人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

岸本葉子著「できれば機嫌よく生きたい」を読む~言いたいことをゆっくりと

2013年10月31日 07時01分03秒 | 日記

31日(木)。早いもので10月も今日で終わり、今日を入れて今年も残すところ62日。最近特に感じるのは、月日の流れは本当に速いものだ、ということです 

昨日、会社帰りに新宿ピカデリーに行って10月2日(土)10時から上映されるMETライブビューイング、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」の座席指定を取りました この映画は2日から1週間、東銀座の東劇でも上映されますが夜のみのため、休憩2回を入れて3時間45分の上映時間を考えると、ちょっときついので朝から上映される新宿ピカデリーを選ぶことにしました 座席はかなり後方のJ列、左ブロック通路側を押さえました。映画館に行くとガラガラなのに前方の席を選ぶ人がいますが、あれは信じられません。上を向いて観ることになるため姿勢が悪くなり、目にも首にも良くないと思います

ところで、このオペラを観るのも聴くのも初めてです。大舞踏会のシーンで演奏される「ポロネーズ」しか聴いたことがありません。CDも何も持っていないので予習ができないため、ぶっつけ本番で観ることになりますが、メロディー・メーカー、チャイコフスキーの曲ですから聴きやすいのではないか、と期待しています。土曜日が楽しみです

 

  閑話休題  

 

岸本葉子著「できれば機嫌よく生きたい」(中公文庫)を読み終わりました 岸本さんは1961年鎌倉生まれ。東大教養学部を卒業、会社勤務を経て中国北京に留学経験のあるエッセイストです。数年前にNHK-BS放送で放映していた「週間ブックレビュー」という番組にゲスト出演していた岸本さんの楚々として美しい姿を思い浮かべます

「アラフィーでおひとりさま」になってしまった一人の女性の素直な気持ちを書いたエッセイ集です 著者はかつて大腸がんの手術をしており、その時のことをエッセイに書いて出版しています。この「できれば機嫌よく生きたい」も、最初のうちは病気のこと、ピロリ菌のこと、持病いろいろのこと、交通事故に遭ったこと・・・・・と、暗い話ばかりで、途中で嫌気がさして読むのを止めようかとも思いましたが、読み進めるにしたがって話題も広がり、何とかついていけるようになりました

 

          

 

とくに印象に残っているのは「言いたいことをゆっくりと」というタイトルのエッセイです 超訳すれば、

「エッセイを仕事にして20年になる。題材は日常の出来事。原稿依頼は、何でもいいから自由にどうぞ、というケースはほとんどない テーマを示され、原稿用紙にして何枚、というように求められる。テーマに沿ったエピソードを書いてみたら指定の原稿料を大幅にオーバーしてしまった時どうするか。最初は、話の構造を変えずに”圧縮”する。例えば会話を「 」で括って出さず、地の文に入れてみる。しかし、そうすることで臨場感がなくなることはある。面白さも減少する 原稿の依頼者に対し、原稿量を増やせと要求する人もいるが、それは仕事ではない。そういう時には『全とっかえ』をやる。つまり、そのエピソードを諦めて、別のエピソードを取り上げて指定の原稿量にまとめることになる

岸本さんの言いたいことはよーく分かります。毎朝書いているこのブログも同じような境遇だからです 私の場合も、最初に長めの文章を書き、あとで見直しをしてダブっている言い回しを削除したり、より短い言葉に置き換えたり、いろいろと、もがきながら書いています。ただ、岸本さんと違うのは、テーマは自由だし文章量の指定が無いことです 一つだけ制約があるとすれば、朝7時にはブログとしてアップしなければならないということです。とくにコンサートについては、その翌朝には必ずアップすることを自分に課しています。もっとも、これは自分で決めたルールなので、何も7時にアップする必然性はないのですが、意志の弱い怠け者の私にとっては、自分自身に一定の制約を課さないと毎日続けることができないことが分かっているからです

先日読んだ阿川佐和子さんのエッセイ「残るは食欲」を読んで、岸本葉子さんの「できれば機嫌よく生きたい」を読むと、いかに文章のスタイルが違うかがはっきりと分かります 端的に言えば岸本さんのエッセイは”生真面目”、阿川さんのエッセイは”遊び精神”です 岸本さんはエッセイストなので、毎日同じような単調な生活を送る中で見たこと、聞いたこと、感じたことを書いている訳ですが、阿川さんはテレビ番組の司会者であり、インタビュアーであり、エッセイストであり、大ベストセラー「聞く力」の著者であるという立場で、刺激に満ちた生活の中で見て、聞いて、感じたことを”語り言葉”で書いているところが大きな違いです

 

          

 

岸本さんも文章の中で、時々ユーモアのセンスを発揮するところがあるのですが、どうも私にはストレートに響いてきません その点、阿川さんの文章は直接的に入り込んできて脳内を掻き回します。一言で言えば”超面白い”です それは、こうして読み比べをしてみるとよく分かります

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「スペシャル・ブレンド・ミステリー謎008」「ナイン・ストーリーズ」「散歩で出会う花ポケット図鑑」

2013年10月30日 07時01分00秒 | 日記

30日(水)。昨日午後、当ビルの総合防災訓練がありました 午後3時に直下型大地震が起き、テナントCから火災が発生したため、館内の全事業所の従業員が階段から避難するという訓練です。当初、丸の内消防署から、はしご車を動員してもらうよう9か月も前から要請していたのですが、1か月前になって急に派遣できなくなったという”悲報”が伝えられ出鼻をくじかれました 代わりになるイベントはないか、といろいろ考えたところ、毎年夏に実施している「自衛消防訓練審査会」に出場している防災センターの警備隊員による消火栓操法の模範演技を見ていただくことにしました あいにくの雨模様でしたが、なぜか演技の時間になるとほとんど止んで、隊員のキビキビした行動を観ていただき、テナントの皆さんから「カッコいい」という声を多くいただきました

