人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ヤデル・ビニャミー二 ✕ アジア・ユース・オーケストラでレスピーギ「ローマの松」、ムソルグスキー「展覧会の絵」他を聴く

2024年08月31日 00時51分05秒 | 日記

31日(土)。月末を迎えたので、恒例により8月の3つの目標の実績をご報告します  ①クラシックコンサート=15回(今夕の公演を含む)、②映画鑑賞=1本、③読書=12冊でした ①については、腰痛のため17日の下野竜也 ✕ 新日本フィルのコンサートをパスしました  ②は1日のオペラ映画「ばらの騎士」をパスしたのをはじめ、全体として腰痛悪化回避のため映画館通いを控えた結果です  その反動で③が比較的多くなりました

ということで、わが家に来てから今日で3518日目を迎え、ロシア大統領府は29日、プーチン大統領が9月3日にモンゴルを訪問すると発表したが、モンゴルは国際刑事裁判所(ICC)の加盟国で、昨年3月にICCがプーチン氏への逮捕状を発行して以降、ICC加盟国を訪問するのは初めてで、加盟国が負う逮捕の義務をモンゴルがどう判断するのかが焦点となる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     モンゴルは国際的評価を高める最高のチャンス 朝青龍に逮捕させて牢屋にぶち込め

         

昨日、夕食に「ピーマンの肉詰め」「生野菜とアボカドのサラダ」「豚汁」を作りました ピーマンは大きさがまちまちですが、義弟の実家・福島の自家製です 一見焦げているように見えますが、しっかり焦げています でも、チーズを入れて焼いたのでとても美味しかったです

     

         

昨夜、東京オペラシティコンサートホールで「 アジア・ユース・オーケストラ 東京公演 2024」聴きました コンサートを聴くのは21日(水)の読響「三大協奏曲」以来9日ぶりです 腰痛は完治したわけではありませんが(朝起きる時に痛みがある)、一旦起き上がるとほとんど痛みを感じないので、台風が接近する中 思い切って出かけました

プログラムは①ガーシュイン(ベネット編):歌劇「ポーギーとべス」交響的絵画、②レスピーギ:交響詩「ローマの松」、③バーンスタイン「ウエスト・サイド・ストーリー」より「シンフォニック・ダンス」、④ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」です 指揮はヤデル・ビニャミー二です

アジア・ユース・オーケストラ(AYO)は中国、香港、台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの11か国・地域での厳しいオーディションを通過した17歳から29歳までの103名の若者たちから構成され、天津と香港での3週間のリハーサル・キャンプに続き、国際的に活躍する著名な指揮者やソリストとの3週間のツアーを行い、毎夏約6週間の活動を展開しています

ヤデル・ビニャミー二はイタリアのクレーマ出身。ピアチェンツァ音楽院で学ぶ。2020ー2021年シーズンからデトロイト交響楽団の第18代音楽監督を務める 今年6月の新日本フィル「クラシックへの扉」公演で小曽根真を迎えてガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」他を指揮したのが記憶に新しいところです

     

自席は1階27列12番、センターブロック左から2つ目です 客層がいつもと違い若い人が目立ちます。演奏者が若ければ聴衆も若い とても健全で良いことだと思います

オケは16型で左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという並び ステージ下手にハープ2台とピアノがスタンバイします。コンマスは女性です。100人を超える奏者がステージ狭しと陣取る風景は壮観です

1曲目はガーシュイン(R.ベネット編):歌劇「ポーギーとべス」交響的絵画です このオペラはジョージ・ガーシュイン(1898-1937)が1935年に作曲、ボストンで初演されたました 後にR.ベネットが管弦楽組曲に編曲しました

ビニャミー二の指揮で演奏に入りますが、100人の出す巨大な音の塊がストレートに押し寄せてきます ステージ後方の壁が天井まで届いているので音が前面に出てくるホールの音響特性もあると思いますが、若者の熱いエネルギーを感じます 「サマータイム」を演奏したクラリネットの女性が素晴らしい プログラム冊子に掲載の顔写真入りメンバー紹介を見ると日本人です。全般的に力強くも抒情的な演奏でした

2曲目はレスピーギ:交響詩「ローマの松」です この曲はオットリーノ・レスピーギ(1879-1936)が1924年に作曲、同年ローマで初演されました 第1曲「ボルゲーゼ荘の松」、第2曲「カタコンベ付近の松」、第3曲「ジャ二コロの松」、第4曲「アッピア街道の松」の4曲から成ります

この曲で素晴らしかったのは、第3曲「ジャ二コロの松」におけるクラリネット・ソロです 冒頭のピアノも良かった 第4曲「アッピア街道の松」は2階正面、3階左右バルコニーに配置されたバンダ(金管の別働隊)との相乗効果によって、輝かしい演奏が繰り広げられました

     

プログラム後半の1曲目はバーンスタイン「ウエスト・サイド・ストーリー」より「シンフォニック・ダンス」です このミュージカルはレナード・バーンスタイン(1918-1990)が1957年に作曲、同年ワシントンで初演されました 「プロローグ」「どこか」「スケルツォ」「マンボ」「チャチャ」「出会いの場面」「クールなフーガ」「ランブル」「フィナーレ」から成ります

この曲はノリノリの演奏が続きました サックスが巧い 「マンボ」では打楽器が大活躍し、ビニャミー二は客席に振り返って「マンボ!」の掛け声を求めます 聴衆もノリノリです 全体的に金管楽器を中心に輝かしくゴージャスな演奏が展開しました

最後の曲はムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」です この曲はモデスト・ムソルグスキー(1839-1881)が1874年に作曲しました 後にモーリス・ラヴェルが管弦楽用に編曲しました 「プロムナード」「小人」「古城」「テュイルリー」「ヴィドロ(牛車)」「卵の殻を付けた雛鳥の踊り」「ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイル」「リモージュの市場」「カタコンブ」「鶏の足の上に立つ小屋」「キエフの大門」から成ります

冒頭のトランペットによる「プロムナード」が素晴らしかった 全体的に各セクションの瞬発力が素晴らしく、指揮者の意図に瞬時に反応していました オーケストラ総力を挙げての色彩感溢れる演奏が繰り広げられ、最後の「キエフの大門」では音の頂点を極め、圧倒的なフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーの中、ビニャミー二 ✕ AYOは、アンコールにポンキエッリ「時の踊り」をノリノリで演奏しました ビニャミー二はただ頭を上下左右に動かすだけで指揮をする仕草を見せません 頭を使って指揮をするとはこういうことか、と納得しました 鳴りやまない拍手にバーンスタイン「ウエスト・サイド・ストーリー」から「マンボ」を、聴衆を巻き込んで演奏、ヤンヤヤンヤの大喝采を浴びました

最後に、恒例により主催者の代表者が登場し、国別に演奏者を紹介しました 中国24人、台湾22人・・・日本からは15人とアナウンスするごとに、大きな拍手が送られました コンマスの女性は韓国人であることが判明しました 国別に紹介されるたびに2階席から若者たちの「ヒューヒュー」という声がこだましました

