人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

上岡敏之✕森谷真理 ✕ カトリン・ゲーリング ✕ 新日本フィルでマーラー「交響曲第2番ハ短調”復活”」を聴く~新日本フィル第602回定期演奏会(ジェイド)

2019年03月31日 07時52分53秒 | 日記

31日(日)。早いもので3月も今日で終わり、2018年度も終わりです   平成時代も残すところあと30日となりました。油断も隙もあったものではありません

 

         

 

昨日、すみだトリフォニーホールで新日本フィル第602回定期演奏会(ジェイド)を聴きました プログラムはマーラー「交響曲第2番ハ短調”復活”」です 出演はソプラノ=森谷真理、メゾ・ソプラノ=カトリン・ゲーリング、合唱=栗友会合唱団、管弦楽=新日本フィル、指揮=上岡敏之です

この曲はグスタフ・マーラー(1860-1911)が1887年から88年にかけて作曲し、1895年3月にベルリンで第3楽章までが初演され、95年12月13日、マーラー指揮ベルリン・フィルによって全曲が初演されました。この曲は、第3楽章まで書き上げたのち、ハンス・フォン・ビューローの死にあい、その葬儀で聴いたクロプシュトックの詩による「復活」の合唱に感銘を受け、同じ詩による合唱を第5楽章で用い、第4楽章には歌曲「子どもの魔法の角笛」の「原光」によるアルト独唱を加えています

第1楽章「アレグロ・マエストーソ:徹底して深刻で厳粛な表現で」、第2楽章「アンダンテ・モデラート:きわめてゆっくりと。決して急がないで」、第3楽章「穏やかに流れるような動きで」、第4楽章「『原光』:きわめて荘厳に、しかし簡素に」、第5楽章「終曲:スケルツォのテンポで。荒野に叫ぶ者」の5楽章から成ります

マーラーは、当初第1楽章を「葬礼」として単独で出版しようとしましたが失敗し、交響曲第2番の第1楽章としました マーラーの考えは、交響曲第1番の”巨人”の葬送音楽を第2番の第1楽章とするというものです マーラーは、第1楽章の終わりに「ここで少なくとも5分の休みを置くこと」と指示しており、また 第3楽章から第5楽章までは切れ目なく演奏されることから、この交響曲を第1楽章を第1部、第2楽章を間奏曲、第3~第5楽章を第2部として捉えていたことが窺えます

オケのメンバーが配置に着きます。弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの新日フィルの並び。コンマスはチェ・ムンス氏です   いつものように第2ヴァイオリンの篠原英和氏を確認。ところが松崎千鶴さんの姿が見えません。どうやら降り番のようです。チョー寂しい   第2ヴァイオリンのトップには田村安沙美さんと並んで東響フォアシュピーラーの福留史紘氏の姿が見えます。新日フィルさん、レンタルしましたね

 

     

 

上岡氏の指揮で第1楽章が開始されます。冒頭は運命のクサビが打ち込まれるような音楽です ただ、全体的にはゆったり目のテンポを取ります 上岡氏の指揮を見ていると、時にタクトを演奏者に突き付けるような激しいアクションを見せ、演奏者はいつタクトが向けられるか緊張しているように見えます 局面に応じて、ホルンにベルアップ奏法を求めます。多分 楽譜通りなのでしょう 前述の通り、この楽章の後は「少なくとも5分の休みを置くこと」になっていますが、現代においてマーラーのこの指示を守る指揮者は皆無と言っても良いかも知れません 時は路面電車の時代ではなく、ジェット機・超高速鉄道の時代です。上岡氏はたったの1分の間合いで第2楽章に入りました。現代のマーラーです 第2楽章のレントラー風の音楽は指揮者も楽員もリラックスして演奏している様子が窺がえます この楽章が終わると、P席に栗友会の男女混声合唱が入場します。男声55人、女声84人の大合唱団です タイミングを同じくしてソリストの森谷真理さんとカトリン・ゲーリングさんがオケの後方中央にスタンバイします この間、時間にして1分強です 指揮者によっては、第1楽章終了後に合唱とソリストを入れて時間を稼ぐ人もいますが、1分強でスタンバイが完了してしまうとなると、とても5分は持ちません

第3楽章は実質的なスケルツォです。軽快かつ皮肉っぽく音楽が進みます 続けてアルト独唱により第4楽章に入ります。ライプツィヒ、ドレスデンで声楽を学び、上岡氏との共演も何度かあるカトリン・ゲーリングは、どちらかと言うと、同じメゾ・ソプラノでも明るい性質のメゾで、とくに高音が美しく響きます 続いて強烈な音楽とともに第5楽章に突入します。舞台裏のバンダ(トランペット、ホルン、打楽器)とステージ上の演奏者との対話を交えながら音楽が進みます 中盤になると、舞台裏のトランペット、ホルン、ティンパニとステージ上のフルートとピッコロとの対話があり、静かに無伴奏による合唱が「蘇る」を歌い出し、森谷真理さんのソプラノが寄り添います ここはこの曲のクライマックスと言っても良いでしょう。ここまでは、これ以上遅く演奏するのは不可能だろうというほどの超スローテンポでしたが、終盤になると、いきなりテンポアップし「生きるためにこそ、私は死ぬのだ」という歌とともにパイプオルガンと鐘の音が荘重に鳴り響き、クライマックスを迎えます。圧倒的なフィナーレでした

この日の演奏の楽章ごとの所要時間は

第1楽章=22分、第2楽章=9分、第3楽章=12分、第4楽章=5分、第5楽章=35分、合計=83分でした

参考までに私の愛聴盤であるオットー・クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団による演奏(1965年録音)は次の通りです

第1楽章=20分28秒、第2楽章=10分42秒、第3楽章=11分59秒、第4楽章=4分7秒、第5楽章=32分24秒、合計=79分43秒

これから分かることは、特に第1楽章と第5楽章が上岡✕新日フィルの方が演奏時間が長いということです どちらが優れているという問題ではなく、音楽作りのアプローチの違いです

この日の新日フィルは、曲が曲だけにエキストラ奏者がいつもより多かったようですが、金管、木管、打楽器、オルガンともに終始集中力に満ちた演奏を展開しました ソリストの二人は美しい歌声で聴衆を魅了しました 栗友会の合唱は静かな感動を呼び、時に迫力に満ちた合唱を繰り広げていました

終了直後フライングブラボー・拍手があったのは残念でしたが、熱狂的に閉じる曲の場合は微妙ですね ただし、基本は指揮者のタクトが下りてからであることは言うまでもありません

 

     

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ジャンヌ・モロー主演「エヴァの匂い」、ジャン=ポール・デルモンド主演「ダンケルク」を観る~新文芸坐

2019年03月30日 07時20分50秒 | 日記

30日(土)。わが家に来てから今日で1639日目を迎え、政府は29日午前、新たな元号の選定手続きに関する検討会議を首相官邸で開き、4月1日11時半ごろ官房長官が新元号を公表し 正午ごろ首相が「談話」を発表することを確認した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     エイプリルフールの日の発表だから 11時半より前の情報はすべてフェイクだな!

