴らしく、見事なアンサンブルを聴かせてくれました いつも楽しみにしているのは重松希巳江さんのクラリネットです。この人の演奏はいつ聴いても本当に素晴らしいです

今回のコンサートは『豊嶋泰嗣プレゼンツ・新日フィル版ホフナング音楽祭』といった趣の演奏会でしたが、豊嶋さんのセンスの良さを改めて見直しました 演奏は超一流ですが、企画のセンスも超一流です こういう人をソロ・コンマスに抱える新日本フィルは幸せだと思います

 

          

 

終演後はいつものようにロビーで「ワンコインパーティー」が開かれましたが、私は娘が高熱を発して寝込んでしまったので早めに帰ることになり、残念ながら出席できませんでした 篠原さんにひと言ご挨拶してからお暇しようなと思いましたが、すぐにサロン・マスターの仕事に入られたので、挨拶なしで失礼しました。次の機会に楽しみを取っておきたいと思います

 

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「シューベルトの夕べ~ピアノ五重奏曲”ます”室内楽名曲選」を聴く

2014年03月26日 07時30分11秒 | 日記

26日(水)その2。ということで、よい子は「その1」から見てね 昨夕7時から、東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭」の「シューベルトの夕べ~ピアノ五重奏曲”ます”室内楽名曲選」を聴きました オール・シューベルト・プログラムで①弦楽三重奏曲第1番、②ヴァイオリン・ソナチネ第3番、③アルペジオーネ・ソナタ イ短調、④ピアノ五重奏曲イ長調”ます”」です 出演は、ヴァイオリン=堀正文、ヴィオラ=佐々木亮、チェロ=木越洋、コントラバス=吉田秀、ピアノ=ゲルハルト・オピッツです。まさにN響の首席クラスとオピッツの共演です

 

          

 

自席はH19番、左ブロック右通路側です。会場は9割ぐらいの入りでしょうか ステージ上に集録マイクが、脇にはテレビカメラが置かれています 掲示を見ると「本日の公演はNHK・TVで放映します」と書かれています

1曲目の「弦楽三重奏曲第1番」は、作曲者が19歳の時の作品です。31歳の人生の中の19歳はどういう位置づけになるのでしょうか。・・・・・・やっぱり”青年シューベルト”の作品ですね 堀正文、佐々木亮、木越洋の演奏ですが、聴いている限り、ほとんどモーツアルトのディヴェルティメントのような曲想です

2曲目の「ヴァイオリン・ソナチネ第3番」も19歳のときの作品です。3つのヴァイオリン・ソナタのうちの最後の曲です 「ソナチネ」というのは「小さなソナタ」のことです。堀正文とともにドイツのピアニスト、ゲルハルト・オピッツの登場です 古楽の大家トン・コープマンというか、笑顔のブラームスというか、資本論のマルクスというか、白いひげを蓄えた特徴のある顔です この曲もモーツアルトに近い曲想です

3曲目のアルペジオーネ・ソナタの「アルペジオーネ」というのは、ウィーンの楽器製作者シュタウファーという人が1823年に発案した楽器で、チェロのように弾くギターだったそうです この作品は、アルペジオーネのために書かれた唯一の楽曲とのこと オピッツと佐々木亮の演奏です。オピッツとの共演ということで佐々木亮が緊張しているような感じを受けましたが、演奏はなかなかしみじみと良かったです

 

          

 

休憩後の「ピアノ五重奏曲イ長調”ます”」は同じ五重奏でも、ピアノと、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの組み合わせによるものです。第4楽章アンダンティーノで、この作品の愛称になっている歌曲「ます」のメロディーが使われます

全体的には、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの演奏をコントラバスがしっかりと支え、ピアノが時にメロディーで引っ張り、ときに全体を締めるといった感じの演奏でした 5人のソリストの一人一人が相当な実力者であることが明確で、その上での見事なアンサンブルです オピッツは頭を動かしたり、身体を前後左右に動かしたりしません。身体の芯がしっかり通っている感じがします。それがこのドイツのピアニストの演奏スタイルのようです

室内楽の醍醐味を十分味わった気分です しかしながら1日2回のコンサートはきついです。しかも今夜もコンサートあるし

〔追伸〕 昨日、上野でご一緒したSさんから今朝5時過ぎにメールがあり、「こちらは岩崎邸をぐるりとして眺めてから、無事帰りました」と報告が書かれていました。”無事”にというところが彼女らしいな、と思ったりしました。よかったですね、と言っておきましょう