AYOのコンサートは毎年聴いていますが、プロには無い純粋な音楽をする喜びに溢れています 103人の若者たちが、いつか近い将来、それぞれの国のオーケストラで、あるいはソリストとして活躍することを祈っています

     

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矢部太郎著「大家さんと僕 これから」を読む ~ 大家のおばあちゃんと2階に住むカラテカの矢部くんの微笑ましい交流を描いた漫画 / イスラエル、国連WFPの車両を銃撃

2024年08月30日 00時13分27秒 | 日記

30日(金)。わが家に来てから今日で3517日目を迎え、米共和党政権の元高官ら約240人が、11月の大統領選の共和党候補・トランプ前大統領について「プーチンのような独裁者にこびへつらう一方、同盟国に背を向けることは許されない。トランプの混乱したリーダーシップがあと4年も続けば、現実の生活が傷つき、神聖な制度が弱体化する」と断定し、民主党のハリス副大統領を支持する内容の書簡を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     共和党でまともな神経の持ち主は元高官しかいないのか? トランプ党そのものだな

         

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」を作りました 通常は隔週金曜日に作っていますが、コンサートの関係で1日繰り上げました。今回も外カリカリ内ジューシーに揚がり美味しく出来ました

     

         

昨日の朝日夕刊に「ガザ  国連車両に銃撃  ~   WFP、イスラエルを非難」という見出しの記事が載っていました    記事を超略すると次の通りです

「国連世界食糧計画(WFP)は28日、パレスチナ自治区ガザで人道支援活動をしていた車両がイスラエル軍から銃撃されたと発表した   防弾仕様の車両に乗車していたスタッフにけがはなかったが、WFPはガザでの移動を停止した。すでに停滞している人道支援に影響が出るのは必至だ 少なくとも10発撃たれたが、車両には大きく「UN(国連)」という文字が入っており、イスラエル側から何度も接近の許可を得ていたという WFPのマケイン事務局長は声明で『このような事態は容認することはできない。ガザにいるWFPのチームの命を危険にさらす一連の不必要な事件だ』と非難。人道支援活動に携わる人の安全確保を、戦闘の全ての当事者に訴えた

私は 毎月わずかながらWFPに銀行引き落としの形で寄付をしていることもあって、このニュースを読んで怒りを禁じ得ませんでした 「UN」と表示された車両を銃撃する行為は、世界を相手に戦いを仕掛ける行為にほかなりません こんなことが許されて良いわけがない イスラエルのやっていることは、多くのユダヤ人を虐殺したヒトラーの「ナチス・ドイツ」や ウクライナを一方的に侵略する「プーチン・ロシア」と同じ野蛮な行為だ ナタニヤフは、クーラーの効いた安全な場所からガザ地区に攻撃を仕掛ける命令を下しているだけで、現地でどれほど無実の人々が殺されているかなど考えたこともないだろう 現地に行って自分の目で悲惨な状況を確かめてみろ 自分の家族が同じような目に遭ったらどう思うか 想像してみろ このアホダラチンが

     

     

         

矢部太郎著「大家さんと僕 これから」(新潮文庫)を読み終わりました 矢部太郎は1977年東京生まれ。芸人・漫画家。1997年に「カラテカ」を結成、芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している 2018年に初めて描いた漫画「大家さんと僕」で手塚治虫文化賞短編賞を受賞 著書に「大家さんと僕」「『大家さんと僕』と僕」、「ぼくのお父さん」などがある

本書を購入したのは、前作「大家さんと僕」が面白かったことが一番の理由ですが、ブログに感想を書いて X にもアップしたところ、著者の矢部太郎さんから「いいね」をいただいたのがトドメになりました

     

大家さんは東京生まれ東京育ちで、挨拶は「ごきげんよう」、好きなものは新宿伊勢丹とNHKと羽生結弦くんというおばあちゃんです 「僕=矢部」は新宿区の外れにある大家さんの木造一軒家の2階に間借りして8年以上が立つ独身お笑い芸人です

前作同様、ほのぼのした笑いに満ちたエピソード満載の漫画です 大家さんはよくお裾分けを持ってきてくれますが、鮎をいただくのはいいが、網焼き器がないと言うと、焼き器ごと差し入れしてくれたり、肉まんを蒸し器ごと持ってきてくれたりと、過剰なほどの心配りを見せます そんな大家さんの親切に、矢部さんもたまにプレゼントを持っていくことがありますが、「この前のカップ使ってくれていますか?」と聞くと、「もったいなくて使えないわ。とっても素敵で飾らせてもらっています」と言います。室内の一画をみると、矢部さんがあげた品々が顔写真と共に飾られていて、祭壇のようで「亡くなってるっぽい」と焦ります

矢部さんがいかに大家さんを大事に思っているかというエピソードは大みそかの過ごし方にあります 大みそかと言えばお笑い芸人にとっては1年で一番の書き入れ時です それを「売れる気あんの?」と相方に批判されながらも、仕事を入れず、大家さんと2人で年末年始を過ごすために休暇を取るのです 2人ですこし早めのおせちを食べながら紅白歌合戦を観るのです 矢部さんて、なんて優しいんでしょう 大家さんは幸せを感じているはずです

大家さんが足をケガして入院したので見舞いに行ったとき、看護師さんから「ご親戚の方ですか?」と訊かれ、言い淀んでいると、大家さんが「そうよ。血のつながらない親族」と答えます 矢部さんは「あ、ちょっとお手洗いに・・・」と言い残して部屋の外に出ます。次の一コマは矢部さんが病室の外で、壁に向かって佇んでいます 矢部さんは背中を見せているので顔の表情が分かりませんが、きっと、大家さんが自分のことを「血のつながらない親族」と言ってくれたことが余程嬉しかったのだと思います 矢部さんの涙が見えるようです

矢部さんが「また一緒に食事に行きましょう」と誘うと、大家さんは「今は入院してるから行けないわ」と言います 矢部さんは「それじゃ、食べたいものを買ってきてあげますよ」と提案します。すると大家さんは「そんな、悪いわ・・・」と言いながらも、「伊勢丹地下の志乃多寿司の太巻き」と指定します 矢部さんはさっそく新宿伊勢丹の地下に行って買い物をします すると大家さんから電話がかかってきて、「あと海老の揚げたもの」・・・「あと、昆布の佃煮とソフトサーモンと・・・その並びを柿山の方に・・・2軒となりに・・」と次々と商品とお店を指定してきます 矢部さんは、大家さんの頭の中に「VR伊勢丹」が完璧に出来ていることにビックリします

ある日、大家さんの親戚の方から電話があり、「入院中の回復が思わしくなく、もう自宅に戻ることが難しい。取り壊して、そのお金でどこか施設に入れたい、ついては退去してほしい」と言われます それを聞いた矢部さんは、大家さんを見舞った時、「あの家を僕に買わせてもらえませんか?  大家さんがいつでも戻って来られるように」と提案し、所持金以上の金額を示します しかし、大家さんから「矢部さん、全然足りないわ。それに、もう決めてしまったから」と言われてしまいます 矢部さんは、大家さんが自分で自分の人生を決めたこと、それに比べて”全然足りない”金額を提示した自分を恥ずかしいと思いました でも、大家さんは矢部さんの提案をとても嬉しく感じただろうと思います お金の多寡の問題ではありません

