筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い⑭(体育4・松尾悠生/西南学院)

2024年08月27日 20時01分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第13回は松尾悠生(体育4・西南学院)です。
 
 
是非ご覧ください!


こんにちは。妥協という言葉が大嫌いな松尾悠生です。
※この文章も妥協してません。先に言っておきます、ちょい長いです。





自分らしく、一生懸命、書きました。ぜひご覧ください。


高3の夏、この日に合格を勝ち取るんだと意気込んで参加した高校生練習会。

アップでヘッドバックをしてみたり一人だけ声を出して試合の動きでキャッチボールをしてみたり川村先生へ猛アピールをしましたが、その努力も空しく現役では筑波大学不合格となってしまいました。


ステップアンドステップ(NIZI U)の歌詞を聞いて風呂の中で泣いていたくらいに追い込まれていた浪人生活を乗り越えやっとの思いで筑波大学に入学します。




新人練。
初日、傳谷さんに「今日キャプテンをやりたいやつはいるか」と聞かれ自分がコンマ何秒手を挙げるか迷ったその一瞬の隙に「はい!」と手を挙げた笹原に感服し師匠と言っていたこと、自分の野球ノートを小田切と大聖に勝手に見られ小馬鹿にされたこと、平砂風呂でみんなと語り合ったことも今思うと懐かしい思い出です。


大学1年のころは基本CかBチームにいました。

早くリーグメンバーに選ばれたいと思い、毎日多目でノックを受けていました。

「松尾はグラウンドに住んでるのか」と誰かに聞かれたこともあります。

特に天王台後に2時間以上ノックを打っていただいた洲崎さん野条さん尾上さん、大変だったと思いますがありがとうございました。

僕の原点はこの多目的ノックだと思っています。

ちょうどアパートを探していた頃、C野手の練習後に監督に呼ばれ「松尾、寮はどうだ」と言われた時は僕の名前を覚えててくれたんだとそっちがうれしかった記憶があります。

まぁ、ここから怒涛の寮生活が始まるんですけどね、、、。寮に入って良かった。




大学2年生では、両肩を怪我し右肩を附属病院、左肩をいちはら病院で肩ごとに病院を変えて診てもらっていたことも良い思い出です。

415も経験しました。

僕的にはその晩隼瀬に風呂場でポール(洗剤)に水をぶっかけられて、なんでこいつにいちいち切れてしまったんだという後悔から脱衣所で男泣きしたことの方が印象的です。今では仲良いです。


なんといっても運命のトライアウトは僕の野球人生を変えてくれました。

やってきたことがつながった瞬間でした。

ちなみに通算トライアウト打率は5割を超えてます。

初リーグではベンチの仕事をやらな過ぎて真也が注意してくれました。ありがとう。

あの頃は、視野が狭くなってしまっていました。今でもたまにそうなることがあるので教えてくれると助かります。


大学3年生では、たくさん試合に出させていただきました。

秋の城西戦のタイブレークでルーティーン(屈伸)が長すぎてそれが終わるころにはボールがミットに納まっていたことは反省です。

寮生活も慣れてきて友達も増えました。

塩の部屋に集まって意味もないことを久米とか蟻川とかと喋り明かしたあの時間は宝物です。(結局、とがりメタモンが人類で最強なんだっけ?)



