31日(火)。月日の流れは速いもので、8月も今日で終わりです とはいえ暑さが終わったわけではないので、明日からも気をつけましょう
ということで、わが家に来てから今日で2425日目を迎え、愛知県の大村秀章知事は30日の記者会見で、常滑市で29日に開かれた野外音楽イベント(約8千人分のチケットを販売)で、新型コロナ対策が徹底されず、酒類も提供されていたとして主催者に抗議する考えを示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ルールを守らないイベントは 全体の規制強化に繋がる恐れがある 絶対やめるべき
昨日、夕食に「トンテキ」「生野菜とアボカドのサラダ」「冷奴」「大根の味噌汁」を作りました トンテキは柔らかく焼けて美味しかったです
昨日、早稲田松竹でクリスティアン・ペッツォルト監督による2012年製作ドイツ映画「東ベルリンから来た女」(105分)を観ました
物語の舞台は「ベルリンの壁」崩壊の9年前の東ドイツ。西側への出国申請を出したために東ベルリンの大病院から田舎町の病院へ左遷されてきた小児科医バルバラ(ニーナ・ホス)は、西側で暮らす恋人ヨルク(マルク・ヴァシュケ)と密会し西側へ出国する計画を進めていた 病院には、かつて致命的な医療ミスで地方勤務となり密告の義務を負う真面目な医師アンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)がいた 彼はバルバラに好意を寄せるが、彼女は彼に対し頑なな態度を取り続ける 病院に強制収容所から脱走し、髄膜炎を発症した少女ステラ(フリッツィ・バウアー)が連れて来られる。バルバラにだけ心を開くステラを彼女は献身的に治療し看護するが、ステラは強制的に施設に連れ戻される すると今度は、3階から転落して脳に血栓ができた少年マリオが運び込まれてくる マリオの開頭手術が決まるが、その日はバルバラが出奔する予定の日だった 自らの過去の過ちを告白し、密告の義務を正直に打ち明け、「医師として、病人であれば誰であろうと助ける」と言うアンドレの真摯な態度にバルバラの心は揺れ動く 最終的に出国を決意した彼女の前に、施設から逃亡したステラがぼろぼろの姿で現れ「この国から出たい」と告白する バルバラは東に残って医師としての責務を取るか、西側で恋人ヨルクとの新生活を取るか、真剣に悩んだ末に、密出国の待ち合わせの海岸にステラを連れていき、小舟で迎えに来た男にステラとお金を預けて見送る そして バルバラは、もう2度と会えないと思っていたアンドレの前に再び現われる
当時の東ドイツでは、一度政治的な理由で国から目を付けられると、秘密警察シュタージが抜き打ち的な家宅捜査を行い、不審な動きがないかどうかを監視するという実態が良く描かれています バルバラはヨルクの用意した逃走資金を遠くの土地の十字架の下に隠したり、自宅に持ち帰ってからはストーブの煙突に隠したりして発見を免れます 恐らく当時はこうしたことが実際に行われていたのでしょう 怪しい人物とレッテルを貼られるとシュタージから監視され、一般市民からも密告の形で監視される、現在の北朝鮮を思い浮かべます
バルバラは、最後は自分の代わりにステラを西側に出国させたわけですが、果たして、彼女は犠牲を払ったのだろうか? バルバラが最終的にヨルクでなくアンドレを選んだのは、アンドレが誰よりも自分を愛してくれていることを感じ、バルバラ自身もアンドレの真摯で誠実な人柄に惹かれたからではないか ステラの「この国から出たい」という言葉が、バルバラの決断のきっかけになったのではないか、と思います
さて、いつものように 気になるのは音楽です 映画の序盤で、ラジオから「フルトヴェングラーの演奏は深みがあります。彼の指揮で聴くと作品が初めて演奏されるように響きます」というナレーションの後、ベートーヴェンの序曲の冒頭部分が鳴り響きます 当時ドイツの指揮者と言えば世界的に名を轟かせたウィルヘルム・フルトヴェングラーを置いて他に誰もいません ラジオから流れて来た重厚な音楽は「エグモント序曲」だったか わざわざこのシーンを入れたのは、ペッツォルト監督がフルトヴェングラーに特別の想いを抱いているからだろうか、と思わせます また、バルバラが勤める病院の廊下にはBGMとしてチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の第2楽章「ワルツ」が流れます そして、バルバラが自室で調律後のピアノで弾くのはショパン「ノクターン ト短調 作品15-3」です たどたどしい演奏だな、と思ったらニーナ・ホス本人が弾いていました
今でこそ、ベルリンの壁は崩壊し東西ドイツは統一されることは歴史的事実となっていますが、この映画の舞台となった1980年の時代にバルバラと同じ立場で東ドイツで暮らしていたら、どういう行動を取っただろうか? そういうことを考えさせる映画でした
本作は第62回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞しています