平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第7回は塩慶大(体育4・鳥取西)と塩田智也(体育4・星城)です。
是非ご覧ください!
平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援とご声援をいただき、誠にありがとうございます。
筑波大学硬式野球部 青桐寮4階副フロア長4年の塩慶大です!
4年生のビッグイベントであるブログ執筆の依頼が届き、この場を借りて、17年間の僕の野球人生一切への熱い想いと塩慶大という男の生き様を、、、
なんて考えてましたが、そんなことを書いても皆次の塩田のブログを読み始めてしまうかと思いますので、やめました。
なんせ、普段は野球の話3割、恋の話7割で、「最近どーなん?」と聞くと「それは野球ですか?女の子の方ですか?」なんて聞き返されたり、風呂に入れば恋に飢えた同期や後輩たちと「恋とはなんぞや、愛とはなんぞや」なんて話を何時間も語り合ったりとそんな毎日でしたので、ここに来て何を書いたらいいんだろう、、、と、1週間程途方に暮れておりました。
そんな僕ですが、最後くらい自分なりに想いの丈を綴らせて戴こうと思います!
中・四国地方を代表する山陰のどん、鳥取県の山あいの温泉街に3兄弟の末っ子として生まれました。
保育園・小学校時代は足キャラで名を馳せ、かけっこでも常に12人中、1.2位を争う逸材でした。
小さい頃から外で遊ぶことが大好きで友達と山に行ったり、川に行ったり、洞穴を作ったりと田舎生活を満喫し、お腹が減るとお母さんの美味しいご飯をたくさん食べてすくすくと育ち、ぶくぶくと大きくなっていきました。
野球の方はと言うと、保育園の年長さんの時、母に泣きながらユニフォームを着せられ、兄の練習について行く形で野球人生をスタートしました。
小学校は遠く離れたチームに入部し、平日の水曜と土日は両親に車で送ってもらい沢山練習しました。
でも実際は、低学年の頃はあまり野球が好きではなかったので、平日はよくお腹を痛めたフリをして母に欠席連絡をしてもらい、嘘がバレて練習に行った時には帰り道にモスでロースカツバーガーを買ってもらってなんとかしんどい日々を乗り切っておりました。
そんな小学校時代ですが、先輩や同期、指導者に恵まれ、高学年になる頃には少々野球も上手くなり、野球が大好きな子供に成長しました。
そこで出会った北浦監督、細田コーチ、青野コーチ、山根監督には今でもとても感謝しています。
その後、中学校では、吹奏楽部と茶道部を兼部し、課外でボーイズのクラブチームに入部することになりました。
野球人、ドラマー、茶道家の三足の草鞋で活躍し、一度は芸術の道を志すことも考えましたが、そんな柄ではない為一歩踏み出したところでやめておきました。
高校は模試を沢山受ける県内の進学校、鳥取西に進学し野球を続けました。
中高でも色々な経験をしましたが、長くなるのでその辺りは割愛します。
さて、大学野球を振り返る前に、
皆さんこの言葉はご存知ですか?
『人生は選択の連続である』
僕の保育園からの幼馴染が中学の弁論大会で発表した言葉で、僕もまあまあ好きな言葉です。
『過去の決断の繰り返しが現在ならば、現在の決断の繰り返しが未来を形作るということにもなります。』
Googleで検索するとこう書いてありました。が、ちょっと難しいので僕なりに解釈すると、
「人生の中で選択や決断をする時は、五万とある。大事なのはどの道を選択するかよりも、選択した道が間違いじゃなかったと思える様に日々を生きること。」
これですね!たぶん笑
僕はこの4年間でこの言葉の意味を少し理解できるようになってきたのではないかと思います。
大学3年の春、大きな選択のタイミングがありました。
まぁ、例のプロゴルファー事件ってやつですね、笑
2年の冬にAチームに上がり、リーグ戦に出る為に必死の毎日でした。
でも中々結果を出せず、Aに居るというプレッシャーや技術だけでなく、野球への向き合い方、考え方の違いを痛感し、色々なことが相まって初めて本気で野球を辞めたいと思っていました。
毎日セブンでお菓子を買って、夜中までダラダラして、全体練習を耐え、自主練なんかしないで帰る。そんな廃人の様な生活でした。
その時は、正直辞める以外の選択肢はなく、ここで辞めたら今まで頑張ってきた意味がない、ここで踏ん張れば一回り大きくなる。
そんなことを考える余裕もなかった様な気がします。
さっさと辞めてゴルフの道にでも行こう、なんで野球なんてやってんだろ、そんな思考の連続でした。
でも、そんな廃人を救ってくれたのはやっぱり同期でした。
風呂でゴルフについて深夜2時まで語り合ったおかげで、やっぱりまだ辞めたらダメだ。そう思えるようになりました。
感謝しています。
自分自身で「続ける」という選択を決めた時からこの1年間、時折考えることがありました。
あの時続けると決めた選択が、引退する時、間違いじゃなかった。そう思える1年にしたい。
なんだかんだこの1年間踏ん張り続けられたのは、そのことを不意に思い出し、自分なりに頑張れたからだったからかもしれません。
あの時、続けるという道を選んで本当に良かった。と心から思っています。
『人生は選択の連続である。
どの道を選ぶかよりも、選んだ道を自分なりに懸命に生きる。』
ここでもう一つ大切だと思うのは、「自分なりに」ってことです。
組織の中で活動していると、自分の頑張りが人からしたらそうでもない。なんてことはよくあることだと思います。
でも今はそれでいいと思えるようになりつつあります。
自分の人生を生きているのは自分なので。
これからの人生、こんな経験はいくらでもあるだろうし、誰にだってあると思います。
周りにどう思われたって「俺の人生は俺が決める!」そんくらいの気合いで乗り越えていきます。
そしていつか、日本を代表する営業マンになって、セレブの仲間入りしてやります!