大学4年生では、最上級生となり可愛い後輩が増えました。

試合前、僕が精神統一している最中に茶々を入れてくるS横投げ投手。

たぶん僕を同期だと勘違いしているK俊足外野手。

ことあるごとに反省会をしましょうとツオ飯に誘ってくれるいつもの二人。

僕の面白い話を最近笑ってくれるようになったM皆のお手本内野手。

トレーナーメニューで変な気持ちにさせてくれるO超人外野手。

頼りになるYネオス。

あげだすときりがありませんが、みんな可愛い後輩です。

縦割り班長として縦のつながりを作れるようなイベントをもっと開催したかったですが、見る感じ1から4年生の距離感も近くつなぐ飯の効果があったのかなと思っています。

縦割り班長いるいらない論争も巻き起こっていますが結論いりますので来年も誰かが引き継いでくれることを願っています。




ここまで楽しかった思い出などを書きましたが、ひとつ一番辛かった2春の話をします。

僕は、1度本気で野球部を辞めようと考えたことがあります。

これまで野球をやってきてそう思ったのはこれが最初で最後です。


理由はモチベーションがゼロになったことで、それまでの過程は話す必要はないと思うので割愛しますが、親にも辞めると言っていました。

そんな中で辞めずに野球部に残った理由は、2つあります。

1つは当時C野手でともに活動していた大聖と筑波山温泉に行って愚痴を聞いてもらったこと、2つ目はその年の春リーグ、コロナで出られなかったA野手の代わりに出場したB野手の同期の活躍です。

一つ目に関しては、自分の性格上気持ちを溜め込みがちだったのですが溜めていた思いをすべて大聖に打ち明けました。

これがその当時の自分にとってどれだけ気持ちが楽になったか。帰りの車内で聞いた「これだけで十分なのに(BASI)」という曲も当時の自分に刺さりまくってずっと聞いていました。

本当にきつくなったときは聞いてみてください。

大聖には感謝をしています。「松尾まだ寮でいじめられてるの」と聞いてきますが何度も言うけど一度もいじめられてないよ。


二つ目に関しては、これまで一緒のカテゴリーで練習していた同期があの憧れのリーグ戦に出場したことです。

東海大相手に接戦を繰り広げている中継を見て僕の心の奥底に眠っていた悔しい、うらやましい、頑張れという思いがこみ上げてきました。

特に小田切や竜波の努力を直接見ていたからこそ、それに刺激を受けてもう一度僕もリーグ目指して頑張ろうと思うことができました。

二人には様々な「刺激」を与えられました。


この時期は、本当につらかったですがこの経験がその後の運命のトライアウトにもつながりました。また、同期の存在の大切さも感じることができました。



ラストシーズンに向けて

僕のやるべきことは、自分の与えられた役割を死ぬ気でやり抜くということです。

今年は、主力で出場する4年生が少なく後輩に対して多くの負担をかけてしまいます。

4年生がカバーできる範囲が本当に狭いです。

僕の役割なんてその中でも小さなものだと自分でも理解しています。

ベンチワークや声出し、練習中の盛り上げなど誰でもやれることは精一杯やります。それも僕の大切な役割の一つなので。

ベンチでの時間が多いとは思いますが最後まで声を出して後ろからにはなるけど後輩の背中を支えられるよう役割を最後までやり抜きます。



同期に向けて

航大も言ってたけど最後は絶対気持ち。

勝ちたいという気持ちがおのずと自分のやるべきことに導いてくれるから、それを前面に出す。

やるという強い気持ち。モチベーションとか関係ない。

やるかやらないか。みんなでやろう。








最後に感謝を伝えたい人が結構いるので伝えさせてください

監督
下手くそな僕を使い続けてくださりありがとうございました。打席に向かう前に「松尾に任せた」と言ってくださるので僕もそれに応えたいという気持ちでプレーしています。必ずやり切ってみせます。


牧野さん
牧野さんがいなければチームは崩壊していたんじゃないかと思うほど牧野さんには大きく支えていただきました。牧野さんのチームのための行動は4年生になって気づかされる部分も大きかったです。ありがとうございます。腰痛には気をつけてノックを打ってください。