午後5時半から当ビル地下の焼鳥Rで、火点(火元)になっていただいたテナントCの3名のゲストを迎えて反省会(一言で言えば飲み会)が開かれました。その後、有志8名で先日新規開拓したカラオケ・スナックSに繰り出し歌合戦を繰り広げました という訳で、今日も朝から頭が頭痛です

 

  閑話休題  

 

本を3冊買いました 1冊目は辻村深月・選「スペシャル・ブレンド・ミステリー謎008」(講談社文庫)です。これは人気作家・辻村深月さんが1977年、1987年、1997年に発表された小説の中から7つのミステリーを厳選したものです

 

          

 

2冊目はサリンジャー著「ナイン・ストーリーズ」(新潮文庫)です。最近読んだ本の中にこの作品に集録されている「バナナフィッシュにうってつけの日」のことが引用されていて、いつか読んでみたいと思っていたところ、当ビル1階のジュンク堂書店に積んであったので買いました。自慢ではありませんが、私はまともにサリンジャーの作品を読んだことはありません サリンジャーと言えば、大学生の時、ゼミの先輩がサリンジャーの文体(正確に言えば、その日本語訳)を真似して得意になっていたのを思い出します

 

          

 

3冊目は久保田修著「ひと目で見分ける580種 散歩で出会う花 ポケット図鑑」(新潮文庫)です。これはいつも通る道に咲いている花の名前がサッパリ分からないので、いざとなった時に恥をかかないように、と買い求めたものです

 

          

 

いずれもこのブログで紹介していきます

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東京藝大+ジュネーヴ音楽大学ジョイントコンサートを聴く~今井信子のヴィオラも!

2013年10月29日 07時01分10秒 | 日記

29日(火)。昨日の朝日朝刊の連載「文化の扉」に「はじめての小林秀雄」が載っていました この企画は、歴史上の有名な人物を、初心者にも解るように紹介するものです。リードにこう書かれています

「小林秀雄没後30年の今年、彼の文章が初めてセンター試験に出題され、話題になった。『難解』との枕詞がついてまわる文章なのに、ハマる人は後を絶たない。なぜなのか

そして『難解』な文章について次のようなエピソードを紹介しています

「小林本人が書いた逸話がある。娘から『何だかちっともわからない』と国語の試験問題を見せられ、『こんな悪文、わかりませんとこたえておけばいい』と言い放ったところ、『でも、これお父さんの本からとったんだって』」

このエピソードを見る限り、小林秀雄という人は相当に傍若無人な人だったようですね

ところで、クラシック音楽好き、とくにモーツアルト好きにとって、小林秀雄の「モオツアルト」はバイブルのような存在です 誰もがこのエッセイを通過して自分自身のモーツアルト像を構築していきます。モーツアルト好きでこのエッセイを読んだことのない人はモグリです 私は、何冊買っては捨てたか分かりません。読んでは赤線を引いて、それを捨て、また新しい本を買って、また赤線を引く。引いた箇所は前に読んで印象に残った部分もあれば、まったく違う個所もあります

記事には小林秀雄の書いた文章のエッセンスがほんの短い言葉で引用されています

「かなしさは疾走する。涙は追いつけない」(モオツアルト)

「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」(当麻)

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」(無常といふ事)

これらは長い文章の中に現われるほんの一部の言葉です この短い言葉だけで意味を理解しようとしても無理があります。全文を読むべきです。すると、もっと分からなくなりますが

 

          

 

 閑話休題  

 

一昨日の日曜日、午後3時から上野の東京藝術大学奏楽堂で「東京藝大とジュネーヴ音楽大学ジョイントコンサート」を聴きました 演奏曲目は①ヴィヴァルディ「4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲」、②モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」、③ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第1番」、④バルトーク「弦楽のためのディヴェルティメント」です

 

          

 

実は時間を1時間間違えて、早めに奏楽堂に着いてしまったのです 全自由席なのに一人も並んでいないので、チケットを確かめると2時ではなく3時開演になっていました 仕方ないので上野公演のベンチに座って、東京文化会館のチケットサービスでもらってきたタワーレコードの機関誌「intoxcate」を読んで時間を潰しました

開演40分前の2時20分に再び奏楽堂に行ってみると、今度は長蛇の列が待っていました それでも余裕で1階14列13番というセンターブロック左通路側席を押さえることができました 今井信子人気のせいか会場はほぼ満席です

拍手に迎えられて東京藝大とジュネーヴ音楽大学の合同オケメンバーが登場します。コンマスは修士課程4年の澤亜樹さんという人ですが、名前からして指揮を取る澤和樹氏の娘さんと思われます 後で登場した4人のヴァイオリン・ソリストも両大学から2人ずつです。チェロの山崎伸子さんはオケの一員としてスタンバイしています。ソリストを含めて17人のメンバーで、指揮者なしで演奏します

1曲目のヴィヴァルディ「4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ロ短調」は協奏曲集「調和の霊感」の第10曲目に当たる曲ですが、ヴィヴァルディは生涯に500曲以上の協奏曲を作曲したといいます。すごく精力的ですね

