31日(日)。天気予報で雪が降るとか言ってたのに結局降らなかったとか、何だかんだ言ってるうちに、今日で1月も終わりです ということで、わが家に来てから490日目を迎え、狭いところが大好きなモコタロです
だって広いところだと落ち着かないんだよね
閑話休題
昨日、文京シビックホールで「響きの森クラシック・シリーズ」公演を聴きました プログラムは①チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」、②同「交響曲第6番ロ短調”悲愴”」で、”炎のコバケン”こと小林研一郎指揮東京フィルの演奏です。この日のコンマスは若きエース依田真宣です
チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」は1880年9月~10月に作曲されました。ショパンをはじめ多くの作曲家がモーツアルトを尊敬していましたが、チャイコフスキーもその一人でした 組曲「モーツアルティアーナ」という曲を作っているくらいです。チャイコフスキーの残した手紙によると、この曲は「モーツアルトへの愛情による内面的な衝動によって」作曲したとのことです 弦楽合奏のみにより4つの楽章から成る「小さな交響曲」のようなスタイルはモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を思い起こさせます
東京フィルの弦楽セクションが配置に着きます。コバケンが登場し、さっそく第1楽章の演奏に入ります 東京フィル自慢の弦楽セクションによる渾身の演奏を聴きながら、そういえばこの曲は小澤征爾がよく取り上げていたなぁ、と思いました 第1楽章冒頭部分をひと言で言えば「荘重な」音楽です。チャイコフスキーですから、続いてすぐに美しいメロディーが出てきます 第2楽章は優雅な雰囲気の「ワルツ」です 第3楽章「エレジー」、第4楽章「フィナーレ」を通じてあらためて思うのは、やはりチャイコフスキーは屈指のメロディーメーカーだな、ということです
休憩後は「交響曲第6番ロ短調”悲愴”」です。この曲はつい4日前に梅田俊明指揮日本フィルで聴いたばかりです 嫌が応でも比較して聴くことなります。第1楽章の起伏の激しい音楽を聴きながら思ったのは、コバケンの指揮は、テンポを大きく揺らし、ダイナミックに音楽を展開するということです とくに”主題”が出てくる直前には必ず”間”を置いて おもむろにテーマの演奏に入ります この”間”が、聴く人の期待度を高めることになります。そのあたりは熟年指揮者・コバケンの独壇場でしょう
テンポは全体的にゆったりめです。例えば、第3楽章「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」では、スケルツォから行進曲に移りますが、先日聴いた梅田+日フィルの場合は”突っ走る”という感じでしたが、コバケン+東京フィルの場合は、焦らず着実に行進するという感じです
第3楽章がフォルティッシモで終わるため、拍手が起こる恐れがあったのですが、コバケンはタクトを上げたままで、しばらく間を置いてから、そのタクトを振り下ろして第4楽章に移ったので、”勘違い拍手事件”は避けられました
これについて、コバケンは演奏後、聴衆の拍手を制してあいさつする中で、
「東京フィルの皆さんの演奏にも感動しましたが、第3楽章から第4楽章に移るときの会場の静けさにも感動しました 皆さまのお陰で集中力を絶やすことなく演奏することが出来ました」
と語っていました。次いで、
「本来ならアンコールを演奏するところですが、”悲愴”の後にアンコールというのも何ですから(会場・笑)、アンコールは次回に必ず演奏することをお約束しますので、本日は無しということにしたいと思います」
と続けました。そして楽員一同と共に会場に向かって一礼し、コンサートを締めくくりました
こうして同じ曲を短期間に2度聴く機会があった訳ですが、指揮者とオケが違えば演奏のスタイルも違う、ということをあらためて感じたコンサートでした