大家さんは亡くなりましたが、大家さんにとっては矢部さんあっての楽しい人生だったでしょうし、矢部さんにとって大家さんあっての充実した人生だっただろうと思います

本書の最後の一コマは、大家さんが、大好きな羽生結弦くんと手を繋いで4回転を決めているシーンです 亡くなった大家さんは元気そうです いつまでも矢部さんのことを見守っていることでしょう

本日、toraブログのトータル訪問者数が295万IPを超えました(2,950,957 I P。トータル閲覧数は9,024,507 P V)。これもひとえに普段からご訪問くださっているフォロワーの皆さまのお陰と感謝しております これからも毎日休まずド根性で書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

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まんが超訳「論語と算盤」(原作:渋沢栄一)を読む ~ 逆境の会社員が”現代の渋沢栄一”に「論語と算盤」を学んだらどうなるか?という問いから企画された書

2024年08月29日 00時36分29秒 | 日記

29日(木)。わが家に来てから今日で3516日目を迎え、靖国神社の石柱に落書きしたとして、警視庁公安部から指名手配された中国籍の男について、中国の公安当局は中国国内の恐喝事件で拘束したと発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     反日思想犯だと思ったら ただの恐喝犯じゃないの!どこの国にもいるノータリンだ

         

昨日、夕食に「茄子と油揚げの煮物」「オクラの豚肉ロール焼き」「生野菜とアボカドのサラダ」「シメジの味噌汁」を作りました 料理2品は初挑戦ですが、美味しく出来ました

     

         

「まんが超訳  論語と算盤(原作:渋沢栄一)」(光文社文庫)を読み終わりました 本書は1916年に刊行された渋沢栄一著「論語と算盤」を漫画化し2020年1月に光文社から刊行、2024年1月に文庫化したものです 監修=守屋淳、解説=澁澤健(渋沢栄一の玄孫)、シナリオ=山本時嗣、漫画構成=今谷鉄桂、作画=新津カタヒトです

渋沢栄一(1840-1931)は「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業の創立・発展に貢献した実業家 経済団体を組織し、商業学校を創設するなど、実業界の社会的地位の向上に努めた 同時に、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力した 2024年7月発行の新1万円札の”顔”に選ばれたことから大きな話題を呼んだ

     

本書のシナリオを書いた山本時嗣が巻頭の「まんが 超訳『論語と算盤』によせて」の中で「逆境の会社員が、”現代の渋沢栄一”に『論語と算盤』を学んだらどうなるか?」という問いから企画した」と書いています ”現代の渋沢栄一”とは、上場企業をはじめ100社以上の大株主となって”日本一の個人投資家”として名を馳せた故・竹田和平のことです その投資スタイルは、短期売買で利益を稼ぐのではなく、日本の未来を担うであろう企業の株を長期に持ち続け、応援していくというものです 渋沢栄一が多くの企業の創立・発展に貢献したように、渋沢を尊敬する竹田和平は、多くの優良企業を資金面で支えていったことから、”渋沢哲学”の語り手として選んだのだと思われます

本書は次の各章から構成されています

プロローグ「出会い」

第1章「僕の『領分』って何だろう?:処世と信条」

第2章「大きな志と小さな志:立志と学問」

第3章「『智・情・意』3つのバランス:常識と習慣」

第4章「できることをコツコツと:仁義と富貴」

第5章「『ワクワクすること』の強さ:理想と迷信」

第6章「『行動』を通して自分を磨く:人格と修養」

第7章「私利私欲より社会の利益:算盤と権利」

第8章「『武士道』で『信用』を得る:実業と士道」

第9章「不安な時期にこそすべきこと:教育と情誼」

第10章「人事を尽くして天命を待つ:成敗と運命」

エピローグ「成功とは結局・・・」

解説「今、なぜ渋沢栄一なのか?」

渋沢栄一と竹田和平

プロローグからエピローグまでは、「月刊経文」編集者の鈴木孝が日本一の個人投資家・吉田和平と出会い、彼を通して渋沢栄一の経営哲学を学んでいき、人間として成長する過程が漫画で描かれています

解説「今、なぜ渋沢栄一なのか?」は、「月刊経文」編集長に昇格した鈴木が渋沢栄一の玄孫・澁澤健にインタビューするという設定になっています 鈴木の「渋沢栄一の”道徳経済合一説”は現代風に言うとどういう意味なのでしょうか?」という質問に、澁澤健は次のように語っています

「『サステナビリティ―』です これは目先の利益を追う資本主義に欠けているものですよね サステナビリティーのためには『論語と算盤』にあるように、算盤勘定は不可欠だけれども、算盤だけを見つめているとつまづいてしまうかもしれない 一方、世の中が著しく変化する中、道徳のご高説だけでもサステナビリティーに欠ける と栄一は説いていると思います   経済と道徳は、たとえるならば未来へ前進するための車の両輪のような存在です。どちらかが欠けても前にうまく進めなくなってしまいます

『サステナビリティ―』とは、自然環境や社会、健康、経済などが将来にわたって、現在の価値を失うことなく続くことを目指す考え方で、「持続可能性」と訳されています 「論語と算盤」は、まさに経済面での持続可能性を探った書と言えると思います

本書は漫画で描かれているので、私のようなアホでもすんなりと読むことが出来ました お薦めします

     

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ソン・ウォンピョン著「アーモンド」を読む ~ 偏桃体が小さく 感情が分からない16歳の少年ユンジュと激しい感情の持ち主の不良少年ゴニの成長物語 / バーチャル・ピアニスト

2024年08月28日 00時07分31秒 | 日記

28日(水)。26日付の日経夕刊に編集委員の瀬崎久真子さんが「技術で広げる音楽の可能性 アニメ ✕ 人、クラシックに『バーチャルアーティスト』」という見出しのもと、8月12日に開かれたフェスタサマーミューザKAWASAKI参加公演「東京交響楽団フィナーレ・コンサート」の模様を書いていました バーチャル・ピアニストの潤音ノクトが原田慶太楼指揮東京交響楽団とガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」を共演した公演です 当日の実演の模様と感想は8月13日付toraブログに写真入りで書きましたので、興味のある方はご覧ください

ブログには書かなかったことで気になる点があったので、ここで書いておきたいと思います

このプロジェクトはドワンゴと、親会社のKADOKAWAが絡んでいることから、当日の模様は「ニコニコ生放送」で中継していたのですが、ステージ下手にテレビカメラが設置されていて、忙しなく上下に動いていました これは演奏を聴く側からは目障りで、はっきり言って邪魔でした 次回も同様の形式で演奏する場合は改善すべきだと思います

ということで、わが家に来てから今日で3515日目を迎え、防衛省によると、中国軍のY9情報収集機は26日午前11時29分頃から約2分間、長崎県五島市の男女群島沖合の日本領空に侵入した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     領海の次は領空の侵犯かよ 覇権主義国・中国の国家拡張志向は 際限なく続くよな

         

昨日、夕食に「白身魚のバジルソテー」「生野菜サラダ」を作り、「十八穀米」と「鮭の刺身」と一緒に食べました 娘が外食だったので一人分作りましたが、美味しかったです

     

