30日(月)。月日の流れは速いもので、あっという間に11月も今日で終わりです 今年も残すところあと1か月になってしまいました コロナのせいで思うようにいかないことが多々ありますが、皆さんはいかがですか
ということで、わが家に来てから今日で2251日目を迎え、何週間も記者団からの質問に応じてこなかったトランプ米大統領が26日、記者会見に登場し、ロイター通信のホワイトハウス特派員が 12月14日に行われる選挙人投票について明確な答えを引き出そうと質問したのに対し、「私にそんな口をきくんじゃない!君なぞ取るに足らない人間だ。私にそんな口をきくな・・・・私はアメリカ合衆国大統領だ。大統領に二度とそんな口をきくんじゃない!」と激怒した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
これがアメリカ合衆国大統領の言う言葉か? 小学校のガキ大将と同じレベルだな!
12月19日(土)午後2時からミューザ川崎で開かれる「ミューザ パイプオルガン クリスマス・コンサート」のチケットを取りました バッハ国際コンクール優勝オルガニスト、冨田一樹を中心とする公演で、バッハのオルガン曲やマルチェッロ「オーボエ協奏曲」などが演奏されます 手配が出遅れたので3階席しか取れませんでした
昨日、初台の新国立劇場「オペラパレス」でヨハン・シュトラウスⅡ世「こうもり」初日公演を観ました キャストはガヴリエル・フォン・アイゼンシュタイン=ダニエル・シュムッツハルト、ロザリンデ=アストリッド・ケスラー、フランク=ピョートル・ミチンスキー、オルロフスキー公爵=アイグル・アクメチーナ、アルフレード=村上公太、ファルケ博士=ルートヴィヒ・ミッテルハマー、アデーレ=マリア・ナザロワ、イーダ=平井香織、ブリント博士=大久保光哉、フロッシュ=ペーター・ゲスナー(クルト・リドルの代演)。管弦楽=東京フィル、合唱=新国立劇場合唱団、バレエ=東京シティ・バレエ団、指揮=クリストファー・フランクリン、演出=ハインツ・ツェドニクです
このオペレッタはヨハン・シュトラウスⅡ世(1825-1899)が1873年に作曲、翌74年にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました ヨハン・シュトラウスⅡ世の街ウィーンでは、年末年始の風物詩として「こうもり」が上演されています
物語の舞台はウィーン郊外。銀行家アイゼンシュタインは顧問弁護士の不手際で禁固刑が延長され大憤慨する しかし、悪友ファルケ博士に誘われ、妻ロザリンデには刑務所に出頭すると偽り、変装してロシアのオルロフスキー侯爵邸の夜会へ出かける。そこでハンガリーの伯爵夫人を名乗る仮面の美女を妻と気付かず口説くが、小道具の懐中時計を巻き上げられてしまう 翌朝、刑務所に出頭したアイゼンシュタインは、収監されている若い男アルフレードと、駆けつけた妻の浮気を疑うが、証拠物件の時計を見せられ 自分の浮気がばれて逆にやり込められてしまう そこへ、茶番劇の仕掛け人ファルケが現れ、「すべてはシャンパンのせい」と歌い上げ大団円を迎える
主催者側が用意した席は2階3列35番、右ブロック左通路側です。A席にしては良い席です 前回同様、新型コロナ感染拡大対応措置として、1階最前列と2列目は空席となっています
私がこのオペレッタ「こうもり」を新国立劇場でハインツ・ツェドニクの演出で観るのは2006年、2009年、2011年、2015年、2018年に次いで、今回が6度目です
サンフランシスコ生まれのクリストファー・フランクリンの指揮で、このオペレッタの内容を凝縮したかのような軽快な序曲が演奏されます この序曲を聴くと これから始まる楽しいオペレッタを想像してワクワクします
「こうもり」は何回観ても楽しく うきうきしますが、とくに第1幕で、アイゼンシュタインが刑務所に出頭するため、ロザリンデに別れを告げるシーンは思わず笑ってしまいます アイゼンシュタインもロザリンデもアデーレも、それぞれが夜会に行くことはお互いに知りません 最初は別れがつらいと悲しく歌い出しますが、次第に夜会への期待が高まり、踊りのリズムが奏でられると身体が動き出して一緒に踊り出します この場面は建前が崩れて本音が勝つシーンです
