31日(水)。昨日は 2月2日に死去した義母の納骨式に参列するため麻布山Z寺(浄土真宗本願寺派)に行ってきました 納骨式といっても身内だけのものなので参列者は5人だけです。福沢諭吉翁の墓があるというので参拝してきました 最初に礼拝所で僧侶にお経をあげてもらったのですが、僧侶というのが若い女性で、長い髪を後ろで束ねているのです おもむろに浄土真宗流のお経が始まりましたが、とても声が美しくてよく通り、まるでソプラノ歌手の歌を聴いているようでした 長い間人生をやっていますがこういうのは初めてです 次いで、納骨のため移動したのですが、義母の墓は屋外ではなく屋内の畳敷きのスペースにあり、「〇〇家」という納骨壇が横並びに連なっています 義母の骨壺を壇の中に収め、壇の前で改めてお焼香をしました。こういうスタイルも初めてです 5つぐらい隣の壇に「岩城家」とありましたが、側聞によると、指揮者の岩城宏之氏の墓(壇)とのことでした 納骨式の後は品川の義父の家で食事を取り、息子と東京駅まで行き、息子は上越新幹線で新潟経由・鶴岡方面へ、私は巣鴨に戻りました 息子は翌日(今日)から仕事です 私はいささか疲れたので、夕食作りはお休みしました
ということで、わが家に来てから今日で2272日目を迎え、カジノを含む統合型リゾート事業への進出を目指す中国企業側から収賄を受け取ったとして、収賄罪に問われた衆院議員の秋元司被告の初公判が29日、東京地裁であり、秋元議員は証人買収罪も含め、「起訴されたすべての事件で無罪だ」と主張した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
贈賄側の8人が罪を認めているのに 一人で反論している 議員報酬いつまでもらう
百田尚樹著「フォルトゥナの瞳」(新潮文庫)を読み終わりました この本は、当ブログの読者ママハハさんから「ダブって買ってしまったので」として頂いたものです
著者の百田尚樹は1956年大阪市生まれ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」等の番組構成を手掛ける。2006年「永遠の0」で作家デビュー 「海賊を呼ばれた男」で第10回本屋大賞を受賞しています
幼少時に家族を火事で失い孤独の身となった本山慎一郎は、友人も恋人もなく、自動車塗装工として黙々と働くだけの毎日を送っていた ある日、電車に乗っている時、人の手が透けて見えることに気づき、その後も同じようなことが起こるようになる その後、身体の一部が透けて見える人たちの共通点は 近いうちに死ぬ運命にあるということが分かる 慎一郎は「他人の死の運命を視ることができる能力」を手に入れたのだった そこから彼の生活が一変する 自分と同じ能力を持つ医師・黒川との出会いによって、彼は自分の力で死ぬべき運命の人が救われることを自覚すると同時に そのたびに自分の命が縮まることを理解する その後、携帯電話ショップで知り合った女性・桐生葵と愛し合うようになった慎一郎は、以前よりも増して「死が迫っている人を救いたい」と思うようになる ある日、身体の一部が透けて見える多くの人たちが同じ時間に同じ電車に乗ることが分かった慎一郎は、その電車を止めれば大事故から多くの人の命を救うことが出来ると確信し、自ら線路に横たわる 彼の行為は周囲からは異常な行動と思われたが、結果的に多くの命が救われることになった しかし、そのために彼は大きな犠牲を払うことになった ただ一人、その真相を知る者がいた
「フォルトゥナ」というのは、文中の登場人物の解説によると、「ローマ神話に出てくる球に乗った運命の女神で、人間の運命が見える」というものです
読んでいて面白いと思ったのは、慎一郎と同じ能力を持つ医師・黒川が語る「カオス理論」です 「北京で羽ばたいた蝶々がニューヨークで嵐を起こす」というもので、一見、何の関係もないように思われる行動が、とんでもないところに影響を及ぼしているという理論です 黒川は自身の経験から、「特殊な能力を使ってAを助けたことによって、AがBを殺したとすれば、Aを助けない方が良かったことになる Aを助けなければBは死なずにすんでいた。したがって、人の運命は勝手に変えてはならない」と主張します。この理論は「人の運命はあらかじめ決まっている」という理論に結び付いています
この作品も、他の作家と同じように、最後に「どんでん返し」的な仕掛けが施されていますが、実をいうと、211ページあたりで「ひょっとしたら、この物語は最終的にはこうなるんじゃないか」と、結末が予想できました そういう意味では、同じ「どんでん返し」でも、まったく予想が出来ない中山七里とはちょっと違うかな、と思いました
とは言え、「人の運命はどこまで決まっているのか」ということを考えさせられる意味では読み応えのある作品でした