筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い⑯(生物資源4・南原二良/県立浦和)

2024年08月28日 20時00分01秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
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第16回は南原二良(生物資源4・県立浦和)です!
 
 
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皆さんこんにちは。

南原二良です。





普段はB、Cチームで野手コーチをしており、ライブ配信の実況をやったり応援で前に立ったりもしています。

リーグに出ていない割には顔が広いかなと思います。間違えました。顔がでかいだけでした。

本題に入る前に突然ですが、この「南原二良」という名前が来年からは祖父母と養子縁組を組むにあたり「石井二良」となります。

複雑な事情とかではないので「みなみはら」、「いしい」、「じろう」と好きな呼び方で呼んでください。

ラストブログはふざけようかなと思いましたが、古賀君の「そういうのは冷めます」という言葉を思い出したので、まじめに書きます。

僕は小さなころからほとんど変わっていません。野球以外は適当で野球だけ頑張っています。

小2の冬に兄の影響で野球を始めました。

小学生の頃はすべての試合がコールド負けでしたが楽しかった記憶しかありません。

中学では監督さんにいっぱいの愛を注いでいただき、野球と生きるのがうまくなりました。

高校では投げすぎで肩を壊したり、ラグビーで足首を怪我したり、数学進路室で野球談議をしたり、十数年ぶりに県大会に出場したりと忘れられない思い出がたくさんでいっぱいです。

高校までの野球を通して多くの友人に出会いました。

海馬並みに遊戯王カードを持つ安野君(実力はインセクター羽蛾)、「下ネタの父」清野君、シンガーソングライターのたけし君などなど紹介しきれません。

高校まで野球が楽しかったのは友達のおかげです。

大学まで野球をやりたいと思えました。
ありがとう。

大学時代の思い出は2年の春先から書きます。

やるしかないんだよ。

言わずと知れた松尾君の名言です。

僕と松尾は2年の春先、Cチームで活動していました。

その頃のCチームの2年は完全に腐っていました。

やる気はなく、飲み会を楽しみにし、みんなでもうやめようとさえ話していました。

その中で唯一頑張っていたのは松尾です。

チームの誰よりも練習をし、オフ明けのトライアウトで結果を残し、Aチームへ昇格していきました。

腐っていた僕には必死になって結果を残す松尾がかっこよく見えました。

必死になれることが羨ましかったです。

腐っていた自分を恥じました。

それからはそれなりに練習をしたと思います。

それまで肩が痛くて守備をしていませんでしたが、打席をもらうため守るようになりました。

バットはチームの誰よりも振ったと思います。

「やるしかないんだよ」だけで頑張りました。

そのおかげもあり、オープン戦、天王台、新人戦と結果を残せました。

松尾、本当にありがとう。


うまくいき始めた矢先にやってきたのがスタッフミーティングです。選手を続けるか、スタッフになるかを選ばなければなりませんでした。

選ぶと言っても誰かが選手を続けるということは他の誰かがスタッフになるということを意味し、単純なものではありません。

悩んだ挙句、スタッフを選びました。

後悔していた時期もありましたが、スタッフをやって良かったと思うことが大きく2つありました。

1つ目は、結果を気にせず野球と向き合えたことです。

同期や後輩の練習に付き合うことで沢山の気づきを得られました。

他人をうまくさせるのは難しく根気がいりますが、その分学びも多く、自分の野球観や技術も向上しました。(選手で今悩んでいる人は参考にしてください。)