第1楽章の激しく突き進む音楽を聴いていると、協奏曲というよりも競奏曲といった感じを受けます 4つのヴァイオリンが争って演奏している様子がよく分かります。ソリスト達は競奏を楽しんでいるように見えました。これはとても良いことです

椅子が大幅に追加され、2曲目のモーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」が始まります。ソリストのミハエラ・マルティン(ヴァイオリン)と今井信子(ヴィオラ)が指揮者・澤和樹とともに登場します 澤のメリハリの効いたテンポに乗ってマルティンが、そして今井が入ってきます この曲の聴きどころは第2楽章「アンダンテ」です。メランコリックなメロディーがヴァイオリンとヴィオラの対話によって奏でられます 美しいヴァイオリン、深みのあるヴィオラ、バックを務める合同オケのナイス・サポート。とても良い感じです

休憩後の1曲目はショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第1番 ハ短調」です。この曲は内容から言えば「ピアノとトランペットと弦楽合奏のための協奏曲」です。3楽章から成りますが、続けて演奏されます

ピアノの迫昭嘉とトランペットの栃本浩規が指揮者と共に登場します。この曲も第2楽章「レント」が美しい音楽です トランペットの哀しげなメロディーが心に沁みます。一転、第3楽章「アレグロ・アッサイ」は同じメロディーが勇ましく繰り返し演奏され、トランペットとピアノの強奏によるフィナーレを迎えます 弦楽奏者たちはお互いに目配せしながら実に楽しそうに演奏しています。とても微笑ましく思いました この曲はそういう曲です

最後はバルトーク「弦楽のためのディヴェルティメント」です。第1楽章を聴いていると、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の一部か、と思われるメロディーが現われ、ちょっとびっくりします 第2楽章は独特の緊張感が続きます。第3楽章はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の一部か、と思われるメロディーが現われ、またしてもびっくりします バルトークってストラヴィンスキーに似ているな、と初めて感じたコンサートでした

 

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古典四重奏団でモーツアルト「弦楽四重奏曲」を聴く~レクチャーコンサート

2013年10月28日 07時00分49秒 | 日記

28日(月)。一昨日の朝日新聞別刷り「be」の連載コーナー「キミの名は」に「セロテープ」が取り上げられていました このコーナーは商品名の”語源”を解き明かすもので、毎週意外な発見があります 今回の「セロテープ」は、てっきり「セロハンテープ」とばかり思っていましたが、実は音楽好きの社員が弦楽器のセロ(チェロ)から発想し、採用されたとのことです 発売元のニチバンによると「セロテープ」の発売後、「セロハン」と「テープ」をくっつけた一般名称の呼び方が広がったということです。ただ、なぜその社員がチェロから商品名を発想したのかまでは書かれていないので、本当に知りたいことが分からないのが残念です

 

  閑話休題  

 

一昨日の土曜日、新国立劇場でモーツアルト「フィガロの結婚」を観た後、上野に移動し、東京文化会館小ホールで古典四重奏団のコンサートを聴きました 今日は古典四重奏団の「ムズカシイはおもしろい!!~モーツアルト・弦楽四重奏曲演奏会レクチャー付きコンサート」のことを書きます

 

          

 

この日の午後5時17分、初台の新国立劇場で「フィガロの結婚」を観終わって、そそくさと会場を後にして地下鉄で市ヶ谷まで行き、JRに乗り換えて秋葉原へ。そこで山手線に乗り換えて上野へ。会場の東京文化会館小ホールに着いて座席に着いたのは開演2分前の5時58分でした。まさに滑り込みセーフ こういうコンサートのハシゴは落ち着いて音楽が聴けなくなるので、よい子はマネしないでね

会場はかなり空きがある状況で、半分も埋まっていない感じです。すごくもったいないです 私は左ブロックの中央近く通路側席を押さえました

古典四重奏団のレクチャー付きコンサートは、シューベルトの弦楽四重奏曲を取り上げた時に初めて聴いて、いい企画だと思い、出来るだけ聴きたいと思っていたコンサートです 室内楽好きにはたまらない企画ですね 本当はシリーズすべての公演を聴きたいのですが、9月23日もそうでしたが11月4日も別のコンサートの予定が入っているので聴けません。非常に残念です

例によって午後6時から30分間、演奏曲目のレクチャーがありました。ペラ1枚のレクチャープログラムのタイトルは「ヴォルフガングのお友達、ジョン・バックの正体は?」となっています

ジョン・バックとはロンドンに渡って活躍したヨハン・クリスチャン・バッハ(大バッハ=セバスチャンの末子)です。ロンドンではヨハンはジョン、バッハはバックと読むのです

チェロの田崎瑞博さんがレクチャーしてくれるのですが、この人はかなりの博識です クリスチャン・バッハのクラヴィア協奏曲を取り上げ、それがモーツアルトの曲に形を変えて採用されていることを演奏を混じえながら説明します。クリスチャンの曲を聴くとまるでモーツアルトそのものに聴こえます。お互いに刺激し合って作曲したのでしょう

一旦15分間の休憩を入れて、前半は弦楽四重奏曲①ト長調K.156「ミラノ四重奏曲」(第3番)、②イ長調K.369「ウィーン四重奏曲」(第9番)、③ニ長調K.575「プロイセン王四重奏曲第1番」(第21番)です

 

          

 

1曲目のK.156に入りますが、例によって演奏者の前には譜面台がありません。彼らはレパートリーすべての曲を暗譜で演奏します 素人の私にはこれが信じられません。この曲に限らず、まさにアイコンタクトによる”阿吽の呼吸”で演奏します このカルテットは1986年東京藝大・大学院の卒業生によって結成され、以来同じメンバーで27年も続いているので、お互いの音楽観は理解しているのだと思います