 

         

 

昨日は春の陽気が一気に冬に戻ったような寒さだったので、夕食は「海鮮中心の寄せ鍋」にしました 材料は牡蠣、海老、ホタテの貝柱、白菜、エノキダケ、シイタケ、豆腐です

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐で「エヴァの匂い」と「ダンケルク」の2本立てを観ました

「エヴァの匂い」はジョセフ・ロージー監督による1962年イタリア・フランス合作映画(白黒・113分)です

エヴァ(ジャンヌ・モロー)は高価な宝石や最新流行の衣装を身にまとい、強力な性的魅力を発散させながら、ヴェニスの社交界に派手な噂を振りまいている 何人もの男が彼女のために身を滅ぼしたという 新進作家のタイヴィアン・ジョーンズ(スタンリィ・ベイカー)は、ある雨の夜エヴァと知り合って以来、それまで順風満帆だった運命が大きく歪んでいく 彼はエヴァの魅力にすっかり魅了され 金も仕事も投げうって彼女を追いかけ回す そのため、婚約者のフランチェスカを失望させ死に追いやってしまう それでも彼は諦めずにエヴァを付け回すが、結局 金だけが趣味の彼女に捨てられてしまう


     


この映画は、一人の女性に入れ込んだあげく、財産も 婚約者も 友人も すべてを失った売れっ子小説家気取りの馬鹿な男の物語、と言ってしまえばそれまでですが、製作が凝っています ジャンヌ・モローが身に着けているものは衣装から、宝石、ハンドバッグに至るまですべてピエール・カルダンのデザインによるものです タイヴィアン・ジョーンズがエヴァに「そんなにたくさんのお金を何に使うんだい?」と訊くと、エヴァは「レコードを買うのよ」と応えます。この映画では、エヴァがポータブル・プレイヤーにレコードをかけて音楽を流すシーンが頻繁に出てきますが、流れてくるのはミシェル・ルグランによる音楽です 全編に流れるジャズはこの映画によく似合います


         

 

「ダンケルク」はアンリ・ペルヌイユ監督による1964年フランス・イタリア合作映画(124分)です

時は1940年、ドイツ軍のフランス侵攻により、港町ダンケルクに英仏連合軍の兵士40万人が追い込まれた フランス人軍曹ジュリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)は、イギリス軍を撤退させる軍艦に便乗しようとしたものの失敗してしまう そんな中、彼は現地の少女ジャンヌ(カトリーヌ・スパーク)と親しくなるが、ある日、彼女の家に押し入った2人の仏兵がレイプしようとする現場に駆け付け、2人を射殺してしまう そのことに罪悪感を抱くジュリアンだったが、仲間たちは当然のことをしたまでだ、と彼をかばう 除隊してジャンヌとともに暮らす決心をしたジュリアンだったが、容赦のないドイツ軍の攻撃がそれを許さなかった


     


この映画は第2次世界大戦下のダンケルクの戦いを映画化した戦争ドラマです  昨年1月に新文芸坐で観たクリストファー・ノーラン監督による2017年アメリカ映画「ダンケルク」とは、タイトルは同じでも全く内容が違います 2017年製作映画の方は、民間の船舶を総動員してダンケルクの兵士たちの救出にあたる「ダイナモ作戦」に重きをおいて描いていました

ジュリアンは仲間の死に際し、元神父の仲間に「神はなぜ助けてくれないんだ?」と問いますが、「信じる者を助ける」としか答えません しかし、ジュリアンは納得できません 多くの兵士はキリスト教徒だと思うが、それでも戦争に駆り出されたら多くの者が死んでいく、偽善ではないのか・・・というのがジュリアンの本音ではないか、と思います

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アラン・ドロン主演「太陽はひとりぼっち」「太陽がいっぱい」を観る ~ テーマ音楽とともに思い出す映画:新文芸坐 / モコタロ本日から現場復帰!!

2019年03月29日 07時21分28秒 | 日記

29日(金)。皆さま、しばらくご無沙汰しておりましたモコタロが久しぶりに現場復帰します 2月23日のブログを最後にtoraブログの表紙から遠ざかっていましたが、体重はまだ元に戻っていないものの、毎日リンゴジュースで溶いて飲んでいる薬のお陰もあってローリング(体を回転させる)もなくなり、食欲は以前にも増して旺盛です これからは毎日とまではいきませんが、折をみてブログの表紙を飾る契約に調印しましたので 今後ともよろしくお願いいたします

というわけで、わが家に来てから1638日目を迎え、再登場の口上を述べるモコタロです

 

     

       まだ頭が左に傾くのは治らないけど 左翼じゃないから そこんとこよろしくね! 

 

         

 

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」を作りました 約2週間ぶりですが、作り置きしてある栗原はるみ先生による「うまみじょうゆ」が残っているので、それを使いました。したがってレシピは栗原はるみ先生のものです   少し揚げてもつまらないので、800グラム揚げました。これで2人分ですが、どうでしょう

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐で「太陽はひとりぼっち」と「太陽がいっぱい」の2本立てを観ました

「太陽はひとりぼっち」はミケランジェロ・アントニオーニ監督・脚本による1962年イタリア・フランス合作映画(126分)です

ビットリア(モニカ・ビッティ)は明白な理由もないまま婚約者と別れ、退屈な日々を送っていた ある日、投資家の母が通う証券取引所で知り合った株式仲買人の青年ピエロ(アラン・ドロン)と急接近し、新たな恋を始めようとする しかし、ピエロが本気なのに対し、ビットリアの気持ちは常に揺れていた。それでも二人はまた明日会うことを約束する

 

     

 

ビットリアは婚約者から「俺のことが嫌いになったのか、それとも結婚するのが嫌なのか?」と訊かれ、「分からない」と応えます ピエロとの間でも同じような問答が交わされます。「分からない」というのは「本当にこの人と結婚して後悔しないだろうか?」と迷う結婚前のビットリアの嘘偽りのない気持ちだと思います そんな”迷える女性”をモニカ・ビッティが好演しています

この映画を観ていて面白いと思ったのは、証券取引所での株式売買の立ち合いのシーンです 今でこそコンピューター制御によって株式売買は”クール”に行われていますが、当時のそれは生身の人間が大声を出して売り買いを叫ぶ”ホット”な戦争です 映画はこうした当時の世相を反映したシーンが映し出されるところが面白いのです

それから、ジョバンニ・フスコが作曲し ミーナが歌う主題歌が素晴らしい この映画はこの音楽とともに思い出します

 

     

 

         

 

「太陽がいっぱい」はルネ・クレマン監督・脚本による1960年フランス・イタリア合作映画(118分)です

貧しい青年トム(アラン・ドロン)は、金持ちの道楽息子フィリップ(モーリス・ロネ)の父親に頼まれ、フィリップを連れ戻すためナポリにやってきた   金にものを言わせマルジェ(マリー・ラフォレ)と遊びに明け暮れるフィリップに怒りと嫉妬を覚えたトムは、フィリップを殺して彼に成りすまそうと計画し、実行に移す 完全犯罪が成し遂げられるかと思われたが、最後に殺人の動かぬ証拠が出現する

 

     

 

この映画が良く出来ていると思われるのは第一にパトリシア・ハイスミスの原作が良いからです   そしてその原作をベースに優れた脚本を書き それを映画化したルネ・クレマンが素晴らしかったからです    アラン・ドロンはこの作品により一躍スターに昇り詰めました

さらにこの映画の良さを決定付けているのは ニーノ・ロータによる どこかノスタルジックな音楽です この映画も彼の音楽とともに思い出します

 

     

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東京春祭「ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽」を聴く ~ マーラー「ピアノ四重奏曲 断片」、シューマン「ピアノ四重奏曲」、ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」 = 名曲名演奏!