歌手陣は絶好調でした
アイゼンシュタインを歌ったダニエル・シュムッツハルトはオーストリア出身のバリトンですが、歌唱力はもちろんのこと、3枚目の役柄に徹した見事な演技力は特筆に値します
ロザリンデを歌ったアストリッド・ケスラーはオーストリア出身のソプラノですが、第2幕で仮面を付けて歌うチャールダーシュ「ふるさとの調べは」は美しいながらも力強い歌唱で、会場割れんばかりの拍手を浴びました
オルロフスキー公爵を歌ったアイグル・アクメチーナはロシア連邦バシコルトスタン共和国のウファ芸術大学で学んだメゾソプラノですが、声が良く通り存在感が抜群でした 今回の公演で最も強く印象に残りました
アデーレを歌ったマリア・ナザロワはウクライナ出身のソプラノですが、第2幕でルナール侯爵を名乗るアイゼンシュタインから「家の小間使い」と馬鹿にされて、逆にやり込める「侯爵様、あなたのような方は」を技巧を駆使して歌い上げ、第3幕ではフランクから「才能はあるのか?」と訊かれ、女優としていろいろな人物になれることを歌で証明する「田舎娘になって」を見事なコロラトゥーラで歌い切りました
アルフレードを歌った村上公太は東京音大卒、新国立劇場オペラ研修所第6期修了のテノールですが、良く声が通り演技力も十分で、大健闘でした
以上に挙げなかった歌手陣もそれぞれ聴きごたえのある歌唱を披露していました
クリストファー・フランクリン指揮東京フィルは、歌手に寄り添いながら、木管が、弦楽器が、良く歌っていました
演出で気が付いたのは、とくに合唱団がソーシャルディスタンスを取りながら歌い演じていたことです 前回までの公演と比較して一番違っていたのは、第2幕でロザリンデでがチャールダーシュを歌い終わってから、シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「雷鳴と電光」に合わせて出演者全員が踊るシーンです 前回までは、ジェンカを踊る時のように、前の人の肩に手をかけて長い列を作って練り歩き、最後は将棋倒しになって崩れ落ちるのですが、今回は人同士が接触することのないように、各自がその場で踊るシーンが目立ちました 合唱団の出演者を絞っているように思いました
今回の初日公演は、主役級の歌手陣を中心に高いレヴェルを保ちながら、オペレッタ特有のわくわく感を醸し出していました
ところで、プログラム冊子掲載の「作品ノート」に堀内修氏が次のように書いています
「1873年5月1日、帝国の経済低迷を打破する起死回生の策として、ウィーン万国博覧会が幕を開けた その8日後の5月9日「暗黒の金曜日」に大恐慌が起こる 全財産を失って自殺した人が150人を超えた。そこにコレラの流行が追い打ちをかける。コレラでは3000人を超える市民が命を落とした 期待された万国博が大きな赤字で終わって5カ月後の1874年4月、『こうもり』が世に出た。絶望の底にあったウィーンの、この上ない慰めだった」
オペレッタ「こうもり」の誕生には、このような時代背景があったことを、この文章を読んで初めて知りました
第1幕でアルフレードが、
「さあ飲もう、早く飲もう。飲めば目も澄んでくる・・・・・喜ばせてくれたものも幻のように消えてしまうとき 慰めてくれるのは酒だ 変えることのできないことを 忘れてしまえる人は幸せだ」
と歌います 当時の人々は、暗黒の金曜日も、コレラの流行も、万国博の大赤字も、すべて無かったことにして 忘れてしまいたかったのでしょう 忘れるために酒を煽ったのでしょう 「こうもり」ではオルロフスキー侯爵の館でシャンパンやワインが振る舞われ、アイゼンシュタインにはウォッカの一気飲みが強要されます 第3幕では刑務所の看守フロッシュが朝から晩まで安酒のスリヴォヴィッツ(日本公演では焼酎)を飲んでいます
考えようによっては、「すべてはシャンパンのせい」と歌い上げる「こうもり」は、現実逃避のための最大の娯楽だったのだと思います
翻って現在の日本を鑑みると、新型コロナウイルスのまん延、それによる東京オリンピックの延期と、ヨハン・シュトラウスの時代と似ているかも知れません 人々が「こうもり」を観て、一時でも災難を忘れたいと思うのは自然のことかもしれません