31日(金)。月日の流れは速いもので10月も今日で終わりです。わが家に来てから34日目を迎えたモコタロです
ねえねえ おそうじ まだおわんないの? 早くここから出して!
閑話休題
昨日お昼頃、当ビル1階のタバコ売店前の喫煙コーナーのゴミ箱から煙が出ているのを売店のN氏が発見、その場で消火しました たまたまタバコを吸いに行った当社のK君がその話を聞きつけ、私の耳に情報が入りました。さっそく当社の幹部に報告のうえ消防署に通報しました
しばらくすると丸の内消防署から5名の担当官が来館し実地検分を行いました。その後、丸の内警察署からも8名の担当官が来館し事情聴取を行いました
当ビルの防火防災管理者である私も、自宅の住所から携帯電話番号、生年月日に至るまで事細かく聞かれました。検分中に”西新橋で火災発生”という情報が入ってきたため、消防署員は一人を残して消防自動車に乗って出動してしまったので、彼らの帰りを待たなくてはなりませんでした
検分によると、ゴミ箱の底に敷かれていた新聞紙が燃えた跡があったが、タバコの吸い殻は発見できなかった。しかしゴミ箱の上の部分が灰皿になっていることから、タバコの火だねが落ちて燻った可能性が高いということでした
当社の古株社員に聞いてみたら、ゴミ箱から煙が出たボヤ騒ぎは前代未聞とのことでした。喫煙コーナーは当ビルのテナント関係者はもちろんのこと、他のビルからもかなりの数の人が喫煙に来館します。どこの誰が火種を落としたのか分かりませんが、十分に気を付けてほしいと思います
今回はたまたま昼間の時間帯で、売店のN氏が居合わせたので大火に至らずに済みましたが、夜間だったらどうだったか、と考えると恐ろしくなります
対応策を検討した結果、ゴミ箱と灰皿を別々にして設置することにしました
皆さま、タバコは所定の場所でマナーを守って吸いましょう。くれぐれも火種を灰皿の外に落とさないようお願いします
閑話休題
昨日の朝日朝刊・国際面に「壁崩壊から25年なお格差 統一ドイツは今(上)」という記事が載っていました。超約すると
「東西冷戦の象徴だった『ベルリンの壁』が崩壊して、11月9日で25年の節目を迎える 東西のドイツ市民がツルハシで壁をたたき、歓喜に沸いたあの日から四半世紀。敗戦国から欧州の盟主に生まれ変わっても、分断が生んだ格差のひずみの古傷が今もうずく
昨年春、約320キロの上空で国際宇宙ステーションから撮影されたベルリン市街の夜景がネット上で話題になった。ブランデンブルク門等から放射状に広がった街の東半分が黄色に、西半分が白く輝き、くっきりと分かれて見えたからだ
撮影したカナダ人宇宙飛行士と交流があるドイツの物理学者は語る。『西側の白い光は蛍光灯やガス灯、東側の黄色はナトリウム灯の光。実際の壁はなくなっても、光が今も、ベルリンを東西に隔てている』。東ではガス灯よりも安価なナトリウム灯が使われるようになっていった。『光の壁』は今も残る東西の違いを映し出しているかのようだ」
この記事を読んで思い出したことが2つあります。一つは1989年の11月に壁が崩壊した翌々年の1991年1月に「欧州新聞労務事情視察団」に同行して訪れたドイツの新聞社で聞いた話です ディ・ヴェルトという新聞社を訪れた際、視察団メンバーが同社の幹部に「東西統一から1年以上経ちましたが、西側の新聞は東側に行き渡っているのですか?」と質問したのに対し、幹部は「まだまだこれからです」と答えていました。当時は経済格差も相当あったはずですから、さもありなん、という印象を持ちました
もう一つ思い出したのは、崩壊したベルリンの壁の破片が付録で付いてきたCDの話です ドイツグラモフォンから発売されたベートーヴェンの第9交響曲のライブCD(1989年12月25日。ベルリン)で、レナード・バーンスタインが指揮をとり、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ニューヨーク・フィル、パリ管弦楽団などの有志による寄せ集め集団が演奏しています
2枚組の分厚いCDジャケットの右上の片隅に小さな小窓があり、その中に”ツルハシで壁を叩いた”破片が納められています。数量限定とのことで、CDの左下に通し番号が書かれています。貴重な”お宝”なので未だに破片を取り出して見ておらず、CDも聴いていません。CDもこうなると”骨董品”ですね