★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

バケモノの子

2015年07月26日 | ★映画&舞台&ドラマ
映画「バケモノの子」を
息子二人と相棒の4人で観てきました。

感想は、とにかくよかったです。
子どもたちは、一郎彦(いちろうひこ)の
変わった姿が怖かったみたいですが

親子の、特に父親のあり方みたいなものが伝わってきました。
そして、主人公の蓮(れん)こと九太(きゅうた)が思い出す
亡き母の温かい言動

母親には温かさがあるといいのかな~なんて。
でも、私は九太のお母さんのような
温かい柔らかい人じゃないな~

どちらかというと
バケモノの熊徹(くまてつ)みたいな感じかも。
母でありながら、父親のような…。

まあ、みんな同じような
母親である必要はないかなって思います。

そして、言葉がすべてでもない。

ぶきっちょな熊徹の言葉は、ひどい言葉ばかり。
いつも言いたいことをぶつけ合い、罵り合っている。
でも、熊徹も九太のことを、そして、九太も熊徹のことを
誰よりも大切に思っているのはちゃんとお互いに伝わっている。

言霊があるからと、言葉の大切さを言っているけど
言葉だけ、方法だけでは子どもにその思いは伝わらない。

どう本気でそれを伝えようとしているかが大切

そう、気持ちが一番大切だと思う。

ぶきっちょでも、怒り散らしていても
本気でその子をどう「愛している」がが
伝わっているか、かなって
この映画を観て思いました。

熊徹が百秋坊(ひゃくしゅうぼう)に言われたこと、

「おまえがしてほしかったように、
 九太にしてやればいいんじゃないか?」

これはパピーさんが言っている言葉と同じと思いました。
私はケンにこうハトさんメールで伝えました。

「お母さんはケンの心の剣になるよ。」

パピーさんがテキストで教えているのは
バケモノの子でも教えてくれていることと
同じかもしれないと感じました。

そして、子どもは親だけが育てているのではないってこと。
子どもに関わる全ての大人が子どもを育てている。
両親、祖父母、地域の大人、学校の先生、習い事の先生。

ということは、
この社会が子どもを育てているっていうことになるよね。

だから、ケンとコウにはいい影響をくれる大人に
出逢わせてあげる機会をたくさん作りたいと思いました。
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「命を大切にする教育」-佐世保高1女子殺害事件について思うこと

2015年07月26日 | ★道をひらく
あの事件から1年がたった。
テレビもネットもこのことにはまったくふれなくなった。
私はずっと考えていた。
どうしたら、彼女たちのような
悲しい加害者、被害者を減らすことができるのかと…。

そう思っていたら、
またしても同じような事件が起きてしまった。
名古屋大学の女子学生の事件。

詳しくは報道されていないけど、
どちらも成績が優秀なのが気になるところ…。

学力ばかりに重きをおいた
教育のせいということはないだろうか。


そして、さらにまたしても
連続しておこる未成年による殺人事件。

大人たちが本気で子どものことを考えていない。
自分の子どももそうだけど、他人の子どものこともだ。

「おせっかいやき」な人がいなくなってしまったがために
他人に無関心、関わらない、立ち入らないようになってしまった結果が
子どもたちにこうして現れているのではないだろうか。
いじめによる自殺もそうではないか。

事なかれ主義。
波風を立てないように見て見ぬふりをする。

そんな大人のひずみをすべて子どもたちは受け取って
本当はそうなりたくないのにそうなってしまう。

そして、大人は誰も本気を出して
SOSを出している子どもを助けない…。

きっと子どもには少しくらい
「おせっかい」を焼いてもいいのかもしれない。

うるさいくらいに首をつっこんで初めて
SOSを出している子どもを助けられるのではないだろうか。


 - - - - - 


いくら命は大切だととなえられても
自分自身が周りから大切にされていると思えないのに
命を大切と思うだろうか…


長崎県佐世保市の教育関係者の方々は
とても努力されていたと思う。
でも、残念ながらこの事件は起きてしまった。

それは結果的に誰も
彼女の心の闇を救うことができなかったからだろう。

この事件に関する色々な記事を
ネットで検索し読みあさった。

すると、どうも父親がしている行動が
父親としての責任を
放棄しているような感じがいなめない。

母親が亡くなって、すぐに再婚したり、
戸籍をうつし、祖母の養子にしていたり、
子どもを一人暮らしさせたりと。

子育てのことで
こんなにも父親に批判が集まったのは
初めてのことではないだろうか。
母親が生きていたら、きっと
今までのように母親が批判されていたに違いない。
「母親の育て方が悪い。」と…。

父親は、そんな窮地に立たされて
耐えきれなくなり、自ら命をたってしまった。
彼女は復讐をはたすことができたことになるが…
きっと本心は嬉しくはないだろう。

誤解のないように言っておくが
殺人はけして許されることではない。
まったく罪のない友人を殺すことは
絶対に許される事ではない。
彼女と彼女の両親はこの十字架を
死んでも背負っていかなければいけない。

