11日(火)。昨日午前中、地元のAクリニックで胃がん検診(胃カメラ)を受診し、午後に池袋の豊島健康診査センターで肺がん検診(レントゲン検査)を受診しました 胃カメラによる検診は2020年、2022年に次いで3度目です。前回は20分弱かかりましたが、今回は同じ医師で10分程度で終わりました 肺がん検診は毎年受診していますが、今回初めて通常のレントゲン検査に、肺のCT検査が加わりました。訊いてみると、隔年実施とのことでした 豊島区からは、あと「特定健診」(一般の健康診断)と大腸がん検査の案内が来ているので、近いうちに日程を入れたいと思います
話は変わりますが、モコタロ邸をバリアフリー化しました モコタロのケージの内部は2階建てになっていて、2階に上がる時は良いのですが、降りる時にジャンプして飛び降りるため、骨折でもしたら大変だということで、スロープを付けることにしました 何しろモコタロも9歳半なので、そういうお年頃ということです 娘が Amazon に発注した3枚のスロープを設置して、飛び降りなくてもいいようにしました まだ慣れないせいか下の方でうろうろして上がろうとしませんが、そのうち慣れることを 私 祈ってます
ということで、わが家に来てから今日で3437日目を迎え、トランプ前米大統領は9日、ラスベガスでの集会で、大統領選を制すれば、接客業のチップ収入に対する課税を即刻廃止すると表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
今度はギャンブル推進キャンペーンか トランプは当選するためなら手段を選ばない
昨日、夕食に「鶏のガリチー煮、スパゲティ添え」を作りました 何回食べても飽きません
ブレイディみかこ著「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」(文春文庫)を読み終わりました ブレイディみかこは1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。ライター、コラムニスト。2017年「子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から」で新潮ドキュメント賞、19年「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で本屋大賞2019ノンフィクション本大賞、毎日出版文化賞特別賞などを受賞 「女たちのテロル」「ワイルドサイドをほっつき歩け」など著書多数
本書は2021年6月に文藝春秋社から単行本として刊行され、2024年5月に文庫化されました
著者は「はじめに」の中で概要次のように書いています
「2019年に出版した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、『エンパシー』という言葉について書いたが、多くの読者に受け入れられたようだ 『エンパシー』は、『共感』ではない他者理解があるのではないか、と感じていた多くの人に『誰かの靴を履く』というシンプル極まりない解説によって、ストンと腑に落ちたのではないか しかし、『エンパシー万能』『エンパシーがあればすべてうまくいく』という考えに結びついてしまうのは著者として不本意に思う なぜなら、米国や欧州にはエンパシーを巡る様々な議論があり、それは危険性や毒性を持ち得るものだと主張する論者もいるからだ そうしたことから、本書で『エンパシー』を掘り下げてみようと思った」
本書は次の11章から構成されています
第1章「外して、広げる」
第2章「溶かして、変える」
第3章「経済にエンパシーを」
第4章「彼女にはエンパシーがなかった」
第5章「囚われず、手離さない」
第6章「それは深いのか、浅いのか」
第7章「煩わせ、繋がる」
第8章「速いエンパシー、遅いエンパシー」
第9章「人間を人間化せよ」
第10章「エンパシーを『闇落ち』させないために」
第11章「足元に緑色のブランケットを敷く」
著者は第1章「外して、広げる」の中で「エンパシー」と「シンパシー」の違いについて次のように書いています
「『オックスフォード・ラ―ナーズ・ディクショナリーズ』によると、『エンパシー』は他社の感情や経験などを理解する能力であり、『シンパシー』は①誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと、②ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為、③同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解(いわゆる”シンパ”)ーとなっている つまり、エンパシーは能力だから身に着けるものであり、シンパシーは感情とか行為とか友情とか、どちらかといえば人から出て来るもの、または内側から湧いてくるものだということになる ここで厄介なのは、『エンパシー』は『共感』という日本語に訳されるが、『シンパシー』も『共感』と訳すことができることだ 『シンパシー』の方は『同情』『思いやり』『支持』といった訳語もあり、『エンパシー』の方は『感情移入』『自己移入』と訳されることもある」