2019年03月28日 06時55分10秒 | 日記

28日(木)。新国立劇場から2019/2020シーズンのオペラ・チケット10枚セットが送られてきました 新シーズンは全10回公演のうち4公演が新制作ということで、大野和士芸術監督の意欲を感じます 新制作は①チャイコフスキー「エウゲニ・オネーギン」(10月)、②ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」(11月)、③ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」(2020年4月)、④ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(6月)です 銀行口座から自動引き落としされるのは5月10日とのこと。覚悟は出来ています。資金繰りは出来ていません

 

     

 

         

昨日、夕食に「豚肉と大根の炒め煮」と「トマトとキャベツとシメジのスープ」を作りました 「豚肉~」は 炒めてからじっくり煮込んだので味が良く染み込んで 美味しく出来ました

 

     

 

         

 

昨夕、東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭2019「ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽」公演を聴きました プログラムは①マーラー「ピアノ四重奏曲(断片)イ短調 」、②シューマン「ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47」、③ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25」です 演奏はヴァイオリン=ノア・ベンディックス・バルグリー(第1コンマス)、ヴィオラ=アミハイ・グロス(第1ソロ・ヴィオラ)、チェロ=オラフ・マニンガー(ソロ・チェロ)、ピアノ=オハッド・ベン・アリです

 

     

 

自席は前日と同じG列右ブロックです 会場はほぼ満席です。さすがに集客力があります

1曲目はマーラー「ピアノ四重奏曲(断片)イ短調 」です この曲はグスタフ・マーラー(1860-1911)が1876~78年頃作曲し、コンクールのためにロシアに送った曲の断片です

4人の演奏者が登場し 演奏に入りますが、冒頭からミステリアスな曲想が展開します とくにチェロの深みのある音色が印象的です。この曲を聴きながら、2009年のアメリカ映画「シャッター・アイランド」の冒頭のシーンを思い浮かべました この映画はマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演による作品ですが、閉ざされた島の建物の中でこの曲がミステリアスに流れていました ブラームスかだれかの室内楽だと思って聴いていたのですが、後でマーラーの初期の曲であることが分かり、この映画にピッタリだなと感心したことを覚えています

2曲目はシューマン「ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47」です この曲はロベルト・シューマン(1810‐1856)が1842年に作曲した作品です 第1楽章「ソステヌート・アッサイ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ」、第3楽章「アンダンテ・カンタービレ」、第4楽章「フィナーレ:ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

第1楽章を演奏する4人を見ていたら、お互いにアイコンタクトを取りながら実に楽し気に演奏していて、聴いている側も楽しくなってきました シューベルトの「シューベルティアーデ」を持ち出すまでもなく、室内楽って本来こういうものでしょう 4人は第2楽章から第3楽章へは間を置かずに入りました。この第3楽章「アンダンテ・カンタービレ」が素晴らしい メイン・テーマがチェロからヴァイオリンに受け継がれますが、ロマンの極致をいく演奏です 中盤に入ると、今度はヴィオラがそのテーマを奏でますが、この演奏も素晴らしい

私がこの曲のこの楽章を意識するようになったのは、2月20日に東京芸術劇場で開かれた新日本フィルのコンサート(2019都民芸術フェスティバル)でリストの「ピアノ協奏曲第1番」のソリストを務めた伊藤恵さんが、コンマスの西江辰郎氏、ヴィオラ首席の篠崎友美さん、チェロ首席の長谷川彰子さんを巻き込んでアンコールで演奏した時です オーケストラのアンコールでピアノ四重奏曲を演奏するのは極めて異例ですが、「この曲の魅力を知ってほしい」という伊藤さんの気持ちはよく分かります。とても良い曲だと思いました

第4楽章の冒頭はモーツアルト「ピアノ協奏曲第23番K.488」の第3楽章「アレグロ・アッサイ」の冒頭部分によく似ています シューマンはモーツアルトを意識していたのでしょうか 4人の演奏は喜びに満ちた演奏で、この曲がより一層好きになりました

 

     

 

プログラム後半はブラームス「ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833‐1897)が1861年に作曲した名作です 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「インテルメッツォ:アレグロ・マ・ノン・トロッポ~トリオ・アニマート」、第3楽章「アンダンテ・コン・モート」、第4楽章「ジプシー風ロンド」の4楽章から成ります

この曲では、オハッド・ベン=アリのピアノが俄然、前面に出てきました 4人はこの曲でもお互いにアイコンタクトで間合いを取りながら演奏する姿が見られました 第1楽章の”サビ”の部分ではとても気持ち良さそうに演奏します 第2楽章を経て、第3楽章のアンダンテは見事なアンサンブルによってブラームスの魅力が全開です そして第4楽章のジプシー風ロンドは唖然とするほどの超高速で駆け抜けます

最後の音が鳴り終わるや否や、満場の拍手とブラボーの嵐がステージの4人に押し寄せました こういうのを「名曲名演奏」と言うのでしょう

ヴァイオリンのノア・ベンディックス=バルグリーはアメリカのノースカロライナ州出身、ヴィオラのアミハイ・グロスはエルサレム出身、チェロのオラフ・マニンガーはドイツ出身と、ベルリン・フィル団員3人の国籍はすべて異なりますが(因みにピアニストのオハッド・ベン=アリはイスラエル出身)、演奏に国籍はまったく関係がないことを彼らは証明して見せました こういう優れたアーティストが世界各国から集まったインターナショナルなベルリン・フィルだからこそ、世界で1位、2位を争うオーケストラの地位を長年維持しているのでしょう 雑誌の対談で指揮者の大友直人氏が「一流の上には超一流がある」と語っていた「超一流」というのは、彼らのようなアーティストを指すのだと、つくづく思いました

 

     

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東京春祭「名手たちによる室内楽の極」を聴く ~ モーツアルト「ピアノ四重奏曲第1番」、R・シュトラウス「ピアノ四重奏曲」他 / シカゴ響ストライキ / ドゥダメルのインタビュー

2019年03月27日 00時04分21秒 | 日記

27日(水)。昨日の日経朝刊 社会面に「名門シカゴ響 スト 2週間」という記事が載っていました。超訳すると

「シカゴ交響楽団で労使交渉が決裂し、楽団員が10日の公演後から2週間にわたりストライキを実施している 24日の段階でも再開のめどは立たず、長期化する可能性がある。音楽監督を務めるムーティ氏も連帯する姿勢を表明、指揮者バレンボイム氏や民主党のペロシ下院議長らも楽団員への支持を表明している 楽団関係者によると、争点の中心は年金システムの変更で、給与アップなども示したが組合は拒否。提示された給与も『他の楽団より水準が低い』と反発している

この記事を読んで真っ先に思い出したのは2011年のフィラデルフィア管弦楽団の倒産です 幸い2012年には世界初の民事更生法の更生手続きを経て、ヤニック・ネゼ=セガン新音楽監督のもとで復活しましたが、まだまだ労働条件は厳しいのではないかと推測します

オーケストラの楽団員も給与で生活する労働者ですから、労働条件が悪化するような提案が為されれば当然拒否するでしょう アメリカのオーケストラは、日本と違って企業や個人からの寄付金収入が大きな割合を占めていると聞いていますが、それを増やすにも限度があるでしょう 楽団員は無料コンサートでファンらに理解を訴えているそうですが、無料では収入ゼロです  経営を安定させるには収入を増やすか経費を削るかしかありませんが、楽団経営者側の”経営努力”はどうなっているのでしょうか いずれにしても、経営者側には楽団員が安心して演奏できる環境を整えてほしいと思います そのことが引いては、よい演奏に繋がると思うので

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のトマト煮」を作りました 娘のリクエストです。もう何度も作ったのでコツはつかめました

 

     

 

          

 

昨日の朝日朝刊 文化・文芸欄に指揮者ドゥダメルのインタビュー記事が載っていました。前半部分を超訳すると

「ベネズエラ生まれの指揮者グスターボ・ドゥダメル(38)が今月下旬、音楽・芸術監督を務める米ロサンゼルス・フィルハーモニックと共に来日した 記者会見と朝日新聞の単独インタビューで、経済危機と政情不安で世界の耳目を集める母国への思いを語った。ドゥダメルは子供に楽器を貸与して音楽を教えることで協調性を養い、社会変革を目指すベネズエラ発祥のプロジェクト『エル・システマ』の申し子だ ベルリン・フィル、ウィーン・フィルへの客演など国際舞台で活躍する一方、エル・システマ出身者でつくるシモン・ボリバル交響楽団の音楽監督として、指導を続けてきた しかし2017年、混乱が続くマドゥロ政権を批判したことで、シモン・ボリバル響の米国ツアーは中止された。自身は2年半前から国に帰れずにいる 『自分の思ったことを言えないのは民主主義ではないですよね。この状況が変わることを心底願っている』と語る 現在はスカイプなどを使って母国と連絡を保っている。『エル・システマは生きている。我々は大きな一つのファミリーであり、関係は変わらない。危機は必ず通り過ぎる。そのときに音楽は人々の傷を癒やすと信じている。音楽は人々を一つにまとめてくれる。トンネルの先の光は近いと確信している 私たちは望みを、夢をなくすことは絶対にない』と語る」