         

ソン・ウォンピョン著「アーモンド」(祥伝社文庫)を読み終わりました ソン・ウォンピョンは1979年ソウル生まれ。西江大学校で社会学と哲学を学ぶ。韓国映画アカデミー映画科で映画演出を専攻。2001年「シネ21」映画評論家賞受賞 初の長編小説「アーモンド」でチャンピ青少年文学賞を受賞し、2017年文壇デビュー 「三十の反撃」「プリズム」「TUBE」など著書多数

本書は2019年7月に祥伝社から刊行された作品に、2024年の文庫化にあたり加筆修正を加えたものです

     

「アーモンド」は、人よりも脳の一部である偏桃体(アーモンド)が先天的に小さく、喜びや悲しみ、愛や恐怖や怒りという感情の起伏がほとんど感じられない16歳の少年ソン・ユンジュの姿を通して、「心」とは何か、「感情」とはどんなものかを探る小説です

ソン・ユンジュは病院で「失感情症(アレキシサイミア)」と診断され、15歳の時に祖母やシングルマザーの母が目の前で通り魔に襲撃されても、泣きも嘆きもせずただ傍観していたのだった そんな彼の前に、物心もつかないうちに両親とはぐれ不良少年となったゴニが現れ、不思議な交流が始まる ユンジュは感情の起伏がないことから「怪物」と呼ばれ、ゴニは反対に激しい感情の持ち主で手が付けられないことから「怪物」と呼ばれ、ともにクラスの仲間からも社会からも浮いた存在となっていた そんな彼らが、様々な出来事を経験する中で、失ったものを取り戻しながら成長していく過程が、ユンジュの視点で淡々と描かれていきます

ユンジュは人間の感情が分からないがゆえに、激しい感情の持ち主ゴニの”心”を理解しようとします 一方のゴニは”共感”の意味や”愛”とは何かをユンジュに気づかせます

本書を読んで思い出したのは、ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローで ホワイトで、ちょっとブルー」に出てきた『シンパシー』と『エンパシー』という言葉です ごく簡単に言えば、『シンパシー』は「共感。誰かをかわいそうだと思う感情。同じような意見を持っている人々の間の友情や理解」などを表し、一方『エンパシー』は「他人の感情や経験などを理解する能力」です 「アーモンド」は、ユンジュがゴニとの交流を通じて「シンパシー」と「エンパシー」を学んでいく成長物語と言えるかもしれません

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稲垣えみ子著「魂の退社 会社を辞めるということ」を読む ~ 朝日新聞社を50歳で退社した夫なし子なしのアフロヘア編集委員の覚悟と生活

2024年08月27日 00時03分15秒 | 日記

27日(火)。昨日午前、整骨院から家に帰る途中、日陰を歩いていたら トンボがすぐ前を横切りました その瞬間 涼しい風が通り抜けていったので、もう秋はすぐそこまで来ているのか と感慨に耽りました しかし その後、日向に出たら途端に暑くなり、「まだ残暑があるじゃないのよ だれだよ、もう秋はすぐそこまできているのか  なんて風流ぶってるのは」と自分にツッコミを入れました また台風が来るというし、東京はまだまだ暑い日は続きそうです

ということで、わが家に来てから今日で3514日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央通信は26日、金正恩総書記が24日に自爆型無人機(ドローン)の性能試験を視察し、「1日も早く人民軍部隊に装備しなければならない」と強調した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     そのドローンを金正恩の大邸宅で自爆させたら 北朝鮮国民も世界の人々も喜ぶだろ

         

昨日、夕食に「キーマカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました キーマカレーは初挑戦ですが、素揚げした野菜を乗せて食べたら美味しかったです

     

         

稲垣えみ子著「魂の退社 会社を辞めるということ」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 稲垣えみ子は1965年 愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社で大阪版デスク、高松総局デスクを経て論説委員、編集委員を務め、2016年に自主退社 夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしの生活を送る 「もうレシピ本はいらない」「アフロえみ子の四季の食卓」ほか著書多数

     

本書は2016年6月に東洋経済新報社から刊行され、2024年5月に幻冬舎文庫として刊行されたものです

本書は次のように構成されています

〇「アフロにしたことと会社を辞めたことは関係ありますか」

プロローグ「会社を辞めるということ」

その1「それは安易な発言から始まった」

その2「『飛ばされる』という財産」

その3「『真っ白な灰』になったら卒業」

その4「日本ってば『会社社会』だった!」

その5「ブラック社員が作るニッポン」

その6「そして今」

エピローグ「無職とモテについて考察する」

稲垣えみ子さんが編集委員時代に朝日新聞に書いた論考を何度か読んだことがあります 顔写真付きで掲載されていて、アフロヘア姿を見た時「この人、お堅い朝日の社内で浮いているんじゃないか? 大丈夫か?」と思った記憶があります 朝日新聞社は稲垣さんが受験した十数年前に受けて あっけなく落とされた新聞社の一つです そんなこともあって、どういう理由・経緯で退職したのか興味を持ちました

彼女がアフロヘアにしたのは、大阪府警のサツ回りをしていた時に開かれた懇親会のカラオケで、アフロのカツラを被って歌ったところ「似合う似合う」と爆笑が巻き起こったことがきっかけだったと書いています その数年後に「変化が欲しい」と思った時に「そうだ、アフロ、しよう」と決心したとのこと アフロは意外にもモテたそうです

彼女は教育ママのもと、中学、高校、大学と順調に受験競争を勝ち抜いて、”給料が高く 社会的ステータスも高い”朝日新聞社に就職します そして38歳の時、大阪本社の地域版デスクから香川県の高松総局デスクへの”左遷”を経験し、「人生の折り返し地点の手前」にいることを認識します 「自分は飛ばされたのではないか 能力がないと見做されたのではないか」と悩みます。しかし、彼女は高松で「お金を使わなくても楽しく充実した生活が出来る」ことを発見し、それまでの放漫生活の見直しを図ります そんな”意識改革”のもと、「出世競争や『もっと給料が欲しい』という欲望から自由になりたいと思うようになり、50歳でついに退社を決断します

会社を辞めるにあたり、様々な手続きをする過程で、いかに自分は会社という組織に頼ってきたか、日本という国がいかに「会社社会」であるかを思い知らされます 健康保険、国民年金、失業保険の手続き、さらには退職金から多額の税金が引かれること・・・初めて経験することばかりです 年金受給者の皆さんはもう経験済みですね

さらに退職して一番驚いたのは、会社の社宅を出て新たに借家を探したが「50歳、独身、無職」の女性には保証人問題でハードルが高いということです 最終的に保証会社の保証が受けられると知り安堵します また、クレジットカードを作ろうとすると、無職の者は簡単にカードは作れないことが分かります 結論を言えば「カードを作るのなら、会社を辞める前に作っておくべき」ということを知ります スマホやパソコンはこれまでは会社支給のものを使用していたが、退職してからは自分で購入しなければならない しかし、何を購入すれば良いのか分からない。スマホ販売店に行って説明を受けるが、さっぱり理解できないまま高額の契約をしてしまう・・・これも経験済みの方は多いと思います