 

             

 

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「ピアノの歴史探訪~小倉貴久子」を聴く~ワルター、プレイエル、スタインウェイの弾き比べ

2014年03月26日 06時51分34秒 | 日記

26日(水)その1。昨日午前11時から、東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭」の「ピアノの歴史探訪~小倉貴久子~ワルター、プレイエル、スタインウェイ」を聴きました(休暇をとりました)。3種類のピアノによる聴き比べ企画です。A.ワルター・ピアノ(レプリカ)によるモーツアルトとベートーヴェン、プレイエル・ピアノによるショパン、フィールド、カルクブレンナー、スタインウェイによるラヴェルの演奏です 演奏はこの道の第一人者・小倉貴久子さんです

 

          

 

ステージには、向かって左から黒光りするスタインウェイ、真ん中に木製のワルター、右に同じく木製のプレイエルが並べられています 自席はC20番、左ブロック右通路側です。ウィークデーの午前11時からのコンサートとあって聴衆は5割程度の入りです

小倉貴久子が淡いイエローのドレスで登場、真ん中のワルターで第1曲目のモーツアルト「ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331”トルコ行進曲付き”」の第1楽章を弾きます ピリオド楽器特有の繊細な音が空間を満たします。第1楽章が終わったところで一旦演奏を中断し、ピアノの解説に移ります

「ステージ上にあるワルターは1795年にウィーンで製作されていたピアノのレプリカ(複製)で、モーツアルトが生きていた時代に弾かれていたもので、すべて木で作られています (ちなみにモーツアルトは1756~1791年の生涯)。その右にあるプレイエルは1848年製作のオリジナルでショパンがコンサートで弾いたのと同じピアノです (ちなみにショパンは1810~1849年の生涯)。そして左のスタインウェイは現代の代表的なピアノです

解説の後、再びワルターに向かいモーツアルトのK.331の第2、第3楽章を続けて弾きました。3楽章冒頭は、解説の通り短めに弾き、本来の”トルコ行進曲”に近い形で再現しました そして、次のベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第17番ニ短調”テンペスト”」を演奏するにあたって、ベートーヴェンとワルターとの関係について解説しました

「ベートーヴェンはピアノ・ソナタの半数は5オクターブのワルターを使って作曲していました。しかし、ハンマークラヴィーア・ソナタを作曲している最中に5オクターブ半(低音部に広がった)のピアノが開発され手元に届いたことから、第3楽章からは低音部を生かした曲を作るようになりました その意味で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの初期の曲がいかに軽いかが分かります

そしてワルターで「テンペスト」を3楽章を通して演奏しました。ここで一旦休憩に入りました

席を立って後ろを見ると、2つ後ろに席に、見たような女性を発見しました。声をかけると「あら~」と言ってしばし絶句していました。町田でピアノ教室を開いているSさんでした。お会いするのは何年ぶりかです ネットでチケットを手配したそうですが、研究熱心な人なので聴きに来られたのでしょう

休憩から戻ると、ステージ上は、ワルターが右に移動し、プレイエルがセンターに設置されていました。小倉貴久子が登場、ショパンの「ワルツ変二長調”子犬のワルツ”」を弾きました 音を聴いただけでワルターから進化したことが判ります。一層、現代のピアノに近い音です。「子犬のワルツ」の愛称は、ショパンの愛人ジョルジュ・サンドの飼い犬が自分の尻尾をくわえようとしてグルグル回る様子から着想したということですが、多分グルグル回ったのは三度だったと思います

演奏後、プレイエルについて解説しましたが、彼はハイドンに弟子入りしたくらいの作曲家でもあり、ショパンとは旧知の中だったようです そしてショパンのノクターンで一番有名な「第2番」と、「バラード第1番ト短調」を続けて演奏しました 個人的にはバラード第1番はホロヴィッツの名演が忘れられません

次にショパンに大きな影響を与えた二人の作曲家、ジョン・フィールドの「ノクターン第2番」とカルクブレンナーの「ロマンスと華麗なロンド」を続けて演奏しました。フィールドの曲は、知らなければショパンの作曲と勘違いするような曲想です

そして、最後に現代のスタインウェイの出番です。解説によると、スタインウェイはドイツで1835年に創立したので、プレイエルの1848年の創立よりも歴史が古い しかし、スタインウェイは革命によりアメリカに渡り、そこで新しい技術を次々と開発し普及させた。今ドイツのハンブルクにあるスタインウェイはアメリカのスタインウェイの里帰りのようなもので、現在はアメリカとドイツでピアノを製作している、とのことでした