この記事を読んで初めて、ドゥダメルが2年半前から母国ベネズエラに帰れないということを知りました これまで日本の新聞やテレビはこのことを報道してきただろうか

 

         

 

昨夕、東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭2019」の「名手たちによる室内楽の極」公演を聴きました プログラムは①モーツアルト「ピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478」、②ベートーヴェン「弦楽三重奏曲第4番ハ短調作品9-3」、③リヒャルト・シュトラウス「ピアノ四重奏曲は短調作品13」です 演奏は ヴァイオリン=長原幸太(読響コンマス)、ヴィオラ=鈴木康浩(読響ソロ・ヴィオラ)、チェロ=上森祥平、ピアノ=津田裕也です

 

     

 

 自席はG列右サイド通路側です。会場は6~7割くらい入っているでしょうか

曲目はモーツアルト「ピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が1785年(29歳)に作曲した作品です 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「ロンド:アレグロ・モデラート」の3楽章から成ります

4人が登場し配置に着きます。読響コンビの長原&鈴木が両サイドにいると何故か嬉しくなります 第1楽章はモーツアルトのト短調特有のデモーニッシュな雰囲気が良く出た演奏です 第2楽章の調和に満ちた演奏を経て、第3楽章は愉悦感に満ちたモーツアルトらしい音楽が展開します 読響の二人と新日フィルでよく首席客員奏者を務めていた上森氏の実力は十分理解しているつもりですが、予想以上に良かったのが津田裕也氏のピアノでした 3人の弦楽奏者との相性は抜群でした

曲目はベートーヴェン「弦楽三重奏曲第4番ハ短調作品9-3」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1797年から98年にかけて作曲した3つの「弦楽三重奏曲作品9」の一つです 第1楽章「アレグロ・スピリト」、第2楽章「アダージョ・コン・エスプレッシーヴォ」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:プレスト」の4楽章から成ります

この曲は、モーツアルトが「ピアノ四重奏曲第1番」を作曲したのとほぼ同じ20代の終わりに作曲されましたが、演奏を聴く限り、まったく曲想が異なります これは当たり前のことですが、同じ短調の曲でもこうも違うのかと思うほどほどです ハ短調は彼の第5交響曲(運命)と同じ調性です。弦楽だけの三重奏にかけるベートーヴェンの意気込みが感じられる意欲的な演奏でした


     

     

プログラム後半はリヒャルト・シュトラウス「ピアノ四重奏曲は短調作品13」です この曲はR.シュトラウス(1864‐1949)が1884年に作曲、翌85年に初演され、マイニンゲン公ゲオルク2世に献呈されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「スケルツォ」、第3楽章「アンダンテ」、第4楽章「フィナーレ」の4楽章から成ります

4人の演奏で第1楽章に入りますが、この楽章における演奏をひと言でいえば「ほとばしる情熱  ロマンの香り高き演奏」です 4人は弱冠20歳のシュトラウスの瑞々しい作品を情念を込めて演奏しました 第2楽章を聴いていて面白いな、と思ったのはフィナーレです シュトラウスの最高傑作「ばらの騎士」のラストで、小姓がゾフィーの落としたハンカチを拾って小走りに退場する時の音楽にそっくりです 第3楽章では弦の3人が良く歌っていました(と言っても、カラオケではありません。悪しからず)。第4楽章は再び情念のこもった演奏が展開します。あらためて思うのはシュトラウスの音楽はどこまでも”饒舌”だということです それはこの曲に限らず、交響詩やコンチェルト、そしてオペラにも共通しています

この曲はフォーレ四重奏団のCDが見つからないので予習が出来なかったのですが、ぶっつけ本番で聴いても十分楽しむことが出来ました 4人はアンコールにリヒャルト・シュトラウスの「アラビアの踊り」(1893年作曲)を超高速で演奏し、熱狂的な拍手を浴びました

この日の4人の演奏は、アンコールを含めてタイトルの「名手たちによる室内楽の極」に恥じない素晴らしいパフォーマンスでした

 

     

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クシシュトフ・ウルバンスキ ✕ ヴェロニカ・エーベルレ ✕ 東京交響楽団でモーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第5番」、ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を聴く~東響第668回定期演奏会

2019年03月26日 00時49分15秒 | 日記

26日(火)。新聞報道によると、桜田義孝五輪相は25日の参院予算委員会で、地元・千葉県で24日にあった集会で東日本大震災について「国道や東北自動車道が健全に動いていた」などと発言したことが事実誤認だったとして謝罪、撤回したとのこと。この人、本当に日本に住んでいるのか? 新聞を読んだことがあるのか? 選挙で選ばれたのか? 第一 やる気あんのか

 

         

 

昨日、夕食に「ひき肉と野菜のドライカレー」を作りました もはやわが家の(というより私の)定番料理です 何回食べても飽きない味です

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第668回定期演奏会を聴きました    プログラムは①モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219”トルコ風”」、②ショスタコーヴィチ「交響曲第4番ハ短調作品43」です ①のヴァイオリン独奏はヴェロニカ・エーベルレ、指揮は1982年ポーランド生まれ、米 インディアナポリス交響楽団音楽監督を務めるクシシュトフ・ウルバンスキです

 

     

 

1曲目はモーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219”トルコ風”」です ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)はザルツブルク時代にヴァイオリン協奏曲を5つ作曲していますが、1773年に書かれた「第1番」を除く4曲は1775年(作曲者19歳)に作曲しました 「第5番」は自筆譜に同年12月20日の日付が書かれています。この曲が”トルコ風”という愛称で呼ばれるのは、第3楽章の第3エピソードが当時流行のトルコ風の音楽を模倣しているからです。第1楽章「アレグロ・アペルト」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ロンド:テンポ・ディ・メヌエット」の3楽章から成ります

曲がモーツアルトの協奏曲ということで、オケは総勢26人の小規模編成です 弦は左サイドにヴァイオリン・セクションを集めるいつもの東響の並びです。コンマスはグレヴ・二キティンです

南ドイツ出身のヴェロニカ・エーベルレが白と黒を基調とするエレガントな衣装で登場、ウルバンスキのタクトで第1楽章に入りますが、彼の足下には指揮台がありません ソリストと同じ目線で曲に臨むということでしょうか 演奏を聴いていて感心するのは、エーベルレのヴァイオリンがどこまでも美しい音色で響いているということです カデンツァはモーツアルト自身の作は現存しません。安田和信氏の「プログラム・ノート」によると、彼女が弾くのはアメリカのピアニストで音楽学者のロバート・レヴィンの作(1992年出版)とのことです 私は初めて聴きましたが、技巧的な曲です。第2楽章は弱音によるカンタービレがクリアで素晴らしい 彼女は弱音を慈しむように丁寧に紡いでいきます 第3楽章を含めて彼女の演奏は、彼女自身の立ち姿のようにエレガントでした

会場いっぱいの拍手にエーベルレは、プロコフィエフの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ  ニ長調作品115」から第2楽章を優美に演奏し、再び満場の拍手を浴びました

 

     

 