巻末に59歳となった稲垣さんが「文庫版のためのあとがき」を書いています

「あの時50歳で会社を辞める決断をして、本当に、本当によかった・・・・と、心から思わずにはいられない 何しろ今、私は最高に元気である 今の私は幸せを感じるのに富もステイタスも必要としていない。最低限の家事力と、人に優しくしようとする気持ちさえあれば、人はどこにいてもどんな状態に置かれていても、健康に元気に愉快に生きていくことができると私は心から信じているのである

これを読んで私は、今年1月に観たヴィム・ヴェンダース監督・役所広司主演映画「PERFECT DAYS」を思い出しました

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「ガルシア=マルケス 中短篇傑作選」を読む ~ 「大佐に手紙は来ない」「この町に泥棒はいない」「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」ほか

2024年08月26日 00時01分03秒 | 日記

26日(月)。予定では、昨日10時半から東劇で「METライブビューイング・アンコール2024」のうち、ベッリーニ「夢遊病の女」を観る予定でした しかし、朝から腰痛が厳しいので諦めました 特にベッドから起きあがる時と立ち上がる時に激痛が走ります 上映時間が約3時間なので、ここで無理をすると痛みが長引く一方です 今が我慢のしどころです 9月16日(月・祝)10時半の部もあるので、そちらを観ようと思います

ということで、わが家に来てから今日で3513日目を迎え、毎日新聞が24,25の両日実施した全国世論調査によると、9月の自民党総裁選で選ばれてほしい人は、1位が石破茂元幹事長(29%)、2位が小泉進次郎元環境相(16%)、3位が高市早苗経済安全保障担当相(13%)だった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     いくら人気があっても 実力がない政治家はダメだ  世界を相手にするんだからね!

         

「ガルシア=マルケス  中短篇傑作選」(河出文庫)を読み終わりました ガブリエル・ガルシア=マルケスは1927年コロンビア生まれ。1955年に長編「落葉」でデビュー 67年に世界文学の記念碑的傑作「百年の孤独」を発表し、「ラテンアメリカ文学ブーム」を主導する 他に「族長の秋」、「予告された殺人の記録」など多数。82年ノーベル文学賞受賞 2014年没

     

本書には次の10作品が収録されています

「大佐に手紙は来ない」(中編)

「火曜日のシエスタ」(短編)

「ついにその日が」(短編)

「この町に泥棒はいない」(中編)

「バルタサルの奇蹟の午後」(短編)

「巨大な翼をもつひどく年老いた男」(短編)

「この世で一番美しい水死者」(短編)

「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」(中編)

「聖女」(中編)

「光は水に似る」(短編)

作品数が多いので、中編2作品についてご紹介します

「大佐に手紙は来ない」は、軍人恩給支給の知らせを待つ大佐の話です 大佐は知らせが来ないと生活費を賄う収入がないので、飼っている軍鶏を売ろうか売るまいかと迷うが、タイミングを計って売ることにする 今日食べる物がない!と切れた妻が「何を食べるの?」と問い詰めると、彼は「糞食らえだ(mierda)」と吐き捨てる、というオチが待っています 英語でいう「shit」ですね💩 大佐の焦燥感や生活苦の”やるせなさ”を描いているかと思うと、最後にダジャレのような台詞で肩透かしを食らう この作品は、「百年の孤独」(P583)に書かれている「文学は人をからかうために作られた最良のおもちゃである」という言葉を思い出させます

「この町に泥棒はいない」は、マッチョな若者ダマソと年上の妻アナの物語です ダマソがビリヤードのボールを盗んでくると、アナから返すべきだと言われる 迷っているうちに何の罪もない黒人が犯人として逮捕されてしまう ダマソは人の目を盗んでボールを返しに行くが、店の主人に見つかってしまう 彼は現金を盗んだ事実はないのに、店の主人から「盗んだ現金も返せ」と言われ、唖然とする この話は、元々現金はなかったのに店の主人がダマソをひっかけて「ボールを盗んだのだから現金も盗んだんだろう ボールを盗んだことを黙っててやるから金を払え」と言っているのです この話はビリヤードのボールを盗まざるを得ない貧しい若者の生活実態など、暗い世相が描かれています

「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」は、ガルシア=マルケスが少年時代に見かけた、祖母らしき女性に連れられて各地をめぐる11歳の少女娼婦の姿に強い印象を受けたことからインスピレーションを得て書いた物語です ここでは少女を14歳に設定しています。祖母は少女に売春させながらカリブ海沿岸の砂漠地帯を巡っていきますが、オランダ人の密輸業者の息子ウリセスがエレンディラの前に現れ、お互いに惹かれ合うようになります エレンディラはウリセスに「祖母に酷使されて疲れた 自分を愛するなら祖母を殺せるはず」と迫ります 紆余曲折があり、彼は祖母を殺しますが、エレンディラは彼を残して 祖母が身に着けていた金の延べ棒入りのチョッキを持って一人走り去って行くのです このストーリーは抑圧者である祖母から自らを開放する少女の物語とも解釈できます

以上のほか、短編も味わいのある作品が揃っています 本書は巻末に「解題」が掲載されており、各作品の背景や内容を簡単に解説しているので、作品理解に役立ちます 「百年の孤独」を読んだ人にも、これから読む人にもお薦めします

     

     

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佐渡裕 ✕ 新日本フィル「第九」公演のチケットを取る / 友田とん著「『百年の孤独』を代わりに読む」を読む ~ まだ読んでいない人にお薦めします

2024年08月25日 00時01分35秒 | 日記

25日(日)。わが家に来てから今日で3512日目を迎え、11月の米大統領選に立候補していたロバート・ケネディ・ジュニア氏は23日、選挙戦から事実上撤退し 共和党候補のトランプ前大統領を支持すると表明したが、同氏は当初、民主党の大統領候補指名争いに出馬し 断念して無所属で立候補した経緯がある  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     名門ケネディ一族の出身者にしては 優柔不断で信念がないように見えるが大丈夫か

         

12月14日(土)14時からサントリーホールで開かれる新日本フィル「『第九』特別演奏会」のチケットを定期会員先行販売で取りました 演奏はソプラノ独唱=高野百合絵、メゾ・ソプラノ独唱=谷口睦美、テノール独唱=笛田博昭、バリトン独唱=平野和、合唱=栗友会合唱団、指揮=佐渡裕です

     

         

友田とん著「『百年の孤独』を代わりに読む」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を読み終わりました    友田とんは1978年京都府生まれ。作家、編集者。大学で経済学、大学院で数学(位相幾何学)を研究し2007年に博士(理学)を取得。企業でコンピュータサイエンスの研究者・技術者として勤務する傍ら、「『百年の孤独』を代わりに読む」を自主制作し発表。その後、「代わりに読む人」を立ち上げ、独立

     