そして、ラヴェルの組曲「クープランの墓」から「前奏曲」「メヌエット」「トッカータ」の3曲を続けて演奏しました これはスタインウェイでなければ追いつかないでしょう。「曲はピアノに連れ、ピアノは曲に連れ」ということでしょうか

会場一杯の拍手にドビュッシーの前奏曲集から「花火」を鮮やかにアンコールしました。終演は午後1時10分でした

 

          

 

  閑話休題  

 

終演後、Sさんとロビーに出たのですが、Sさんのケータイにメールが着信して、共通の知人であるOさんと会うことになりました どうやらお二人は昼食の約束をしていたようで、そこに私が”お邪魔虫”したようです Oさんはなんと同じロビーにいました。Sさんが「それじゃ、三角デートということで」と言うので3人で散策することにしました。Sさんが30日に東京都美術館で江口玲のピアノ・リサイタルを聴くので、美術館の場所を確認したいというので見にいき、その後、奏楽堂も見たいというので旧奏楽堂に行きましたが、現在改装工事中でした

その後、上野の森を散策し、途中でOさんから「『東照宮』が金箔を張り替えたばかりだから観に行きましょう」と提案があったので、観に行って写真を撮りました 私は初めてここを訪れました

 

          

 

          

 

まだ花の咲かない桜並木を通って西郷さんの銅像まで歩き、近くの薩摩魚鮮というお店に入り、遅い昼食をとりました 隣の会場(とは言え、完全に仕切られていない部屋)で、学生の団体が卒業祝賀会のような宴会を開いていて、大声で放歌哄笑していました 男子学生らしき者がイタリア語で「オー・ソレ・ミオ」を歌い出したので、Sさんが「芸大の学生かしらね」というので、「そうですね。そうだとするとレベル低いね」と答えました。

Oさんは旅行会社のOBなので今でも旅行好きで、毎年海外旅行に行っているそうで、今年もイタリアに行くとのこと Sさんも旅行好きで5月の連休にパリに行くと言っていました。3回目だそうです 私は国内でラ・フォル・ジュルネ音楽祭です。9年連続で Oさんは「年金収入のほかにアルバイト収入もあるから」と言ってご馳走してくださいました。いいんだろうか、年金生活者にゴチになって・・・・と思いましたが、またの機会にこちらがゴチするということで、今回はお言葉に甘えさせていただくことにしました

お店を出たのは午後3時半頃になっていました その後、お二人は本来のデート、私は午後7時から再び東京文化会館小ホールで開かれる「シューベルトの夕べ」コンサートを聴くため、一旦巣鴨に戻ることにしました

という訳で、「シューベルトの夕べ」は「その2」に書くことにします。睡眠時間が足りないよぉ

 

          

 

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「R.シュトラウスの生涯~生誕150年に寄せて」~第Ⅳ部「オペラ作曲家として」を聴く

2014年03月25日 07時01分08秒 | 日記

25日(火)。当ブログの読者Nさんから絵葉書が届きました クリ―ヴランドの音楽学校に通われているご子息に会いに行かれたそうで、写真はクリ―ヴランド管弦楽団の本拠地・セヴェランスホールとのこと Nさんによれば「アメリカの五大オーケストラホールの中で最も美しくエレガントな造り」ということです かの名指揮者ジョージ・セルもこのホールで颯爽と指揮をしたことでしょう

 

          

 

  閑話休題   

 