どの曲の演奏がどうの、というよりも、すべてが新鮮に響きます いま目の前で生まれたばかりの音楽を聴いているような感じがします

3曲目のK.575「プロイセン王四重奏曲第1番」はヴェラー弦楽四重奏団の演奏によるCDが愛聴盤ですが、演奏スタイルが違います。だから面白いのです

 

          

 

ここでまた15分の休憩を挟んで後半に入ります。弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421「ハイドン四重奏曲第2番」です。モーツアルトは弦楽四重奏曲を23曲作りましたが、短調の曲はこのK.421とK.173の2曲だけです。第1楽章の冒頭部の”哀しさ”をどう表現すれば良いのか。カルテットは切々とメロディーを奏でます しかし、われわれが哀しいと思っている時には、モーツアルトは笑みを湛えています

このカルテットの演奏は、「また是非聴きたい」と思わせる魅力があります プログラムにはさみ込まれたチラシの中に、日本モーツアルト協会第554回演奏会のがあり、古典四重奏団がK.157「ミラノ四重奏曲第3番」、K.458「ハイドン四重奏曲第4番”狩”」、K.464「ハイドン四重奏曲第5番」を演奏することになっています。幸いにもコンサートの予定が入っていないので是非チケットを買いたいと思います

 

          

 

もう一枚、12月31日に東京文化会館小ホールで開かれる「ベートーヴェン弦楽四重奏曲9曲演奏会」にも古典四重奏団が出演し、ラズモフスキー第1番~第3番を演奏します これは非常に魅力的なのですが、12月31日の年末の午後2時から9時半までかかるというので、今でも躊躇しています。入場料は8,000円ですが、クァルテット・エクセルシオとルートヴィヒ弦楽四重奏団も出演して9曲を分担するのでリーズナブルかな 途中まで聴いて帰ってくるという方法もアリかなとも思いますが、順番からすると最晩年の作品を演奏するエクセルシオが最後になりそうなので、それはできないと思います。だから今だに迷っているのです

 

          

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新国立劇場でモーツアルト「フィガロの結婚」を観る~冴えわたる九嶋香奈枝のスザンナ!

2013年10月27日 08時44分42秒 | 日記

27日(日)。昨日、午後2時から初台の新国立劇場でモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」を、続いて午後6時から上野の東京文化会館小ホールで古典四重奏団のコンサートを聴きました 今日は「フィガロの結婚」について書きます

 

          

 

本来は10月20日(日)のプルミエ公演を観る予定だったのですが、急きょこの日に予定変更になったものです 幸い、大型台風の影響は思ったほどではなく、小雨が降る程度で無事に新国立劇場に到着しました

振り替え公演なので席は定期会員席ではありません。いつもの1列後ろの19列、左ブロックの右通路側席です

この公演はアンドレアス・ホモキの演出ですが、私は初めての時から同じ演出ですべて観ているので今回が4回目か5回目くらいだと思います プログラムの「プロダクション・ノート」にホモキのインタビューが載っていて、日付が2003年10月となっているので、最初の公演がちょうど10年前だったのでしょう 演出は白と黒のモノトーン、舞台転換がなく大きな段ボール箱が数個と洋服ダンスが移動するだけ。シンプルと言えばシンプル、手抜きと言えば手抜きの舞台でラ・フォル・ジュルネ(狂おしき一日)が歌い、演じられます 舞台はかなり傾斜がついているので、歌手は滑り落ちないように気を付けながら歌わなければならないので、危険と背中合わせです。斬新な演出家の前ではオペラ歌手も命がけですね

キャストはアルマヴィーヴァ伯爵にレヴェンテ・モルナール、伯爵夫人にマンディ・フレドリヒ、フィガロにマルコ・ヴィンコ、スザンナに九嶋香奈枝、ケルビーノにレナ・ベルキナ、マルチェリーナに竹本節子ほか。演奏はウルフ・シルマー指揮東京フィルです

アルマヴィーヴァ伯爵役のモルナールは夫人の目を盗んでスザンナやバルバリーナにちょっかいを出す”ちょい悪おやじ”を見事に演じ精力的に歌いました 伯爵夫人役のフレドリヒは魅力的な容貌で歌も上手く、第2幕冒頭の「愛の神様」をはじめ素晴らしい歌声を聴かせてくれました

フィガロ役のヴィンコはハリのあるバリトンで、伯爵から婚約者スザンナを守る機転に満ちた召使を歌い演じました ケルビーノ役のベルキナは深みのあるメッゾで、アリア「自分で自分がわからない」「恋とはどんなものかしら」を歌い上げました

そして、何と言っても今回の公演で最も冴えていたのはスザンナを歌った九嶋香奈枝です 彼女の歌うアリア、デュエットそして出ずっぱりの演技は、このオペラがタイトルこそ「フィガロの結婚」ではあるけれど、実は「スザンナの結婚」であることを知らしめてくれました 歌が上手なのは言うまでもなく、コケティッシュで、機転が効いて、浮気が許せない真面目な、そんな魅力に溢れるスザンナを見事に演じました

モーツアルトのオペラ、とくにこの「フィガロの結婚」は、アリア、重唱、合唱と、次から次へと流れてくる音楽に厭くことを知りません モーツアルトは最後にはすべての人を許します。モーツアルトのオペラはハッピーエンドでなければなりません

それにしても、10年同じ演出・舞台をやってきたのだから、そろそろ別の新しい演出でやって欲しいと切望します

 