ただ考えてみると
彼女はとても寂しかったんじゃないだろうか。

「私の寂しさ、辛さを誰も分かってくれない。」

問題行動をおこした小6くらいから
そう思っていたのではないか。
だから、分かってくれない父親に
金属バットで殴りかかったのではないか。

 あなたが大切
 あなたを産んでよかった
 あなたがいるだけで嬉しい
 あなたが大好き

そう、存在を認めてもらえたことのない子で
親に甘えることができず
勉強やスポーツの成績ばかりを評価され
どんなにたくさん褒められていても
成績がふるわなくなり、挫折をしたら
その子の精神状態はどうなるだろうか。


自分が彼女だったらどうか考えてみて欲しい。


きっと精神が崩壊してしまうだろう。
猟奇的になっていってしまうこともあるだろう。
そして、それを本人も自分で止めることは
できなくなるのではないか。

「テストの点数がすべてだ!」

と小6の時に言い返したという記事をみて
常に評価ばかりされてきた感じを受けた。
有名大学卒業のエリート両親、さらに優秀な兄。
彼女にはどれだけのプレッシャーが
かかっていただろう。


彼女の過去の経歴を読んでいると
私自身と何やら重なる部分がある。

自分のことを「僕」と呼んでいたこと。
親元から離れて暮らしたこと。

私も「わたし」と言えず
「僕」と言っている時があった。
それから、小6の時に自分で決めて
新築の一軒家に両親と離れて祖母と暮らしたことがある。

母は私の意見を尊重したからというが
小6(11才)の少女がいくらそう言うからといって
親と離れて寂しくないわけがない。
やせ我慢に決まっているのに
母はどうして気づかなかったのだろうか。

「そんなに我慢しないで 一緒に暮らそう。」

本当は母にそう言って欲しかった…。
私がどれだけ甘えたかったか
母は、いまだによくわかっていないと思う。

16才でもしっかりしている人はいるが
親にちゃんと受け入れてもらっていない彼女は
人を思いやる心が育っていなかったのではないか。

殺人をすることで父親を困らせて
究極に追い詰めてやりたいのかもしれない。
これは無意識での親への復讐なのかも。

「ほら、こうなったのは全部おまえたちのせいだ。」
…と。

そんな理由で殺されては
殺された側はたまったもんではないが
なんかそんな感じがする。


私が小6の時、
転校した先が母親の地元だったせいで
「母が頭が良かったから」と言う理由でいじめにあった。
いじめをしていた同級生の親たちが自分の子どもたちを
成績で私に負けるなとまくしたてていたからだ。

今考えると私も一歩間違えば、11年前に起きた
同級生殺害の小6の少女よりも先に
小6で殺人を犯していたのかもしれなかった。
私の精神状態は紙一重だった。


毎日、小学校に登校しながら
いじめるやつらをいつ殺してやろうかと思っていた。
おぞましい考えが私の頭の中を駆け巡っていた。

そんな心の闇を私が持っていたなんて
当時、誰も思わなかっただろう。

でも、私はしなかった。
それはどうしてか?

ちょっと考えてみた。


きっと私の心を救ってくれていたのは
小2から飼っていた雑種犬「クロ」の
おかげだったのかもしれない。

クロは、いつも一人だった私を
ありのまま受け止めてくれた。
クロの頭だけ出して体を土の中に埋めても
私を信頼しているのか、合図するまでけして動かなかった。

クロは私が家に帰ってくると
ニコニコした顔をして
しっぽをふって迎えてくれた。

クロは全身で
「あなたがいてくれて嬉しい」
そう表してくれていた。

だから、両親や先生が私の心の闇に気づいていなくても
本当の友達がいなくて、ひとりぼっちで寂しくても
殺したいほど憎しみに心がかられても
なんとか耐えられたのかもしれない。

事件を起こした彼女にはありのままの彼女を認め、
包んで愛してくれる人や動物はそばにいたのだろうか…。

そして、私は「ドラえもん」や「タッチ」など
とてもいい作品を読んでいたおかげもあったのかもしれない。
私の心は、藤子・F・不二雄先生とあだち充先生が
育み、救ってくれていたのかもしれない。

「タッチ」のアニメは、
「お薬」だと言って見ていた記憶がある。
「タッチ」を見ると、心がおだやかになるからだった。


地位や名誉、
勉強やスポーツの優秀さ、
大金、豪邸。

そんな物理的な豊かさよりもきっと

「あなたがたいせつ。
 いつも見守っているよ。」

そう言っていつも温かく迎え入れて
包み込んでくれる大人が一人でもいたら…。

きっとそういうことが
心の闇を持つ子どもたちを救う
ヒントではないだろうか。
そして、命を大切に思う心に
つながっていくのではないだろうか。

そう、まさに
パピーさんが教えてくれている

「認める」「褒める」「包む」

これが、どんな人をも救う考え方なんだと思う。

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