31日(日)。今日でコロナコロナで明け暮れた5月も終わりです コロナという言葉を見たり聞いたりしない日はなかったと思います 1日も早く忘れたいと思う きょうこの頃です
さて、右肩が凄く痛むので昨日午前、いつも通っている整骨院に行って診てもらいました ひと言でいえば、右の腕が上がらないほど痛いのです かつて経験のある五十肩と同じような痛みです。しかし、先生はインナーマッスルの棘上筋(きょくじょうきん)の一部が切れていると思われる、との診断でした 電気治療とマッサージをして、テーピングをしてもらいました それにしても、右手首の腱鞘炎が治りかけたと思った矢先に今度は右肩の筋肉の痛みです 案の定、先生からは「安静にして 動かさないように」という厳命が下されました
原因はこれです
現在、この本=クリスチャン・メルラン著「オーケストラ」を読んでいますが、590ページあります。料理用の秤で測ったら650グラムありました ベッドに仰向けになって、本を両手で持って毎日ぶっ続けで読んでいたのです 筋肉が本を支えきれなくなって悲鳴を上げたのだと思います 今まで週に2~3回だった整骨院通いは来週から毎日になります。トホホ
ということで、わが家に来てから今日で2069日目を迎え、25日に起きた米国ミネソタ州ミネアポリスでの警官による黒人死亡事件で 一部のデモ隊が暴徒化したしたことに関し、29日 トランプ大統領が「略奪が始まれば銃撃も始まる」とツイッターに投稿したことに対し、運営するツイッターは「暴力を賛美し、ルールに違反している」との注意書きを張り付けた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
こういうアホなツイートを繰り返しながら トランプは自滅の道をひた走っていく
昨日、久しぶり(2か月ぶり?)に喫茶店で新聞を読みました 以前は巣鴨駅前のSカフェに通っていたのですが、今回 初めて地蔵通り商店街のTズに行ってみました 店内は椅子と椅子の間が離され、かなり余裕をもって座ることが出来ました コーヒーの単価はSカフェより1割くらい高いですが、風通しのよさや店内の雰囲気を考えるとリーズナブルかなと思いました
そこで朝日新聞朝刊を読んでいたら、コラム「ことば/サプリ」で「終息と収束」の違いを解説していました 校閲センター・加藤氏の解説を超訳すると、
「いずれもシュウソクと読む同音異義語。『終息』は物事が『終わる、絶える』ことを指す。澤井直・順天堂大助教によると『疫病についての旧内務省の報告では、一貫して”終熄”が使われている。現代でも、衛生学の論文では、感染症には”終息”を使う例が多い』という 一方、『収束』は『集めて束ねる』という意味。政府のコロナ対策専門会議の資料には『短期的収束』『収束のスピードが期待されたほどではない』などの記述がある。『終わり』という結果ではなく、収まっていく過程に注目する時は『収束』の字をあてることが多いようだ 加えて、行政や民間の取り組みによってコロナ禍を『抑え込もう』という文脈では、『収束』がしっくりきそうだ 医師をしている友人の話では、『小康状態なら収束、根絶なら終息』というイメージとも 人々の営為で感染を徐々に『収束』させていき、最後には完全に『終息』する。平穏な日常を一日も早く取り戻したいものだ」
コロナ禍の影響で、今の大学4年生は大変ですね それは『就職』
昨日の朝日朝刊 総合面に「専門家会議の議事録残さず 『歴史的事態』の検証 問われる政権姿勢」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、
「医薬業界専門紙『リスファクス』は28日、同紙からの専門家会議の情報開示請求に対し、内閣官房が議事録は『不存在』として不開示決定をしたと報じた 菅義偉官房長官は29日の閣議後会見で、専門家会議は、公文書管理のガイドラインが定める『政策の決定または了解を行わない会議等』に該当すると主張。一方、専門家会議の尾身茂副座長は29日の会見で、同日の会議でメンバーから、発言者の記載がある議事録の作成を求める声があったことを紹介した」
この記事を見て、真っ先に頭に浮かんだのはアルベール・カミュの長編小説「ペスト」です この小説は今から70年以上も前の1947年に書かれていますが、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、あらためて注目を浴びています ペストが去った後、主人公の医師リウーは、起こった出来事を書き残そうと決意します それは、人々が今後 同じ苦しみを味合わなくて済むようにという配慮からです
「100年に1度の大惨事」への専門家の対応を議事録として残さないという判断は どこから出てくるのか 実に不思議な政権だ モリ カケ サクラ では公文書の改ざん、隠蔽、廃棄をやってのけた現政権は、今度は記録を作ることもしないという 何を隠そうとしているのか??? 過ちに過ちを上塗りすることにならないか
今日は日本作曲界の巨匠・伊福部昭の誕生日です 伊福部昭(1914-2006)は、今から106年前の1914年5月31日に北海道釧路市に生まれました 北海道帝国大学農学部林学実科卒業後、北海道庁厚岸森林事務所に勤務したという変わった経歴の持ち主です デビュー作「日本狂詩曲」をはじめ、「シンフォニア・タプカーラ」、「ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナート」など数々の名曲を作曲し、芥川也寸志や黛敏郎ら多くの作曲家を育てました 彼の名前を知らない人でも、水爆実験により海底に潜んでいた怪獣が首都東京を襲撃するという映画「ゴジラ」(第1作は1954年)の音楽を作曲した人だと言えば分かりやすいでしょう 彼はこのほか「ビルマの竪琴」や「座頭市」シリーズなど多くの映画音楽を手掛けています
晩年には東京音楽大学で後進の指導にもあたりましたが、2006年2月8日、多臓器不全のため91歳で亡くなりました
私は1度だけコンサート会場で伊福部昭氏の姿を見たことがありますが、上下白のスーツを鮮やかに着こなしていたダンディな姿を思い出します
下の本=伊福部昭著「音楽入門」は2003年に刊行された単行本を2016年に文庫化したものです 「真の美しさを発見するためには、教養と呼ばれるものを否定するくらいの心構えが必要です」という伊福部音楽の本質を語った音楽入門書です 「聴覚は最も原始的な感覚であり、本能を揺さぶるリズムにこそ本質がある」という独自の音楽観に貫かれています