「『エンパシー』の意味があいまいになっているのは、日本だけではなく、英語圏の国々でも定義が様々に異なる 大まかにいうと①コグニティヴ・エンパシー(「認知的エンパシー」と訳される)、②エモーショナル・エンパシー(「感情的エンパシー」と訳される)、③ソマティック・エンパシー(他者の痛みや苦しみを想像することによって、自分もフィジカルにそれを感じてしまうというもの)、④コンパッショネイト・エンパシー(苦しんでいる人々や動物に対する、強いシンパシーの情であり、彼らを助けたいと思う願望)という種類がある」
この中で著者が興味を持っているのは、「コグニティヴ・エンパシー(「認知的エンパシー」)」です 彼女は次のように書いています
「自分を誰かや誰かの状況に投射して理解するのではなく、他者を他者としてそのまま知ろうとすること 自分とは違うもの、自分は受け入れられない性質のものでも、他者として存在を認め、その人のことを想像してみること 他者の臭くて汚い靴でも、感情的にならず、理性的に履いてみること とはいえ、本当に人間にそんなことはできるのだろうか。しかし、エンパシーが「ability (能力)」だとすれば、きっと able な人にはできるのだろう」
第4章「彼女にはエンパシーがなかった」の「彼女」とは元英国首相のマーガレット・サッチャーのことです サッチャーは「鉄の女」と呼ばれ「イギリス病」根絶のため徹底的な緊縮財政を貫徹しましたが、官邸で働く100人近くの人々(私設秘書、護衛官、お抱え運転手や身の回りの世話をやく人など)に対しては、とても優しく思いやりのある人物だったということです しかし、社会民主党の創設者デヴィッド・オーウェンは「彼女が周囲の人々に優しかったのは、官邸で働いていたスタッフは各人がそれぞれの分野で成功を収めた人々だったからだ」と語っています つまり、サッチャーは身近な人たちにはシンパシーを感じていたが、英国の底辺で生活する多くの労働者へのエンパシーには欠けていたということです
第10章「エンパシーを『闇落ち』させないために」の中で、著者はトランプ前米大統領を登場させています
「フリッツ・ブライトハウプトは、『自分が正しいと思っている陣営の気持ちや状況を理解すればするだけ、それに反対する立場の陣営が必要以上に邪悪で、間違った存在に見えてくる』という 彼はトランプを『エンパシーの達人』と呼んでいる。トランプがエンパシーに長けているというわけではない。まったく逆で、彼は他者からエンパシーを集めるのが得意だというのだ 彼は『俺 VS メディア』『俺 VS エリート知識人』『俺 VS 陰謀家たち』という風に、世界全体を敵に回して戦っているかのようなナラティブを用いる 他者に対するエンパシーを働かせやすい私心のない人が、強烈な自我を持つ人に弱いことは以前にプライトハウプトが指摘したことだが、自信満々で、型破りで、ポリコレなど微塵も気にせず自分の感情を爆発させるトランプが、全方面から攻撃されている『ひとり戦隊』を演じれば演じるほど、人々のエンパシーに訴えることができるのだ この説は、少なくとも『何であの人が』という、他者への思いやりがありそうな人がトランプを支持している事実を理解するうえで役立つかもしれない。そもそもトランプはアンダードッグを気取って出てきた人だから、本当に負けてしまったとき、支持者による彼への感情移入がマックスに高まるのは当然だろう」
そして、次のように続けています
「『友 VS 敵』の構図の強化(トランプだけでなく、ポピュラリズムは通常このやり方で支持を伸ばす)からテロリズムまで、ここまで挙げたエンパシーの闇落ちの例は、靴を履いた対象に自己を支配されてしまっている例だ 他者の靴を履いて、自分の靴を見失ってしまったら元も子もないのである」
さらに、「アナーキーという軸をしっかりとぶち込まなければ、エンパシーは知らぬ間に毒性のあるものに変わってしまうかもしれない。エンパシーとアナーキーはセットでなければ、エンパシーだけでは闇落ちする可能性がある」と書いています
上記の通り「エンパシー」を、あらゆる支配を拒否し、自治・自立し相互扶助を行う「アナーキズム」と結びつけて考えようとするのが、ブレイディみかこさんの主張の特徴です
このブログで『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を取り上げた際、フォロワーの女性から「是非、中学生の息子の夏休みの課題図書としたい」とコメントをいただきました 今回の『他者の靴を履く』は、課題図書とするなら高校生以上、むしろ日常的に他者との関係の中で生きている一般社会人に相応しいかもしれません