著者は「まえがき」に次のように書いています

「本書はガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』を、まだ読んでいない友人たちの代わりに読む、という試みを綴ったものである しかし、『代わりに読む』と言っても、単に小説をあらすじの形に要約したり、作品の背景を解説したりしたわけではない。それでは、代わりに読んだことにはならない なぜなら、小説を読み進めている時間に読む者の心のなかに立ち上がる驚きやワクワクというものは、要約や解説では伝えられず、そのまま時間が過ぎれば消え去ってしまうものだからだ なんとかしてその消えてしまうはずの驚きやワクワクを生のまま伝えたかった

この著者は鋭いと思ったのは、「(「百年の孤独」が)読者をからかう冗談話として書かれていると気がついた。読む側もある種の冗談的な方法で受けて立てばいいのではないかと思いついた」ところです

この思いつきに基づいて、著者は「百年の孤独」を読み進める中で、連想したドラマや映画、ドリフのコント、こんまりの片づけ術などの話に脱線し、再び「百年の孤独」の世界に戻る手法を採ります

著者はそのような手法により、次のような章立てで「百年の孤独」を読み進めていきます

第0章:明日から「『百年の孤独』を代わりに読む」をはじめます

第1章:引越し小説としての『百年の孤独』

第2章:彼らが村を出る理由

第3章:来る者拒まず、去る者ちょっと追う『百年の孤独』のひとびと

第4章:リズムに乗れるか、代わりになれないか

第5章:空中浮揚に気をつけろ

第6章:乱暴者、粗忽者ども、偏愛せよ

第7章:いつもリンパ腺は腫れている ~ 大人のための童話

第8章:パパはアウレリャノ・ブエンディア大佐

第9章:マコンドいちの無責任男

第10章:NYのガイドブックで京都を旅したことがあるか?

第11章:ふりだし

第12章:レメデイォスの昇天で使ったシーツは返してください

第13章:物語を変えることはできない

第14章:メメに何が起こったか

第15章:ビンゴ

第16章:どうして僕らはコピーしたいのか?

第17章:如何にして岡八郎は空手を通信教育で学んだのか?

第18章:スーパー記憶術

第19章:思い出すことでしか成し得ないものごとについて

第20章:代わりに読む人

上記の中で「それには気がつかなかった」という指摘があり、「この人、よく読み込んでいるなぁ」と感心しました。それは第3章の中の次の文章です

「『百年の孤独』ではだれも食事をしていない。もちろん彼らも食べ物を口にしているに違いない。しかし、家族が集まって食事をするといった場面はひとつもないのである

確かに、600ページに及ぶ5代の家族の物語なのに食事のシーンは一つもありません これが向田邦子のテレビドラマの脚本だったら毎回食事シーンが登場するところです 一方、

「レベーカが好んで食べるのは、中庭の湿った土と、壁から爪ではがした薄っぺらな石灰だけ

という記述がありますが、これは食事とは言えないでしょう ガルシア=マルケスは食事のシーンを書くことについてはあまり興味がないように見えます

本書は、著者が「まえがき」に書いているように、「『百年の孤独』を、まだ読んでいない友人たちの代わりに読む、という試み」という観点からすれば、これから読む人にとっては手引書・入門書的な存在になると思います その反面、私のように先に『百年の孤独』を読んでから本書を読む者にとっては、連続ドラマやドリフのコントなどへの”脱線”は邪魔になります とはいうものの、600ページを超える大作を順序だてて要約しながら書き進めているので、「そういう出来事もあったな」とか「あれは、そういう意味だったのか」とか、あらためて気づかされる箇所も少なくありませんでした その意味では、複雑な人間関係や出来事を整理して理解するうえで大いに参考になりました

著者は「結局のところ、現時点で代わりに読めていないのだと私は思い知る」と書いているように、本書のタイトルが文字通りにはいかないことを認めていますが、「あとがき」に次のように書いています

「小説を人の代わりに読むことはできないというのは希望である

分かりにくい言葉ですが、著者はその根拠として次のように書いています

「もし小説を読むという営みが、まさに余人をもって代え難いものだのだとしたら、それは本人が本人の力で読むしかない、各人が各人で読むしかないのである そして、だからこそ、どれだけ過去の人がすでに読んだ後であったとしても、私には読む必要があり、読み時間が必要であると社会に向かって主張することができるのである つまり、あなたの代わりに誰かがもう読んでしまったから、あなたは読む『必要がない、読まなくていい』というようなことは他人にはいうことができないということだ。これが希望でなくて何だろうと私は思う

一昨日(23日)のブログでご紹介した通り、ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』は全625ページの超大作で、5代100年にわたる長大な物語であり、最後まで読み切るまでは一筋縄ではいきません その意味では、本書(全350ページ)は『百年の孤独』のガイドブックとして役に立つと思います 特にこれから『百年の孤独』を読む読者にお薦めします

     

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「勝ち負け超え  広島で音楽する意味 ~ 異例の国際指揮者コンクール 」~ 朝日新聞・吉田純子編集委員の記事から / 向田邦子の死去から43年 ~ 日経のコラム「春秋」から

2024年08月24日 01時58分03秒 | 日記

24日(土)。昨日の日経朝刊第1面のコラム「春秋」は次のような書き出しで始まっています

「向田邦子さんが新進の放送作家だったころの話である 急な仕事が入って恋人との約束を果たせぬことになり、電報を打った。ただ要件のみ『コンヤユケヌ ク』。切ない7文字だ

最後の「ク」は邦子の頭文字です。「春秋」の本文の趣旨は長い歴史を持つNTTの「電報」に終わりが近づいているというものです ケータイやスマホの普及により固定電話が減少するなか、電報が廃止されるのは時代の趨勢というものでしょう 電報というと、仕事では「弔電」を、私的には「祝電」を思い浮かべます「春秋」は次のように締めくくっています

「(電文は)小説や映画のなかにだけ息づいている 往時、さまざまな『コンヤユケヌ』が飛び交っていたに違いない。そんな時代を生きた向田邦子さんも、旅立って43年になる

これを読んで初めて、なぜ今 「春秋」の筆者が向田邦子を引用したのかを理解しました 前日の8月22日は彼女の命日だったのです   私は向田邦子の文章が好きで、彼女の小説、エッセイ、脚本などをすべて読んでいます とくにエッセイにおける男性的な切れ味鋭い文章は唯一無二のもので、絶対に真似できません 向田邦子(1929.11.28~1981.8.22)が台湾の航空機墜落事故で死去してから43年も経ったのか、と月日の流れの速さを感じます

ということで、わが家に来てから今日で3511日目を迎え、ウクライナ最高会議は21日、国際刑事裁判所(ICC)の加盟に必要な条約である「ローマ規定」を批准する法案を賛成多数で可決したが、欧州連合への加盟に繋げるほか、ロシアによる戦争犯罪の追及に向けた姿勢を明確にする  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     これでEC加盟に近づいたわけだが 犯罪国家ロシアがICCに加盟しないと意味ないな

         

昨日、夕食に「鶏の山賊焼き・生野菜添え」と「トマトと卵のスープ」を作りました 山賊焼きは今回、豚肉でなく鶏肉を使いましたが、娘は鶏の方が良いというので次回から鶏にします

     

         

22日付の朝日新聞夕刊に「勝ち負け超え  広島で音楽する意味 ~ 異色の国際指揮者コンクール」という見出しのもと、同社編集委員・吉田純子さんが記事を書いています 記事を超略すると次の通りです