プログラム後半はショスタコーヴィチ「交響曲第4番ハ短調作品43」です この曲はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が1935年9月から1936年4月にかけて作曲した20代後期の作品です 36年12月11日、フリッツ・シュティードリ指揮レニングラード・フィルで初演が予定されていましたが、数回のリハーサルの後、作曲者自身により初演は撤回され、結局、以来26年間もの間 陽の目をみることがありませんでした。1961年12月30日にモスクワ音楽院大ホールでキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルによりやっと初演されました この長い年月に及ぶ延期は純政治的な理由によるもので、当時激しく遂行されたソヴィエトの文化界・芸術界への形式主義批判の大キャンペーンの影響を受けたものであると言われています

第1楽章「アレグロ・ポコ・モデラート~プレスト」、第2楽章「モデラート・コン・モート」、第3楽章「ラルゴ~アレグロ」の3楽章から成ります

オケは管・弦・打楽器とも規模が拡大しフル・オーケストラ態勢となります。管楽器は4管編成です

ウルバンスキのタクトで第1楽章に入ります 冒頭からグロテスクな突拍子もない音楽が展開します。いかにもショスタコーヴィチらしい出だしです そして軍隊行進曲風の音楽が勇ましく展開したかと思うと瞑想的な音楽が続きます ファゴット首席の福井蔵氏のソロが素晴らしい オーボエ首席の荒木奏美さんのソロが冴えています 時にマーラー風の音楽も聴こえてきます ウルバンスキの指揮は、まるでバレエを踊っているようです 第2楽章に入ると、かなりマーラー色が強くなってきます 第3楽章は何でもありです 葬送行進曲が福井氏のファゴットから荒木奏美さんのオーボエへ、そして甲藤さちさんのフルートへと受け継がれていきますが、3人のソロは聴きごたえがありました そうかと思うと、急にオペレッタのアリアみたいな音楽が登場、油断しているとワルツやポルカ風の音楽が流れてきて、極めつけはモーツアルト「魔笛」のパパゲーノの笛のメロディーまで登場します 「パロディーの巨匠 ショスタコーヴィチ」の面目躍如といったところです 万華鏡のように目先の音楽がクルクル変わり、次の展開が読めないという意味では、マーラーとよく似ていますが、ショスタコーヴィチはマーラーだってここまではやらない、ということを平気でやってのけます

第3楽章のフィナーレは、マーラーの交響曲第9番のように静かに静かに曲を閉じます ウルバンスキのタクトが止まったまま、しばしの”しじま”を経て、タクトが降ろされると、会場のそこかしこからブラボーがかかり、満場の拍手がステージに押し寄せます

この日の東響は、管楽器も 弦楽器も 打楽器も 渾身の演奏で、ウルバンスキの切れ味鋭いタクトに応えていました

サントリーホールから地下鉄南北線「六本木1丁目駅」に行く途中のスペイン坂では 夜桜がお見送りしてくれました 春爛漫 酒は黄桜 

 

     

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ディーン・R・クーンツ著「これほど昏い場所に」を読む ~ 読む手が止まらない 科学を下敷きにしたサスペンス小説:FBI捜査官ジェーン・ホーク・シリーズ第1作

2019年03月25日 00時01分02秒 | 日記

25日(月)。今月は12日から12日間連続でコンサート・映画館通いが続き いささか疲れたので、昨日は家で 今週のコンサートで演奏される曲のCDを聴きながら読書をして過ごしました 予習で聴いたのはショスタコーヴィチ「交響曲第4番」(ハイティンク指揮ロンドン・フィル)、モーツアルト「ピアノ四重奏曲第1番」(フォーレ四重奏団)、シューマン「ピアノ四重奏曲」(ラヴィノヴィチ、今井信子他)、ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」(フォーレ四重奏団)のCDです このほか、リヒャルト・シュトラウス「ピアノ四重奏曲」とマーラー「ピアノ四重奏曲・断章」をカップリングしたフォーレ四重奏団のCDを探したのですが、CDラックのR.シュトラウスのコーナーにもマーラーのコーナーにもない。とうとう見つからず諦めました いったいどこにいったんだろう

 

         

 

ディーン・R・クーンツ著「これほど昏い場所に」(ハーパーコリンズ・ジャパン)を読み終わりました ディーン・R・クーンツは1945年生まれの米国の作家です。60年代後半からSFを中心とした作品を書き、70年代には心理サスペンス&ホラーに転じました 発表される作品は例外なく「ニューヨーク・タイムズ  ベストセラー・リスト」に載り、最も売れている超ベストセラー作家の一人となっています

彼の本は朝日文庫から出ている「ベストセラー小説の書き方」を読んで興味を持ちました この「これほど昏(くら)い場所に」は、60~70年代の作品ではなく、2017年から発表を開始した新しい「ジェーン・ホーク・シリーズ」の第1作という位置づけにある作品です 主人公はジェーン・フォークというFBI捜査官の女性です

 

     

 

FBIに勤務するジェーンは、海兵隊員である夫ニックと5歳の息子トラヴィスとともに幸せに暮らしていた ある時、ニックが不可解な自殺を遂げた。ジェーンにはまったく思い当たる節はない ジェーンはFBIを休職し、密かにこの事件の背景にあるものを調べ始める。すると夫の死と時期を同じくして、理由の不明な奇妙な自殺が異常な率で増え続けていることが分かる ジェーンは同じような境遇にある犠牲者の家族を訪ね事情を訊くなどするが、彼女は得体の知れない者たちに付け狙われるようになる やがて、ある研究所と会員制秘密クラブの存在が浮上する。ジェーンは元陸軍特殊部隊隊員のドゥーガル・トラハーンを仲間に引き入れ、事件の首謀者、科学者でシュネック・テクノロジーの主宰者バーナード・シュネックの世界制覇の悪だくみを暴きだしていく

シュネックの企みとはナノテクの能インプラントを人間に注入し思い通りに操ることによって、自分の都合の良い世界を作り上げるというものです 訳者の松本剛史氏が「訳者あとがき」の中で、「クーンツは自らのサイトで『科学を下敷きにした、未来小説とまでいかなくとも、こんな恐ろしい事態が現実になってもおかしくはないような話』と書いている」と紹介していますが、科学が進歩すれば あり得ない話ではないような気もします

ところで、読書をしている時に いつも気になるのはクラシック音楽が出てくるかどうかです この作品では、ジェーンが法精神科医でFBIアカデミーの元顧問モーシェ・スタイニッツを訪ね、事件に関するアドヴァイスを受けるシーンで登場します

「彼のかけた音楽が、全室にあるスピーカーを通して家じゅうにあふれていた モーツアルトの《K.488》。クラリネットのために作られた、他のどんな作曲家にもまねのできない快活なテンポで展開されるコンチェルトが、ジェーンの人生に訪れた厳粛なこの瞬間に天翔けるような楽観的な気分をもたらし、いつまでもこれをつかんで手放さずにいたいと思わせた (中略)そのコンチェルトには、過去にも現代にも通じるさまざまな性格の反復進行が含まれていた。深いメランコリーに満ちた驚くほどゆるやかな旋律が、いまは流れてくる。ジェーンはモーシェの言葉には反応せず、目を閉じたまま、モーツアルトに運ばれるまま、どこよりも深い悲しみの芯へと旅をし、ニックを、亡くして久しい母親を想った そのパートが終わり、また恐れとは無縁のスリリングで楽観的な旋律が戻ってくると、ジェーンは心の底から感動しながらも、まだ眼は乾いているのを意識した。涙が出ないこと、眼をうるませないように自制できていることで、たとえこの先何が起ころうと、それがどれほど苛酷なものだろうと、自分にはその準備ができていると信じることができた

