★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

わたしのなまえと夫婦別姓

2005年04月27日 | ★夫婦別姓
私のなまえは、5文字。
私は自分のこのなまえが大好き。
それは自分にとって特別だと思えることが多いせいかもしれない。


生まれてから32年間、同姓同名に一度も会ったことがない。
音の響き的には珍しくもないが、漢字が少し変わっている。

以前、ニュースで、踏切内で立ち往生した車の中で電車と事故にあった5歳の女の子のフルネームの読みと、名前の字が私と同じだったことがあったが、今までそれくらいしか同じなまえは見たことがない。あの子は助かっただろうか…。どうか助かっていますように。

あまりにいないので、まったくの同姓同名に一度会ってみたいなぁなどとよく思うくらいだ。

ところで、なまえとはご存知、氏名というように、氏(うじ)と名(な)から出来ている。氏のことを他に、姓(せい、かばね)、苗字、名字(みょうじ)ともいうが、それぞれ実はちゃんと意味がある。この中で苗字という字の「苗」とは「血筋」という意味を表すらしい。私はこの苗字という言葉が意味合い的に一番好きなので、ここでは苗字という字を使うことにした。


私の苗字は、関東地方にはほとんどいない。
そもそも会ったことがないのだから、たくさんいるわけがないけど。
そのためか、初めて行くお店や病院、初めて会った人などにはちゃんと読んでもらえないこともたびたび。苗字の漢字のそれぞれを単語で分けると、簡単に読める字なんだけれど、組み合わせると特別な読み方をするのかと思ってしまうみたい。しかし、読みはとても単純。どこかの市の名前と同じなので、漢字をその市の名前と書き間違えられる。でも、珍しい苗字なので漢字を見せて名乗れば、インパクトがあるのでだいたい一度で覚えてもらえる。


そういえば、この苗字の発祥の地のらしき近隣の場所では面白いことがおきた。
一度、その近隣に遊びに行ったとき警察が検問をしていて、その警察官に私の免許証を見せたら、
「たっちーさん(もちろん苗字でいわれたが^^)、会社の帰り?
 気を付けて帰ってね。」
などと言われて友達と一緒に笑ったものだ。
実は、300kmくらい離れた土地に暮らしているのにね(笑)
そう言われたのはその地域では、それなりに普通にいる苗字だったからだった。そのとき、まったく暮らしたこともないそんな遠い場所に不思議な愛郷心を持った。
その土地には今は無縁仏となってしまった私の父方の曾祖父の立派なお墓がある。そして、もう一つ、父方の曾祖母と祖父母のお墓もある。

名前も、この字を使う人はほどんとおらず、よく書き間違えられたり、ワープロの日本語変換に登録されていないおかげで、変換間違いはしょっちゅうある。訂正するのもいい加減に面倒になってきているが、やっぱりなんだか気持ち悪いので、訂正させてもらっている。足りない偏をよく付け加えたりしてる。

そんなわけで、私のフルネームは、そんな珍しい苗字と名が組み合わされてできている。しかし、特別と思えるのはそれだけではない。

フルネームが並んだときの漢字の見栄えがこれまたなんともいいのだ。
我ながら見ていて感心してしまうくらい。
まるで芸能人か、著名人になったらすごく様(さま)になりそうな字をしていると思う(笑)
友人や親にもそう言うと、同感してもらえたりする。
そして、苗字に合わせて付けている名前であるため、画数もきちんと考えられていて、とてもよい画数に仕上がっている。これは私が女であるにも関わらず、両親も親戚も一生名乗っていくなまえとして、私に付けてくれた運命のなまえように勝手に思えてしまう(笑)

そんなフルネームの漢字自体はとっても簡単で、小学校1,2年生ですべて習ってしまう字だ。自分が簡単な字だったので、難しかったり、複雑だったりする漢字のなまえを持つ子がよくうらやましかったりしたものだった。

そんなこんなのエピソードがもりだくさんなので、自分にとっては、余計にこのなまえが特別に思えてくる。この世で今のところは、自分しかいない、自分に与えられたこのなまえに誇りや運命共同体とも感じる。だから、私は例え結婚しても、この、愛着があり、自分の一部であるなまえをあらゆるところでこれまでと同じように使い、死ぬまで名乗って生きて行きたい。


以前、夫婦別姓に反対する方がコメントをくださり、夫の苗字に変わる良さを言われたことがある。
ある友人には、名前ごときで好きな人と別れてしまうのは悲しくないか?その人より名前の方が大切なのか?名前が変わっても慣れてしまえばなんてことはないよ、と言われたことがある。

しかし、そうは言われても、私は自分のなまえに愛着と誇りを持つからこそ、改姓する価値がまったく感じられない。別姓に反対する方や友人が女性としてそう思っていても、すべての女性が同じように思うとは限らないと思う。「人は人、自分は自分」で千差万別なのだから。
だからといって、私は夫婦同姓にしたい方々の夫や妻の苗字に変えることがおかしいとも、いけないとも別に思わない。すべての人が夫婦別姓になる必要などないと思う。本人が同姓か、別姓にしたいのであれば、それを選択することが一番いいと思う。

私がもし我慢して改姓したら、きっと精神的に病んでしまいそうな気がする。私にとって苗字を捨てる、変えると言うことは、私の身体の一部をもぎ取るのと同じことだ。改姓した苗字を呼ばれるたびに、まるでグサグサとナイフでつき刺され血をダラダラ流し続けるような苦痛が襲うと思う。

「私はこんななまえじゃない!」...と。

それに、女性が苗字を変えて嫁ぐことで、男性の苗字ばかり残っていってしまうことにも、とても不満と不公平を感じる。同じ一人っ子でも、男性が結婚する場合は当然のように嫁である女性に苗字を変えさせるのに対し、女性の場合は、婿である男性に変えてもらうとき、男性本人も嫌がるが、だいだい男性の親や親戚などに猛反対されて、破談になる可能性が高い。それは社会や周囲が婿であることをバカにしたり、低く見る風潮がまだ少なからずあるからだろう。そして、どこか男尊女卑がまだ根強く残っているのだ。ということは、女性の一人っ子は、「結婚するな。」「女性の苗字は途絶えてしまえ。」と言われているみたいで、すごく不公平で腹立たしい。以前、私はそういう親にあったことがある。言葉は悪いが、正直言ってそういう慣習は「ムカつく!」の一言。私だって、苗字を自分の子どもに残したいのに、ひどい話だ。女であることをもっとも恨む瞬間である。

だから、私はどちらかの苗字を犠牲にするのではなく、両方の苗字を残したいと思っている。
そして、昔のような「○○家」という決まりきったしきたりでの付き合いではなく、両方の両親を、それぞれを産んで育ててくれた大切な人として、末永く付き合い、夫とその両親、私と両親とみんなで助け合って共に幸せに生きていきたい。

私は自分と同じ苦痛を相手にも負わせたくない。
だから、私はお互い苗字を変えたくない場合に、夫婦別姓を「選択」したいのだ。
コメント (4)
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