「広島市で今月開かれた第2回ひろしま国際指揮者コンクール(ひろしま国際平和文化祭実行委員会、中国新聞社主催)は、勝ち負けも国境も超え、出場者同士の友情を育み、音楽家として生きることに対する深い思考をそれぞれに促す無二の機会となった 本選に残れなかった出場者たちも、表彰式後の打ち上げに加わり、皆で意見交換を続け、前回の優勝者・大井駿の姿もあった。指揮者の下野竜也がプロデューサーとなり、指揮者の沼尻竜典、ヴァイオリニストの荒井英治、作曲家の細川俊夫、音楽評論家の片山杜秀ら、さまざまな分野の第一人者が審査にあたり、予定時間を超えて議論を尽くした 審査委員長を務めた広島交響楽団音楽監督のクリスティアン・アルミンクは『出場者たちがこんなにリラックスし、互いに打ち解けているコンクールは世界的にも珍しい』と語る その理由は2つある。コンクールが始まる前に下野によるマスタークラスが開かれ、全員がベートーヴェンの『エグモント』序曲を素材にディスカッションをしたこと それに加え、出場者全員が8月6日の平和記念式典に参加し、原爆資料館を訪れ、被爆者の話に耳を傾けたこと それらはすべてコンクール参加の必須条件だった。同コンクールは一昨年に創設され、2年に1回開かれる。今年は映像による96人の予備審査を経て、世界各地から12人が出場した。2回の予選を経て台湾人、韓国人、中国人の3人が本選に進み、細川俊夫「《昇華》チェロとオーケストラのための」とラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲を指揮した 2017年から今年3月まで広響の音楽総監督を務めた下野は、この地でオーケストラを率いることの意味を模索し葛藤を重ねてきたが、『指揮者は、自ら音を出さないからこそ、生き方そのものが問われる存在 オーケストラだけじゃなく、一般の社会で人々の心も束ねていくんだという意識を持ってもらえたらと思う この広島の地で感じたことことを、自分の国に戻ってから、それぞれに人々をつなぐ力に変えてほしい』と語る

この記事を読むと、被爆地・広島である特色を生かした異色のコンクールであることが良く理解できます  残念だったのは、今年は日本人が、また女性が本選に残らなかったことです

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G・ガルシア=マルケス著「百年の孤独」を読む ~ 南米のへき地でマコンドという村を切り開いた一族の繁栄と没落の百年を描いた年代記:「孤独」は15回登場!

2024年08月23日 00時02分16秒 | 日記

23日(金)。わが家に来てから今日で3510日目を迎え、北朝鮮の新義州一帯に大規模な水害が発生した中、北朝鮮の金正恩国務委員長が所有する豪華ヨットが運行されている状況が衛星写真に補足された  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     北朝鮮は 大富豪の金正恩一族と 大多数の大貧民の国民から成り立ってる 異常な国

         

昨日、夕食に「鮭のムニエル」「マグロの山掛け」「冷奴」「豚汁」を作りました ムニエルは野菜サラダを乗せてワンプレートにしました

     

         

ガブリエル・ガルシア=マルケス著「百年の孤独」(新潮文庫)を遂に読み終わりました ガブリエル・ガルシア・マルケスは1927年南米コロンビアのアラカタカ生まれ。ボゴタ大学法学部を中退し、新聞記者となり欧州各地を転々とした後、1955年に処女作「落葉」を発表。1967年刊行の「百年の孤独」は世界的ベストセラーとなり46言語に翻訳され合計5000万部を達成した 「族長の秋」「予告された殺人の記録」「迷宮の将軍」など次々と歴史的傑作を刊行し、82年にはノーベル文学賞を受賞した 2014年死去

     

「百年の孤独」は南米大陸、カリブ海沿岸地方のへき地でマコンドという村を切り開いた一族の繁栄と没落の百年を描いた年代記です 孤立したマコンド(架空の村)は100年にわたり次々と不可思議な出来事に見舞われる ある時期は4年11か月2日の長雨と、10年の干ばつが立て続けに起こる 一族の人々も数奇な運命に翻弄される 物語の主要人物であるホセ・アルカディオ・ブエンディア大佐は革命家として32回の反乱を繰り返すうちに、何のために戦っているのか分からなくなり、一人で部屋に閉じこもり金細工に明け暮れる レメディオスという少女はシーツと共に浮遊して昇天してしまう・・・このような”現実と超現実が居心地よく同居している現象”を作家・筒井康隆は巻末の「解説」の中で「マジック・リアリズム」と呼んでいます ガルシア・マルケスは事情により両親の顔も知らずに祖父母のもとで養われたといいますが、「百年の孤独」に書かれた物語はその祖父母から聞いた過去の事実をほぼ忠実に書いたと語っています しかし、マルケスは「百年の孤独」の結末で、この物語がすでに百年の昔、ジプシーの長老メルキアデスによってサンスクリット語で羊皮紙に記されていたことを明かします つまり、ブエンディア家の人々の運命は100年前に予言されていた、ということです

今年がガルシア・マルケスの没後10年ということで、新潮社から文庫化されたとたん本書は飛ぶように売れているといいます 本文だけで625ページの超大書です 私は読むスピードが遅いので読了まで正味24時間以上かかりました

冒頭部分にブエンディア家の家系図が掲げられているので、人名が出てくるとそれを見て確認して読み進めましたが、何しろ5世代続く物語で、生まれてくる子供に同じような名前が付けられるので、頭がこんがらがってきます

読み始めてすぐに、「これは一筋縄ではいかない難解な書だ 果たして途中で放り投げることなく最後まで読み切ることが出来るだろうか?」と自問しました そこで思い出したのは、高校の時の校内マラソン大会(西武園一周)を前にした体育の教師の言葉です 「ただ走るのは苦しく辛いものだ。例えば、赤色の石を見つけて数えながら走ると、苦しさを忘れる それは赤色の石でなくても何でもよい」という言葉です これをヒントに、私は本書の中で「孤独」という言葉がどこで合計何回使われているかを確認しながら読み進めていくことにしました 世の中、こんな読み方をする暇人はいないでしょう

その結果は次の通りでした(ページは「新潮文庫」のページ)