          

 

オペラが終わりカーテンコールが始まったのは午後5時15分。私はカーテンコールに2回まで付き合って、拍手とブラボーが交差する会場を後にして、そそくさと次のコンサート会場に向かいました

はたして午後6時から上野の東京文化会館小ホールで開かれるコンサートに間に合うのか?この続きはまた明日

 

          

 

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ジェフリー・アーチャー著「死もまた我等なり(上・下巻)、藤堂志津子著「隣室のモーツアルト」を買う

2013年10月26日 07時01分34秒 | 日記

26日(土)。昨日は午前中、九段下にある報道健保会館で健康診断を受けてきました 前夜の9時過ぎから水も食事も一切取らず、朝食も抜いて空腹を抱えながら会場に向かいました

待合室では、侍の姿をした主人公の上杉検診が健康診断の薦めを説くDVDを上映していました。私は前回の謙信の際に観たので今回はパスしました フン、何が上杉検診だ と、書いたところで気が付きました 「待合室」ってそもそも「侍」が「合う」部屋ということでよろしかったでしょうか

胸のほか胃のレントゲンも撮影するためバリウムを飲みましたが、すきっ腹には効きました。満腹です

視力も、聴力も、血圧も、メタボも、とくに異常がなかったので、「あと異常なのは頭だけか・・・・・」と自覚しながら健保会館を後にして、会社に出勤しました

 

  閑話休題  

 

本を3冊買いました 最初の2冊はジェフリー・アーチャー著「死もまた我等なり」(新潮文庫)上巻・下巻です。これは、このブログでも紹介した「時のみぞ知る」(上・下巻)のクリフトン年代記シリーズの続編です。ストーリーテラー、ジェフリー・アーチャーの筆力に期待します

 

          

          

 

もう1冊は藤堂志津子著「隣室のモーツアルト」(文春文庫)です 私は藤堂志津子さんという人の書いた本は読んだことがありません タイトルに”モーツアルト”が付いていたので買ってしまったというのが正直なところです

 

          

 

ところで、今日は午後2時から初台の新国立劇場でモーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」を、午後6時から上野の東京文化会館小ホールで古典四重奏団のコンサートを聴くことになっているのですが、大型台風27号が接近中で、「果たして無事に会場までたどり着けるかいな?」と不安です いまこれを書いている朝7時少し前の外の様子は「嵐の前の静けさ」といった感じです。天気予報ではこれから2時間後くらいが風雨のピークだと言っているので、午後は大丈夫だと期待したいと思います

 

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「クラシカル・プレイヤーズ東京 室内楽演奏会シリーズ第1回公演」を聴く

2013年10月25日 07時01分13秒 | 日記

25日(金)。昨夕、池袋の東京芸術劇場エントランス・ロビーで「クラシカル・プレイヤーズ東京 室内楽演奏会シリーズ」の「第1回:フルートと弦楽の調べ」公演を聴きました

チラシによると、会場が東京芸術劇場コンサートホール・エントランスとなっていたので、「さてエントランスとはどこのことかいな?」と思いながら劇場への長いエスカレーターを上がり、劇場の入口を入ると、すぐ左側のスペース(クロークの向かい側)にパイプ椅子が150ほど並べられていました 大きな円柱に挟まれた一角です。なるほどここでやるのか、と納得しました 全自由席なので右ブロック6列目の左通路側席を押さえました。入り口で配られたペラ1枚のプログラムによると全4曲を途中休憩なしで演奏し午後8時10分ごろ終演予定(所要時間:1時間10分)となっています

プログラムは①モーツアルト「ディヴェルティメントK.136]、②ハイドン「フルート三重奏曲第2番」③モーツアルト「ディヴェルティメントK.137」、④同「フルート四重奏曲第1番K.285」です

演奏はフルート=有田正広、ヴァイオリン=木村理恵、バッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)でお馴染みの荒木優子、ヴィオラ=深沢美奈、チェロ=新日本フィル首席・竹澤秀平です 木村理恵さんと深沢美奈さんはクラシカル・プレイヤーズ東京のメンバーではありますが、B.C.Jなどでも見かけたような気がします。とにかく出演者はすべて古楽器を使用して演奏するので、竹澤秀平を除いて、普段は古楽器集団で演奏しているのだと思います

 

          

 

1曲目のモーツアルト「ディヴェルティメントK.136」は、向かって左から第1ヴァイオリン:木村、チェロ:竹澤、ヴィオラ:深沢、第2ヴァイオリン:荒木という態勢です。演奏に当たって木村が「ディヴェルティメントというのは”お楽しみ”という意味です この曲はモーツアルトが15歳の時の作品です」と解説しました

お馴染みのメロディーが古楽器特有の柔らかくしなやかな音色で奏でられます 楽器の数が少ないので一つ一つの楽器の音が際立って聴こえます モーツアルトの活躍していた時代にはこういう音で鳴っていたのだろうと想像しながら耳を傾けていました

2曲目はハイドンの「フルート、ヴァイオリンとチェロのためのトリオ第2番」です。有田のフルート、竹澤のチェロ、木村のヴァイオリンによって演奏されます。この3人の演奏者にとって技巧的にはそれほど難しくはないと思われる曲想ですが、彼らは有田を中心にていねいに演奏していました

 

          

 

第3曲目は再びモーツアルトに戻って「ディヴェルティメントK.137」がK.136と同じメンバーによって演奏されます その前に有田がマイクを引き受け聴衆に語りかけます

