8日(水).昨日,電気掃除機で廊下を掃除している時,掃除機の柄が北京と,もとい,ペキンと折れてしまいました 数年前からガムテープでぐるぐる巻きにして使用していたのですが,もう限界のようです.調べてみたら8年近く使っていることが分かりました お役御免ということで新しい掃除機を買うことにしました 娘に相談するとダイソンのコードレスがいいよと(普段 掃除をしたこともないのに)言うので,早速いつも家電製品を買っている池袋のBカメラに行き,お店の人の説明を聞いたうえで,ダイソンのコードレス掃除機V7と専用スタンドの配送を手配しました 午後には届き,古い掃除機は無料で引き取ってもらいました 今後少なくとも10年間は活躍して欲しいと思います
ということで,わが家に来てから今日で985日目を迎え,「森友学園問題」や「加計学園問題」の追及が続く今国会で,先に浮上した森友学園問題の審議で,政府が事実関係の確認を拒んだり事実と異なる説明をしたりしたため,少なくとも12時間が空費されたという朝日の記事を見て感想を述べるモコタロです
加計学園問題では12時間じゃ済まないかも 官邸の見解を早めに鑑定しなきゃ!
昨日,食器棚を整理していたら,奥の方からハイヒール形のボトル(350㎖)入りのスピリッツが出てきました
箱の表には「シンデレラの靴」と書かれており,裏側を見ると「パパゲーナ」「キウイ」「アルコール度数15%」「ナンネル/ザルツブルク」の表示がありました
これらの情報を整理すると,モーツアルトの生まれ故郷ザルツブルクの飲料メーカーで,モーツアルトの姉ナンネルの名前を冠した会社が製造したキウイを原料とするアルコール飲料で,モーツアルトのオペラ「魔笛」に出てくる「パパゲーナ」の名前を冠した シンデレラの靴の形をしたボトル入りのスピリッツのようです いったい いつどこでどのように入手したのかまったく覚えていません 私がザルツブルクに旅行したのは1986年の4~5月でしたが,その時に買った覚えはありません.誰かからプレゼントされたのかも知れません
ところで「ナンネル社」と言えば,当ブログの読者ゆえさんからウィーン旅行土産に頂いたヴァイオリンの形のボトル入りのリキュールも同社の製品だったことを思い出しました
「シンデレラの靴」を初めて栓を抜いて常温で飲んでみましたが,まだアルコール分が抜けておらず ほのかに甘いキウイとウォッカを混ぜたリキュールの味がしました お腹を壊すといけないので少しで止めておきました 今度は冷やして飲んでみようと思います
アンジェラ・ヒューイットのピアノ・リサイタルのチケットを取りました 9月13日(水)午後7時から紀尾井ホールです.プログラムはJ.S.バッハ①パルティータ第1番,②パルティータ第2番,③ソナタ ニ短調,④パルティータ第4番です 本当は翌4日も聴きたいのですが,すでに予定が入っているので諦めました
中川右介著「ロマン派の音楽家たち~恋と友情と革命の青春譜」(ちくま新書)を読み終わりました 中川右介の本は「20世紀の10大ピアニスト」「怖いクラシック」「現代の名演奏家50」をご紹介してきました 1960年東京生まれ.早稲田大学第二文学部卒.出版社で編集長を務めた後,1993年にアルファベータ社を設立し「クラシックジャーナル」を創刊しました
著者が「はじめに」で述べているように,この本は1810年前後に相次いで生まれた大作曲家たちの「交友」に焦点をあてて小説風に描いたものです その大作曲家とは次の5人です
〇フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847) 38歳で没.
〇フレデリック・ショパン (1810-1849) 39歳で没.
〇ロベルト・シューマン (1810-1856) 46歳で没.
〇フランツ・リスト (1811-1886) 75歳で没.
〇リヒャルト・ワーグナー (1813-1883) 70歳で没.