①48ページ1行目「この孤独の奈落の底にどうして落ちることになったのかといぶかりながら、しばらくじっと立っていると~」

②55ページ12行目「孤独にあこがれ、世間に対する激しい憎悪の念に燃えるホセ・アルカディオは~」

③102ページ12行目「もともと孤独な性格で、本心はひとに明かさなかった」

④142ページ12行目「孤独を分かち合う相手として、また、そのつもりはないのに途方もない祈りが~」

⑤195ページ5行目「これまでになく孤独な感じがすることにウルスラは気づいた」

⑥261ページ9行目「絶大な権力に伴う孤独のなかで、彼は進むべき道を見失いはじめていた」

⑦262ページ8行目「予感にも見放された孤独な彼は、死ぬまでつきまとわれそうな悪寒から逃れるために~」

⑧266ページ8行目「自分をかこむ孤独の殻を破ろうとして、何時間もそれに爪を立てていた」

⑨382ページ1行目「老年のかたくなな孤独のなかでかえって、屋敷のなかのどんな出来事も見逃さないほど頭が冴えていたので~」

⑩398ページ9行目「メメにはまだ一族にとって宿命的な孤独はきざしていなかった」

⑪409ページ9行目「大佐はふたたびおのれの惨めな孤独と顔をつき合わせることになった」

⑫440ページ2行目「メメは手の重みを膝に感じ、その瞬間にふたりが孤独の彼岸へと達したことを知った」

⑬440ページ6行目「彼女は男に夢中になった。睡眠や食事を忘れ、孤独に深々と身をうずめて、父親さえじゃまだと思うようになった」

⑭508ページ16行目「曾祖父と同じように人を寄せ付けぬ、孤独の闇の世界に生きることを知った」

⑮550ページ2行目「孤独な生活のなかで人間味を帯びていったが、しかしある朝~」

上記の通り「百年の孤独」の中で「孤独」という言葉が使われているのは15箇所でした 孤独な作業でしたが、1度読んだだけなので 見逃している箇所があるかもしれません しかし、確認のために もう一度読む気力はありません、悪しからず

「孤独」が使われている文章を読むと、様々な登場人物が「孤独」と向き合っていることが分かります この「孤独」とは「愛の欠如」とも言えるし、現代社会にも通じる「虚しさ」とも言えるし、「他人には理解できない自分だけの世界」とも言えるのではないか、と思います

文庫本の帯に「現在、NETFLIXが映像化を準備中」と書かれていました これは楽しみです この奇想天外な物語をどのように映像化するのか、とても興味があります

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「読響サマーフェスティバル 三大協奏曲」を聴く ~ 大井剛史(指揮) ✕ 中野りな(Vn) ✕ 佐藤桂菜(Vc) ✕ 進藤実優(P)

2024年08月22日 00時04分56秒 | 日記

22日(木)。わが家に来てから今日で3509日目を迎え、南北の軍事境界線を越えて脱北した北朝鮮軍の兵士が、韓国軍の宣伝放送を聞いて脱北を決意していたと韓国メディアが報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     韓国軍はK-POPやニュースを流しているらしい  豊かさへの渇望は押さえられない

         

昨日、夕食に「茄子のかば焼き」「プルコギ」「生野菜とアボカドのサラダ」「山芋の味噌汁」を作りました 「茄子の~」は新聞の料理メモを参考に作りましたが、美味しく出来ました

     

         

昨日も朝から腰痛が厳しく、動くのがしんどかったのですが、木曜以降はしばらくコンサートがないので覚悟を決め、東京芸術劇場コンサートホールで「読響サマーフェスティバル 三大協奏曲」を聴きました プログラムと演奏は①メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」(Vn:中野りな)、②ドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」(Vc:佐藤桂菜)、③チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23」 (P:進藤実優)です 指揮は大井剛史です

     

自席は1階L列13番、センターブロック左通路側です 会場は1階席を中心にかなり埋まっています

オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の並び。コンマスは長原幸太です

1曲目はメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)が1844年に作曲、1845年にツィプツィヒで初演されました 第1楽章「アレグロ・モルト・アパッショナート」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグレット・ノン・トロッポ ~ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります

ヴァイオリン独奏の中野りなは、2004年東京都生まれの20歳。2021年日本音楽コンクール優勝、22年仙台国際音楽コンクールで史上最年少の17歳で優勝 23年4月から桐朋学園大学「ソリスト・ディプロマ・コース」に全額特待生として在学、ウィーン市立芸術大学でも研鑽を積む

大井の指揮で第1楽章に入ります すぐに中野の独奏ヴァイオリンが入ってきますが、音色がとても美しく良く鳴ります ストラディヴァリウスは自分の思うような音が出るまで”飼い慣らす”のが並大抵ではない、とどこかで読んだ記憶がありますが、その点、中野は1716年製のストラドをすっかり自分の分身のようにして自由自在に弾きこなします カデンツァは流麗で見事でした 第2楽章では独奏ヴァイオリンの弱音の美しさが際立ちました 第3楽章では愉悦感に満ちた演奏が展開、大井 ✕ 読響の万全のサポートのもと華麗なフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーの嵐がソリストに押し寄せ、カーテンコールが繰り返されました 中野りなは若手ヴァイオリニストの中でも突出したアーティストではないかと思います 将来が楽しみです

2曲目はドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が1894年から95年にかけて作曲、1896年にロンドンで初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・モデラート ~ アンダンテ ~ アレグロ・ヴィーヴォ」の3楽章から成ります

チェロ独奏の佐藤桂菜(けいな)は2000年生まれの24歳。中学卒業後に渡米しアメリカで研鑽を積む。ジュリアード音楽院卒業後、23年からロサンゼルスのコルバーン音楽院で奨学生として学ぶ。20年に英キングス・ピーク音楽オンラインコンクール優勝

オケは14型に拡大し管楽器が増員されます

大井の指揮で第1楽章に入ります 佐藤は感情表現豊かに郷愁を誘う演奏を展開します ホルンの松坂隼の演奏が素晴らしい 第2楽章では佐藤のチェロが叙情的な演奏を繰り広げ、クラリネットの金子平、フルートのフリスト・ドブリノヴ、オーボエの荒木奏美の演奏が華を添えます 第3楽章では独奏チェロが民俗色豊かな演奏を展開しますが、大井は佐藤のチェロが歌うべきところはテンポを落としソリストを引き立てます そして、独奏チェロとオケとが一体となって雄大なフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコールが繰り返されました スケールの大きな演奏でした

     

プログラム後半はチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1874年から75年にかけて作曲、1875年にボストンで初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ・エ・マエストーソ ~ アレグロ・コン・スピーリト」」、第2楽章「アンダンテ・シンプリーチェ ~ プレスティッシモ ~ テンポ」、第3楽章「アレグロ・コン・フォッコ」の3楽章から成ります

ピアノ独奏の進藤実優は2002年愛知県大府市生まれの22歳。モスクワ音楽院付属中央音楽学校卒業後、ドイツのハノーファー音楽演劇メディア大学で研鑽を積む。ショパン国際コンクール、ジュネーヴ国際音楽コンクールのセミファイナリスト

大井の指揮で第1楽章に入り、すぐに進藤のピアノが力強く入ってきます しばらく聴いていて、これまで聴いてきた他のピアニストの演奏スタイルと違うと感じました モスクワ音楽院で学んだということと関係あるのかどうかわかりませんが、独特の弾き方・間の取り方をしているように思いました 第2楽章では流麗な演奏が続きます フルート、オーボエが冴えています 第3楽章では冒頭から独奏ピアノのエネルギッシュで躍動感あふれる演奏が展開します 独奏ピアノとオケが一体となって展開したフィナーレは圧巻でした

会場いっぱいの拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコルが繰り返されました 何度目かに中野りな、佐藤桂菜も加わり、3人のソリストが揃ってカーテンコールに応えました

この日のソリストは20代前半の若手女性でしたが、3人とも将来が楽しみなアーティストです これからも応援したいと思います

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