東條さん
東條さんのおかげで野球がとても楽しくなりした。東條さんの存在が野球をもっとうまくなりたいと思える原動力になりました。ありがとうございました。


中原先生
筑波大学を目指すきっかけを与えていただきありがとうございました。また積もる話は帰省した時に話します。いいネタは入ってます。




先輩方
僕の野球人生に対して真剣に向き合っていただき、スタッフの方々にはたくさん自主練にも付き合っていただき、野球以外の話も聞いていただいた方もいます。
西浦さん、生島さんには特に仲良くしてくださって、一緒に野球できて本当に楽しかったです。
みなさん本当にありがとうございました。




永戸
永戸の結果へのこだわりは尊敬してる。誰よりも練習にこだわりチームの結果にこだわり、そういった態度に絶対に勝たなければと引き寄せられてます。自分の結果も残さなければならないというプレッシャーもあったと思うけど一番きつい立場を全うしてくれてありがとう。また映画にでも行きましょう。






スタッフの方々
柏木はじめスタッフの皆さん日頃から選手を支えてくれてありがとうございます。僕のバント練習や守備練習にも嫌な顔一つせず付き合ってくれてありがとう。良い練習ができて自分の技術が向上しているのも手伝ってくれるスタッフのおかげです。4年生になって裏の動きが見え始めてどれだけスタッフが裏で動いてくれているのかを知りました。時間を割いてくれてありがとう。

SSDには僕のような選手に対してもリーグの対策をしてくれてありがとうございます。リーグの対策をしたことがある人は分かると思いますが、結果を出すうえでSSDの情報は欠かせません。僕なんか1つの打席のために何度もSSDに助けを求めました。頼りにしています。


修ママ、パパ、呼子ばあちゃん、じいちゃん
遠くからいつも応援をしてくれてありがとう。お小遣いはいつも野球用品にあててます。あまりリーグの中継に映ることはないけど輝く姿を少しでも見せられるよう頑張るから見といてね!




家族
1度の人生、松尾家に生まれて良かったと松尾悠生になれて良かったと心の底から思えています。


父に対して
2年のシーズン後、選手を辞めるか迷った時は筑波まで来てくれて話を聞いてくれてありがとう。二人で話した時間がなければ違った選択もあったかもしれません。態度にはあまり出さないけど自分に向き合ってくれる姿で愛を感じてます。ありがとう。


母に対して
たまに電話して些細な話でも後から長文のラインでアドバイスしてくれてありがとう。「了解」としか返してないけど全部ちゃんと読んで受け止めてます。底なしのポジティブさも元気をもらってます。あと、ちょっと天然なのもなかなかおもろいです。浪人中、神社に通って色んな神様に挨拶してくれてたこととかたまにいじるけど感謝してます。ありがとう。


けいすけ
大好きです。金に困ったら頼りなさい。


みさき
国立を受けなさい。




もう思い残すことはありません。後悔のないようにやり切ります。


野球最高!


最後もやるしかないんだよ







体育専門学群 松尾悠生
西南学院高等学校


ラストシーズンに懸ける想い⑬(体育4・藤代稜之/長田)

2024年08月27日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第13回は藤代稜之(体育4・長田)です。
 
 
是非ご覧ください!



こんにちは。4年の藤代稜之です。






日頃より、筑波大学硬式野球部への多大なるご支援とご声援をいただき、誠にありがとうございます。

これから始まる秋季リーグ戦、そして今後の野球部へのご支援とご声援のほどよろしくお願いいたします。


あと数ヶ月で16年間続けてきた野球に終止符を打つということで、今までの振り返りとこれから始まるラストシーズンへの自分なりの思いを綴らせていただきます。

私の次が松尾ということもあり、部の皆はそちらの方が気になるかもしれませんが、紆余曲折の私の野球人生とラストシーズンへかける全ての思いをここにぶつけますので、少し長くなりますが、読んでください。


小学校1年生の冬に私の野球人生が始まりました。

当時、高身長高重量だった私に友人が「お前、野球やったらキャッチャーしか出来ひんな!」と誘いなのか蔑んだだけなのかわからない言葉で野球というものを知ったことがきっかけでした(これを言ってきた人とは今でも仲良しです)。

