顔文字や今どきの日本語も…中学教科書検定 (読売新聞) - goo ニュース
昨日、この記事を書いていたのだが、なんともグットタイミングなニュースがあった。
詰め込み教育の失敗、ゆとり教育の失敗、と学校教育が今揺らいでいるなぁと感じている。
さらに、復古調の思想が何やら高まってきて、国旗や国家斉唱を強制したり、ゆとりといいつつ、人間にとって大切な事が何かも教えられないし、先生が不祥事を起こし、せっかくいい先生がいても潰されるという、まったくもって訳のわからない状態だ。「ゆとり」の意味をはき違えている気がする。教科書から削除しなくてもいいことまで削除するなんておかしい。教科書がどうのというより、実際の授業でどう教えていくかが問題ではないのか?そもそも、どういう教育をしていこうとしているのかのハッキリした目標がない気がする。
私にはまだ子どもはいないが、もし、こんな状態で自分の子を今の学校に行かせなければならないというのであれば、何か考えてしまう。
私が育った世代は第2次べービーブーム世代。右を見ても、左を見ても自分くらいの年齢の子どもばかりだった。学校では、勉強が出来さえすればいい子、学歴がすべて、という教育で、社会もそういう思想があった。さらに考え方も格好も好きなものも同じでないとおかしい、いけないみたいな思想もあった。男は男らしく、女は女らしくをやたら強制された。私は、大人も子どももみんなそろってそう考えているそんな思想に小中学生の当時とても嫌気が差していた。
そんな私が学校から学んだこと。
人間への憎悪。蔑まれること。差別。仲間はずれ。
同じでなければいけない。勉強ができさえすればいい。
男は偉い。女はひっこんでろ。
だから、私は学校が大嫌いだった。
今もあまり好きじゃない。先生から習うのはいまだにどうも苦手だ。
確かに勉強は出来た方がいい。
しかし、私は「何のために勉強するのか?」を先生に教えて欲しかった。
学ぶ楽しみを教えて欲しかった。
昔、こんな先生がいた。
高校の時、数学でわからない問題があって、先生に聞きに行った。
私はヒントだけ欲しかったのに、先生は最後まで答えを出してしまった。
私は、推理小説の犯人を、小説を途中まで読んでいる最中に言われてしまったようなショックを受け、すっかりやる気をなくした。
数学は、答えが出た瞬間が面白いのに、先生はその楽しみを私から奪い取った。
それと同時に「なんてことだ。これが数学の先生なのか?数学の面白さを伝えられないだなんて信じられない。」と疑った瞬間で、もう二度と先生には質問しないと決めた瞬間でもあった。
学校とは子どもが初めての社会生活を営み、学ぶ場所。
私は、どうやって大勢の人と協調しながらも、自分を出してしていけばいいのかの社会的ルールや、みんなで議論して物事を決めていくやり方を実際にやってみて、教えて欲しかった。
リーダーとは何か、協力しあうとは何か、仲間とは、人生とは、生きていくとは何かを教えて欲しかった。
今、こんなことをきちんと教えてくれる、教えられる学校ってあるんだろうか。
そんなことを教えられる親もどれだけいるのだろうか。
私にお金と力があるのなら、素晴らしい人間を育てていく学校を作りたいと思った。
学ぶことの楽しさを教えてあげたい。
社会で協調しながらも、自分らしく生きていく術を教えてあげたい。
マナーを教えてあげたい。
自分自身や自分の周りの人たちを幸せにしていくための術を教えたあげたい。
みんなのリーダーという誇り、仲間で助け合うことの喜びを教えてあげたい。
そう思った。
しかし、夫婦別姓のことが教科書に載っていたのに、削除されてしまったらしい。
残念だなぁ…。
昨日、この記事を書いていたのだが、なんともグットタイミングなニュースがあった。
詰め込み教育の失敗、ゆとり教育の失敗、と学校教育が今揺らいでいるなぁと感じている。
さらに、復古調の思想が何やら高まってきて、国旗や国家斉唱を強制したり、ゆとりといいつつ、人間にとって大切な事が何かも教えられないし、先生が不祥事を起こし、せっかくいい先生がいても潰されるという、まったくもって訳のわからない状態だ。「ゆとり」の意味をはき違えている気がする。教科書から削除しなくてもいいことまで削除するなんておかしい。教科書がどうのというより、実際の授業でどう教えていくかが問題ではないのか?そもそも、どういう教育をしていこうとしているのかのハッキリした目標がない気がする。
私にはまだ子どもはいないが、もし、こんな状態で自分の子を今の学校に行かせなければならないというのであれば、何か考えてしまう。
私が育った世代は第2次べービーブーム世代。右を見ても、左を見ても自分くらいの年齢の子どもばかりだった。学校では、勉強が出来さえすればいい子、学歴がすべて、という教育で、社会もそういう思想があった。さらに考え方も格好も好きなものも同じでないとおかしい、いけないみたいな思想もあった。男は男らしく、女は女らしくをやたら強制された。私は、大人も子どももみんなそろってそう考えているそんな思想に小中学生の当時とても嫌気が差していた。
そんな私が学校から学んだこと。
人間への憎悪。蔑まれること。差別。仲間はずれ。
同じでなければいけない。勉強ができさえすればいい。
男は偉い。女はひっこんでろ。
だから、私は学校が大嫌いだった。
今もあまり好きじゃない。先生から習うのはいまだにどうも苦手だ。
確かに勉強は出来た方がいい。
しかし、私は「何のために勉強するのか?」を先生に教えて欲しかった。
学ぶ楽しみを教えて欲しかった。
昔、こんな先生がいた。
高校の時、数学でわからない問題があって、先生に聞きに行った。
私はヒントだけ欲しかったのに、先生は最後まで答えを出してしまった。
私は、推理小説の犯人を、小説を途中まで読んでいる最中に言われてしまったようなショックを受け、すっかりやる気をなくした。
数学は、答えが出た瞬間が面白いのに、先生はその楽しみを私から奪い取った。
それと同時に「なんてことだ。これが数学の先生なのか?数学の面白さを伝えられないだなんて信じられない。」と疑った瞬間で、もう二度と先生には質問しないと決めた瞬間でもあった。
学校とは子どもが初めての社会生活を営み、学ぶ場所。
私は、どうやって大勢の人と協調しながらも、自分を出してしていけばいいのかの社会的ルールや、みんなで議論して物事を決めていくやり方を実際にやってみて、教えて欲しかった。
リーダーとは何か、協力しあうとは何か、仲間とは、人生とは、生きていくとは何かを教えて欲しかった。
今、こんなことをきちんと教えてくれる、教えられる学校ってあるんだろうか。
そんなことを教えられる親もどれだけいるのだろうか。
私にお金と力があるのなら、素晴らしい人間を育てていく学校を作りたいと思った。
学ぶことの楽しさを教えてあげたい。
社会で協調しながらも、自分らしく生きていく術を教えてあげたい。
マナーを教えてあげたい。
自分自身や自分の周りの人たちを幸せにしていくための術を教えたあげたい。
みんなのリーダーという誇り、仲間で助け合うことの喜びを教えてあげたい。
そう思った。
しかし、夫婦別姓のことが教科書に載っていたのに、削除されてしまったらしい。
残念だなぁ…。