「いつもは大ホールで演奏するのに、今日は150人を入れてロビーでのコンサートです モーツアルトの活躍していた当時はこういうサロン的なこじんまりしたコンサートが普通だったのです。ところで、プロのわれわれでも、モーツアルトって本当に存在していたんだろうか?と疑問に思うことがあります 皆さんはそう思ったことはありませんか?当時モーツアルトが旅先からザルツブルクの父親あてに書いた手紙に面白いことが書いてあります。『コンサートに150人もの人が聴きに来てくれたんだよ。すごいでしょう。お金が儲かるよ』と。今日は同じ規模のコンサートです。儲かります」(会場・大爆笑)

有田正広という人は実にトークがうまいと思います 語りがゆっくりで分かり易いように話します。この曲はK.136と同様に”お楽しみ”に満ちた明るく楽しい曲想です

最後はモーツアルトの「フルート四重奏曲第1番」です。左から有田、荒木、竹澤、深沢という態勢です。ここでも有田の解説があります

「この曲を作曲した当時、モーツアルトは後に妻となるコンスタンツェの姉・アロイジア・ウェーバーに夢中になっていました そんな中、東インド会社のある人物からフルート協奏曲2曲とフルート四重奏曲4曲の作曲を依頼されます。報酬は今のお金に換算して約200万円です モーツアルトは東インド会社の人だからとして手紙に”インド人”と書いています ところが、彼はアロイジアに夢中で作曲どころではありません。そこで作曲を催促する故郷の父親からの手紙には『大嫌いなフルートのために作曲は出来ません』と別の言い訳をして返信したため、後世の人が”モーツアルトはフルートが嫌い”という誤ったイメージが定着してしまったのです 結局今残っているフルート協奏曲2つとフルート四重奏曲4つのうちどれが本当に彼が作曲した曲で、どれが”インド人”に渡された曲なのか判らないのですが、この時彼に支払われたのは約100万円だけでした そんな中で、フルート四重奏曲第1番は自筆譜が残っているので彼自身の作曲によるものであり”インド人”に渡されたことが分かっています

この曲の特徴は何と言っても、第2楽章「アダージョ」から第3楽章「ロンド、アレグレット」への移行の飛躍にあります 今にも死にかけているような悲しい表情が、次の瞬間、明るく希望に満ちた曲想に転換するのです。ここがこの曲の最大の魅力です

演奏は左から有田、荒木、竹澤、深沢、木村という態勢を採ります。この曲でもやわらかい弦の音は健在です 私の位置からはヴィオラの深沢さんが良く見えるので、自然と彼女の弾き振りを見つめることになりますが、実にニュアンスに満ちた良い演奏をします

アンコールに全員でボッケリー二の曲を演奏しました。たまにはこのような”解放区”での室内楽も良いものだと思います 次回のクラシカル・プレイヤーズ東京の公演は来年2月1日(土)午後2時からですが、室内楽演奏会第2回は3月21日(金・祝)午後6時からとなっています。2月の方はすでにチケットを入手済みで、3月の方は11月15日発売とのことなので、これも入手するつもりです

 

          

 

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「没後50年記念 フランシス・プ―ランクの夕べ」を聴く~エスプリだけじゃない!

2013年10月24日 07時03分09秒 | 日記

24日(木)。昨夕、初台の東京オペラシティコンサートホールで「没後50年記念 フランシス・プ―ランクの夕べ」を聴きました プログラムは2部構成になっており、第1部が小品を中心とする室内楽、第2部が協奏曲・宗教曲です

「プーランクの曲だけでどれだけの人が集まるのか?」と他人事ながら心配していましたが、会場に入ってビックリしました ほとんど満席です。自席は1階12列12番、センターブロックのかなり前の席です

第1部は①メランコリー、②3つの小品、③モンパルナス、④フルート・ソナタ、⑤クラリネット・ソナタ、⑥六重奏曲が演奏されます。ほとんどが6分から12分程度の短い曲で、六重奏曲だけが約20分ほどかかります。全曲を通じてピアノ演奏は菊池祐介です

1曲目の「メランコリー」と2曲目の「3つの小品」は菊池祐介のピアノ独奏です。「メランコリー」はドビユッシーに曲想が似ていますが、やはり違います。「3つの小品」の第1曲「パストラーレ」は聴いていてプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の一部の曲が頭に浮かびました

菊地とともに、ソプラノの臼杵あいが朱色のドレスで登場、3曲目の「モンパルナス」を歌います アポリネールの詩に曲を付けたものですが、臼杵は両手も使って表情豊かに歌い上げました

4曲目の「フルート・ソナタ」はプーランクの代名詞的な曲です。メロディーを聴けば「ああ、この曲ね!」と思い出す親しみやすい”フランス的”な曲です 淡いブルーのドレスを身にまとった上野由恵のフルート独奏です。ピアノ伴奏に乗せて”アニュイ”な世界を表出します 私も過去に1年間フルート教室に通った経験がありますが、相当な難曲だと思います 上野由恵はニュアンス豊かにいとも簡単に演奏します

この曲は1957年6月にジャン=ピエール・ランパルのフルートで初演されました ランパルで思い出すのは、1983年頃、フルート教室のクラスメイトの女性を誘って上野の東京文化会館に彼の「フルート・リサイタル」を聴きに行った時、まるで2本か3本のフルートを一度に吹いているのではないかと思うほど超絶技巧曲を鮮やかに吹いていたことです