自慢ではありませんが、小学校通算打率は脅威の7割を超え、あの西武ライオンズ栗山巧選手に褒められたスイングで、所属していたチームを創部初の全市3位へと導き、地元ではそこそこ有名な選手になりました。

コーチ陣からジュニア選抜受けてみろと言われ、外で野球をするのはどうかなどの誘いを受けますが、これだけ成績を残した私の心中は「お金かかるしな〜なんで野球ってこんなにお金かかるんやろ。お金出してくれたらいくねんけどな〜」なんか大人ぶってる痛いやつですね。

一見親からしたら、なんてできた息子と思うかもしれませんが、なんやかんや好きで始めた野球なのに、そこで本気で野球で高みを目指したい!と思って行動していたら今どうなっていたんだろうと今でも考えます。

そして、中学校の軟式野球部に入部します。ここが私の野球人生の転機です。

私が最も尊敬している先生に出逢います。そして、13歳の未熟なガキに本気でプロを目指す気概を持たせてくれました。

中学の同期がこれを読んでいるかは分かりませんが、私藤代稜之は、3年間本気でプロを目指していたんです。

おそらく誰も知らないと思います。

全く無名の中学校の軟式野球部のやつがプロ野球選手を目指しているなんて、恥ずかしくて言えませんでした。

じゃあ野球で進路を選べよ、勉強なんかしてないでもっと野球しろよって思いますよね。


はい、ちょっと後悔しています。

あの時、「俺は野球で飯を食っていく!俺には野球しかないんや!」と言っていたらどうなっていたんだろうと今でも考えます。

当時の私は、野球と勉強とを何度も何度も天秤にかけましたが、絶対にどちらかに傾くことはなく、釣り合っている状態でした。

結局、野球も勉強も頑張りたいという思いから、野球での進学は諦め、県内トップクラス学力を誇る長田高校に進学することになります。
 

正直にいうと、高校はあまり面白くなかったです。

というか一瞬すぎて何も覚えていません。

周りは入学した瞬間から勉強に人生を捧げ、四六時中参考書と向き合っているような人で心を折られ、定期テストで東大や京大の問題ばかりを出してくる数学の先生に心をおられ、時間と労力をかけて培った学力であった私の頭では全く歯が立ちませんでした。

勉強も本気で頑張りたいと思って入学を試みましたが、頑張るよりも耐える方が近かったです。


さて、野球ですが、不完全燃焼で終わりました。

全く勝てない代であったのは、自分が空回りしてしまったからではないかと思っています。






ここまで、自分が思ったように個人成績を残すことができ、下級生からレギュラーとして出場することが多く、順風満帆な野球人生を送っていました。大学進学先を決める際は、野球をしたいという想いから選択し、当時の高校の監督と部長がOBであったことから、筑波大学を目指しました。

しかし、最後の試合で3打席連続三振、コールド負けという最悪の終わり方をした反動で全く勉強に手がつかず、気づいた時には周りとの差が広がり、1年目はあっけなく不合格。