2つ目はチームへの愛が生まれたことです。

正直に言うと、2年までは筑波に所属している感覚がなく、チームへの愛などまったくありませんでした。

しかし、4年でBCチームのヘッドコーチをやるようになり、責任感が生まれ、その責任感が筑波への愛へと変わっていきました。

本当にスタッフをやって良かったと思います。

この2つとも「やるしかないんだよ」と思ってからの出来事です

どうせスタッフになったんなら一人でも多くうまくする、代わりがいないなら俺がやる自分に言い聞かせ始めてからうまくいくようになりました。

結局選手時代もスタッフ時代も腹を決めてから何事もうまくいくようになりました。

理論派と思われがちですが、精神論派です。

恥ずかしく感じる人もいるかもしれませんが、パフォーマンスでも自分をだましてでも本気になってみてください。

この秋も全員が腹を決めて本気になれば優勝できると思っています。

ついてきてください。


「やるしかないんだよ」






同期へ

ほかのみんなと同様、この代でなければ最後までやり切れなかったと思います。

楽しい4年間でした。

特にいつも飯塚の家でパーティーをしたメンバーには助けられました。

これから卒業までいっぱい遊びつくしましょう。

友達がやるからやるみたいなメンバーが多く、一見弱そうですが、誰かが頑張りだしたらみんな頑張ります。

これまでリーダーシップがないとかいっぱい言われてきましたが、逆手にとって最強の代になって見せましょう。

妥協せず、走り切りましょう。

最後は笑って飯塚の家で桐の葉を歌いましょう。
 

菅原へ

浦和高校の後輩であることはまだ認めていません。

もっと練習をしなさい。

素質はあるので努力でどうにかしなさい。

女の子に国家権力をちらつかせる前にやることがあるはずです。

あと、教師になって浦高を甲子園に連れて行ってください。

甲子園で浦和高校校歌や第一応援歌「八重雲起こる」を歌えることを楽しみにしておきます。

ラグビーやろうぜ!!浦高魂。
 
 
家族に正面で感謝を伝えるのは恥ずかしいのでここで長めに書きます。

まずは兄。

結婚と就職おめでとう。

去年より生活が楽しそうでなによりです。

浦高や筑波に合格できたのは間違いなく兄のおかげです。

ありがとう。


次に姉。

3人の中で一番自由で生きるのがうまいです。

僕がオーバーヒートせずに生きてこられたのは姉のおかげです。

ありがとう。


次に、母方の祖父母。

幼稚園、小学校と祖父母の家から通っていました。いろいろ迷惑をかけていた記憶があります。

忘れてはいけないのは浪人時代です。半分家出していた僕の面倒を見てくれました。

二人のおかげで筑波大学に合格できたと言っても過言ではありません。本当にありがとうございました。

そんな二人の苗字をもらえることは大変光栄です。

これまで以上に精一杯生きていきたいと思います。

これからも健康に楽しく長生きしてください。

最後に両親、兄弟3人の中で一番手のかかる子供でした。

言うことは聞かず、目を離したら交通事故に遭い、当然かのように浪人する、二人が心配するようなことしかしていません。

謝ります。ごめんなさい。

また、二人が野球をやっている僕を心から応援し、楽しみにしていてくれたことは感じていました。

選手をやめる際に何も相談しなかったことを後悔しています。

選手をやめたことを伝えた時の声は忘れられません。人生一番の心残りです。

スタッフになった後も最後まで応援してくれありがとう。野球部を辞めずに最後までやり切れました。

これからも多くの迷惑をかけるとは思いますが、よろしくお願いします。

仕送りが増えると幸いです。


(榊原さん、本編で紹介できず申し訳ありません。これまでしていただいたたくさんの御恩は字数の関係上書ききれません。今度つくばにお越しになる際はご連絡ください。焼肉とマックとスタバを予約しておきます。ありがとうございました。)






生命環境学群生物資源学類 南原二良 埼玉県立浦和高等学校


ラストシーズンに懸ける想い⑮(体育4・水口耕平/宮崎大宮)

2024年08月28日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
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第15回は水口耕平(体育4・宮崎大宮)です!
 
 
是非ご覧ください!

長いようであっという間だった大学野球4年間が終わろうとしており、まだどこか実感のないまま書き始めたのですが、大学時代を振り返っていきたいと思います。


私は2年の浪人を経て筑波大学に入学しました。

大学4年間は「2浪」という単語がどこに行ってもついてきたような気がします。

入学当時、まだ2浪ということが硬式野球部内に広まりきっていなかった時に3年生だった洲崎さんが同級生ということも知らずに年下の後輩だと思い接してきて「お前なんかかわいいな」って言われた時は気まずさで2浪って言い出しづらかったのを思い出します。

最初は2浪ということがトラブルの元になったり、周りに気を遣わせてしまうのではないか、友達はできないんじゃないかなどの不安がありました。

しかし仲間に恵まれて今では全く2浪ということを忘れるくらい気兼ねなくコミュニケーションを取ることができています。

いつもありがとう。

大学生活を振り返り特に財産と言える2つの経験があります。

一つ目がリーグ戦の出場です。

2年生の時の春リーグではAチームがコロナのクラスターで試合に出場できない時期があり、Bチームが代わりに出場をしました。

私はBチームに所属しておりベンチ入りの連絡が来た時、代打で出られればいいやくらいの感覚でおり、次の日ホワイトボードを見たら4番DHに自分の名前があり、全く心の準備をしていなかったので冷や汗と吐き気が止まらなくなったを覚えています。

試合は負けてしまいましたが、その当時のリーグ戦でMVPだった岩本からもヒットを打ち4打数2安打で打率5割の結果を残すことができました。

その後試合に出る機会はなかったのかって?