中川氏は,まず,彼らの前の時代の大作曲家,すなわちバッハ,ハイドン,モーツアルト,ベートーヴェン,シューベルトたちは,みな父親が音楽家で,生まれた時から父親に音楽を叩き込まれて育ったが,上記のロマン派の音楽たちの親はプロの音楽家ではなかった,と指摘します メンデルスゾーンの父は銀行経営者,ショパンの父は高校のフランス語教師,シューマンの父は出版社経営者,リストの父はアマチュア音楽家ではあったが,職業は大貴族の使用人,ワーグナーの父は警察署の事務官だったということです
そして,かつて音楽家の社会的身分は低かったが,音楽家の地位を劇的に変えて社会から尊敬される偉大な存在にしたのはベートーヴェンだった ロマン派の大作曲家たちが生まれたのは,ベートーヴェンが音楽を芸術へ高め,音楽家の地位も高めた頃だった いわば彼らは「ベートーヴェン・チルドレン」だった,と述べます
1828年から1841年までの14年間について,1年ごとにそれぞれの音楽家がどのような活動を行い,お互いにどのように交流をしていたかを事細かに紹介し,当時どのような作品を作曲していたかを洗い出します
一例を挙げれば,1832年が5人の作曲家たちの出会いの年だったことが分かります この年の5人の交流と当時の年齢(誕生日での満年齢)は以下の通りでした
〇メンデルスゾーン(23歳)はパリでリストとショパンを知り合った.
〇ショパン(22歳)はパリでメンデルスゾーンとリストと知り合った.
〇シューマン(22歳)はライプツィヒでワーグナーと知り合った.
〇リスト(21歳)はパリでショパンとメンデルスゾーンと知り合った.
〇ワーグナー(19歳)はライプツィヒでシューマンと知り合った.
そして,この5人全員と直接会っているのがクララ・ヴィーク(13歳)だった.さらに,ベルリオーズ(29歳)もパリでリストと知り合い,ローマでメンデルスゾーンと知り合い,帰国してショパンと知り合っている
なお,この年(1832年)に作曲された作品は次の通りだった
〇メンデルスゾーン(23歳)
序曲「フィンガルの洞窟」(決定稿)
交響曲第3番「スコットランド」(1829-32,41-42)
交響曲第4番「イタリア」(1830-33)
無言歌集第1巻(1829-32)他
〇ショパン(22歳)
エチュード第1番~第12番(1829-32),第13番~第24番(1832-36)
ノクターン第4番~第6番(1830-33)
マズルカ第10番~第13番(1832-33),第54番,第55番(1832)
バラード第1番(1831-35)
スケルツォ第1番(1831-32)他
〇シューマン(22歳)
トッカータ(1829-32)
クララ・ヴィークの主題による即興曲(1832-33)
ピアノ・ソナタ第1番(1832-35)他
〇リスト(21歳)
なし
〇ワーグナー(19歳)
交響曲ハ長調
歌劇「婚礼」の台本執筆(作曲は途中で断念)
こうして見ると,年齢の関係もありますが,いかにメンデルスゾーンとショパンが早熟の天才で,リストとワーグナーが出遅れていたかが分かります
この本は,5人の作曲家同士の詳細な交流が描かれているばかりでなく,クラシック音楽の演奏史に関わる論考もあり,参考になります 中川氏は次のように書いています
「その時代に生きている音楽家の新作を披露する場だった演奏会は,変容しようとしていた 過去の作品を『名曲』として繰り返し聴く場になっていく.その担い手がドイツではメンデルスゾーンでありクララ・ヴィークだった 欧州中を駆け回るリストも同じことを考えていた.彼らが友情のネットワークによってお互いの曲を演奏し合い,さらにバッハからベートーヴェンまでを古典と位置づけ,自分たちこそがその後継者であるとアピールすることで,彼ら以外の音楽は正統から外れていくことになる.こうして『音楽史』が生まれるのだ」
この本の巻末に「参考文献」が掲載されていますが,「これだけ多くの本を読んで初めて この本が書けたのだな」と納得しました この本に賭ける著者の熱意には頭が下がります.最近読んだ本の中で一番読み応えのある,私のような音楽素人にとっては とても勉強になる本でした クラシック音楽を愛好する皆さんに自信を持ってお薦めします