23日付の日経朝刊・文化欄に仏文学者・杉本秀太郎氏が「ピアニスト」の題でエッセイを書いていました。ちょっと長くなりますが超訳すると

「FM放送などで聴いて『おや?』と思い『アッ』と驚いたピアニストは後でCDで確かめる 最近の新人ピアニストで目覚ましいのは、カティア・ブニアティシヴィリとダニール・トリフォノフの二人である グルジアの女性ピアニスト、ブニアティシヴィリはショパンの『ピアノソナタ第2番』の演奏で、これほど強靭な構造のみならず、目のくらむ断絶と、それに応ずる飛躍を備えているのを示した 一方、トリフォノフは、ショパンの『24の前奏曲』のすべてに、同型の付点リズムを回復させることで、24曲が全体として、同型のリズムの変奏曲という他に類のない性格をもつことを示した 二人に共通しているのは、楽譜を読み解く力である。キーを叩くのではなく、キーを押す指にだけ与えられる一瞬の休息状態で指は考える 言い換えれば、「音を出す装置」ではなく、「音に触れる装置」としてピアノを扱うことが大切な条件である ピアノを「音に触る装置」と考えるだけで「タッチ」は変わってくる。かれらの音は、ピアノのなかにもともとこもっていた音に彼らが触ったがために、音が起き出して鳴響となったように聞こえる 『私』が主張されていない。『私』は消され、代わりに音が立っている。この無私、それが素晴らしい。一時代、二時代前の大家たちには、これは手の届かないところであった グレン・グールドに至っては『音を出す装置』としてのピアノから『私』を押し出すことに終始していた  『私』を押し出すピアニストの奏法とその帰結は、『私』を消す奏法とその帰結によって批評され、ピアノ音楽を変容させつつある。この傾向の口火を切ったのは、グールドと同じくカナダ生まれのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットであった 「音に触る装置」としてのピアノという考えを私に与えたのは、このピアニストのバッハ「平均律」第2巻の2度目の録音を繰り返し聞いた経験だった

私はアンジェラ・ヒューイットの演奏するバッハ「平均律クラヴィーア曲集」のCDを持っていますが、杉本さんのような観点から意識して聴いたことはありません 彼女は世界中のピアニストが使用するスタインウェイは使わず、イタリアのFAZIOLIを弾きますが、そのことと杉本さんの言われる「私を消す奏法」と何か関係があるのかどうか。そう思って調べてみたら、私の持っているCDは1997年~99年にベートーヴェンザールで録音されたもので、使用ピアノはスタインウェイでした。したがって、杉本さんの聴いた「二度目の録音」とはFAZIOLIで弾いた新しい演奏であるようです。ネットで調べていたら、ヒューイットはどうしてもFAZIOLIでバッハの「平均律」を残しておきたいとして録音に臨んだようです。是非聴いてみたいと思います

 

          

            (1997年~99年録音の平均律クラヴィーア曲集)

 

ヒューイットのCDはショパン「夜想曲・即興曲集」やべーヴェン「ピアノ・ソナタ」、「バッハ名曲集」などを持っていますが、一番気に入っているのはショパンの「夜想曲・即興曲集」です。これはFAZIOLIで弾いていますが、しみじみと心に沁みる演奏です

 

          

              (ショパン「夜想曲、即興曲全集」。サイン入り)

 

  閑話休題  

 

日曜日の午後5時から上野の東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭」の「リヒャルト・シュトラウスの生涯~生誕150年に寄せて」の第Ⅳ部「オペラ作曲家として」を聴きました 自席はF列27番、遅刻した第Ⅰ部の時と同じ席です

 

          

 

最初に成田達輝のヴァイオリン、津田裕也のピアノにより歌劇「ばらの騎士」から「ワルツ」が演奏されました。第2幕フィナーレでオックス男爵が踊りながら口ずさむシーンが目に浮かびます

2曲目は津田裕也のピアノ独奏で、歌劇「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」が鮮やかに演奏されました 津田は最近、松山冴花とデュオを組んだりして活躍が目立ちます

次に、歌劇「カプリッチョ」から「序曲」が弦楽六重奏により演奏されました 演奏はヴァイオリン=崎谷直人、三原久遠、ヴィオラ=横溝耕一、佐々木亮(N響首席)、チェロ=奥泉貴圭、門脇大樹という若手中心のメンバーです この曲はオペラの序曲なのに室内楽的な魅力に溢れた曲です。6人の演奏は緻密で素晴らしいアンサンブルでした

次にメゾ・ソプラノの加納悦子が登場し、歌劇「ばらの騎士」の冒頭部分、オクヴィアンの「だれも知らない」を艶やかに歌いました まさにメゾ・ソプラノの魅力全開といった感じです

次はソプラノの横山恵子が登場し、歌劇「エジプトのヘレナ」から「第2の新婚初夜!魅惑的な夜」を輝かしいソプラノで歌い上げました。とにかく恵まれた体格から繰り出す声は迫力があります

最後はソプラノの安井陽子が登場、歌劇「ナクソス島のアリアドネ」から「偉大なる王女様」を身振りを交えながら熱唱しました かなり長いアリアですが、安井はツェルビネッタに成りきってコロラチューラ・ソプラノの魅力をたっぷり聴かせてくれました これを聴いていて、彼女が新国立オペラで歌ったモーツアルト「魔笛」の「夜の女王のアリア」の素晴らしい歌唱を思い出しました この歌で、前の歌がぶっ飛びました 拍手の嵐です まだ安井陽子の歌を聴いたことがない方は、是非一度ナマで聴いてみてください。とにかく凄いです