教師志望でもあったので、後期受験で教育大学を受け、合格をしたのですが、筑波に行きたいという想いが消えていませんでした。

親は浪人を反対しており、ここまでたくさんの支えをしてもらったので、教育大学の方へ進学すると気持ちが傾いているところに一言

「迷っているのであればもう1度受けるべき。筑波は本当にいいところだぞ」

高校の監督でした。

親に頭を下げ、もう1度筑波大学を受験し、2年目にして合格。憧れの筑波大学へ進学することになります。
 
話が長すぎますね。ごめんなさい。

でも、話をまとめて伝えたりするのが少し苦手なので許してください。もう少しお付き合いを、、、
 

大学4年間を振り返ると、来てよかった、これに尽きます。

全国津々浦々から野球がしたいと集まり、リーグ優勝・日本一を目指す。環境や時間が限られている中、自分たちで工夫して練習する。

そして結果を残す。

筑波の人にしかできないことだなとつくづく思っていました。と同時に自分の野球の実力の限界を痛感しました。

リーグ戦に出場はできたものの、大した結果も残すことができず、、。

キャッチャーで入部しましたが、今では最もホームベースから遠い外野手で奮闘中。

思い描いたものとは全く異なります。

高校まで培ってきた野球のプライドというものを全て捨てて今まで戦ってきました。

進学校からやってきた人たちが少しでも活躍するための方向性を示せたらなと思い、後輩などには声をかけてきたつもりです。

また、人の想いの重さを感じました。

自分は人の想いを軽んじていました。

スタッフになってくれた人、自分に期待をしてくれた人に対して謝りたいと共に、自分のこれからをみてください。皆のためにも絶対に勝ちます。


 
つらつらと私の野球人生を綴ってきましたが、たらればがほんとに多い人生でした。

あの時、もっと高みを目指して野球をすればよかった小学生。

本気でプロを目指し、進路等も全て野球を中心にすれば今はどうなっていたかと少し後悔している中学生。

引退が決まった瞬間から勉強に切り替えていたら現役で受かったかもしれなかった高校生。

しかし、その時その時に思ったことが正解だと思って選択をしてきたので、今の自分がいることをすごく幸せに思います。

後悔していないと言ったら嘘になりますが、過去に自信を持ってこれからも過ごそうと思っています。

生きていて後悔しないなんて無理です。

しかし、過ぎ去った過去を否定しなくていいのではないでしょうか。

自分が良いと思ってやってきたことに自信を持っていいのではないでしょうか。

これが私の野球人生を通して伝えたかったことです。内容ぐちゃぐちゃですみません。
 

こんなにも紆余曲折な野球人生を折れる事なく最後までやり抜くことができたのは、紛れもなく両親、後輩、同期のおかげです。
 

両親へ。

普段から感謝を伝えているつもりではありますが、この場でも伝えさせてください。

野球しかないと言ったり、勉強も頑張りたいと言ったり、浪人反対を押し切ったり、欲しいものがたくさんあったり、、、自由な息子でごめんなさい。

何不自由なく過ごさせてくれて本当にありがとう。

家に帰れば、母の大好きなご飯が食べれて、あまりしゃべらないけど父とお酒を飲めて、毎度の帰省が最高でした。

少し遠い地ではありますが、画面越しでもいいので、自分の最後の野球姿を見てください。今まで本当にありがとう。
 

同期へ。

ラストシーズンに向けて、自分が人生で1番大切にしている言葉を送ります。

「綺麗な花になるよりも、その花を咲かせる土になれ」

試合に出ている人が少なく、ラストシーズンは裏側で支える人が多いと思います。

最後の最後までチームが勝てるように支えよう。

自分たちの代で必死にチームのために戦ってくれるメンバーを花にしよう。

4年間苦楽を共にしてきた自分たちなら栄養満点の土になれると思います。


そして何よりも、リーグ優勝して、涼世、爽吾を胴上げしよう。


皆で笑って神宮で引退しよう。


後輩へ。

君たちが大好きです。

鬱陶しいほど関わろうとしてたと思います。

これも君たちに力を貸して欲しいから。活躍して欲しいから。不甲斐ない4年生でごめん。

でも、4年生は本当にリーグ優勝したいと思っています。優勝のために力を貸してください。一緒にリーグ優勝の景色を見よう。

堀江。絶対にプロ行けよ。太一。これからもよろしく。2人にはたくさん貢ぎました。


本当に長くなって申し訳ございません。ここまで読んでくださってありがとうございました。

自分はリーグ優勝のために全てを賭けて戦います。その姿を見せます。皆で掴み取ろう、リーグ優勝。

よし、練習練習っと。






藤代稜之 体育専門学群 兵庫県立長田高校