30日(金)。わが家に来てから今日で2302日目を迎え、米連邦検察当局は28日、トランプ前大統領の弁護士を務めたジュリアーニ元ニューヨーク市長のマンハッタンにある自宅と事務所を家宅捜査し、コンピューターや携帯電話を押収したが、ジュリアーニ氏はトランプ氏の有利になるように、ウクライナ企業の役員だったバイデン氏の息子に関する不正情報の収集に当たり、その際、ジュリアーニ氏がウクライナ政府高官に対する高額な代理人契約交渉を進め、個人的利益を追求した疑惑が持たれている というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプの周りに集まるのは 自分の利益しか考えない 胡散臭い連中ばかりじゃね?
昨日の夕食は、先日 娘が月島でお土産に買ってきた「月島 もんじゃ焼」にしました チーズを入れたら一段と美味しかったです
昨日、渋谷のシアター・イメージフォーラムでキム・ミレ監督による2020年製作映画「狼をさがして」(74分)を観ました
最初にお断りしておきます 現在 東京都には新型コロナ禍に関わる緊急事態宣言が発出されており「不要不急の外出を控えるように」という要請が都民に出されています そうした中で、不特定多数の人々が集まる映画など観に行っていいのか、という疑問を抱いている方もいらっしゃるかもしれません しかし、私にとってコンサートを聴きに行ったり映画を観に行くことは「日常生活」そのもので、決して非日常の「不要不急」の外出ではありません どこのコンサート会場や映画館も、来館者にはマスク着用、体温測定、手指の消毒が求められ、管内における食事は禁止されています また、コンサートを聴いていて大声を出す人はいませんし、映画館でも黙ってスクリーンを観ている人ばかりです。こうした環境のもと、あくまでも自己責任で、コンサートが中止にならない限り聴きに行くし、映画が上映されている限り観に行きます そうすることによって、文化活動を担う主催者を 微力ながら応援しようと考えています
さて、イメージフォーラムは新型コロナ感染拡大対策のため、現在 市松模様の座席配置で 定員の半分しか入れていませんが、ほぼ満席です
「狼をさがして」は次のような内容です
1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発し、8名の死者と約380名の負傷者が出た 犯行声明を出したのは「東アジア反日武装戦線”狼”」と名乗った。やがて別動隊「大地の牙」と「さそり」が現れ、翌年5月までの間に旧財閥系企業や大手ゼネコンが次々と標的になった 1975年5月19日、メンバーが一斉逮捕され、長い間収監される。その後、彼らはそれぞれ別々の人生を送ることになる。服毒をはかった者、獄死した者、出所した者、今なお収監されている者もいる
2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督は、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメンタリーを撮り始める メンバーやその家族、関係者の証言を追う中で、彼らの姿が紐解かれていく
東アジア反日武装戦線”狼”は、60年代の学生運動が国家権力を相手にゲバ棒と火炎瓶で闘った闘争だったのに対し、戦時中の日本企業に搾取され殺された東アジア(中国や韓国)の人たちの恨みを胸に、財閥企業を中心とする大企業を相手に爆弾で闘った闘争だったことに大きな特徴があります 彼らは「かつて中国や韓国の人たちを徴用して日本国内で働かせ搾取した大企業は、何の反省もなく海外進出をして安い労働力を使って儲けている。そういう企業で働く従業員も企業と同様に断罪すべきだ」として、爆弾によって死傷者が出ても当然だと看做していました しかし、収監後、自分自身と向き合い、また支援者たちと交流する中で、彼らはそれが過ちだったこと、いかなることがあっても人を殺してはいけないということを悟ります
この映画には、メンバーを支援してきた多くの人たちが登場し、インタビューに答えていますが、「彼らの行動は間違っていた しかし、被害者の立場に立って考え、その行動に至った動機はよくわかる」という言葉が印象に残ります
三菱重工本社ビル爆破事件のあった1974年は、私が大学を出て新聞関係団体に入職した年だったので、忘れようにも忘れられません 事件が起こった数日後、アフターファイブに飲んでいる時、国際部の先輩が 事件について「あれほど やめろって言ったのに、あいつら・・・」と呟いたのを聞いて、「えっ」と思い、言葉が出ませんでした 先輩は国内外に友人が多く、過去の日本や日本企業に対し悪いイメージを抱いている友人もいたようなので、そのうちの誰かが事件を引き起こしたのではないか、先輩はその犯人を知っているのではないか、と思ったのです でも、怖くて聞けませんでした それ以来、そのことは自分の心に閉じ込めて過ごしてきました 犯人グループが逮捕されたと知った時も、あえて先輩に「知り合いですか」とは尋ねませんでした。だから、今でも犯人グループの誰かが先輩の知り合いだったのかは分かりません
映画を観終わって、これは被害者側の韓国の監督だからこそ撮れた作品だったのかな、と思うと同時に、日本人監督では撮れなかっただろうか、という疑問も抱きました