この文章を読むと、ジェーンがモーツアルトの「クラリネット協奏曲イ長調K.622」の第1楽章「アレグロ」を聴いていて(快活なテンポで展開されるコンチェルトが~家じゅうにあふれていた)、次いで第2楽章「アダージョ」を聴き(深いメランコリーに満ちた緩やかな旋律が、いまは流れてくる)、そして最後に第3楽章「アレグロ」を聴いている(スリリングで楽観的な旋律が戻ってくる)ことを鮮やかに想像することが出来ます クーンツもモーツアルティアンなのだろうか、と思ったりしました

600ページを超える超大作ですが、スリリングで一気読み必至です お薦めします

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プレトニョフ ✕ ユーチン・ツェン ✕ 東京フィルでグラズノフ「ヴァイオリン協奏曲」、ハチャトゥリアン「交響曲第3番『交響詩曲』」他を聴く ~ 響きの森クラシック・シリーズ

2019年03月24日 07時21分04秒 | 日記

24日(日)。昨日の朝日夕刊 社会面に「オンリー コントラバス 審査員も裏方も 奏者だけのコンテスト」という見出しの記事が載っていました 超訳すると

「参加者も審査員も裏方も、吹奏楽で唯一の弦楽器コントラバスの奏者だけ、という中高生を対象としたソロコンテストが26日に東京都新宿区のルーテル市ヶ谷ホールで開かれる 企画したのはプロの奏者・鷲見精一氏。高校生から吹奏楽部でコントラバスを始め、国内外の音楽大学で本格的に学んだ後、プロの吹奏楽団や交響楽団で演奏するようになった 中高や大学の吹奏楽部に教えにいくようになって衝撃を受けた 管理が悪く、音がほとんど出ない楽器を使っていたり、そもそも奏法が間違っていたりする生徒がたくさんいたからだ 原因は顧問が管楽器や合唱の経験者であることが多く、弦楽器の奏法や指導法に詳しくない 間違った知識が先輩から後輩に長年引き継がれたままになっていた さらに、生徒がソロでコンテストに出場しても、審査員にコントラバス奏者がいないので、正当な評価がしてもらえない 鷲見氏は『コントラバス奏者による、奏者のためのコンテストを開きたい』とし、クラウドファンディングで資金提供を呼びかけ、約70万円が集まった 同氏は『参加者には、プロの演奏を聴いたり話したり、同年代の演奏を聴いて刺激し合ってほしい』と話す

そうか、吹奏楽にもコントラバスが参加するんだな、とあらためて認識しました 考えてみれば、モーツアルトが1783~84年頃に作曲したと言われている「セレナード第10番変ロ長調『グラン・パルティータ』K.361」は、オーボエ2、クラリネット2、バセットホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス1という編成で、コントラバスが入っています 管楽合奏曲(吹奏楽と言っても良いか?)にコントラバスが参加するのは、すでにモーツアルトの時代にその萌芽があったと言えるのかも知れません なお、この曲は コントラバスの代わりにコントラファゴットが用いられることがあり、その場合「13管楽器のためのセレナード」と呼ばれることもあります   しかし、第4、6、7楽章にピッツィカートの指示があり、コントラバスが正式であることを示しています

いずれにしても、鷲見精一氏の活動は素晴らしいと思います 是非コンクールを成功させてほしいと思います

 

          

 

昨日、文京シビックホールで「響きの森クラシック・シリーズ  第67回演奏会」を聴きました プログラムは①チャイコフスキー「スラヴ行進曲」、②グラズノフ「ヴァイオリン協奏曲」、③ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」より「アダージョ」、④同「交響曲第3番『交響詩曲』」です 管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮はこのシリーズ初登場の東京フィル特別客員指揮者ミハイル・プレトニョフです

 

     

 

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります   コンマスは依田真宣氏です

1曲目はチャイコフスキー「スラヴ行進曲」です   この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1876年に、セルビア独立戦争における負傷兵救援基金募集のための慈善音楽会のために作曲されました 正式な曲名は「民族共通の主題によるセルビア・ロシア行進曲」です

プレトニョフの指揮で演奏に入ります 冒頭の低弦の響きを聴いて、ロシアの広大な大地のようなどっしりした演奏だな、と思いました この曲はLP時代にカラヤン✕ベルリン・フィルの演奏で良く聴いていて、その演奏がスタイリッシュで颯爽としていたので、それと比べてそう思ったのです 全曲を通して聴いた後も最初の印象は変わりませんでした。同じ曲でも演奏によってまったく異なる印象を受けるのもクラシックを聴く醍醐味です

2曲目はグラズノフ「ヴァイオリン協奏曲イ短調」です この曲はアレクサンドル・グラズノフ(1865-1936)が1904年に作曲し、ペテルブルグ音楽院の同僚であるレオポルド・アウアーの独奏、グラズノフの指揮で初演されました レオポルド・アウアーってどこかで聴いた名前だと思ったら、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を「演奏困難」として初演を拒否したヴァイオリニストでした このことから言えることは、グラズノフよりもチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の方がはるかに演奏が難しいということです この曲はモデラート~アンダンテ・マエストーソ~アレグロの順に続けて演奏されます

台北生まれ、2015年チャイコフスキー国際コンクール最高位のユーチン・ツェンがステージに現われ、プレトニョフの指揮で演奏に入ります 全体を聴いた印象は、チャイコフスキーの影響が見られる部分があり、かなりロマンティックです 中間楽章のカデンツァは技巧に満ちていますが、ソリストは何なくクリアします 民族舞曲風のフィナーレも鮮やかでした

アンコールにタレガの「アルハンブラ宮殿の思い出」を超絶技巧により演奏、盛大な拍手を浴びました


     


プログラム後半の最初はハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」より「アダージョ」です 「スパルタクス」はグルジア(現ジョージア)生まれのアラム・ハチャトゥリアン(1903-1978)が1954年に作曲した4幕9場から成るバレエ音楽です 「アダージョ」はスパルタクスとフリーギアの愛に満ちたパ・ド・ドゥを踊る場面の優美な音楽です 冒頭のフルートが素晴らしい 続いて演奏されるオーボエによる息の長い旋律が哀愁を誘います この部分はロシアの広大な大地を思い浮かべます 終盤の依田氏のヴァイオリン・ソロも印象的でした

プログラムの最後はハチャトゥリアン「交響曲第3番ハ長調『交響詩曲』」です この曲はハチャトゥリアンが1947年に完成した単一楽章の作品です 第2次世界大戦戦勝記念日のために作曲され、10月革命30周年にあたる1947年12月にレニングラードで初演されました

オケの後方にはトランペット奏者15人が横並びでスタンバイし、舞台右手にはオルガン奏者が(この会場にはパイプオルガンがないので電子オルガンを使用)、左手にはゴングと大太鼓がスタンバイします

柴田克彦氏によるプログラム・ノートに、この曲は「吹奏楽界ではちょっとした人気なのですが、オーケストラ公演での演奏は極めて稀。今回は生で体験できる貴重な機会となります」と書かれています いやでも期待が高まります

プレトニョフの指揮で演奏が開始されます 曲の冒頭、弦楽器のトレモロやゴングが鳴り響く中、15人のトランペット奏者が一斉にファンファーレ風のテーマを高らかに演奏し、しばらくオケとの賑やかなやり取りが続きます すると今度は右サイドのオルガンがトッカータ風のダイナミックな演奏を展開、ステージ後方の左右に設置されたスピーカーを通して音の洪水が客席に押し寄せます オケと15本のトランペットとオルガンとの狂騒が終わると、一転、叙情的な旋律が登場し 少し安心します そして、再び15本のトランペットとオルガンとオケとの三つ巴の戦いが「どうだ これでもか」と繰り広げられ、耳をつんざきます 四字熟語で表せば「阿鼻叫喚」「全面喧噪」「爆裂必至」の世界です あと10分も聴いていたら聴衆は一人残らず難聴になり、文京区のすべての耳鼻科に長蛇の列が出来ていたことでしょう いかにもイケイケドンドンの「剣の舞」の作曲者が作った交響曲です ハチャトゥリアンの「ハチャ」はハチャメチャの「ハチャ」ではないか この曲の副題は「交響詩曲」ですが、どこにポエムがあるのだろうか、と思わず疑ってしまいます 終演後の静かな拍手は、聴衆があっけに取られ どう反応したらよいか戸惑っている様子を表していました 柴田克彦氏の「オーケストラ公演での演奏は極めて稀」の本当の理由が分かったような気がします