 

          

 

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「リヒャルト・シュトラウスの生涯~生誕150年に寄せて」公演から第Ⅰ部、第Ⅲ部を聴く

2014年03月24日 07時00分23秒 | 日記

24日(月)。昨日、東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭」の「R.シュトラウスの生涯~生誕150年に寄せて」連続コンサートを聴きました コンサートは第1部「誕生ー激動の人生の幕開け」、第2部「イノック・アーデン~1人の女性をめぐる青年2人の美しく悲しい物語詩」、第3部「時代の寵児となった、若き天才音楽家~交響曲、歌曲、室内楽の名曲を集めて」、第4部「オペラ作曲家として」、第5部「辞世のうた~去りゆく古き良きヨーロッパ~眠りにつくとき」の5部構成になっています

私はこのうち第Ⅰ部、第Ⅲ部、第Ⅳ部を聴きました。今日は第Ⅰ部と第Ⅲ部について書きます

 

          

 

第Ⅰ部「誕生ー激動の人生の幕開け~若き日の傑作ホルン協奏曲から、晩年の名作オーボエ協奏曲まで」のプログラムは①R.シュトラウス「仕立て屋のポルカ作品1」、②F.J.シュトラウス「ノクターン作品7」、③R.シュトラウス「ホルン協奏曲第1番変ホ長調作品11」、④同「オーボエ協奏曲ニ長調」です。演奏者名はオーボエ=広田智之、ホルン=松崎裕、ピアノ=三輪郁となっています

11時からの開演なのに何と9時半に上野に着いたので、東京文化会館近くの時計塔のある広場で本を読むことにしました 先日「序章」だけ読んだ高橋英夫著「疾走するモーツアルト」です。かなり夢中になって読んでいて、そろそろ時間かと時計を見ると、9時40分です??「えっ、まさか」と思ってよく時計を見ると秒針が止まっているではありませんか 慌ててケータイで時間を見ると何と11時5分です。遅刻です 文化会館小ホールの受付に着くと、係員から「ただいま2曲目に入ったところです。しばらくお待ちください」と告げられました リヒャルト・シュトラウスの記念すべき作品1番の「仕立て屋のポルカ」を聴き損ないました 2曲目のノクターンは仕方ないとして。私の時計はSEIKOですが、いざとなった時に止まってしまうって、本当に精巧か?ほっ時計という訳にはいかないのです。太陽電池なので今日一日、日光浴させないと、また止まってしまいます。世話が焼ける時計です

さて、入口で自席の位置を確かめておき、係員の「どうぞお入りください」の合図とともにF27番を目指しました こういう時は通路側席が断然有利です。すぐに見つけて何事もなかったかのように座りました

幸い3曲目のホルン協奏曲第1番から聴くことができました この作品はホルン奏者だった父フランツの60歳を記念して1882~83年(18歳頃)に書かれた曲です。プログラムには、ホルン=松崎裕とありましたが、写真を見ると違う奏者のようです。遅刻しなければ何らかのアナウンスを聞けたかも知れません。ピアノは三輪郁。若く伸び伸びとした明るい曲想に合った素晴らしい演奏でした

次のオーボエ協奏曲は一転して81歳の晩年(1945年)に書かれた作品です 演奏はオーボエ=都響首席の広田智之、ピアノ=三輪郁です。3楽章から成りますが、切れ目なく演奏されます。曲の冒頭から相当のテクニックを要する曲で、オーボエの特性をよく生かした曲想になっています オーボエ協奏曲と言えば、モーツアルトのそれが名曲として知られていますが、R.シュトラウスのそれはモーツアルトに次ぐ名曲と言っても良いでしょう。広田智之の演奏は自由自在、様々な音色を吹き分けます 会場一杯の拍手にR.シュトラウスの「万霊節」をアンコールに演奏しましたが、実にしみじみと良い演奏でした

 

          

          

この音楽祭の分厚いプログラムの解説によると、ミュンヘン宮廷歌劇場管弦楽団の首席ホルン奏者だった父フランツは、息子が同時代の「現代音楽」、すなわちリストやワーグナーの音楽に接するのを好まず、モーツアルトやベートーヴェンなどの古典を手本にして学ぶことを強いたといいます R.シュトラウスの音楽を聴く限り、これは正解だったと言えましょう。素晴らしい父親ですね    