(焼肉でも寿司でもなんでもかかってこい!)
ラストシーズンに懸ける想い、
「リーグ優勝」これしかない!
永戸世代の底力見せたりましょう!
最後に感謝を伝えさせてください。
とーさん、かーさんへ
大学まで野球やらせてくれてありがとう!やっぱり最後まで野球続けて本当に良かった!
保育園から始めた野球もやっぱり最後の最後まで面倒を掛けたけど、たぶん2人がいなかったらここまで続けてこられなかったんじゃないかなって思う。
特に大学の4年間は何度も辞めようと思ったけど2人と話すと、やっぱダメだ、頑張ろうっていつも思えた。
俺にとって2人は偉大な両親です。
最後、必ずグラウンドでプレーする姿を見せられるよう頑張る。
今まで本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
らいへ
やっぱり大学野球をらい抜きで語るのは無理でした。
同じドーマに配属された当初、年も一つ上で強豪私立出身で最初は結構ビビってた。おまけにポジションも同じで、かなりライバル心を燃やしてました。笑
けどなんやかんや仲良くなれて、毎晩練習終わりにミット磨きながらその日の愚痴を言い合ったり、夜一緒に素振りしたり、みんなで集まってパワプロドーマリーグを開催したりそんな日々を送れたことは俺にとっては最高の時間だった。
大学入ってらいに出会えて良かった!
ほんとうにありがとう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
体育専門学群 4年 塩慶大
鳥取県立鳥取西高等学校
こんにちは。
筑波大学硬式野球部4年塩田智也です。
「ラストシーズンに懸ける想い」としてこれまでの13年間の野球人生の振り返り含めて書かせていただきます。
野球は小学3年生、稲沢少年野球クラブで始めました。総監督がとても熱い男だったので5年からはオフがなくなりました。
中学では尾州ボーイズに入り、砂袋とかいう重りをつけて屈伸を2000回する意味不明なことにも耐えてきました。
その甲斐あってか膝をシャリシャリ鳴らせるようになりました。
星城高校でも優しい先輩や先生に可愛がっていただいたことで生命力が身に付いたと思います。
ここまで思い出したくないようなきついことを経験しても野球を辞めたいとはならず、
なんなら愛は深まるばかりで本当に自分はドMだと思います。
ただこれらの経験からその場を乗り切ることだけ上手くなり、人の目を気にしてばかりで特に他人に対して想いをぶつけることや本心を伝えることから逃げてきました。
このツケが大学に入学後、特にスタッフになってから回り苦しむことになりました。
思うことがあってもまあいいかと流し、脳死で打撃サーキットのゴムを持ち、ひたすらネットへと投げ込むマシーンと化していた自分はチームにより貢献するためにスタッフになったにも関わらず皮肉にもチームにとって無価値でありマイナスにもなり得ると痛感しました。
ただこのような事に気付かせてくれて変わるチャンスをくれた仲間に出会えた事はこれからの人生においてもとても幸運だったと思います。
少し話は逸れますが勝負の世界に生きる僕たちにとって「運」はとても大事なものです。
どっかの学者も人生は能力ではなく運で良し悪しが決まると言っていたので本当にそうだと思います。
共通テスト国語を鉛筆転がしで乗り切ったように、これまで自分は勝負所で上振れを引いてきました。
常々自分は運が良いと言っていますが結局は気の持ちようです。
結果が出なくて落ち込んでいても下振れのまま終わらないよう足掻きましょう。
必ず何とかなります。
自分は寺原さんのラストブログを読んでから「実力も運のうち」が好きな言葉になったのでここで紹介しときます。
二年生以下はぜひ読んでみてください。
このままだと自分の言いたいことは誰かの受け売りだと気づかれてしまうので最後は自分の思いをストレートに伝えます。
まずは両親へ
ここまで野球をやるにあたって多大な支援いただきありがとうございました。なかなか結果で恩返しをする事が出来ず申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ集大成であるこの秋リーグに向けて自分も精一杯戦っているのでぜひ一度つくばにおこしください。
つくばには親とじゃなきゃ行けない店がいっぱいあります。
ぜひよろしくお願いします。
本当にお願いします。
次に後輩へ
不甲斐ない先輩からのお願いです。
どうか4年生のために力を貸してください。
いくらでもノックするし肩取れるまで投げます。
また、逆に学ぶことばかりの3年野手コーチ陣、たまには頼ってください。飯ぐらいは奢ります。
最後に4年生へ
やるしかないんだよ2024の集大成です。私心を捨てて頑張ろう。
僕は飯塚くんのノックを受ける姿や松尾くんのひたすらバントをする姿、竜波くんや小田切くんの夜遅くまでバットを振る姿を見て勇気をもらっていました。
やっぱり4年生で勝ちたいです。
永戸に続いてください。
そのためにもまだまだやり切れる部分があると思います。いくらでも自主練付き合うのでノックやバッピさせてください。
でもマシンバントだけは選手同士でやってください。
これまでの野球人生なかなか上手くいくことばかりではありませんでしたが総じて良いものだったと思います。
大学生活は偉大な先輩や優秀な後輩にも恵まれ楽しい思い出ばかりです。
後はマジでリーグ優勝、神宮に行くだけ。
野球やってよかった。
体育専門学群4年 塩田智也
星城高校