プレトニョフ✕東フィルは、アンコールにハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」から「ワルツ」を演奏しましたが、楽員はこの曲の方が 水を得た魚のように 生き生きと演奏していました 喧騒に満ちた音楽から解放され、リラックスして楽しんで演奏する姿が印象的でした

あれもハチャトゥリアン、これもハチャトゥリアンです

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ドゥダメル ✕ ロサンゼルス・フィルでマーラー「交響曲第9番」を聴く ~ 渾身のアダージョ / 朝日の記事「BBCプロムス 日本に初上陸」から

2019年03月23日 00時13分16秒 | 日記

23日(土)。大リーグ・マリナーズのイチロー選手(45)が現役を引退することを21日に表明しました 日本のプロ野球での通算成績は951試合、打率3割5分3厘、1278安打、118本塁打、529打点、199盗塁。大リーグの通算成績は2653試合、打率3割1分1厘、3089安打、117本塁打、780打点、509盗塁 まさに超人的な記録です 「50歳まで現役」とつねづね口にしていたイチロー選手の 引退会見での言葉が印象に残ります

「有言不実行の男になってしまったけど、その表現をしてこないと、ここまでできなかった   言葉にして表現することは目標に近づく一つの方法だと思う

まず目標を設定する。次にそれを外に表明する。最後にそれを実行する。この「有言実行」こそ イチロー選手が日米通算28年間も現役を続け、大リーグ史上初の10年連続200安打を達成するなど 数々の記録を打ち立ててきたキャッチフレーズであり原動力でした

イチロー選手の足下にも及びませんが、私は年間①クラシックコンサートを200回聴く、②映画を160本観る、③本を65冊読むという目標を設定し、それをブログで表明し、聴いて 観て 読んだ感想をブログに書き続けています   早い話が、コンサートを聴くだけ、映画を観るだけ、本を読むだけなら、時間とお金さえあれば誰にでも出来ることです しかし、その結果を毎日休むことなく文章としてブログに残していくことは、それなりの覚悟と努力と体力を必要とします   野球を現役で続けていくには体力の限界がありますが、ブログを書いていく上では一切限界はありません 強いて言えば、コンサート会場にも映画館にも自分の足で歩いて行けなくなった時が、ひとつの転換点になると思いますが、まだ読書が残っています その時は、読んで読んで読みまくれば良いのだと思っています

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉ブロッコリーのオイスター炒め」と「もやし豚汁」を作りました 「牛肉~」はCOOKPAD、「もやし~」は笠原将弘先生のレシピですが、両方とも美味しいです

 

     

     

         

 

昨日の朝日朝刊に「最大級クラシック音楽祭  今秋初上陸」という見出しの記事が載っていました 超訳すると

「英ロンドンを中心に毎年夏に開かれ、30万人以上を動員する世界最大級のクラシック音楽祭『BBCプロムス』が今年10月30日~11月4日、日本に初上陸し、東京で5公演(渋谷のオーチャードホール)、大坂で1公演(シンフォニーホール)開く ぴあなど5社でつくる実行委員会が19日、都内で発表した。BBCスコティッシュ交響楽団が初来日する

現在都内で開かれている毎年恒例の音楽祭を並べてみると以下の通りです

①都民芸術フェスティバル(1月下旬~3月上旬。東京芸術劇場、東京文化会館小ホール)

②東京・春・音楽祭(3月中旬~4月中旬。東京文化会館〈大・小ホール〉ほか)

③ラ・フォル・ジュルネTOKYO(5月3~5日。東京国際フォーラムほか)

④サントリーホール  チェンバーミュージック・ガーデン(6月上旬~中旬。サントリーホール「ブルーローズ」)

⑤フェスタ・サマーミューザ(7月下旬~中旬。ミューザ川崎シンフォニーホール)

主だったところでは以上の5つですが、どういうわけか「芸術の秋」に音楽祭がないのです 私はず~っと不思議に思っていました 「BBCプロムス」はこの空白期間を埋める音楽祭になります 手帳のスケジュールを見ると ちょうど10月30日から11月4日までコンサートの予定は入っていません   プログラムが発表され次第、チケットの購入に移ると思いますが、難点はコンサート会場です なぜオーチャードホールなのでしょうか 私の個人的な経験から言って、音響的に不満のある会場です 音が頭の上をスース―通り過ぎていく感じがします サントリーホールも東京芸術劇場もすでに押さえられていたのでしょうね。とても残念です

 

         

 

昨夕、一昨日に続き、サントリーホールでロサンゼルス・フィルのコンサート(第2夜)を聴きました プログラムはマーラー「交響曲第9番ニ長調」です 指揮はグスターボ・ドゥダメルです

 

     

 

 自席は2階C12列18番、センターブロック最後列の左から2つ目です。会場は9割くらい埋まっているでしょうか

グスタフ・マーラー(1860-1911)の「交響曲第9番ニ長調」は1909年から10年にかけてオーストリアとイタリアの国境に近いチロル地方のトブラッハの作曲小屋で作曲され、彼の死後 1912年6月26日にウィーンでブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルによって初演されました

第1楽章「アンダンテ・コモド」、第2楽章「穏やかなレントラー風のテンポで、いくぶん歩くように、そしてきわめて粗野に」、第3楽章「ロンドー・ブルレスケ:アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に」、第4楽章「アダージョ:非常にゆっくりと、そして控えめに」の4楽章から成ります

 

     

 

オケは第1夜と同様、左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとり、コンマスは Martin Chalifour 氏です

落ち着いた表情のドゥダメルが登場し早速第1楽章に入ります 演奏のテンポはこのオケの音楽監督を1933年から39年まで務めたオットー・クレンペラー並みの遅さです あまりにも遅いテンポのため、中盤では持たれ気味の感もないでもなかったのですが、そこはドゥダメル、しっかり持ち直します この楽章では一昨日の「交響曲第1番」と同様、ホルンと木管にベルアップ奏法を求めます 第2楽章はリラックスした曲想で木管楽器群が活躍します 第3楽章は推進力に満ちています。コンマスのヴァイオリン・ソロとヴィオラ首席奏者のソロは聴きごたえがありました そしてこの曲のハイライト、第4楽章「アダージョ」の演奏に入ります 弦だけで50人規模の奏者による冒頭の演奏は、まるでマーラーの魂が籠っているかのようです そしてホルンが素晴らしい 第1楽章のアンダンテ・コモドが遅すぎのテンポだったので、ちょっと不安視していたのですが、その心配はまったく不要でした 遅いテンポに変わりはありませんが、弛緩するところは一切ありませんでした 極め付きはフィナーレの弦楽器の最弱音です マーラーはこのフィナーレについて「死に絶えるように」と書いていますが、まさに「告別の音楽」です

マーラーは第9番(1909-10年)に先立つ1907年に4歳の長女マリア・アンナをジフテリアで亡くし、自身も心臓病と診断されていますが、そのショックが心的外傷になっていることは否定できないでしょう 彼は「第9番」に先立つ「大地の歌」(1908年)の第6楽章「告別」のフィナーレにも「死に絶えるように」と書いています マーラーには常に「死の影」が付きまとっていたと言えます

弦楽器の最後の音が消え 演奏が終わりますが、ドゥダメルのタクトは降りません    1分以上”しじま”が続いた(異常に長く感じた!)あと、弦楽奏者の弓が降ろされ、ドゥダメルのタクトが降ろされました ジワジワッと拍手が沸き起こり、スタンディング・オベーションに繋がりました

この日の演奏は、私が聴いた「第9番」の中で最も長い演奏時間(正確には不明ですが、多分90分くらいかかった)でしたが、説得力を持つ演奏でした

 

     

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東京春祭チェンバー・オーケストラでモーツアルト「オーボエ協奏曲」、同「ファゴット協奏曲」、シューベルト「弦楽四重奏曲第14番”死と乙女”」を聴く / プログラムには曲目解説を!

