30日(水)。月日の流れは速いもので6月も今日で終わり、1年の前半が終わります コンサートは昨年に続き、コロナ禍の影響により前半6か月間で12公演の払い戻しを受けました 公演中止・延期ドミノは もういい加減にしてほしいと思います
ということで、わが家に来てから今日で2363日目を迎え、中国共産党が運営する英字タブロイドメディア「環球時報」の編集者は、香港の「リンゴ日報」の閉鎖をめぐり中国を非難したジョー・バイデン大統領に対し、「トランプのツイッターアカウントはどうなんだ?」「パーラーはどうなんだ?」「トランプとその支持者たちには表現の自由の権利があり、米国政府は基本的な自由を否定し民主的な機関やプロセスを攻撃している」と反論した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ツイッターもパーラーも民間企業の自主規制 リンゴ日報の閉鎖は中国政府の暴政
昨日、夕食に「鮭ハラミのネギ塩焼き」「タコの刺身」「やみつきキュウリ+トマト+アボカド」「もやしの味噌汁」を作りました 火曜日は魚の日です
東京藝大の低料金コンサートをご案内します 7月10日(土)15時から東京藝術大学奏楽堂で開かれる「東京藝大シンフォニーオーケストラ」による「プロムナード・コンサート14」です プログラムは①ブラームス「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」、②シューマン「交響曲第2番ハ長調」です 演奏は①のピアノ独奏=伊藤恵、管弦楽=東京藝大シンフォニーオーケストラ(学生のオケ)、指揮=山下一史です 全席指定で一般=1600円、高校生以下=500円と低料金となっています 強くお薦めします
吉田秀和著「私のモーツァルト」(河出文庫)を読み終わりました 吉田秀和は1913年東京日本橋生まれ。音楽評論家。東大仏文科卒。戦後、評論活動を始め「主題と変奏」(1953年)で指導的地位を確立。48年、井口元成、斎藤秀雄らと「子供のための音楽教室」を創設し、後の桐朋学園音楽科設立に参加。75年「吉田秀和全集」で大佛次郎賞を受賞。2012年逝去
あまり大騒ぎになっていませんが、本の帯にあるように今年=2021年はモーツァルト生誕265年、没後230年に当たります そんな年に出版された本書は、モーツアルトをテーマとした文庫としては、すべて初収録の文章を収録しているとしています
最初は「私が音楽できいているもの モーツァルトの場合」というテーマで書かれていますが、ヤマハホールで観たフルトヴェングラー指揮による「ドン・ジョヴァンニ」のオペラ映画(1953年、ザルツブルク音楽祭)についてかなりのページが割かれています 特に序曲のテンポの遅さに「アンダンテではなくて、アダージョになってしまう」と書き、その意味について考察しています 驚くのは、歌手陣こそ異なるものの、吉田氏はその翌年にザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラーの指揮で「ドン・ジョバンニ」を鑑賞しているのです 当時、ザルツブルクまで行って、フルトヴェングラーの指揮による舞台を観られた人がどのくらいいたかを想像すると、吉田氏が日本における音楽評論の先駆者となったことが理解できます もちろん、そればかりではなく、吉田氏は現地に赴いてカール・ベーム、クナッパーツブッシュなど錚々たる指揮者がタクトをとるモーツアルトやリヒャルト・シュトラウスなどのコンサートやオペラを聴いているのです
興味深いのは「音楽を語る資格」という文章です 吉田氏は次のように書いています
「このあいだも、高橋英郎さんから氏の近著『モーツァルト』を送っていただいたので、読み出したら、初めの方に、氏が大学生当時病気になって、病床にいる時、友人の中に小林秀雄の『モオツァルト』を愛読した人が多かったが、『病床で耳で聴いて自分なりの考えをもっていた私は、小林秀雄の感化を受けた友人たちのモーツァルト観にどこかついていけないものを感じていたのも事実である 観念的解釈で力んでいるように思えた。それにモーツアルトにとって大事なオペラをすっかり切り落とし、器楽だけしか認めないという、あるいは短調作品に傾斜した評価はどうしても納得がいかなかった しばらくたってから私は小林秀雄の”モオツァルト”を読んだ。音楽をここまで語ることができるのか、と衝撃に近いものを受けたが、彼のモーツァルト観に関しては、はじめに友人たちが抱いた印象と同じことを感じた』と書いてあった(中略)私から見れば、小林さんの若い頃、実演によってオペラを聴くという経験がなかったことを、よく考えてみる必要がある。高橋さんの友人たちにしても、小林さんよりは若いにしても、戦争中に学生時代ないしは青春時代を過ごした人だったのではないか とすれば、彼らはオペラを観る機会を持てたとしても、熱心な人は別として、すくなくとも、最初の段階では、小林さんのモーツアルト像に魅せられやすいのは、むしろ、当然ではなかったろうか」
私も相当、小林秀雄の「モオツァルト」には感化されたクチですが、やっぱり「オペラを観るとしても、目を瞑って聴く」という趣旨の考え方には疑問を抱いたものです オペラは総合芸術なので目で見て耳で聴いて楽しむものだからです また、「短調作品に傾斜した評価」という点については、日本のクラシック音楽界におけるモーツアルト観に測り知れない影響を及ぼしたと思います いわば「短調のモーツアルト」の魅力です しかし、モーツアルトの作品は 長調の曲でも「明るく楽しいと思っていたら突然悲しくなり、そうかと思っていたらまた楽しくなっている」というところがあります 岡田暁生氏が「モーツァルト」(ちくまプリマ―新書)の中で書いているように「楽しいのに寂しい」のがモーツアルトの音楽の本質ではないか、と思います
本書ではモーツアルトの生まれ故郷ザルツブルクについて、モーツアルトの手紙について、グルダの弾くモーツアルトのピアノ・ソナタについて等、幅広く触れています モーツアルト好きにはたまらない1冊です。お薦めします