春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

迦陵頻伽の水澤寺 ❸-➌ 群馬県伊香保町。

2024-05-11 07:16:47 | 坂東札所

ムラサキサギゴケ



水澤寺、1300年の歴史に、
再三の災火により焼失、
現在の建物は1521年 から 1528年 、に仮堂を建立し、
1751年から1781年、途切れて1784年まで、
33ヵ年の大改築によって完成させ、
装飾は、中国の夫人などを彫り物にし、
男性よりも女性の観光客が圧倒的に多かった水澤寺でした。

















👇迦陵頻伽..かりょうびんが..の浄土を表現していると理解され、
美声をもつ、江戸の巷では、
手が届かない、花魁の代名詞にもなる、神話の鳥。
誰が描いたのでしょう・・・・






巡礼、人生の人間形成の修験というけど
江戸時代の観光を目的にした人たち
ここまでの長い坂道
車でも長いのに
ゼイゼイ・ハアハア~
このゼイゼイ・ハァハア~が
終わった時
きっと、体の芯で何かが変わるのでしょうね
いまだ、変化に気が付かない
河童です

来たとき、1回100円での鐘付き
帰りに2度目、鳴らして、
頭から足の先まで
突き抜けるいい音、木立に残して
栃木県出流山へ

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六角堂・水澤寺 ➌-❷ 群馬県伊香保町。

2024-05-10 07:38:03 | 坂東札所

ジギタリス・狐の手袋👆

水澤寺、広い駐車場と参道には、
昔から、地場の特産が並んでいて、
次の札所の栃木出流山・満願寺までは、有に80キロ、
籠か歩くだけの江戸の巡礼・観光、
休み処や、宿での食物が欲しい・・・
何を買うか物見する、楽しみもあったでしょう・・

今だって、観光巡り、



私も楽しみで、鉄くずを磨いた作ったオートバイと、
車でポイと頬張る👆トマトせんべい・・・🍘美味い ‼



参拝する前に、水沢うどん街道で、うどん食べるのですが、
うどん屋さんも、水澤寺が再建した当時から、
400年の歴史が有ったわけで・・・







👇六角堂は、1600年代後半に建立された、
地蔵尊信仰の代表的建築物で・・
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の、

六道を守る、地蔵尊を祀り、
六道輪廻の相を表しております。
回転する地蔵尊を左に3回廻して、真心の供養をします。





👇以外と重いんですよね・・





👇1600年後半の建立から、
三十三カ年の大改修を終えた本堂。
次回に、外陣の迦陵頻伽の画は次回に・・・






塗装業を営む方から、購入した塗料
粘りがあって質感が違ってた
減るのも早いけど、仕上がりの良さに
口の悪い仲間も、感心しきり
調子に乗りたくなってきた
きょうも塗装職人に変身です


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水澤寺 ❶ の山門。坂東道 群馬県伊香保町。

2024-05-08 21:37:14 | 坂東札所

4日間、自宅で過ごして昨日、
休憩室の壁を塗り替える作業で、
脚立に乗ったり、降りたり、
夜のぐっすり寝まで良かったのに、
今日は足がもつれ、こっちでヨタヨタ、あっちでヨタ・・
膏薬貼っても地につく足、宙に浮いてケタケタ笑う・・。
健脚前の、好転反応・・そう思えれば・・いいけど・・・
今は、脚立が怨めしい・・・


鬱蒼としている木立に、彩度を落とした朱色の門構えは、
自然を崇拝する山岳宗教、浮ついた気分を撥ねつける。
群馬県伊香保町、坂東札所16番、五徳山・水澤寺。

仁王門の完成は1787年で・・


一階の通路の天井には、
狩野探雲上野法眼の、洗練された筆使いの龍の絵が・・・


中国の彫師が手掛けて、彫ったかと思えた、
奇抜なフォルムの木鼻・・・
風雨にさらされて、剥がれた塗料のまだら・・
時の流れ、成り行きの風情が、またいい ‼












👇石段、苔を活かして、踏み石に苔は無く・・
心遣いでしょうね・・・


登り切れば、高炉からの線香の匂い、
参観寺域を隅々まで染みてて・・・




水澤寺、続けますが
膝頭・まだケタケタ、笑ってる

今日の〆は、水沢山からの水際に
咲いてたイワタバコ・・で・・



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通勤の前には合掌で・・横浜市・弘明寺。

2024-05-06 18:58:23 | 散歩

リス👆と坂東札所14番、横浜市の弘明寺.ぐみょうじ..とは、
まったく関係なく、リスは武蔵野市の井の頭公園のリス園で、
チョロチョロパッパしてたリスです。

弘明寺町に住む3700人ばかりの人たちの、
900人ばかりの人たちが、地元で働いてるという。
仕事場に行く途中、帰り、門前で手を合わせる人が、
いっぱいいるという・・。



鎌倉時代には、源将軍家累代の祈願所で、
1766年に再建された本堂は、
1044年、光慧上人が瓦葺き本堂が建立した、 
当時の古材が床板として使われている・・と。

廃仏毀釈による公有地化で4万5千㎡は、
横浜市へ譲渡...
現・弘明寺公園...し、
更に京浜急行電鉄が、弘明寺駅が開業し、
駅周辺では寺自身が、民有化を進めたことなどにより、
寺有地は、過去所有していた約2割になったとという・・・。

















👇1798年の梵鐘は、
川崎大師平間寺の梵鐘を制作した人とおなじ
江戸神田に住んでた方だと・・


帰りは、社務所横の石段から・・




坂東札所道 横浜まで戻って来たのに
今度は、いきなり高崎市まで
歩いたら、140キロ・23時間ばかり
平坦な地形どころとはいえ
江戸の観光、道端で句でも詠む趣味がないと
地酒、飲まないで寝てしまうねぇ~
うん‼

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坂東道 浅草・浅草寺 ❷-❷ 東京都台東区。

2024-05-05 07:41:38 | 坂東札所

👇1649年再建立した後
東京大空襲で焼失し、昭和33年再建した、

坂東札所13番、金龍山・浅草寺。
きっちりかっちり、歴史が見えないコンクリート造りでした。
当時、焼け野原から再興したばかり、
山は無く、伐採も遠くからで、
木造で作るには、莫大な費用が掛かったのでしょう・・・

初代・本堂の造営に携わった大工たちは、
源頼朝さん鶴の人声、ほとんどの人たちが、
鶴岡八幡宮の造営に、呼び寄せられたといいます。



初詣、三社祭、浅草カーニバル、ほうずき市、羽子板市など、
境内はびっしり、年がら年中、

奈良時代からの聖観世音菩薩さん・・・息つく暇もない。






五重塔・・宗教問わず、誰でも供養が出来き、
マザーテレスさん・ダイアナ妃の供養に位牌が、
安置されてると・・・





👇龍図 天人図・川端龍子画伯筆

















浅草に賑わいの帳が降りて
地元の人たちの散歩コース

私も、そろそろ帰りましょう
土産・抹茶のわらび餅
普段の我がままに陰口・陰口
これで一つ減れば
明日は平安
後生大事に・大事、大事に抱えて

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