2019年03月22日 07時20分10秒 | 日記

22日(金)。新聞報道によると、厚生労働省は20日、賃金課のT課長(47)が韓国の金浦空港で空港職員とトラブルを起こし、現地警察の取り調べを受けたと発表したとのこと。厚生労働省は更生労働省という名称の方がふさわしいんじゃないでしょうか

 

         

 

昨日、夕食に「なすと豚ひき肉のマーボ―蒸し」を作りました 小田真規子先生のレシピで、初挑戦でした。結論を言います。失敗しました 生姜を入れ過ぎました。焦げ付きました 人間はこうして失敗を重ねながら大きくなっていくのです って、もう十分大きいか これもいつの日かリベンジします

 

     

 

         

 

昨日、東京文化会館小ホールで「東京春祭チェンバー・オーケストラ」のコンサートを聴きました プログラムは①モーツアルト「ファゴット協奏曲変ロ長調K.191」、②同「オーボエ協奏曲ハ長調K.314 」、③シューベルト「弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810”死と乙女”」です ①のファゴット独奏=グスターボ・ヌニェス、②のオーボエ独奏=ハンスイェルク・シェレンベルガー、コンマス=堀正文です 管弦楽は「東京春祭チェンバー・オーケストラ」で、メンバーはヴァイオリン=堀正文(元N響)、松田拓之(N響)、枝並千花、小川響子、北田千尋、城戸かれん、城所素雅、外園萌香、三輪莉子、ヴィオラ=佐々木亮(N響)、山本周、湯浅江美子、チェロ=辻本玲(日フィル)、伊東裕、中条誠一、コントラバス=吉田秀(N響)、オーボエ=金子亜未(新日フィル)、森枝繭子、ホルン=阿部麿、和田博史(都響)です

女性陣は思い思いのカラフルな衣装で華やかに春祭を演出しています

 

     

 

自席はD列19番、左ブロック右通路側です。会場は7割くらい埋まっているでしょうか

曲目はモーツアルト「ファゴット協奏曲変ロ長調K.191」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が1774年に作曲しました クラシック界でファゴット協奏曲と言えば、この曲のことを指します 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・マ・アダージョ」、第3楽章「ロンド:テンポ・ディ・メヌエット」の3楽章から成ります

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという並びです コンマス堀氏の隣は小川響子さん、向かい側はチェロの辻本氏と伊東裕氏という豪華メンバーです 小川さんと伊東氏は第67回ミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ三重奏部門の第1位を獲得した「葵クァルテット」のメンバーです

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席ファゴット奏者グスターボ・ヌニュス氏が登場し、指揮者を兼ねて演奏に入ります モーツアルトが18歳の時に作曲したコンチェルトは明るく伸び伸びとしています ソリストは軽快に演奏を進め、オケがピタリとつけます。愉悦感に満ちた鮮やかな演奏でした

曲目はモーツアルト「オーボエ協奏曲ハ長調K.314 」です この曲は1777年にモーツァルトがザルツブルクの宮廷オーボエ奏者を務めていたジュゼッペ・フェルレンディスのために書いた作品です この曲は「フルート協奏曲第2番」の原曲です 第1楽章「アレグロ・アペルト」、第2楽章「アンダンテ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります

元ベルリン・フィル首席オーボエ奏者ハンスイェルク・シェレンベルガーが登場、指揮者を兼ねて演奏に入ります さすがに往年の名演奏は期待できませんが、時々ひっかかるところがあるものの 音楽の流れに乗って軽快に演奏していました アンコールにブリテンの小品を演奏しましたが、1本のオーボエで遠近を吹き分けるテクニックが鮮やかでした


     


プログラム後半は弦楽合奏によるシューベルト「弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810”死と乙女”」です この曲はフランツ・シューベルト(1797‐1828)が1824年に作曲した作品ですが、第2楽章に自身の歌曲「死と乙女」のピアノ伴奏部を借用しているところから、この通称が付けられています 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ・モルト」、第4楽章「プレスト」の4楽章から成ります

当日配布のペラ1枚のプログラムには「シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810《死と乙女》」とあるだけで、誰の編曲による弦楽合奏版なのか明示されていませんが、常識的にはグスタフ・マーラーによるもの思われます こういう情報は書いておいて欲しいと思います

 

     

 

プログラム前半は古典派の協奏曲の伴奏という”裏方”の役割だったので、弦楽合奏の力を思う存分発揮できなかったきらいがありますが、後半は弦楽四重奏曲をオーケストラで演奏するということで、いよいよ実力発揮のチャンスです コンマス堀氏の合図で演奏に入ります 第1楽章冒頭の運命的な主題から、これがたった15人による演奏か とビックリするほど音の風圧が攻めてきます 日本のクラシック界を代表する若手中心のソリスト集団による渾身の演奏と言って良いでしょう 第2楽章では弱音によるアンサンブルが美しく響きます 第3楽章は一転、激しいスケルツォで、切れ味鋭い演奏が展開します 第4楽章は切迫したタランテラ風の音楽がリズミカルに演奏され、短調の和音で結ばれます

聴き終わってからあらためて振り返ってみると、この作品はすべての楽章が短調で書かれています こういう曲は滅多にありません。第1楽章の”慟哭”、第2楽章の”葬送行進曲”、第3楽章の”悲痛な叫び”、第4楽章の”切迫感”、すべての楽章の背景に”死の影”が見え隠れしています 15人の精鋭による弦楽合奏はそうした曲の性格を見事に表出させていました

 

         

 

さて、ペラ1枚のプログラムとともにアンケート用紙が配布されたので、「この際 言っておいた方が良いだろう」と思って不満を書いて出しておきました それは19日のブログに書いたのと同じような内容で、「プログラムに曲目解説がない」ことへの不満です この日の公演に限らず、東京春祭のコンサートのプログラムはペラ1枚の表裏に曲名、出演者一覧が書かれているだけで、曲目の解説は一切書かれていません 裏側に「曲目解説はコチラ!」とあり、その下にQRコードが表示されていて、「曲目解説はPDFでダウンロードできます。曲目解説は『開演前』もしくは『休憩中』にご覧ください」と書かれています つまり、スマホやケータイなどQRコードが読み取れる端末を持っていなければ、曲目解説が読めない仕組みになっているのです この仕打ちに対し、QRコードの読み取り方をいまだに知らない”時代遅れの寵児”の私はアンケートに概要 次のように書きました

「ペラ1枚のプログラムに曲目解説が載っていないのはなぜでしょうか? S席で6700円も取るコンサートでプログラムに曲目解説が掲載されていないのは不当ではないか QRコードでダウンロードできると書かれているが、スマホやケータイを持っていない人はどうすれば良いのか? 音楽祭の総合プログラム(500円)を購入したが、これにも曲目解説が載っていない クラシック音楽の普及を目指す観点から言えば、(初心者にも分かり易いように)プログラムには曲目解説を載せるべきではないか 次年度からの改善を求める

私は逃げも隠れもしません。最後にtoraブログのアドレスを表示しておきました 関係者の方がご覧になり、改善に向けた取り組みが進むと嬉しいです

 

     

コメント
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