さて、5曲目の「クラリネット・ソナタ」はN響首席・伊藤圭のクラリネット独奏です。とくに第2楽章「ロマンツァ」がしみじみとしたいい曲想です

第1部最後の「六重奏曲」は菊池祐介のピアノ、上野由恵のフルート、大阪フィル首席・大島弥州夫のオーボエ、伊東圭のクラリネット、東京フィル首席・黒木綾子のファゴット、N響・福川伸陽のホルンによって演奏されます

ピアノを後ろに、向かって左からフルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネットという態勢を採ります。3つの楽章から成りますが、かなり賑やかな曲です 演奏を観ていると実に楽しそうです 個性と個性、自己主張のぶつかり合いですが、それでもなお調和が取れているのは、それぞれが他のメンバーの演奏に耳を傾ける余裕を持った実力者揃いという証拠でしょう。見事なアンサンブルでした こういう演奏を聴くと、ますます室内楽を聴きたくなります

こうして一連の小品集を聴いてみると、”軽妙洒脱”で”エスプリに満ちた”クープランの魅力をたっぷり味わった思いがします

 

          

 

第2部は①オルガン、弦楽とティンパ二のための協奏曲、②スターバト・マーテルが、鈴木雅明指揮東京フィル、オルガン=鈴木優人、ソプラノ=臼木あい、新国立劇場合唱団によって演奏されます

東京フィルのメンバーが登場します。通常は、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという態勢を採りますが、今回はヴィオラとチェロが入れ替わっています 鈴木雅明シフトでしょう。弦楽器とティンパ二のみで管楽器は一人も居ません。コンマスはどこかで見たことがあると思ったら、今年6月にサントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデンで、ラヴェルの「ピアノ三重奏曲」をチェロの堤剛、ピアノのクレール・デゼールとともに演奏した依田真宣であることが分かりました 彼の実力はその時のブログに書いた通りです 彼は東京藝大大学院を卒業後、東京フィル、神奈川フィルでゲスト・コンサートマスターを務めており、今回は指揮者が東京フィルの常任ではなく、バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明であることからゲスト・コンマスとして呼ばれたのかも知れません

鈴木優人(鈴木雅明氏の子息)によるパイプオルガンの力強い序奏で「オルガン、弦楽とティンパ二のための協奏曲」が始まります この序奏を聴いただけで、これまでの”軽妙洒脱”なプーランクというイメージが覆されます 曲は単一楽章から成りますが、全曲を通して何かに訴えかける強い主張があります。この曲には衝撃を受けました プーランクの音楽の幅広さと深さを認識させられました

最後の曲は「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)です。オケとともに新国立劇場合唱団が登場しますが、女声24に対して男声36という割合です 曲は全12曲から成りますが、ソプラノ独唱、混声合唱、管弦楽により間断なく演奏されます

第6曲にはソプラノ独唱があり、前半で「モンパルナス」を歌った臼杵あいが白の衣装に”お色直し”してパイプオルガン下に登場、悲しみを歌います プーランクは歌曲のジャンルを最も愛したと言われていますが、歌を生かすためオケの伴奏は控えめに書かれているようです。臼杵のソプラノはもちろんのこと、何と言っても合唱が素晴らしい さすがは世界に通用する新国立劇場合唱団です

この日は、これまでのプーランクに対する”軽妙洒脱”で”エスプリに満ちた”というイメージを一新する有意義なコンサートを聴くことが出来て、とてもラッキーでした

 

          

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「新潮45」編集部編『凶悪~ある死刑囚の告発』を読む~恐るべき事実

2013年10月23日 07時01分29秒 | 日記

23日(水)。昨夕、NHKの「クローズアップ現代」を観ていて、終わってからもテレビを点けっぱなしにしていたら「歌謡コンサート」という番組が始まりました。五木ひろしが歌を歌い始めると、娘が「あっら~、コロッケそっくり~。本当にこういう動きをするんだ~」とのたまいました われわれの世代は、まず五木ひろしがいて、それをコロッケが真似をして「あ~、そっくりだ」と言って感嘆するのですが、今の若い世代は、まずコロッケがいて、誰かのモノマネをして、本人が出てきたときに「あ~、そっくりだ」と感嘆するみたいです。本末転倒ですね

私は観ていなかったのですが、次に森昌子が出てきた時に階段かどこかでコケたらしいのです 娘が「いま、森マサコがコケたよ」と言うので、「それじゃあ、森マサカだね」と返したら、ほとんど無視されました。身内に無視されるって寂しいものですね

 

  閑話休題  

 

「新潮45」編集部編『凶悪~ある死刑囚の告発』(新潮文庫)を読み終わりました 編集部編となっていますが、実質的には2008年から「新潮45」の編集長を務めている宮本太一氏が執筆しています

外務省のラスプーチンと呼ばれた元外務省主任分析官・佐藤優氏が「解説」に次のように書いています

「本書は少なくとも過去十年に私が読んだ殺人事件を扱ったノンフィクションのなかで最大の衝撃を受けた作品である 資本主義社会においては、すべてをカネに転換することが可能である。保険金殺人で人間の命をカネに換える『死の錬金術師』が現実に存在するのだ しかも、その主犯が法の裁きを受けずに市民社会の中で平穏に暮らしていく。この犯罪が明るみに出たのは、主犯とともに殺人を実行した後藤良次氏の告白による。しかも、この告白は、警察官や検察官に対して行われたのではなく、一人の編集者に対して行われた

新潮社の記者・宮本氏は元ヤクザの後藤良次氏から「人を殺して、その保険金を手に入れる”先生”と呼ばれる男がいる。自分は”先生”の命令によって何人かを殺し保険金を手に入れる手伝いをした。しかし、”先生”は自分を裏切って舎弟を見殺しにして自殺に追いやった 復讐するため”先生”を告発する。ついては宮本氏に本当のことを打ち明けるので雑誌で公表してほしい」と打ち明けられます

