春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

高尾山、ちびた靴をはいて!

2021-03-02 19:58:32 | 関口文治郎/神社仏閣


放蕩無頼のなれの果てと言われないよう、
ちびた踵の靴を履き、
「記憶袋」の提げ紐を緩めたら、
あてにならない記憶が満杯になっていて、

その一つ、掻い摘んでみたら、
丹波山系、
江戸100万人口で、20万の人が、
参拝したという、大山寺。
安政の大火で立て直した向背の木鼻、
彫った彫物師の一門は、
高尾山の山門にも飾ってあるの資料を見たのに、
3つある山門の資料に、彫り物師の記録はなく、
社務所のお偉いさんの努力も虚しく、
いつか裏付けが出るのを待つようにと・・でした。
八王子の河童、
末期の不覚と言われないように、
大山寺の記事を訂正して、
ひとつ、高尾山杉並木を見上げて、
残念でしたが、
社務所の担当の方に感謝して、
ホッ!

手中明王太郎敏景(師職として:小川監物)信景の子。
江戸城本丸普請に作事方として加わった。
寺社建築では天保6年(1835年)に建てた
高尾山薬王院表門などが残る。
次代の景元は前鳥神社旧大神輿を敏景の作と記録している。

👇薬王院・仁王門に・・。



今年、三十三代法燈を継承した、
佐藤秀仁山主
歌舞伎俳優・市川海老蔵さんに似て、

身近に見た人は、せっかくの解脱に、
煩悩、酔いはしないかと・・・。
バカばっかし・・。


👇高尾山薬王院。
ここで毎日護摩を焚き上げます。
石段を上ると本社、極彩色の権現堂があり、
ここの彫刻は、石原銀八郎さん。
群馬花輪彫刻集団でも、
抜きんでた鑿裁きを伝承させた初代です。



👇四天王門に・。
















この3月は群馬県を行ったり来たりで、
投稿も思うようにはいかないかと思います。
手際の悪さを、ぼろくそ、反省して河童、
指をそろえて畳の縁、
頭を👆に👇に何度も、何度も・・。


花たちは、旧甲州街道・小仏関所跡
コメント (8)
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