この2曲はペーター・ダム(ホルン)、マンフレッド・クレメント(オーボエ)のソロ、ルドルフ・ケンペ指揮スターツカペレ・ドレスデンの演奏で予習しておきました R.シュトラウス+スターツカペレ・ドレスデンといえば、初めてこのオーケストラを聴きに行った時、場内アナウンスで、「次は”ヨハン・シュトラウス”の『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』です」と流れた時はぶっ飛びました。もちろん、時差を設けて訂正のアナウンスが入りましたが

 

          

 

次の第Ⅲ部の開始時間3時までかなり時間があるので、昼食をとって、不忍池を中心に散策しました。寒桜が満開でした

 

          

 

池ではカモメとカモがエサの取り合いに興じていました カモがカモメに言いました。

「来たか、カモめ!」・・・・それって、おかしくね?

         

          

 

骨董品市をやっていました。こういう仏像のミニチュアは、いったいどこから調達してくるんだろうか・・・

 

                    

 

上野大仏は受験のときの合格祈願で有名です。まだ決まっていない学生さん、受付中ですよ それにしても顔だけですね。胴は胴したんでしょうか

 

          

 

女子学生が寒桜茶会を開いていました。茶釜のとなりのポットに何とも言えない風流を感じます 「お茶いかがですか?」 「ありがとう。でも、おちゃけの方がいいんだけど」 「お酒はありません!」 「茶化してごめんなさい。せっかくだからお菓子だけいただきます」 「お菓子な人!」 「あ茶~」

 

          

 

  閑話休題  

 

第Ⅲ部「時代の寵児となった、若き天才音楽家~交響詩、歌曲、室内楽の名曲を集めて」は午後3時からの開演です プログラムは①「セレナード作品7」、②「チェロ・ソナタ ヘ長調作品6」より第3楽章、③「もう一人のティル・オイレンシュピーゲル」(ハーゼンエール偏)、④万霊節、⑤ツェチーリエ、⑥愛の神、⑦ダリア、⑧献呈、⑨冬の夜、⑩なんと不幸な男だろう、⑪たそがれの夢です。自席はC-22番、センターブロック左通路側です

最初の「セレナード」は18歳の時の作品です。本来器楽で演奏される曲ですが、この日はピアノ編曲版により津田裕也が演奏しました。ロマンに満ちた曲です

2曲目の「チェロ・ソナタ」~第3楽章はチェロ=奥泉貴圭、ピアノ=津田裕也により演奏されました。チェロが実にいい音を出していました

3曲目の「もうひとりのティル・オイレンシュピーゲル」は、交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」をハーゼンエールという人がヴァイオリン、コントラバス、クラリネット、ファゴット、ホルンの楽器編成による小品に仕立てて1957年に出版した曲です ヴァイオリン=成田達輝、コントラバス=池松宏、クラリネット=西川智也、ファゴット=長哲也、ホルン=日橋辰朗の5人の奏者によって演奏されます 成田の主導で軽妙洒脱な演奏が展開されますが、それぞれの楽器が良く生かされていて素晴らしいアレンジの曲だと思いました

ところで、プログラムの楽器表示の一部に誤りがあります。コントラバスの省略形としてCbと表記していますが、正しくはKbです。ドイツ語でKontrabass です。あとは、ヴァイオリンがVn、ヴィオラがVa、チェロがVcということで大丈夫でしょうか

さて、次の曲からは歌曲に入ります。まずソプラノの安井陽子がエンジ色のドレスで登場 「万霊節」「ツェチーリエ」「愛の神」の3曲を安井耕一のピアノ伴奏で歌います。「万霊節」は、さきほどのオーボエでの演奏とは違った魅力がありました

次いでメゾ・ソプラノの加納悦子が淡いグリーンのドレスで登場 「ダリア」「献呈」「冬の夜」「なんと不幸な男だろう」「たそがれの夢」を安井耕一の伴奏で歌います。4曲目の「なんと不幸な男だろう」は面白い曲です。最後は「ああ なんと不幸なこの俺 金も富も もっちゃいねえ」という詩です。加納は不貞腐れ気味に歌い、笑いを誘っていました

一連の歌を聴いていて、R.シュトラウスの音楽の根底にあるのは”歌心”ではないか、と思いました なお、「万霊節」「ツェチーリエ」「献呈」は、キリテ・カナワのソプラノ、ショルティ指揮ウィーン・フィルのCDで予習しておきました

 

          

 

この後、第Ⅳ部が午後5時から開演となりますが、その模様は明日のブログに譲ります

 

          

 

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