宮本氏は相手が元ヤクザで拘置所に収監中の殺人犯であることから、信じていいものかどうか悩んだ末、現場を歩き、関係者に取材し、告発が本物であることを確信します 元ヤクザと雑誌記者の連携による”先生”の悪事への追及は最終的に警察を動かし、本物の「凶悪」を追い詰めていきます

「本当にこんなことがあるんだろうか?」と思うほど残酷な”凶悪犯”が現実に存在していたことに驚きますが、まだ捕まっていない”凶悪犯”も何気ない顔をしてのうのうと生きているのかも知れないと思うと、戦慄を覚えます

 

         

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映画「舟を編む」を観る~辞書作りに命を懸けるある男の物語

2013年10月22日 07時00分32秒 | 日記

22日(火)。昨日、会社帰りに文京シビックホールに隣接する「文京アカデミー」に「響きの森クラシック・シリーズ」2014-2015シーズン・セット券を引き取りに行きました 来年5月から再来年3月までの間に4回のコンサートを聴きますが、S席で19,000円、1回あたり4,750円と割安です。プログラムと出演者は10月3日付toraブログで紹介したとおりですが、オケは東京フィルハーモニーです 座席は今まで通り、1階17列のセンターブロック通路側席を押さえました

 

          

 

  閑話休題  

 

先日もこのブログで紹介した東急沿線スタイルマガジン「SALUS」11月号に音楽ライターの飯尾洋一氏が「コンサートの事件簿」という連載コラムに「『感動の形』クラシック流」というタイトルでエッセイを書いています 要約すると、

「クラシックのコンサートは、何回もカーテンコールをやる。それは演奏中に舞台と客席との間に応答がないからだ せめて拍手とブラボーでカーテンコールを繰り返して喜びを表現したい カーテンコールを何回で終わらせるのか、客席とステージとの”あうんの呼吸”で決まれば良いが、たまに気が合わない時がある。分かり易い終わりのサインは、客席の照明がついた時が最後のカーテンコールということだ 楽団が居なくなっても拍手が鳴り止まないこともたまにある。特別な名演奏が誕生したという証拠だ 指揮者だけがステージに姿を現す。この『ソロ・カーテンコール』には、そうめったには出会えない

まったくその通り。ですが、私の場合、カーテンコールは5回までが限度です。それ以上は付き合っていられません。拍手が続いていようが、さっさと帰宅します。はっきり言って”普通の”コンサートの場合、カーテンコールはチャチャッと終わりにして欲しいと思います ところで、カーテンコールの回数もそうなのですが、私はその内容も問題だと思っています

例えば、オーケストラの場合、指揮者が管楽器奏者を一人一人立たせたり、楽器グループごとに立たせたりしますが、やり過ぎると途中でウンザリします 外来オーケストラの場合は比較的淡泊なのですが、特に日本のオケを日本の”客員”指揮者が振るケースでは、「あんた、オケの一人一人全員を立たせるつもりかい」と思うような、しつこいカーテンコールが少なくありません。楽員を持ちあげて印象を良くして「また呼んでちょうだいね」という意図が見え隠れしているようで、とても嫌な感じがします もちろん、演奏者は指揮者に指名されて嬉しいでしょうが、限度というものがあります。それに、どうして管楽器奏者だけが指名されるんでしょうか?弦楽器だって頑張っています・・・・・ということで回数が増えるのでしょうか。きりがありません やっぱりチャチャッとやってください

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日に続き20日に飯田橋のギンレイホールで観た映画のうち、2013年制作の「舟を編む」のことを書きます

原作は「まほろ駅前多田便利軒」で第135回直木賞を受賞、本作で2012年本屋大賞第1位に輝いた三浦しおんです

出版社・玄武書房に勤める馬締光也(まじめみつや)は、営業部で変わり者として煙たがられていたが、言葉に対する非凡なセンスを買われて辞書編纂部に異動になる 新しい辞書『大渡海(だいとかい)』を編纂するため個性派揃いの先輩編集者たちと、見出し語24万語、完成まで15年の作業に取り掛かる編集方針は「今を生きる辞書」。「ら抜き言葉」などに代表される、いわゆる現代若者言葉も収録する辞書が目標だ

ある日、下宿先のおばあさんの孫娘・林香具矢(はやしかぐや)に出会うが、口下手な馬締はプロポーズできず、達筆な筆の手紙を書く。達筆すぎて読めない香具矢は職場の上司に読んでもらい恥ずかしい思いをする。しかし、それがきっかけで二人は結ばれる。そして、三校、四校・・・・と校正作業が続き、15年後見事に「大渡海」は完成する

 

          

 

役者揃いです。主人公の馬締光也には、見るからに真面目な感じの松田龍平 その妻・香具矢には何を演じてもぴったりはまる宮崎あおい お調子者の先輩編集者には、”いかにも”という感じのオダギリジョー そして辞書編集部のベテラン編集者陣は加藤剛、小林薫、伊佐山ひろ子といった個性派で固めています

なぜ「舟を編む」というタイトルなのか、の答えはチラシに次のように書かれています

「辞書は、言葉の海を渡る”舟”。ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために」

辞書を編纂するという仕事がいかに地道で根気の求められる作業か、それに携わっているのは「言葉」が大好きな人たちなのだ、ということが何気なく伝わってくる映画です

 

          

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