実は東海大戦の最終打席にライト前を打って、打球が良すぎたせいかライドゴロになりかけて、慌てて走ったところ全治3ヶ月の肉離れをしてしまい2度とリーグに絡むことはできませんでした笑。

リーグ戦を実際に経験してとても魅力的な場所だと肌で感じることができ、リーグを目指すことの価値を改めて感じることができたし、もう一度あの場所で野球をしたいと思うことができたいい経験でした。

球歴.comのリーグ戦打率5割というページはなんかおもしろいので少しお気に入りです。


二つ目はスタッフミーティングです。

私は最初選手を希望していました。

しかし話し合いを続ける中で、自分がよりチームのために戦力になれる場所はトレーナーではないのかということを考え選手を辞める決断をしました。

スタッフミーティング期間中は全然記憶がないくらいきつい期間でした。

ジムでトレーニングしてた時に絶対俺は選手しかやらない、選手じゃなければ辞めると豪語していた南原がスタッフミーティングで涙ながらに野手コーチになると言ったときは、本当にこころにグッとくるものがあったし自分はあの言葉があったから今のチームがあるんじゃないかと思うくらい大きなものであったと思っています。

ありがとう。

こんなに人とぶつかることもこの先ないだろと思うくらい辛かったし、もう2度とやりたくないスタッフミーティングがあったからこそチームのために頑張ろうという気持ち、この学年のためならやってやるという気持ちが芽生えたと思います。

またトレーナーとして活動するということをきっかけに将来プロのトレーナーになりたいという夢を抱いたので自分の人生には大きな財産となったと思います。

大学4年間は本当に濃いものでありました。

大学野球の思い出なんて語ろうと思えば、死ぬほどたくさんあります。

夜中1人で置きティーをしていたら外国人の2人組のお姉さんがお酒を片手に野球場のベンチに腰掛けてジロジロ見てきて、自分が打つたびに成功したらフゥーみたいな声をあげられて、失敗したらブーイングされたみたいな変な体験から、高校生にトスを投げたら目にボールを当てられて大怪我したり、楽しいものから辛いものまで本当に沢山の経験をさせていただきました。

どの経験も自分にとっては大切な財産です。

長かった大学野球もあと少しで終わってしまいます。正直少し寂しいです。


最後にお世話になった人たちにお礼を申し上げたいと思います。

まず初めに卒業された先輩方、不甲斐ない自分でしたが厳しくも温かいご指導をどうもありがとうございました。

特に自分が選手を続けるために結果を求めて焦っていた時期にたくさんバッピを投げていただいた古市さんやまひろさん、結果が出ないのに少しでもチャンスを与えようとしてくださった傳谷さんや洲崎さん、トレーニングの相談をたくさん聞いてくださった寺原さんには感謝をしています。

またトレーナーになってから面倒を見てくださったおのちゃん、篤樹さん、山﨑さんにもたくさんお世話になりました。

ありがとうございました。


次に後輩、かなり年上の自分だけど、気軽に話しかけてくれてありがとう。

カラオケ行きましょって誘ってくれる岡城や松永、いつも下世話な話で盛り上がってる田代、飲み行きましょって誘ってくれるけど一回も行けてない遠嶋(絶対に今度行こう)他にも沢山の気のいい、かわいい後輩たちに恵まれて本当に幸せです。

いつもありがとう。


次に同期の4年生、遅刻をしてしまったり粗相をしてしまったりなど、迷惑をかけることが多かったと思います。

大変申し訳ありません。

仲間だからと容赦はせずにいうときは厳しく言い合えるそんな筑波大の同期が大好きです。

自分がメンタルが落ち込みそうな時も相談に乗ってくれたり、隠し事はせずになんでも話せる信頼できる仲間に巡り会えて本当に良かったと思います。

いつもありがとう。


次に指導者の皆様、いつも私たちのご指導ご鞭撻の程ありがとうございます。

未熟者の私でしたが、皆様のおかげで4年間成長することができたと思っています。

本当にありがとうございました。


最後に両親、2浪までして大学に入れてくれて、野球を続けさせてくれて本当にありがとう。

大学でプレーしている姿をできれば見せてあげたかったというのが、私の唯一の心残りです。

大学で親元を離れてから改めて気付かされたのは自分は1人で成長してきたような気がしてたけど、そうではなかったのだということを強く感じされられました。

私は土壇場でやらかしたりすることが多かったり、運が悪いと思うことが自分では多いですが、人に恵まれているという点に関しては運がいいと思っています。

大学でも沢山の人に支えられて4年間続けることができました。

それも全て周りの人に助けてもらえる人間になるために、人としての道を示し続けてくれた両親の教えがあったからだと思っています。

本当にありがとうございました。

これからは大人として自立し、夢を叶え恩返しができるように頑張りたいと思います。

とりあえずあと2ヶ月と少し最後まで応援とご支援をいただけると幸いです。


大学野球を振り返ると総じて楽しかったというのが正直な感想です。

あとは最後のリーグ戦優勝で終えることが自分のやり残したことのような気がしています。

最後にこっからラストスパート!

いくらでもジャグ作るし、ノック打つのでどんどん誘ってください!

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!


水口耕平 体育専門学群 宮崎大宮高等学校